[むかしのなぞ] 2003/06

2003/06/02

まだ自惚れている。
まだ目を閉じている。
一人遊びが過ぎた結果だ。

歌たちは、想いを寄せることをさも美しい行為のように讃える。
そういう感情に無縁だから、他人と同じものを享受できない悔しさから、世間に抗い僻む。
愛はもっと利己的で惨くあるべきなのだ。

側にいたり。電話をしたり。愚図ついた話につきあったり。
他人のことを考えたり、他人に作用する行動をとることは、たしかにできる。
だがそのときの自分の存在感なんてものを過信してはならない。

誰かのために、なんて恩着せがましい台詞がよくも言えたものだ。
本当に心配なのは自分の気持ちなのではないか。この機とばかりに付け入ろうとしているだけではないのか。
いっそ利害関係を鮮明に表飾したほうが、どれほど潔いか。

距離をわきまえねばならない。
立場を履きちがえてはならない。
欲はすべからく、浄化されねばならない。

ずっと昔に討論したはずのことなのに。
外力とは他人に仇なすものであり、興奮は理性を細らせ精神を害するものであり。
振り回される人間、駆られる人間、自分を信じられない人間、みな弱いのだ。

だから表面上のやさしさや、言葉だけの親切など、見せないほうがよい。
疑われるのは疑われるような言動を平素していることに原因があるのだから、要領よくリアクションをとればいい。それが世渡りというもの。
徹底的に、冷たく、無関心で、そしてもう誰も。

いくつもの過ちや自戒や教訓が、今のぼくを縛り上げている。
だがそれは枷ではない。外せばまた破滅が積み重なるだけだから。波に飲まれぬための錨。
一生。ここから出られない。独りの桃源郷から。

2003/06/03

力がない。
そのことを恥じたり、恨めしく思ったり、悔いる必要はない。
それがデフォルトなのだし。誰からも求められていないのだし。
己の無能であることを、完膚なきまでに叩きこんでやらねば。

何かができるなんて思わないほうがよい。
周りに気を配る余裕があるときにだけ、戯れて口に出しているだけだから。
いざとなれば人間は自分の利益しか考えられない。それは生物として然る思考。
不況にあえぐ経営者たちは部下の首を切って自らを食いつなぐ。

そうでなくても、自分のことで手一杯なのに。
どうして自分のことも満足にやれないのに、他人にばかり目を向けようとするのか。
まず他人に見せても恥ずかしくない程度の自分を構築するのが先ではないのか。
偉そうな口ばかりきく、外殻だけの昆虫のような奴。ここにもひとり。

気休めの言葉が社交辞令と同じにどれほど身のないものか知っている。
だけれどそういう潤滑油でギトギトにして、みな顔面を摺りあわせる。
そうすれば摩擦が働かないから。自分の中に外力が存在しないことを、悟られずにすむから。
感情を見せるのは、感情を持ちあわせていないことへのアリバイ工作なのだ。

2003/06/04

どうして意味とか重みとか、そういうものに執着するのだろう。
たとえば今日という一日をハサミできれいに切り取って、ごみ箱に捨てたって。
それで何が変わるというのか。何を失うものがあろうか。
振り返っても特筆事項もなく。無駄と以外に呼称しようのない、お粗末な24時間。

財布を開けなかったとか仕事が進まなかったとか、そんな卑近なクラスでなく。
当たり障りのない時間に囚われて息を詰まらせかけている。
こうも焦燥するのは。退屈な日々を恐れ、また後悔するのは。
バリエーションを奪っているのはひとえに自らの怠慢だと言うのに。

何もない日をそのまま腐らせないために日記をつける、という人もいる。
ぼくはどうだろう。その目的については、満たせていないように思われる。
すこし言葉をひねっただけの。感動も伝えるものもない毎日。あってもなくても、どうだっていいようなもの。
価値のない人間が価値のあるものを生み出せるべくもないのだ。

このままではいけないという危機感は、将来への不安というものに直結している。
憂えているのはその日の無結果なのか、同じ状態がこの先も継続していくことへの暗い展望に対してなのか。
先手を読もうとするだけで混乱して一歩も動けなくなってしまうから、誰もが前を見ないようにしている。うつむいて、足下の石ころばかり気にしてせかせか歩いている。
そのほうが、その日その日の悩みを持っていられるほうが、まだ気分としては軽いのかもしれない。

2003/06/05

策略にはめられたと気づくまで、どれほど間の抜けた顔をしていたのだろうか。

課題そのものはどうだってよかった。
他人と共同で同じことをするなんて、窮屈で面倒でやっていられない。たとえば腰を動かしあうだけの行為に。正直疲れていた。
ぼくは、その場所に関わっている名義が欲しかっただけなのかもしれない。
わかりあえる人と一緒に居たかった。ただそれだけの。それさえも他の人間関係から逃げようとした結果だということも棚に上げて。

だから、見たくなかった。思っているよりはるかに、人間というものは奥深くて。
傲慢な正義の主張や、陰で罵りあう根の暗さや、論破を愉しむ好戦性、そういうものを。
自分だって同じ穴のムジナ、どんなに汚れているか、そんなこと思い知らされたくなかったのに。
違和感を少しでも口にすれば反乱分子として弾き出される。集団とはすべからくそういうものなのだ。帰属意識を吐捨する経緯だったら十分だった。

若い時分にあまり悩まなかったことのつけが来ているのか、それとも逆に悩みすぎて悩むことに飽きてしまったのか、どちらともつかない現況。
結局、ぼくはどこへ行っても、同じことばかりしている。温かいものを手にしたいと思ったと同時に、崩壊は開始されるのだ。みんなみんな仇としてしまって、そうして最後には何も残らない。
どれだけ悲惨な目に遭っても、悪態を吐かれようとも、きっと自らその場を去るまで気づきもしないのだろう。
鉱石が出なくなったら次の山を掘ればいい。そうして乱雑に食い荒らしてきた。それを今さら、安定な農耕文化に憧れるだなんて虫がよい。

一度であれ引き留められるなんてこと、考えてみもしなかった。やさしくされることに弱い。いつだってそう。
ぼくは愚かだ。自らの猜疑心を嫌悪してしまうから。相手の言ったことを言葉のまま受け取るし、だから利用されやすく、騙されやすい。
それでもいいと思って、戒めのつもりで甘んじて受けてきた歴史。踏み台にするでも労力を搾取するでも、どんな理由であろうと“必要とされている”のだから。それはとても“嬉しい”ことなのだ。
孤高でいられないことが、最たる弱点だと思う。

四度目の夜。さよならを告げられなかった夜。会ったらだめになってしまうって、勘づいていたのに。

2003/06/06

つまんない。
つまんないつまんないつまんなーい。

ちょっとした触れあいにも過剰になるのは、すべてのものを拒絶してきた時間が長かったためであろうか。
最終的な部分では絶対に誰ともわかりあえない。ある意味で当たりまえのことであるのに。そうと決まっているから自由に身動きが取れないのだ、みたいな言いかたをする。
そこまで頑なに遠ざけて結界を張って、いったい何を固持するものがあるというのだろう。
守るべきプライバシーなどない。みんないいように傷物にしてしまったから、商品価値もどこかに飛んでいっちゃった。

普段は臆病にしていて主張を避けるくせに、いちど図に乗りだすと鎖を外されたように烏滸がましくなっていくから質が悪い。
自分を安い人間だと思っている証拠。自分を愛していない証拠。いつだって棄てられる。諦めがつきさえすれば、いつだって。
許される場所など、また相手など、探すだけ徒労なんだって、どうしてまだわからないんだろう。
希望の光、だなんて。どれもこれも手が届くか届かないか中途半端の距離のくせに。ぼくという人間をよく知っているじゃないか。それはもう憎たらしいくらいに。フラストレーションを鬱積させる間合いだ。

今ある幸せで満足できなくなっている。
満足するなんてまるで人並みの権利が自分にも与えられているみたいに誤解している。

2003/06/07

空白の時間帯。
自分の犯した不正を黙視するためにのみ、それは費やされる。
見られて都合のよくないものはご丁寧に消去し、思い出したように友情を確認し、錆びかかったチェーンをきしませながらペダルを漕ぐ。
どこにもいない自分。いろんなところに顔を出す自分。誰のことをも選択しなかった自分。
それぞれに根ざした価値観があり、飛び立つべき未来があり、壊してはならない領域があった。
何者かがぼくを眠らせる。頭を休めろと。減らず口を叩かずに少しは大人しくしていろと。抜け殻のような時間が放置される。
夢が終わっても、次の余興が始まるだけ。それはなんて。
見えないものを伝えあうために生まれたのではなかったのか。

2003/06/08

楽しいときに笑顔をこぼすのは、それは自然なことなのだ。そうじゃない。自分に余裕がなくたって愚痴をこぼさず笑っていられたり、他人のことに気持ちを配れるふうでなければ。強さがなければ人と向きあったりつきあうことなどできやしない。
などと考えるたびに、自分に対して過度の期待をかけて重圧のもとに滲まさんとしていた犯人は自分自身だったのだと知る。幼さとは自らの力量を把握していないということであり、現実世界に射影した自分の姿に幻滅しないというイノセンスである。
無力さを嘆いたりするのだろうか。自分に力があったり、行使する権利があったり、また機会なり対象があってのこと、という前提条件を満足したつもりで、果たして前線に立っているのだろうか。命を捨てる覚悟で、なんて本気で唱えるのだろうか。
力なら誰もが所持している。悪意に源する暴力。社交性や理性が日常においてそれを凌駕しているだけ。進んで信頼を損ねようなどとは思わないだろう。だが一度口を開けば鋭突な牙はすぐ姿を見せる。抜いても抜いても赤い血の妖力で生え替わる凶器。

気持ちと言葉と行動が噛みあっていない。そのことが自分をひどく不器用たらしめているし、またもどかしく、不甲斐なくてならない。どれだけ意識を改革しても修正なんて効きやしない。身体と心が分離しそうなちぐはぐした違和感を抱きつづけていく。
だから思ったとおりに言えない。大好きな人たちへ。身勝手で迷惑極まりない言葉を善意を押しつけるという帰結にて投げかけることならできる。真の懇意などその場に存在しえない。自分を安心させ酔わせる効果しかもたらさない、欺瞞な甘言などに。
そのとき飲みこんだ台詞は、そのままそっくり自分に返されたとき反論に窮するものであったからに他ならない。選ばれることなく日々死んでいく無数の細胞を哀悼するかのように。――もしかしたら、心の奥では誰のことも信用していないのではないのか。
確言できることは、ぼくはぼくを信用してはならない。奇跡を期待してはいけない。思い浮かべた世界はこことは遠いところにあり、相互反映など及ばぬほど希薄な関係で接合している対極であるということ。どちらの距離にも、ぼくはもう飛べない。

2003/06/09

多少の無理を忍耐してでも座席を確保すべきなのだろうか。
マイペースで大らかな生きかた、聞こえはいいかもしれない。だが実際には避けているだけなのだし。対立することや、譲歩することや、愛想をよくすることで疲れたくなかった。場を円滑にしようとすぐ意見を引っこめたり折れたりする自分も気に入らない。みんなみんな、社会という舞台で生きるには不相応なアトリビュートばかりで。
拘束のない、解放された世界。堅苦しい挨拶など不要。あらゆる理に抵触しない自分だけのルール。それは井戸の中にいる感覚に近いだろうか。程よくひんやりした空気、風が筒壁を抜き差しする飄々とした音。わずかに見える空と、ときどき桶が降ってくることを除けば地上との折衝は何もない。鼻歌もきっと浴室さながらによく響くだろう。
そこに長い期間いると、やがて見上げることを忘れてしまうやもしれない。周りはぬるぬるした苔のため滑って上れない。たどり着けない先の世界だと知ってしまったら、色がどのように変化しようともそれは蛙にとっての関心事ではない。楽しく鳴いてさえいれば、いつかは自分が独りぼっちであることさえ、失念してしまうのだろう。

不可解な条理と映ったとしても、ぼくにはぼくなりの経緯と議論を踏んだ上で現在の結論に立っているつもりだ。もはや一切合切隠蔽せねばならぬほどの痣をつけていた。そしてこともあろうに癒しを求めた。自分が現在の状況からやがて救い出されるのではないかなどという、浅薄な夢になけなしの余財をみな注ぎ込んでしまった。
かえってそんなもの、無くしてしまってよかったのかもしれない。無一文で路頭に迷う姿が誇らしくさえ想像された。財力も知力も制球力も、持っていたところで何一つろくなことに使いやしないのだから。何かを与えられているという状態は、満たされている環境は野心を腐らせる。幸せなど無用のものと、かなぐり捨てなければならなかった。
そうすれば思い知るまでにこれほどの時間を費やすこともなかったろう。これが、自らないがしろにしてきた人生の結果だと。かつて罪を重ねた刃はとっくに使い物にならなくなっているものの、錆びた刀身からは体臭が立ちこめている。顔をしかめ鼻をつまむほどに、疎ましがられる存在。鬱陶しいだけの個性。だから避けられてもしかたのないことなのだと。
抜け出せない。自業自得という名の戒律に囚われてこのまま厳かに。

2003/06/10

勘違いしっぱなしの自分をどう諫めたらよいものだろう。
不浄なる淡色の人生へと導く教唆を。

天恵としての享楽から一夜明け、長く陰湿な沈黙の世紀を迎える。
無音が静寂を圧倒する世界。重く堅苦しい、鋼鉄のような闇。
言葉を発する機会も奪われ、またひとつ塞ぐ。生気を霞ませる。
いつとも知れぬ夜明けを待つ時間がぼくにとっての大部分であるという現状。

現実と過去とを明示的に線引きしようとしている自分がいて。
目の前の事象がヒストリのいずれの過失と符合するか、なんて探索して。
見極めるべきものはそんなところではないのに。まだ反省していない。
自分が行動した結果どれほどの責任が発生したか。裁かれる内規の篤さを。

知らずのうちに無理をさせてしまっている。ぼくに接するという行為に。
脆く打たれ弱い精神。一点のひびも許容しない頑愚さがあそびを奪う。
そして話が飛躍する。一手も二手も先読みした、しかして思いこみの会話。
現実が五感に即応したものであるならば、ぼくはきみの目の前にいない。

静粛を否としない空気に、どうして身をあずけていられないのだろう。
今あるものを守るためのわずかな努力に甘んじられないのだろう。
関係も、距離も、均衡も。黙っていさえすれば保っていられるはずなのに。
どうして片っ端から壊さずにいられないのか。悔いを残すだけの自傷。

朝日を浴びるためなら自分の中のすべてを死に至らしめたってかまわない。
もう命を縮めるなんてたくさん。

2003/06/11

世界は、自分と自分の趣味、そのふたつだけで構成されている。
人間の体というものはよくできているらしく、見たくないものが見えなかったり聞きたくないことが本当に聞こえなかったりする。あるいはそういう振りをするという演技力にも長けている。
気がつくと自分にとって必要なものや、居心地のよいものばかりをまわりに集め置いている。そうでないものは、地球上に存在してもしなくても大差ない。想起する世界観に合致しない事物はどうせ脳がそれを知覚することをシャットアウトするのだし、だったらはじめから何もないのと変わらない。
愛着のあるものが多ければ多いほどその人にとっての世界は増幅していくし、逆に憎悪や後悔の念が深ければ深いほど、世界は狭く空虚になっていく。寂しさに埋もれて窒息しそうなほど、暗く温度のない密室。遺体安置所としては最適な環境。

昔はもっと他人を嫌っていた。人間というものが嫌いで、自分に干渉してくる相手が気に障って、だから人間に囲まれている自然環境を疎んで、そしてそんな嫌悪対象の代表格みたいな自分のことが輪をかけて忌まわしかった。
いつからかぼくには他人を取捨する権利なんてないのだと思い知ってから、外に向ける負の感情だけがすっぽり抜け落ちて、自責や自己非難だけが残った。真空状態に置かれた物体のように、ただ内力とそれ自身の質量によって潰れていくだけの結末が運命づけられた。
良くも悪くも自分のことを意識しすぎている、というナルシズム。嫌な部分を誇張してみたり、情けない姿が時折愛らしく思えたりする。自分のことしか考えていない、とはありきたりな表現だけれど、今は他人と顔を合わせても相手の瞳に自分の姿が映っているかどうかの確認しかしていない気がする。
呪われた孤独の世界に生きるぼくには、きみとどう接してよいかわからない。

2003/06/12

人生の選択を侮った者の視るべき終焉。他者に阿り、委ねてしまった者への罰。
それは一貫して罵倒してきた方策だった。たとえばただ依存するだけの関係。
気の迷いか、魔が差したのか。軽率な出来心がやがて消えぬ傷に至らしめた。
こういうことをしたら人間駄目になる、と自分で口にしてきたとおりの顛末。
あとはネズミ講。嘘で嘘を通し、毒で毒を滅し、血で血を洗う。破滅の一途。
助けを乞うて伸ばした腕は引き上げられ、崖の頂上にて酷くも切り落とされる。
過程は時として荒療治で。絶望の淵からあえて突き落とすことさえ救いになる。
眩しすぎて目を潰す光も、そして盲目でのみ得られる光も、あるのだと思った。

2003/06/14

目的なんてなかった。ただそこに居たかった。それは崇高な嘘だろうか。
惨状の一端に荷担した自分、という悪役を被りたかったのではないけれど。
それぞれが駒のひとつに過ぎない、人間たち。存在への疑問も持たない。
ぼくは。許されたかったのかもしれない。この命でも償えない、冒涜について。

たとえ空気を読んでその場所にうまく漂えたとしても、さらに風を読まなければ今の位置から上昇していかない。背中に畳まれた、飛躍するための黒い翼。
曇った霧ですべてを覆い隠してしまいたかった。けれど換気扇を回せば籠もった湿気とともに逃げていくからそれは叶わない。攫い出せやしない。
いつか、忘れかけた頃にふと懐かしくなって、掘り起こしてみたくなるのだろうか。記憶は砂鉄とともに、そして思い出は、忘れてはならぬ戒めと名を改めて。
たとえ動きは止まって、ともし火は消えても。抜け殻となった今のぼくに、まだ何が残っているだろう。何を残すことができるのだろう。棺の中で模索する毎日。

2003/06/15

しがらみのない人生はこんなにも自由で、だから何か忘れ物をしてきたかのように肌寒さを覚える。
いまだに消そうとしている。いまだに消せずにいる。いまだに消したつもりになっている。
どうしてだろう、つらいことがたくさんあって。悲しい思いをもうしたくなくて。だから逃げ抜いたのに。
支えなしで立っていられない自分には需要などないのだと、周知せねばならないというのに。

時間が経てば快方へ向かうなどと高をくくって。堕ちるべくして堕ちた牢獄から、いずれ救い出されるだなどと。
失敗を失敗と認めて、それに何の意味があるのだろう。みじめになるだけなのに。鏡を覗きこむのが、よけい苦痛になるだけなのに。
どうせそこからは何も学ぶものはない。一度失ったチャンスが再訪するなんてありっこないのだから。いかに切望しようとも。
地べたに這いつくばって、重力にさえ抗えずにじっとしているだけの無抵抗。それだけで縛るものとしては事足りる。

2003/06/16

つくづく、自分は他人に意見できるような人間ではない。何を言っても、反感を覚えても、それらはきっとそっくりそのまま自分へと跳ね返ってくるであろうものだから。棚に上げているかぎりは、自分の棚もまともに見られないようでは。
自分の中に、どれとしてこれは正しいと断言できる主張がありえようか。つまずいて誤った道端で拾い食いした戯れ言。他人の機嫌に伺いを立て同心を装いしなければ決められない意見。あるいは右倣えで賛同したデュプリケーション。そんなものばかり。
間違った見解を基底にとれば正しい見解はたしかに相違である。異を唱える対象たりうる。世の中みんなそう、自分の誤りに目をつぶって視界に入る異物を片っ端から非難して回っている。正答も、本質も、真実も存在しない。ただ非難は悪だ。
その点でぼくも悪意の塊だった。すべてではないにせよ自分の中の正義を信じて疑わなかった。何かを守るために危険を顧みず火中に飛びこんでその身を犠牲にする、そんな一生が本当に誇れるべきものであると、ずっと確信していたのだから。

型破りな個性なんて本当に求められていると思っているのか。十人一把でただカウントされるだけの労働力。人間が集まれば順列組み合わせの数だけ主張と主張がぶつかる。たとえ正論でも集団の中では我がままにしか映らない。煩い厄介者扱い。
打たれるのが嫌で自分を引っこめているのではない。ただそういうのは、浅ましいと思うだけ。押しつけがましいと思うだけ。総意、なんてのは往年の横着で根強く蔓延っている性格のものだから、後から出てきた人間がどうこうできるものではない。
それだけのことだけれど、失望している。諦めている。意見することに。今さら何を口に出そうとも、誰も耳を傾けなどしない。自分は変えられない。集団は変えられない。社会は変えられない。世界は変えられない。後はもうお決まりの最悪パターン。
だからせめて穏便に生きよう。わざわざ挙げ足を取られたり、墓穴を掘ったり、不興を買ったりする理由はない。何物にも目を向けなければ、気分を害することも反発しあうこともストレスを溜めることもない。希望を捨てて安息に甘んじよう。

2003/06/17

どうして私が別れた男の話ばっかりするの?

おそらく当人には、相当につらい経験だったろうから。
他人には気休めの同情も心中を察することもできない。
だが、その傷はすなわち後悔へと結びつくのだろうか。
今は苦しいかもしれない。早く忘れたいかもしれない。
けれど、愛し合っていた時間があったのもまた事実で。
そのときたしかに満ちていた幸福。その中にいた自分。
そのことは自らの経歴として忘れてはならないと思う。
後になって恨むために、出会ったのではないのだから。

それは、すぐ次に僕が言い寄るための準備だよ。

2003/06/18

たとえば朝起きてから夜眠るまでに目にしたすべてのものを書き下していったら、どれほどのページを埋めるだろうか。
もし毎日が変わり映えのしないものだと言うのであれば、それを記録して比較してみればよい。集計を取ってグラフでも描けば暇つぶしにもなろう。
ある量の実測と統計を踏まえて、その上でやはり変化に乏しいことを知るならば、その生活は今度こそ薄っぺらなものと宣言しうる。
もちろんそう認識したところで、遡って奪い返せる補償など一握もない。人生が退屈だと気づいた時点では、すでに莫大な時間を無駄に捨ててきてしまった後なのだから。山積する始末書のみを残して。

異を唱えたければ唱えればよい。毎日は充実しているし、着実に進歩しているし、どれも無為などではないのだと。
だったらなぜそんな形相で否定するのか。本当は必死なのではないか。自分の成長限界を、つまらないと感じる瞬間を思い知りたくなくて、逃げ惑っているだけではないのか。笑った振りをして。
今やっていることは現状維持のほかに何があろう。首を切られない程度に仕事をして。下腹が出ない程度に運動をして。関係が損なわれない程度に愛想振りまいて。
時間が足りないのを口実にしたければすればよい。ただし自分の努力を怠っているかぎり状況は改善されない。嫌だ嫌だと叫びながら、圧雪のように凝り固まった重鈍な時間に飲まれ幽閉されるに違いない。

2003/06/19

夢が破れたことを悔いているのではなくて。
大切な記憶について、口を割ることはない。
特別とも呼べる尊い存在だったから。
その姿は愛おしく、思い出は美しい。
だから、誰にも見せずに心にしまっておく。
光が漏れぬように。輝かせつづけるように。
それは無出力の、悲しい悲しい籠城。
人を失ったという唯真の現実からの。

2003/06/20

待ちぼうけ。
何を、待っているのだろう。
ただじっと。

息をひそめて。のどを嗄らして。
視線を、挙動を、横目で気にしながら。
ずっと追いかけている。

もし腕を振り上げようものなら。
頬を叩かれるのではないかと身を縮め。
頬を撫でられるのではないかと期待し。

夕闇が迫って、今はカエルの鳴き声。
夜道は気をつけて帰りなよ。
そんな挨拶も、いまだ交わせないで。

何も見えないから。
何を考えているのか読めないから。
ぼくのことを、どう思っているのか。

それで不安になるなんて間違いだろうか。
紛らわす手段も、含めて。
ああ、そうか。それで失敗したんだ。

今さら、何をも宛いたくなんかない。
心のひびは埋めないままでいい。
蔑まれて見放されて、生きるべきなんだ。

それなのに。そう決心したのに。
揺るがされることを、心のどこかで待望している。
ぼく自身にも手に負えないくせに。

なんて嫌らしいんだろう。
このまま死ぬつもりなんだろうか。
飢えるが先か、狂うが先か。

待っている、なんて女々しし表現。
固執、逆上、懇願、寄生、被虐。
実存するのは汚物のような感情。

2003/06/21

ここに存在していることの意味なんて考えたこともなかった。

自分を愛玩していた。庇護していた。指紋ひとつつかないよう、いつも神経を尖らせて見張っていた。
守る値打ちなんてどこにあったんだろう。こんな厄介なの。外面にばかり金をかけて中身は空洞の自分。
若い頃は、自分に才能があるだなんて思っていたに違いない。偉そうに他人に持論を語ったり。独善の正義を振りかざしたり。
大きな挫折も、激しい裏切りも、重度の災難も、たとえば失恋も、味わうことなく育ってきてしまったからだろうか。
そのくせ何もかも悟ったつもりでいた態度が、思い出しても忌々しい。嘆いていれば慰めてもらえる、なんて安い芝居で。
みんな虚構。ぼくが捏造した自分像。張り子なんだって、知りもせずに。裸になった自分は、情けない声を上げて果てるだけ。
価値がないから。否、あってもなくても、自己評価はきっと変わらない。ある面では必要以上に厳しく、ある面では極甘。
放擲され。最後には唯一の保護責任者であったはずのぼくでさえぼくのことを見捨ててしまいそうになった。

高飛車だった。人間はひとりひとり違って当然なのに。自分のルールを相手に強要してばかりいた。
複雑で、深遠で、そして絶対の。何様のつもりだ。そんなものを見せびらかすから除け者にされるんだ。
対集団の意見でも。対個人の意見でも。口が曲がっているから、言ったって混乱を招くだけだから。
この言葉は汚い。過去はそう教訓を断定づける。自分自身の毒に冒されないから、この身を被験者に食わせてみただけのこと。
累々たる人柱を並べても導き出せる結論がないということは、よほど問題は根深いところにあるのだろう。
真に愚かな人間は自分がそうであることに無知だから。ついでに鈍感だから他人に罵られても気づかない。
許せないと思っていても誰も裁いてはくれない。そこまで親身に傷を負わせるお人好しもまた、皆無だから。
だから一律横並びで首をはねる。自分の中の罪状は、その認否は、大半がそういう疎の部分であるらしかった。

ただ単に、誰かの真似をして何かに挑もうだなんて工夫がないし甘く見すぎていると思っているだけで。
この段になって軌道修正を図ったり新しい物件を探すのはかえって骨折れだから踏み切らないだけで。
ちゃんと幸福の中にいるから。人から見てたとえそれが安上がりだろうと。あるいはひしゃげていようと。
数々の恩恵に対して返せるものがない自分を不甲斐なく思う。罰当たり。こんなに見てもらっているのに。
ぼくは博愛などではない。視界に入ってくるものを無意識に振り分けている。可視とするか、無視するか。
そのくせ心が穢れていることを隠して素直さを演じているのだから。そんなにいい子に見られたいのか。
結局いつも、逃げていたのは自分のほう。自分が自分であることが申しわけない。突き詰めれば、そんな言ってもどうにもならない口上。
誰かの腕を掴んだり、縛ったり。それで堕ちるのも壊れるのも傷つくのも勘弁。それだけは確定しているけれど。

もっと自分の弱さをありのままに見せたらよかった。あんなに自分の弱さを見せなかったらよかった。
せっかくの厚意なのだから甘えていればよかった。厚意につけこんで甘えたりしなければよかった。
誰のことも嫌いに思う必要なんてなかったのに。もっと慎重に付きあう人間を選ぶべきだったのに。
正直にありがとうって言えばいいのに。馬鹿正直にありがとうなんて言わなければいいのに。
どうして気持ちを溜めこんだまま口を割らないのだろう。どうして場を読んで口を慎まないのだろう。
どうしてこんなに自分をけなしているのだろう。どうしてこんなに自分を甘やかしているのだろう。
いつだって、わからないのは自分のこと。それを誰かに理解してもらおうなんて、どだい無茶な押しつけなんだ。
こんな下らない話は笑い飛ばしてしまって。茶化したり馬鹿やって誤魔化したり、それが合っているのだろうね。

だけど今、とりあえずここにいつづけたいと願っている自分がいる。

2003/06/22

一を聞いて十を知るとは優秀なことのようだが、一をまるまる聞き流して二から十を独習しているようでは、つまりは話を何も聞いていない。

2003/06/23

いちにちのおわりに。

深呼吸をしてから水を限界まで飲み干し、反動の勢いで一気に吐瀉をする。
腹の中に溜まった泥、棲みついた虫、黒い煙、そういったものを押し流す。
誰にも見られていない孤立した時間。だからどんな醜態を見せたっていい。
強張った顔の筋肉を弛緩して、靴下を脱ぎ捨て、安息と清涼と湯船に浸る。
昼間は人当たりよく接していたって、ありのままの自分は愛想が悪いから。
生きることに疲労していたって、精一杯明るい希望を装って振る舞うから。
食事中もいたって行儀悪く不衛生に。自分が自分でいられる気がするから。
いろんなものを外すと、毎日どれだけの無理を重ねているかがよくわかる。

夜間の休息や睡眠は、その日の疲れを取り翌日の活動に備える意味がある。
不満や恨み辛みや自省の念は、次の日に残さないように吐き捨ててしまう。
ストレスを蓄積して他人に当たり散らすなんてしたくない。無責任なこと。
だから目を閉じたら、収集した記憶のアーカイブを脳内に展開して顧みる。
自分を徹底的にいじめ抜く材料を洗いざらい並べて、あとはひたすら糾弾。
忘れないように。過ちの重さを。口走った悪態を。図々しき生への執着を。
存在も赦されない命がどうにか生かさせてもらっているのだということを。
また明日、あらためて謙虚と感謝の気持ちを胸に、朝を迎えられるように。

ぼくをけさないために。

2003/06/24

本当に大切にしなければならないのは。

決断を誤ったとき。悲しい結末に到ったとき。傷ついて疲れたとき。
そんな記憶ばかりが抜きん出て深く刻まれている。
感覚は得てして、不可抗力や理不尽と、不幸とを取り錯る。
実際には大した内容ではないのに、釣り逃した魚はさも大きかったのだとしきりに悔やんでみせる。
それもそうだ。大したものではなかったと認めることは、それまでその対象に執着していた自分を卑下することにつながるから。
いっそ自尊を捨てて感性を疑ってしまえば楽になれるのに、変なところにこだわって譲らないからそれができない。
結局のところ、事を大きくしたり溝を深めているのは自分の偏屈さに原因がある。
無から、とは言わないまでも、些細な話を膨らして不遇を被りたがる。不幸者を演じたがる。本来の姿を留めなくなるまでに。

自己を貶める檻を築く前の、無実の自分。

2003/06/25

肝心なところはどこも変わらない。成長しない。そんな停滞観念。

自分の口からついて出る言葉といえば、同じ議論の焼き直しだったり、遠い記憶を幾重にも濾過した調度品だったり、もしくは説意のないコピペだったり。
要するに中身がない。言葉尻を着飾って色羽根をつけているにすぎない。
もっと重篤なのが、そのアプローチさえも単純なパターンと化していること。
話に工夫がない。いつも、どんな集団でも、そして誰と接するときでも、同じようなことしか言えない。均一に引き延べた、薄っぺらな金箔のような譲歩。
きっと、誰でもいいのかもしれない。気配がありさえすれば。他人のことなど初めから見ていないのかもしれない。自分のことしか目に映っていないのだとして。
受け取ってもらえなかった手紙を、宛名だけ書き換えて第三者に転送するように。
具体的な部分でいうと、話すときに人の目を見ることがめっぽう苦手になった。
はじめは誤解されていると思ったけれど、そうではなかった。ぼくのような人間の性格は失望されてしかるべきものなんだ。ありあまる証拠も、もうばらまいてきた。

それでも昔は、この心の中のどこかに自分なりの真意があるような気がしていたんだ。

2003/06/26

心が病んでいたとは思いたくないけれど。
愛に飢えていたとは思いたくないけれど。
苦し紛れの嘘だとは思いたくないけれど。
ひとりぼっちだとは思いたくないけれど。

弱さというものは、自らそれを認めてしまったとき、弱音という形で口にしたとき、崩壊としてその訪れを散見する。
そう演じたいと願ったとき、自分に対してその脆さを定義づけ、周囲に注意を喚起するようなシールを貼付したとき、はじめて抵抗力の結界が薄れる。
自分の精神状態がそのような状況を生みやすくする場合も存在する。逆に忙しさや幸福感に支配されているうちは自分の存在に疑問をもったりはしない。
だからそう考えると、どちらが先んずる概念なのか区別しづらくなる。精神的に逃れられない状況に陥ったときに被虐性を帯びるのか、無気力に囚われて痙攣からも脳内輪廻からも回復できなくなるのか。

どこまで行っても闇ばかりで。
目を閉じて歩いたら、自分が生きているのか生きていないのかも判断しあぐねる。
自分自身に愛着が持てるか持てないか、そうではなくて差し迫った眼前の問題がそこにある。
それは、希望の持てる人生をただ羨んでいるだけなのかもしれない。

だからって、ぼくは今の段になって何かしようなんて思わない。
少なくとも明確な色の傷については、それを思い出さないように。
包帯を巻いたり化粧をして視覚的に隠すのではなく、形而上の工作で。
同じ失敗を繰り返すのは最も愚かな行為のひとつだが、自分に跳ね返ってくるレスポンスの受け止めかただけは毎回変化する。ただひとつ可能なのは自分の行動予測だから。その先は知らない。ただ、外部の反応はきっと変わらない。蔑まれたまま。

もう夢に落ちてしまいたくなんかない。
直接性はないのだとしても、正と負の二方向に引き裂かれる感覚は酷似しているから。
足取りを軽くして鼻歌を交える必要もない。
鉄鎖を何周も巻かれて口も塞がれ、その中でようやく嘲いがこみ上げてくるから。

不器用だとか損をしているとか、そんなことも今さらになって考えるようなことではないし。
あげられるものがあるなら何だって手放すだろう。倹約を怠らない程度に奮発もするだろう。
しがらみの中でもがきながら自分を探す行為のほうがずっと苦しいことだと感知したから。
悔いの数だけ打ち込まれた杭に、血涙を流して。泣きべそをかいている自分を、逆説的に叱責するように。

2003/06/27

ぼくを本当の呼びかたで呼んでくれるのは、ひとりだけ。

2003/06/28

概して“他者に気を遣っている”という表現にとどめられる行為なのだろうが。

人と会っているとき、会わないかと誘うとき、または会いたいと願うとき、いずれの場合も自分を申しわけなく思う。
相手の時間を拘束してしまうとか迷惑をかけてしまうとか、自分は未熟だし魅力がないから相手に釣り合わないんじゃないかとか。
自分という人間を、その観念や主義主張を、過不足なく説明できるだけの理論建築を身につけなければ誰にも顔向けなどできない、そういう気がして。
そんなことを気にしてしまう。それは慕っている相手であればあるほど。慎重になりすぎてしまう。完全には心を許していない、と思われてもしかたがない。

だって、失いたくないもの。せっかくの人間関係を、自分の無礼や不用意な言動で曇らせたくないもの。嫌われるのが、怖いもの。
成功への王道や秘策なんてものないってこと知っていて。それでも、遭った痛い目が多いとどうしても臆病になってしまうものだろうか。
以前より自分を出さなくなった。出せなくなった。美談の倉庫は乱食い状に荒らされ、もう出荷できる話題なんて残っちゃいない。
すべてがタブーになるから。過去は赤紫色に腫れ上がり二度と触れられることを許さぬような痛々しい膨張ぐあいで現在を監視し制約を課す。

見えない糸とか、偶然とか、そういうものを大切にしたいんじゃない。出会うべくして出会った、などと昇華させたい意図もない。
ただ。今あるものを。こうして囲まれている現状を、小さなきっかけが導いたものを、特赦とも喩えるべき復縁を。保っていきたいだけ。
会いたい。あなたの前でなら自然に笑えるから。ちゃんと謝りたい。相変わらずな自分が後ろめたくても。数を重ねたい。必要な状況を用意したいから。
こういう感情を持つことがきっと諸悪の根元なのだろうけれど。それでも、一定の理解を示してもらえることを、また大目に見てくれることを、願っている。

自由奔放に逃避しているように見えて、実のところ堪えていて。歩み寄るための努力、と言えば聞こえはいいだろうが。
それは昔だったら弱点としてきたところ。自分を曲げたくなくて、しかし弾き出されたくもなくて。必然、建前と本音の差別化がより明瞭になるばかりだった。
かと言って複数の人格を所有できるほどの器量もない。結果として、本当を言ったり嘘を言ったり、突拍子もなく意見を反転させたり、そのたび煙に巻く。
汚れきって凝り固まった心を、溶解させないように。南極の氷のように溢れたら惨事を招くから。いつか世界を沈めようとも心から笑いたいと夢を見る。

意識にこれだけの温度差があるかぎり、当面その心配はなかろうが。

2003/06/29

さ、どうだろうね。
落ち着いていたって、余裕があるわけではない。
焦っているように見えたって、危機感には欠けている。
自分のことを、こんなにも冷ややかに観察することができて。
身動きの取れない状況さえも、武器にしてしまって。
諦めているようで。企んでいるようで。
プリズムを入って出て二度屈折した光が再度直進するようで。
肝心なものを、いつまでももてあましてばかりいる。

あっという間だった。
思い出すにつけ、桜の季節はとても短い。
雪のように舞う花びらは、見ていて涙がこぼれてきそうなほどはかなく。
散っていくものを、連想させるから。
枯れた老木の幹さえも、もう水分を通していなく。
過ぎ去る嵐、醒める情。瞬時に白く柔らかく、夢を埋葬する。
新緑、結実、灼熱。そうしたものへのステップであるはずなのに。
いくつかの後悔と自戒を、次の春まで持ち越すことになるだろう。

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