[むかしのなぞ] 2003/05

2003/05/01

まったく別の時間を、歩かされてきた。
ここは、どこだったんだろう。
行けども行けども道はなく、迷えど迷えど答えはなく。
この上なく透明な闇夜。すべてを見遮り、またすべてを見射抜く。
突きつけられるは一方通行の啓示。敵も味方も本能寺。
そこでぼくは世界を知ったつもりになっていた。
寄りかかっていたから、自力で立っていなかったのかもしれない。
気がついたら放り出されていて、よく見たらこっちが現実で。

そのあいだにも、時間はよぎっていた。
瞬きの刹那に音もなく駆け抜けていくように。
目を伏せていたのではない、たまたま複数のトンネルがあっただけ。
一旦閉じたページをまた開けてみると内容が変わっていた。
物語は生きている。リアルタイムで変化し成就も腐敗もするだろう。
本の中の世界は内部的なものではなく、包含されていたのはこちらのほう。
せめてもの情けで、同時並行で進んだ先の共通認識があっただけ。
見ていないところで、多くを失っていた。

また、一巡りして。
あらためて自分の愚かさを論じる段になって。
今でも刻一刻と、水漏れのように流失していく資源があり。
このままではいけないと漠然とは思いつつ、何も手につけられないでいる。
わかっているつもりなのだけれど。
嘘も本当もない。今立っているのが唯真の世界、それだけのこと。
その中で、どれだけのものがよどみなく姿を消していくのか。
ぼくが含まれているのか。それを見極めたい。

2003/05/02

“あたりまえのこと”だから、ぼくにはつらかった。
見せつけられることが。何気ない接しかたが。
絶望的なまでの差違を指摘され、迫害されることが怖かった。
対峙する側の視線は、羨みだったろうか僻みだったろうか。
こんなふうに生きてもよいのだと、もっと早くに認めていれば。
いくつものものを捨てずにすんだかもしれない。
つながりを断ち闇に葬ることもなかったろうに。
中途半端に切り揃えた藪は、もうどの向きにも成長しえない。

善でも悪でもない、自分だけの判断基準で生きてきたから。
今になって全部脱いで裸になるなんてできなくて。
みんなが思っているような人間じゃない、と主張してみたところで。
では真実はどこにあるのか自分でも言い当てられない。
口に入れたものをそのまま放り出すように、突き返すことのみ。
やさしくしないで。こらえきれない、痛みになるから。
もっとも、やさしさをやさしさと受け取れないひねくれた精神はすでに染みついてしまっているが。
必然の進化、揺るぎない内在性により、人を疑って生きていくのだから。

2003/05/03

限られたわずかな時間内で何を明かせるだろう。

紆余曲折あれど、結果として何を得たのでもなく。
また何を破棄したでもなく。
リセットをかけたように、はじまる前の状態に戻っただけ。
嵐が去ったあと流されずにその場所に立っていたもの。
大地は、荒れ果てこそすれ、肥沃をたたえたままで。
許されることはなくても、決裂したわけでもないのだから。
また一から、あるいはゼロから、何度だって踏み出せる。
たとえ同じ顛末を辿ろうとも。失敗を重ねようとも。

疎通が成り立たない。
きっとこちらの思っていることは一割も伝わっていない。
どれだけ酔狂だったかなんて、届いていないのだろうね。
見えていないし聞こえないし、気にも留まらない。
他人とはそういうものだから。自分だって同罪なのだから。
だったら。それはそのままでいいのかもしれない。
必死になって身振り手振りで表現しても、パフォーマンスにしか思われないのなら。
せめてとことん笑われてやろうじゃないの。

ポーズばかりで素顔を忘れてしまった、哀れなピエロ。

2003/05/04

いつだって、不安で押し潰されてしまいそうなのに。

涙を見せたら負け。
過去を語ったら負け。
カラダに溺れたら負け。
争いを嫌う弱虫なら負け。

自分の中に煩わしいルールなど何も制定していないはずだと、ずっと思っていた。
拒むことなく、求めることなく。自分を受けて入れてくれるすべてを愛そう。心のあらゆるアンテナを伸ばしてつながろう。信じて疑わなかった。のに。
複雑に絡みあった利己的な貪欲の塊が血栓となり脈動を堰き酸素供給を断つ。
自分自身さえも身動きがとれないほどがんじがらめの、不信感によって。

ぼくだって、自分自身を許せるようになる手段をもっと開拓していかねばならない。

2003/05/06

今、という状態。

時間は絶えず流れていて、どの一瞬として同じものはない。
頭ではわかっている。すなわち受け入れがたい事実。
誰も未来を言い当てられないはずなのに、近い未来は予想してしまえる。
それは各人の経験則によるものだけれど。
たとえば明日は、今日とそれほど大きく物事が動かないだろう、と。
外れる回数さえ少なければパーセンテージとしての信憑性は上昇の一途だから。
だからいつしか、そこに身を委ねてしまう。
明日という一日が、しばらく先のことが、保証されているかのように思いこんでしまう。

そんな、あってないような口約束に囚われている。
最後に触れたあの時間。
ぼくひとりが何かをしてしまえる自由など、なかったはずなのに。
思いこみとはおぞましいもので。
高気密のカプセルに閉じこめてしまいたくて。
このまま、この籠もった空気の中で息を吐きつづけようと。
カップの茶渋を落とすこともなく。
過去という美しい時間に魅了され、そのまま幽閉されて還れなくなる。

例外処理に誰もが頭を悩ませ、ときにハングアップを起こす。
恐ろしいのはそうした可能性がわずかであっても存在するということで。
見えないところで着々と、余白は食い潰されているのだから。
だから、今がこのまま続いていくなんて思ってはいけない。
静止画として捉えているこの世界は、ほんの一刹那の断面にすぎない。
株価や為替だって秒単位でリフレッシュする。安定な相場などどこにもない。
目に見えるものさえも、次々死んでは生まれ変わる昨今。
ぼくは生身の人間だから、浮き沈みもあるし、心変わりもする。

一般的にはもっと焦らねばならない。はずなのだが。

2003/05/07

一円を笑う者は一円に泣くと言うが、しかして眼前の一円にばかり気をとられていたのではその先のもっと大きな買い物を見過ごしてしまう。それこそ笑い者にされかねない。
もっとも金は金額という数量で大小比較が容易だからこのようなことが言えるのかもしれないが。

2003/05/08

忘れられないことを認めたくない、なんてまだ片意地を張って。

“最期”に残していったことばのひとつひとつが、今になって重く深く、じわじわと体を蝕んでいく。
絶望と孤独。だけれどそれは元の状態に戻ったというだけ。高いところから地面に飛び降りて足をくじいた、たったそれだけの痛み。
望んではならなかった。してはいけないことをした。責めたくなかった。ぼくがすべての盾になるから。矢面に立つから。
罪を引きずって生きる人間にはまったく似つかわしくない、過ぎた幸福感。宝の持ち腐れ、だった。大切に思うことの価値を知らない、少年だった。
やさしさに包まれることが怖かった。あたたかいものに囲まれていると、自分を律する気構えを欠いてしまいそうで。すがって、だめになってしまいそうで。
その先の未来を恐れていたのはぼくも同じだったから。戦慄した。目の前のものがたとえば異形の姿に変化するような、そんな瞬間を見ているようで。
けっきょく誰も、心の奥の弱いところには触れてほしくなくて。それができなかった。それをさせてあげられなかった。おたがいに。それがすべて。
けっして無傷ではなかったけれど、まったく現金なほどの些細な犠牲。毒を帯びた死骸にはもはや見る影もない。

評価されることが、苦痛だった。
ぼくを認めようとしてくれていたことはわかる。だったらどうして、そんな異質なものを見るような目で言ってくれるのか。
すごいっていうことばは、羨望のまなざしは、どこかその人を遠ざけようとしているようで、臭いものに蓋をしようとしているように思えて、ならなかった。
おまえと対等に向きあうことはできないって、線を引かれているみたいで。
そのくせ人の目を気にしてしまうから。おだてられるとついのぼせてしまう。
自分を輝かせるのも腐らせるのも、それ相応の環境が何らかの作用をおよぼしているわけで。この歳になるまでそんなこともわからなかったなんてね。
すこしは痛い目を見たらいいんだ。自分の立場を、思い知ったらよかったんだ。
だからって他人を遠ざけてしまうのは、あまりにも短絡的だろうか。

思い出してみると、ぼくの家族はぼくをあまりほめなかった。すぐれた部分もあるが劣った部分もたくさんある、と。
頑固で考えを曲げない、要領を得ない、人づきあいが苦手、短気ですぐ逆上する、嘘がつけない。そういうところを目ざとく指摘してきた。
もちろんそれでよかったのだと思う。だから貪欲でいつづけられた。よい意味での劣等感と悪い意味での向上心を、持ちつづけられた。
親元を離れてその魔法が解けたとき、ぼくはあまりにも呆気なく堕落してしまえた。その理由も今ならすぐに挙げられる。叱ってくれる人がいなかった。
意志が弱くてだめな人間だから、ひとりでどう歩いてよいかも知らない、隙間だらけの頭に育ったから。
そして、自分に甘いから。許せないとか自責とかみんな口だけで、本心ではこんな落ち度ばかりの自分がかわいくてしかたがない。
無条件にほめてもらったってだめなんだ。気を抜いてだらけることなんて簡単にできるから。そういう環境に、いてはだめだったんだ。
けなしたり悪態をついたり嫌いだと突っぱねたり、そういう人の存在がどれだけ貴重だったか。今さら認識するなんて。

だから。
自分の過ちに気づけなかったら、きっとまた堕ちていたから。無限ループのように、輪廻する苦行のように、同じ罪を重ねていただろうから。
悪口を言えるのはそれだけ相手のことをよく見ているから。そして心配しているから。
たとえ歪んでいても黒ずんでいても、心の声を閉じこめたままにしておくのは困難だっただろうから。
悔いはない。自分にはもったいないくらいの幸せを今までもらってきたから。だからぼくはもう、これでいいんじゃないだろうか。
安易に次のものに目を移したりなんかしちゃいけない。まだ謹慎は解けていないのだから。もう巻きこみたくないし、振り回されたくもない。
ただ、ぼくがこうなってしまったのは過去のことのせいだなんて、けして思わない。
自分の問題だから。自分で何とかしなければならないから。自立したいだけなんだから。

とはいえ。いったい何をしたと言うのだろう。

2003/05/09

自分以外の人間はすべて他人という一括り。
特定の誰かを強く思うことが、なかなかできない。
もちろんそれは枷なのだとしても。
欲しいと思ってしまったらそこに誰がいようと同じ。
飽きるまで残酷にむさぼりつづけるんだ。
たとえば相手が牛だったら、全身の肉は言うに及ばず、心臓をくり抜き、舌を根元から裂き、睾丸を引きちぎって、赤い炎にかざしてはかぶりつくのだろう。
それとどこが違うというのだろう。ぼくのしてきたことは。
こんな人間に、絶対に餌をやってはならない。

2003/05/11

きっと同じ場所でためらっているらしかった。

ぼくに発言権はないから。
何かをエラブことも。
何かをステルことも。
献立を黙って口に運ぶだけ。

たったいくつかのものを除いたすべてを、ぼくはもう手にしている。
満たされている、という自分なりの実感と自負はある。
けれども、その残されたいくつかのものというのが人生において最重要で。
そして自分にとって、人一倍渇望していて、また、人一倍獲得しがたいもの。

欲しいものがあるのに、それに近づくこと、また実際に手に入れてしまうことを、心のどこかで恐れている。
恐れ、だなんて、何を危惧しているのかと思えば自分の見栄とかそんなのばっかり。
失敗したとき、捨てられたとき、経緯や結末を公表するなんて恥辱に向き合えなくて。
だからはじめから何も求めないように、あるいは一連の行動をひた隠しに、している。

これで最後だなんて思っていないけれど。
やり直したいなんて思っていないけれど。
面倒なことと決めつけて努力を怠っている、そんな見え見えの強がり。
ぼくは結局、自分の本当の弱点については何もさらしてはいなかった。

なんだかすごく、どこかで聞いた話だと思った。

2003/05/12

先は見えないけれど終わりはすぐそこにある。
そんな不利益不毛な、陣地の奪いあい。

そのライフゲームの世界では、勝負はつねに一対一。
相手を捕まえるため、さまざまな策を練る。
見晴らしのよい場所を押さえてそこから監視する。
道中に罠を掛けたり、武器を持って待ちぶせたり。
自分のエリアを広げていって、相手の退路を塞ぐ。
犬が小便でマーキングするように、兆候を残しておく。
視線を送り、戦慄を煽り、物理面と精神面の余裕を削っていく。
気味悪がらせれば、その場から逃げ出すだろうから。

たまに自分の居場所を大げさに教示して誘き寄せる戦法もあるが、多くの場合なるべく気づかれないように身を隠す。
体をかがめたり地面に這いつくばったり、みっともない格好だとしても気にしているどころではない。
それはきっと、スカートを覗こうとしている姿や、自販機の下に手を伸ばす姿と同じくらい、無様に映っているだろう。
敵を仕留めるという大義の前では取るに足らないことだ。

不文律がごとく定着した単純なルールのいっぽうで、目的は定かではない。
一緒にいることが不愉快だと判断した人物を追い出すための。
逆に興味が高じて丸裸にするまで暴きたがるパターン。
紙一重の理解と独占欲。行動スケジュールや選択基準まで完全掌握。
どこかで優位に立っていたいから、その分野を探そうとして。
力を誇示して相手を黙らせる手段。振りかざした理路に追いこむ。
それぞれ理に適っているようでただの身勝手。暴力を正当化したいだけ。
そもそもどうして、対立なんてしなくちゃならないんだろう。

死期を先延ばしにしてだらだら過ごしている。
そんな不利益不毛な、及び腰の平和主義。

2003/05/13

築き上げた理想の世界、果てなき世界、それは砂の城。
風化していくことさえ認知しないように、逃げ惑って。
見たくないから目を覆う。聞きたくないから耳を削ぐ。
そのくせちゃっかり都合の悪いものだけ選り分けたり。
はじめから何もなかったように片づけようとしている。
そんな自分が情けなくて。あまりにも、対照的だから。
傷口を拡げたくないだけなのに、憤りが鎮まらなくて。
だから清算。みんなみんな二重線引いて帳尻合わせる。

2003/05/14

何を言おうにも何をしようにも、うまくいかなくて。
自信を奪っているものはなんだろう、と思うにつけ。

手を焼いているって、訝しんでいるってわかるから。
だからそんな、ありきたりの甘い褒めことばばかり。

発言した数だけ血塗られて罪深くなっていくようで。
中途半端に放任されているから、よけい躊躇わせる。

ぼくのことが嫌なら嫌ではっきりそう言ってほしい。
なんて。どうしてそう、すぐに白黒つけたがるのか。

与えられているのに、どこか幸福を恐れ怯えている。
額面どおりに感受できる気持ちを、忘れかけている。

身の回りにありふれていると、鬱陶しく感じられて。
心がこんなに寂しくて、求めているのに濁していく。

卑近な目標がある生活は楽しいから。輝かしいから。
そのための磔として祭り上げられ、そして火を放ち。

自分のことだけ。自分を愛したくて、その策として。
あんな醜い感情は金輪際封印してしまえばいいのに。

2003/05/15

声が、出せなくなってきている。

自分の口とか、歯並びとか。
声のトーンとか、つたなさとか。
訛りとか、ことば遣いとか。
言語を生成する思考とか、性格とか。
立場とか、手順を踏んだ上でのタイミングとか。
そもそもの必要性とか、沈黙の打破とか。
どうしてこんな簡単なことも口にできないのかとか、かたやどうしてそんなことわざわざ言おうとするのかとか。
そういうのがどれとして腑に落ちない。

言わなかったことへの後悔。
言ってしまったことへの後悔。
自分を繕うための、出任せの口上。
心にもない台詞で、惹きつけようとして。
ことばでは本心を語りきれないから。
だから発せられるものは、みんな張りぼて。
不器用だから、心を流れ出させることもできず。
ヘドロのように黒くねちっこくたまっていく。

そんな時期があった。
自分のことを、何でも話したくてしかたがなかった。
心のどこかで自分は何か特別な経験をしたとでも思っていたのだろうか。
まったく愚かだ。愚かで、浅はかで、自分を知らなすぎた。
だが今、口を開いたとしても、中身なんて伴っちゃいない。
善でも悪でもなく、ぼくの中には何もない。空虚な人間。
だからことばにも一切の重みが付加されない。空虚な発言。
なけなしの悲喜さえ吐いてしまえば、もう、取る価値もない。

嘘をついたつもりはなかった。
けれどそうすることで一定の結論に到達するなら、悪人になることくらい厭わない。
正直なところ、もう議論をすることに疲れていたから。
こんなことになるなら、初めから自分を軽率に扱わなければよかった。
四肢をもいでパッケージに梱包すれば格好はつくが、身動きは取れないし息は苦しいし、おまけに出血は止まらない。
いろんなものを脱ぎ捨てて気分を楽にしたんだって、思いつくかぎりの嫌味を並べてとどめを刺してあげたんだって、それの代償を今は受けているんだって、設定してしまえばよい。
うまく説明できなくて、あやふやな相づちでごまかして、それがいっそう期待を損ねて、よけい何も言えなくなってしまう。
努力不足とはいえ、どうして誰も、ぼくのことを理解してくれないのだろう。

こんなものを書きつづけているからだろうか。

2003/05/16

根が田舎者だからそれを悟られないよう神経質に身なりを整えていた。たとえばそんな。

これまでの人生でひとつ思い知ったことは、謙遜など何の得にもならないということだ。
たとえばぼくは頭が悪い、そう話すと、嫌味だとしか受け取られない場合のほうが多い。
いくら認められないからといって、自分の実力を隠したり蓋をしたってよいことはない。
機会を逸するだけだから。図々しくて自信家で雄弁で、そういう人間が勝ち上がるから。
だけれど思う。張れるような気概だって、自分を魅せる表現力だって、ひとつの能力で。
優れた商品を開発しても宣伝が下手ならば売れない。その意味ではどのみち劣っている。
もっとも、何を生み出す力もないのだけれど。真似事で、絵空事の、生温い体面ばかり。
自分自身にさえ腹を割って見せられぬほど恥ずかしい、存在。だからみんな棚に上げる。

自分というものを必要以上に決めつけて拘束しているかもしれない、とはたしかに思う。
だからって何の根拠もなしに言い出せる話ではあるまい。それだけの枷が散在するから。
どんなときに打ちのめされたか、人を傷つけたか、そんなところから簡単に導き出せる。
汚れた心を噴出しないように、閉じこもって、換気をしないからもっと埃っぽくなって。
澱んだ空間から、深い深い檻から、手も届きそうにない高い天窓の光を瞳に取りこんで。
いつだってここから連れ出してほしい。さらってほしいと。なんと他力本願なのだろう。
自分が変わるきっかけを、たとえば解放とか自尊とか、トリガーを外に求めすぎている。
この手で掘った渦から逃れられなくて。こんなだから自浄能力がないと判断されるのだ。

まだ何か策を講じる段階にはない。ぼくは、ぼくの批評家には向いていないようだから。

2003/05/17

雨がちの天気が、宝石箱をぶちまけるみたいにフラッシュバックさせる。

這い上がれやしない。もう。人間としての領分さえ流転してどこまでも。
本当のことだからこそ。純粋な気持ちだったからこそ。内在しうる狂気。
絆を結ぶ線上にあってはならないもの。破壊兵器が、引きずり出された。
世間全体が混乱して、人命が軽んじられて、死をきっかけに毀れていく。
いやどちらが起点なのかも。崩れて這いずって足首を掴む、腐敗した腕。
そう。ゾンビ。悪臭。執拗。エゴ。熔解。感染。強支配。そして共倒れ。
初期状態からぼくたちは、ぼくは、ものすごく不安定な立ち位置にいた。
爆弾を抱え。剥き出しの導火線に怯え。火花を散らさぬよう目を伏した。

壊していくことが、壊されていくことが、破滅の導きに尊厳を見出した。

ドウシテ? ナニガアルッテイウノ? ココニハボクシカイナインダヨ?
これは自分じゃない。本来ならこうも自分のことを逐一語ったりしない。
それをしたいかしたくないかではなく。性分に合わない。無理を承知の。
なぜだろう。身の安全が保証されるからなのか。知られずに、すむから。
届かない、ズタズタにしたっていい、はじめから捨て駒のつもりなのか!
見せられない。何もない。自分を晒さずにどう相手を知る気だったのか。
収穫と犠牲を天秤にかける自分が腹立たしくて、そしてただ呆れるだけ。
あとはお決まりの直滑降。つっ転んで雪だるまになりながら谷底へ特攻。

ぼくに対する「嫌い」という感情を抱かせてしまったことが、罪だから。

弱虫だから。もう望まないから。安易に近寄ったり踏みにじらないから。
まったくの身勝手で。不用意な言動ばかりで。もう疲れてしまったよね。
自分自身に。ヘドが出る。不器用すぎて嫌になる。不器用のせいにして。
心に巣食う魔を、漆黒の負感情を、両腕に実装してぼくは禁忌に浸みた。
呪詛が剥がれるまで、自己内暴力を解決するまで、現実になど触れない。
どうしてそんなこと、と。捨てられることも。罰を受けることも。ない。
愛されているから。ひとりぼっちになんて求めたってなれやしないのに。
幸福であればいっそう後悔が深まり。不幸を願えばそのことに嫌悪する。

散らばったものはみんな拾い集めて箱に詰めて、そっと厳重に蓋をする。

2003/05/18

ああ、そうか。“いい人”なんだ。なるほど、どうりでね。
陳腐な分類に成り下がった屈辱を差し引いても十分量の了承。
そう。必要な部品ではないから、右腕にはなれない。
噛めば噛むほどまずくなるタイプなのだろう。ぼくは。

2003/05/19

隔離させよう。この心を。

みんな子どもだった。あとになれば気づいたり、愚かなことだったとわかることもたくさんあるけれど、それは手遅れだし言ってもしかたのないことで。一期一会のそのときに何もできなければ、やはりそれがすべてなのだ。
痛み分けだと思いたいのなら思うがいい。血を吐くより痛々しい、辛辣な言葉を、どれだけ浴びせたか。またそれに堪えねばならなかったか。怒りは、悲しみと、さらなる報復しか生まないのに。愛は儚くて、いっぽう怨恨は長々と尾を引く。
小高い崖の上から自分自身の顛末を見ているような。次にどの角度から殴られるか、背後から槍が飛んでくるか、他人ごとのようにとても冷静に、そういうものが見える。ただし見えるだけで何の手も打てない。
争いを起こしたことに対して悔いるべきなのだ。せめて、行動だけは記録されておくように。これまでにあったどんなことも、受け止めて、胸にきつく括りつけて生きていかなければならない。そして恥じなければならない。

なんて。どうしてそういうことを、義務感のように思うのだろう。
誰が悪なんてことないのに。自我と自我が、ぶつかっただけなのに。
流されているだけなのだろうね。自分が罪をすべてかぶったことにして、とにかく場を収めたい、面倒を増やしたくないってだけ。
単純だから。弱虫だから。さも偽善なことをしているみたいだ。

電子の海に、流してしまおう。

2003/05/20

叶えられていく。
この場所で。
嘘みたいに、信じられないことが。
現実を引き寄せる力、いや、電磁誘導。
どこかで見えない磁石が動いている。
見えない、だって?
馬鹿げたことを。
手前の悪夢と妄想に支配されているだけのくせに。

ねじをゆるめておくと。
ちょっとの振動で、さらにゆるんでいく。
すこしずつすこしずつ。
自然崩壊を見ているよう。
ねじをきつくしめると。
ねじ切ってしまう。素材を傷めてしまう。
度を超した馬鹿力のせい。
能動的崩壊を見ているよう。

ほんのときどき、つらくなるけど。
なんてことをしたんだろう。
どうすればこの悩みから解き放たれるのか、同じ詰問から抜け出せるのか。
そもそもそこが自分にとってのゴールかどうかもわからない。
だけど、いつも、忘れないで。
数えたり、測ったり、比べたり、そんなことしなくていいから。
ぼくだけは知っているから。告発も、非難も、弁護だって、どれもやりたいようにやれる。証拠は心の中に揃っている。なんぴとにも裁かれたくなんかない。
自ら望んで、この霧に落ちていくことをえらんだのだから。

何度も挑んで負けてばかりなのと、そもそも勝負を避けているのと、どちらが弱いんだろう。
諦めているふりをしたり、興味のないふりをしたり、勝手に敷居を高くして敬遠してみたり。
どれも、近づくことを恐れているってやんわりと主張しているにすぎない。
その先に何があるのか、待っている結果を、知らないから。自分がどうなってしまうか、それを予想できずにいると、みるみる足場は狭まっていく。
その意味では、目を背けて逃げてばかりだった。本当に、泣いてばかりだった。
記憶ごと抜け落ちて、その穴に吹きこんでくる風が冷たくつんざいて、どう埋め合わせようかということにばかり気をとられて。
こうも。これほどにも簡単に、代替物は見つかってしまうものだろうか。
どれほど犯しても、まみれても、断絶は一時的な剥離で。身を伏せてしまえば余罪も追及されなくなる。

2003/05/21

温度を失っていく。着実に蝕まれて、いくように。人としての温度を。
血の味に舌が慣れていく。
猟奇的なことを考えてしまう自分を、さほど嫌と感じない。
異物を突き立てられ、躰の内側から掻き回され、敏感な部分を削り取られるような。
そうか。これは思念だから。生きているものとは、ちがうものだから。
ぼくはこういう世界に居座りたかったのかもしれない。
ただ暗くて、静粛で。寄せる波も吹きつける潮風もない、砂の上を。
心身が一時的に回復するほど、心は真の安穏へと馳せていく。おぞましきアナスタシア。

激しい痛みが、そんな逃避本能から意識を現実へと引き戻させる。
打ちのめされ、声も涙も涸れ、みじめな気分に支配されるたび。
地面に叩きつけられ、泥水で顔を汚し、這いずっている姿を実感するたび。
ようやく逆境に立ち向かう自分を見出す。虐げられ搾取される屈辱を起爆剤にして抵抗をしてみせる。
そうでないとだめなのだ。ぼくはもっと自分の中の甘ったれた気持ちを排除しなければならない。
賛辞や、容認や、投影や、心を熱くする瞬間や、他者への興味や、より具体的な透過性などは。
葛藤したり感情を露呈したり無理して格好つけてみせたり、それらは精神を弱らせるだけだから。
自分だけを、自分の中の完成された世界を、無限の理想をただ追っていれば何もいらないのだから。

2003/05/26

子どものころは、それまでできなかったことができるようになるたび、あんなにうれしい気持ちになれたのに。
次から次へとあたらしい目標をさだめて、ただ飛散していけるだけで前向きでいられたのに。
今では、成長の限界や衰えを知るたびにむなしくなる。がんばってもできないことがこんなにもあるのだと、突きつけられる。
かたや変なところだけ偏屈になっていく。大人の考えかた、世渡り上手、表現はどうであれ、きれいごとを身につけていく。
加えてぼくは、痛みを感じない部分、痛みの少ない部分ばかりをえらんで傷をつけることがうまくなってしまった。
何のために。同情を買う。外因を作らないと感情が呼応しない。エネルギーを他人にぶつけるのを我慢している。血を見ると、安心する。
こんな人間になりたくて生きてきたんじゃないのに。どこで狂ってしまったのだろう。戻れなくなってしまったのだろうか。
行きづまった八方塞がりで、いっそ自ら窒息たらしめたほうが早いと思えるくらいの、圧迫感。

ときに論理立てたり、ときに祈祷したり、信念なんて場合場合で使い分けるためにあるのだと、そのための手数を補充するのが知識なのだと、認めてしまっている。
もっともらしい言葉で自分の行動を説明しようとしたり、他人の台詞にうなずいたり、そんなこと。そんな無意味なこと。
誰も理由なんて尋ねていないのに。目的も意味も、そんなものはじめからどこにもないのに。
どうしてそれがまだわからないんだろう。どうしていろんなもので自分を律してしまうのだろう。
きっと異端とみなされることが怖いんだ。だから歩幅を合わせたがって。自分は集団の中にいる、他人と契約している、そういう枷が、あえてほしいんだ。
居場所と逃げ場所を履きちがえていることにも気づかず。同時に誰からも許されても、愛されてもいない。
このままどんどん醜くなっていって、退屈になっていって、会話ができなくなっていって。それこそが自分にとっての成長であるやもしれない。
そのままなのだろう。目先の時間にしか意識が向いていないかぎりは。

2003/05/27

コントロールがうまくいかない。
たとえば感情を。たとえば理性を。たとえば記憶を。たとえば欲を。
抑えなければならない、と決めつけていること自体がまずわからない。
自分の中にあるものは、もういくらでも晒しているし、恥ずかしいとは思わないのだけれど。
それでも汚点になるから。
あることないことみんな語って、そうして作り上げた自分像に今は振り回されているのだから。
ふたつの理由で、見せたがらないのだと思う。隠したがっているのだと思う。
入りこまれれることへの警戒。そして、見下されることへの危惧。

何も操作なんてしなくていいのに。わざわざ思い返すことなんてないのに。
ずっと昔に施したことだから。身体じゅうの牙や棘を払ったから。無用のものだったから。
あのときたしかに、ぼくはぼくの一部分を葬り去った。
骨を抜かれたクラゲとして波のままに漂う自分を採った。意志や幹や捕食や生存競争や、そういうものを排除して生きようと。
面倒なことから逃げただけかもしれない。けれど、それらは本当に人生において不可避のものなのだろうか。疑問は消えなかった。だから、自分でそれを実践してみたかった。よく言えば目標に対峙した。
闘争心を捨て、他人とぶつかることを避け、たとえ人間として失格であろうと。
具体的には。この肉体がいらない。この脳がいらない。この遺伝子がいらない。
それでも生きているから、ぼくは満ち足りているから、それでいい。

2003/05/28

腕時計を外して生きている人間が時間のことを口にするのもおかしいけれど。
一年はたった52週間しかないんだよ。
誰とも会わず無為に過ごしている日のほうが圧倒的に多いと、そのぶん後悔と遺失が目まぐるしく積み上がっていくようで、心はたがい軋轢は肥大するばかりで、だから日常に不安を覚えもする。
もちろんそんな感情は、思い当たる節がある人間にのみ生じるものだけれど。

ぼくは葛藤の時代などとっくに終えていて、飛びゆくロケットの監視モニターから一片ずつ空中にばらばらと切り離されていく部品やら燃料やらを静かに見つめている。終焉への過程を順を追って確認するように。宇宙へ向かって真っ逆さまに落ちていく、ロケットの中で。
飛行士。一般的でない仕事に就くのだから、ある程度の通念は犠牲にしなければならない。特別な人間になるのだから。果てなき夢を追うことは自分との闘い。他人と同じ生活や幸福など望んではならない。しかも向かうべき舞台は地上ですらない。
赤く燃える大気の渦も、宇宙空間から直接伝わる星々の脈動も、選ばれし者にのみ享受せられる特権。ほかの誰にも与えられない真実なのだ。
それなのに、日を追うごとに地球が恋しくなっていく。

2003/05/29

つくづく似たもの同士だった。

同じものを見ていた。
知りあったのも、共通の興味を通じてのこと。
偏屈な知識を洗いざらい並べても、それをまるまる聞いてくれる存在がある。
それは楽しいという感情に他ならなかっただろう。
何を見ているか、何を考えているか、手に取るようにわかりあった。
相手が知っている風景を、自分も心に焼きつけている。
相手が目指しているものを、自分も勉強してみたくなる。
同じものを大切と思える。通じあえているという実感は、どれほど。

けれどどちらとも、おたがいを直接見つめているのではなかった。
相手が目で追っているものを一緒に追いかけはしたが。相手が手に持っているものに手を伸ばそうとはしたが。
それは鏡に映った自分自身を覗いているような感覚だっただろう。
ロボットの人工知能を開発しようとした研究者たちは人間の思考を調べ、その複雑さと難解さに絶望すると同時に、自分たち人間がいかに卓越した頭脳を持っているかをあらためて知らされたという。
影絵さながらのそのシルエットはとても共感的で、そして美しかった。
ところが、鏡に映った自分を自分だと認識できなかった。敵だと思いこんで食ってかかったり、仲間だと思いこんでじゃれついたり。
それはとても愚かな考えだった。知能を持たない動物も変わらなかった。
鏡の向こうに手を突っこんで、そこから反対側の世界へ乗り込めるのだと確信した。幻想は膨らむ一辺倒。現実を見失いかけていた、と言ってもよい。いずれか一方からしか向こうの姿を見通せないマジックミラーを挟んで立っていた、という不平等な状況は透析膜のように情報格差を是正と反対の方向へ押し進めた。

不均質が生まれる。
塩をまかれて、ナメクジは体液を流失する。
いや。体の中のものもそれ以外のものも、精神も名前も、すこしの貯金もドーナツ屋のポイントカードも、みんなあげてもいいと思った。
かわりに少しの間、肩を貸してほしかった。
寝つくまででいいから、部屋を出ていかないでほしかった。
すがっていたのではないと信じたいけれど、今は自分を信用できる状態ではないから。
これさえも辿るべき道筋だった、と言うのだろうね。
相手に裏切られること以上に自分に裏切られることがこうも悔しいのだと。

本を開けると、思い出深く耳にした多くの文句がそこに書かれている。
距離と時間をおいてからページを繰ってみて、ようやく気づいたというところだろうか。
そうか。引用だった。自分自身の、ことばではなかった。
結局のところ、おたがい格好つけすぎていただけだった。
自分のイメージを構築し保守するのに必死で、見境もなくなって、こうして手の内が相手に知れるという単純な失態も見逃してしまっていた。
無理もない。鏡の前に立てば誰だってポーズをとる。髪型を整え笑顔を見せる。それはごく自然の振る舞いなのだから。
本当は、そこに映っている人物が自分でないことは知っていた。小さなフレームを介してのみ窺える、触れあうことも叶わぬ他人なのだと、いうことも。
それをあえて自分自身の投影と見立てることで、まるで心の中の自分と話しているかのような不自然であり自然である会話を、その愚鈍さに気づくまでずっと、やっていた。

切離された空の切片を臨む窓は、今もこんなところに口を開けていた。

2003/05/30

答えを、送るよ。

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