[むかしのなぞ] 2003/01

2003/01/06

さむくこごえるこのせかいで。

ここにいるのは危険すぎる。
暗くみじめなことばかり考えてしまう。
冷たくてじめじめして陰鬱さを募らせるから。

でも自分の意志でここを選んだんだ。
どうすればよかったかなんてわからない。
ここが存在して、ぼくがいて、それが唯一。

なにかを諦めさせてしまったこと。
悲しみやつらい経験を知っているから他人にやさしくできる、なんて正反対。
同じ苦しみを与えて道連れにするだけ。

甘んじているから虚をつかれ。
絶望の淵に追いつめるから見放され。
見ないほうがよかった、というせりふは、すべてを見てはじめて口にできる。

こんなにあたたかいまなざしで。

2003/01/07

ぼくを動かすのは負の感情のみ。

いやになったら目の前から消えて。
自己弁護がわりの陰口をたたいて。
同じ罪ばかりを繰り返している。

見た目とは裏腹の毒づいた憎悪だけが。
ことばの奥に、深淵に、こびりついて。
見せしめとして虚勢を張っている。

昔からそうだった。からかわれたり、馬鹿にされたり。
そういうものをみんな見返してやりたくて、反発心だけで突っ走っていた。
たどりついた先に何が待っているのかなんて考えようともしなかった。

今、すこしずつ変わろうとしているのかもしれない。
やさしさは持てないまでも、もうすこしまわりに目をかけられるくらいのゆとりを。
それまで重ねてきたことへのせめてものペナルティとして。

それは自分自身に対する負の感情に他ならないのだけれど。

2003/01/08

いずれかにとっての時間は、等価たりえなかった。
完全自滅型の終焉を迎えた。
反芻も復習も要求しない、つまりは不要であると。
早急に破棄しなければ心中に厄介な荷物が残るだけ。

安堵に身を置きたがる。
周囲の他人と同じものを持ったり同じ行動をとったり。
クラス分けされ、法則の枠にがんじがらめにされて、あるいは自ら渦中に飛びこんで。
そして安心を得たと口にする。

少数の異端派を駆逐するのも、自分の立場を擁護する手段。
それはサバイバルなのかもしれない。
窮地に追いこまれて何を手にするかで人間の本質が見分けられるのだろう。
典型的な架空人格に憧れを抱くほどに愚かで、取るに足りないこと。

何もいらないなんてとんだ早合点だった。
こんなにも多くのものに囲まれていて、ぼくはそれらをたくさん必要としていて、そのくせ何ごとにも染まらず勝手放題やれる自由さえ有していて。
弱気になっているときにこそ決意しなくちゃならないのかもしれない。
もう邪魔はさせない。

2003/01/09

こんな自分を捨てたかったのが当初の目的だったはずなのに。

あの日。
郵便受けに差しこまれた手紙。
ぼくは差出人の名前を見つめていた。
そしてこれが手元に送られた理由を。
なぜあの人が。ぼくのところに。今さらになって。
悪い方向にばかり邪推が進むと言いようのない不安に駆られる。
封を開けることなく捨てた。
もう戻れないのだから、それだけを言い聞かせて。

根深く刻みこまれた人間不信が板についてしまっている。

2003/01/10

きっときみはまちがっていないしどちらかと言えば正しくないのはぼくのほうだろうからあまり真に受けてもらう必要はないのだけれどいちおうこういう意見というか視点もあるということだけ気づいてもらえたらいいという気持ちで話させてもらうんだけれどでもこれはあくまでぼく個人の考えであってそれできみに対してどうこう言おうってつもりは全然ないしただぼくはこう思ってますよってそれを明らかにするだけのことだからもちろん答えを出すのはきみ自身だしぼくの言うことになんか振り回されてほしくなんかないんだけれどとりあえず参考として聞くだけ聞いてもらえたらうれしいと思っているくらいのことだしそんな大層なことが言える人間じゃないことは自分がいちばんよくわかっているんだけれどそれでもぼくの話を聞いたところできみがそれに惑わされる心配はまずないと言い切って問題ないだろうからせめてもの比較材料としてぼくがぼく自身の目で見たまんまのことを率直な感想のつもりで言うね。
…といちいち断ってからでないと自分の意見を言えないぼくってなんなんだろう。

2003/01/11

はりきってやがて悲し。

人恋しさという欲求が如実すぎる。
ふと胸に穴があいたような空白感、心もとなさに襲われる。
だから人を求めて、息が詰まるくらいに顔をうずめる。
離れたくなくて。離れてほしくなくて。失うことを怖れて。
無意識のうちに、相手に合わせて自分に無理をしてしまっている。
必要以上に感情を表出したり口を割ったり、機嫌を取ったり。
それが知らずのうちにストレスとして蓄積されていずれ。
切られてからあのときの自分は嘘だったなんて強がるのだ。

今は、どっちなんだろう。

おもろうてやがてダメージ。

2003/01/12

甘かったのかもしれない。楽観しすぎていたのかもしれない。

狙われている、そういう立場におかれているのかもしれないと思った。
呪われている、そういう宿命に立たされているのかもしれないと思った。
そうした自分自身への無言の圧力により身動きを封じて。
脳天から全身を貫く枢軸が走っているかのよう。
それは長い間ぼくをぼくたらしめている最後の枷だった。
観念に囚われることで事実として嘘をねじ曲げて。
抗いつづけることでこの肉体は原形をとどめているのだと信じた。
罪を、意識しつづけることで。

時間が過ぎていつか許されるときをひたすら待つだなんて。

2003/01/13

足下に転がっている幾度も長さをつめられてやけに短くなったベルトを目にして自分の体はこんなにもやせ細ってしまっていたのかと嘆く。
いつかからそうなったというのではなく、はじめから見る影もなかったのだということを知らずにいて、そんなことに気づこうともしないくらいぼくは自分に対して監視がずさんだった。
心は体以上に食い荒らされてボロボロなのかもしれないと思うとよけいに悔しくなって劣等感に押しつぶされそうになって自分の発する一字一句があまりにも目障りで無力ぶりが顕れていてそして孤独であることを発見する。
高望みやないものねだりさえしなければ人生はありあまるほど充実している。

2003/01/14

受け入れてはならないものであると頭のどこかで制約を科していた。

この世界に知らなければならないものなんてほんの数えるほどしかない。
人生のあいだにやらなければならないことなんてほとんど何もない。
だったらつまらないことに縛られてなんかいないでありったけ叫びたい。
もっとストレートな残酷さを持っていればぼくもそうしえたのかもしれない。

できなかった。ぼくは偏屈すぎた。手を汚しすぎた。前科が多すぎる。

腹を貫通した槍は鈍痛と出血をもたらし絶えることなく苦しめるけれど。
下手に引き抜こうとすれば傷口がよけいに広がって致命傷は避けられない。
ぼくはこの体に槍を刺したままでいることの枷に耐えようとなんてしていた。
本当に必要なのは引き抜くときの一瞬の激痛に立ち向かう勇気と強さだった。

だけど今さら。もう何も残っていない。気力も血液も。乗りこえられない。

これまでの傷害やぼくという醜悪な存在が受け入れられるなんて思わない。
どんなに変えようと欲しても自分でもどうにもならないことを知っている。
近寄れば苦しめ遠ざかれば疎まれ傷つけば自滅しそんなことを重ねるのだろう。
いつひとりぼっちになってさみしくて消えてもおかしくない脆弱なたましい。

こんなぼくを放っておいてくれなくて、そんな人たちのおかげでどうにか生きている。

2003/01/15

家を飛び出して、行くあてもなくて、きっとそんな状態。

目の前のしあわせを捨てた。
すべてはしあわせを手に入れるために。
あるいはどちらが先に立っていたのかも、今となってはわからないのだけれど。

結果はこんなもので。
泣き寝入りして、せめて忘れるしかなくて、ただただ無益でむなしくて。
気がついたら人知れぬ森の奥深く。

ほんのわずかな差のタイムスタンプだった。
先に制止されていれば、最後の刃を振るわずにすんだのかもしれない。
他人を苦しめているようでただ自傷していただけの時間帯を。

冷たい水が、ただ冷たいという理由のみによって、ただれた肌にしみる。
躍起なほどに保ってきたもの、ひた隠しにしてきたもの。
根拠となるものがことごとく無意味で些細だったと知る。

覆らない。とっくに負けているのだから。

2003/01/16

気の弛みが注意を無頓着にさせる。ないがしろにされていく。
たとえば毎日の生活も、人づきあいも、とってつけたような感情も。自分自身のことなのに、ふとしたときにそれらが胸のチェックリストから漏れていく。
どうにでもなってしまえばいいとばかりに。

憎たらしいほど過敏で傷つきやすい部分と、おもしろいほど無関心でされるがままの部分が自分の中にある。
どんなことばにも心を痛めて苦悩し、しかし致命傷となることはない。
すべての過失や羞恥や後悔や未練やいろんなものを中途半端に引きずって、一部がたるんでいるような緊張の糸が切離される瞬間をあくびをかきながら見つめている。

これは自分であって自分でないといったような投げやりな気持ちがどこかにあるからだろうか。
だから選択にいたく不断で道を決められず、物理的にまたは衛生的に乱暴に扱い、そして内罰には躊躇しない。
わかっているのは、そんなぼくを擁護してくれる意見は自分の中のどこにもないということ。

書き換えることにプロテクトを張っていなかったものだから、これほど流動的で体系の崩壊した理論が組みあがった。
ぼくが発することばの中にぼくのことばは果たしてどれほど含まれているのか。
体裁を保つために塗り固めた嘘で窒息しかけた素顔は、もしかしたらもう。

明日もこの体はいつもの時間に目覚めて電車に乗り仕事に精を出すだろう。
明日もこの心は謝罪や自虐のことばを並べて幻ともつかぬ夢を描くだろう。
連動するタイミングを見極める余裕も心身の解離に困惑する時間もないのだ。

すべての殻がはがれてバラバラに壊れそうな心を、だからこそつなぎとめておかねばならなかったのかもしれない。
確信が得られるまで何度も復唱して、しつこいくらいに、呆れられるほどまで。
ことばそのものに棘があるのではなくそれを武器に振り回すことが罪。

ぼくは今ここにいて。
人生のあらゆることに対して邪な期待など持たずに淡々とやりすごすのが結局はいちばん得なのではないかとなかば本気で思うようになっていて。
だけどいつも足を止めてよそ見ばかりすることを、やめられなくて、責められない。

“将来に役立つかどうか”で履行を選択するくらいなら、まず一生何の役にも立たないであろう自分の存在を捨てるべきだ。
意味なんてあとからいくらでもつけ加えられるし、それをいちいち誇示したり他人に説明する必要もなくて、つまりはだれもがどの瞬間においても自分のやりたいように生きている、それを自分に認めさせられるかということだろう。
他人の害にしかならないような人間がこうしてまんまと生きているように。

2003/01/17

自己表現がつくづく下手だと思う。
表現するものをもっていればの話だが。

2003/01/18

すべては植えつけられた作りものの感情、だったのかもしれない。
悔しいから泣いた。それ以外の理由は存在しなかったはずだ。
しかしいつからか、その涙が弱者の証として周囲に認められているという様子に気がついていた。
弱ければ、泣き虫ならば、誰かが気にかけてくれる、心配してくれる。
守られて甘やかされてかばってもらって、そこに自らの安息をゆだねようとさえして。
子ども心だったとはいえなんと卑怯だったのだろう。
しかしぼくは自分の意見を前面に出すのを怖れ、他人と衝突することを避け、不平不満を口にしなくなり、同調するようで適度に距離を置く、そんなまどろっこしい生きかたを選択するようになっていた。
おそらくは今でもそう。

同情を誘う方法を、ぬるい環境に溺れる術を、密の味を、知ってしまったから。
出まかせに不幸を連発し自分を勝手放題になじり不安の色を際立たせた。
必要以上に悩んでいるふりをし病んでいる挙動をでっちあげありもしない孤独の殻を騙った。
覚えたてのせりふを見よう見まねで反復するように、ただ稚拙に。
さびしいと言えば視線が注がれ、ぼくはそれでようやく安堵を得ることができたのであって、その感情がほんとうのものかどうかを厳格に自問したりなどしなかった。
嘘をついていたつもりではなかったがそれに近いことを、数えきれないほど重ねていた。
演技とはいかなくとも、すべてがオーバーアクションに。
そうやって自己をデジタライズして送出することがぼくの「戦略」になっていた。

ふざけているとしか言いようがない。こんなに不謹慎で不まじめでおざなりで。
他人にひとこと発するのでもつい身がまえて態勢を整えてしまう。
演じているだなんてとんでもない。本当の不器用さ、本当の弱さ、自分の中で絶対の秘密としてきた見せられない部分をごまかすためのゴーストにすぎないではないか。
まじめにことばを交わせないからふざけて茶化してばかりいて。
傷ついて落ちこむそぶりを見せるなんて格好悪いからはじめから何もしていなかったかのような顔をして。
自分のことをけなしてばかりなのに他人に対してはいい顔を保ちたがってばかりいる。
ぼくはこんなに偽っていて、やれることなどなにひとつなくて、人を愛するどころか気にも留められなくて、口先ばかりでちっとも動こうとしなくて、自分の主張を持たず相手の顔を立てようとうなずいてばかりで、そのくせ心はいつだって裏腹で。
総じて、つまらない人間だ。

ぼくの自損は近づいた人間をも巻きこみ傷つける、それが罪なのだと思う。
いや、他人を傷つけるなんて甘ったるい寝言ももう言う必要などない。
ぼくはぼくが怖い。何をしてしまうかわからない自分が怖い。またいつ誰かに厭きられ嫌われるかと思うと積極的になどなれるはずもない。
たった何度かの失敗を経験しただけでそれをばねにしようともせず、すっかり怖じ気づいてちぢこまっているだけの臆病なたましい。
いつでも後悔というプレッシャーがつきまとって結局はその亡霊に怯えているだけの情けない精神力。
こちらから何も発せなければ気づかれることはないし、出会いのいずれか先にかならず訪れる辛辣な裏切りさえ免れうる。
もちろんそんな檻を破って危険に挑める選択もあるのだろうがもうこれ以上何かを失ったりつらい目に遭うことに堪えられるだけの体力が残っていない気がして、生きることに守勢に回るとはこの状態を指しているのだろうと思った。
すべては植えつけられた作りものの人生、だったのかもしれない。

2003/01/19

自分の思癖が特異だと感覚する瞬間たち。

ぼくは勉強がすきだったから勉強がきらいだと言う人の気持ちを理解できない。
他人を悪く言わないから平気な顔で愚痴や陰口を飛び交わしている空間にいることが堪えられない。
過去をひきずるから昔の気まずいことを話題から避けたり逃げまどってばかりいる。

しかし本当は、だた繕っているだけなのかもしれない。
たとえば性差のない社会を切望するのは自分の男らしさが欠けていることを隠したいという気持ちの表れだろうし、流行に乗ることを嫌っているのではなくただ自分が流行に乗れずにいる時代遅れな人間だということにすぎない。
ぼくは変わっている、そう自称するのは、ぼくは劣っていると直接口にできないくだらぬプライドがそうさせているだけだということ。

だからこそ演じつづけなければならないというこの苦しみを、だれも知ってくれるはずなどないのだ。

2003/01/20

いらぬ正義感を持つなと言われて育てられた。他人のやることや面倒な事件に首をつっこまず大人しくしていなさいという小言。自分の身だけかわいがっていればいいのだと。少年時代のぼくはそんなことをわざわざまわりから注意されなければならないほど我が強かった。自分の正しさを信じて疑わなかった。また嘘をつくことを覚えるようにとも教えられた。正直に生きたって損をするだけだからときには必要な嘘もあるのだと。少年時代のぼくはそんなことをわざわざまわりから注意されなければならないほど曲がったことが大嫌いだった。誤りは悪であると信じて疑わなかった。
小学生のとき計算をまちがえた子のノートを真っ黒に塗りつぶしたり授業中にもかかわらず大声でののしったりした。教室の掃除や係の仕事を前進的にやってさぼっているものたちを心の中で見下すようになった。いじめっ子の指を折ってやった。中学生のとき球技大会のとある種目でクラスの女子が転んでべそをかいていたのを見てコートの外からこう声をかけた。バカヤロウ何やってんださっさと立て泣いてんじゃねえ試合に負けちまうだろ。たとえこれらがぼくの大部分ではなかったにしても。
あのときしたことや発したことばが胸にこびりついていつまでも離れない。今ならそれが横暴な独善であったことは容易にわかる。あんなに歪んでいて暗くておぞましい凶暴な制裁者が自分の中にいると知った。曲がっていたのはぼくのほうだったのにそれに気づこうともしなかった。まわりのまっすぐなものすべてをなじり非難してきただけで実は悪人は自分ひとりだけだったなんて。ぼくが持っていた正義はすべからく攻撃性であり善はことごとく独欲であった。それ以来自分を信じられなくなった。心の中にあるものを表に出せばぼくのひねくれた理論を他人に押しつけることになる。ときには具体的な害をもたらすだろう。それで傷つくのはほかでもないぼく自身なのだから。
ずっとそうだった。自分のヴィジョンを明示したときにいい思いをしたことなど一度もなかった。つらくなるだけ後悔するだけそしてまた自分が嫌いになるだけ。だから心を隠して周囲に同調して笑っていればいいと言い聞かせるようになって。それでもときどきは抑えきれなくなるようで荒い気性を見せてしまう。自分の一部を封印して押さえつけようとすることで心にべつの負担がかかっているのかもしれないと忠告されたこともある。こんな歳になってもぼくはまだ自分とうまくつきあえずにいる。そしてぼくはこんな人間だからという先入観が素顔で他人と向き合うことをためらわせている。

2003/01/21

こんなものでは足りない。
体内のもっとも奥めいた衝動、本能とも呼べるそれが吐き出す奔流を、ことばにしたり態度に表したり挙動に変換してぶちまけている。
書きたいものがあるから、伝えたいことがあるから、そんな生易しいものではない。
深い痛手を負った暴言たちをいくら並べても、満たされることも償うこともないのだろう。

立ち止まることなく。咎められることなく。心躍らせることもなく。
きょうという日が、ぼくという存在が、平坦な坂道を音もなく転けていく。
風化と自壊に歯止めをかけるために、誰にも知られないままでいたくなくて、だから叫んだのだろうか。事実それがはじまりだったと思う。
結果それが仇となり、口にしたことばは憎しみや嫌悪感や災難ばかりもたらす。

むやみに信じるから馬鹿を見る。真に受けるからダメージも大きい。
空気中を飛びかうことばのどの一端にも本心などなくて、社会を流動し人間関係を潤滑する媒体程度のもので、そういうものに日夜踊らされうなされ心を惑わされる。
見せかけの同情や好奇心や好意やらでつながったような気になっている。社会の一員だと思いこんでいる。自分自身の存在をとりとめたつもりでいる。
嘘や社交辞令で塗り固めた信頼なんてぼくははじめからいらなかった。

報復なんてできない。できなかった。
恣意的に口を開くことの利己性を、どれほど罪たるものであるかをとりあえず人一倍知っている身として。
絶望的な事態になってまで見てくれに固執することが、いわゆるいい人でありつづけようとする自分が憎たらしかったりするのだけれど。
なにも言うことはない。

2003/01/22

約束をした。
再会のとき。
つぎの季節。
とおい時間。

とどく声は。
うわの空で。
気づいてた。
離れたこと。

希望は甘く。
負荷は重く。
あの苦しみ。
いま還ろう。

破った諒解。
消した笑顔。
ぼくひとり。
かなしくて。

2003/01/23

接点。

触れあえる面積は点のようにちいさくて。
だけどそこからいろんな情報が流れてくる。
こちらの考えていることや気持ちが伝わる。
断片的な情報から心の中を思いうかべる。

そばにいない時間はとても遠く感じられて。
おたがい自分のことで精一杯の毎日だけれど。
だからってあせって寄りすぎちゃいけない。
機会はかぎられることで輝きを増していく。

だから自分の全神経をその一点に集中させる。
出せるだけのありったけの思いをこめて。
さらけあってはじめておたがい正直になれる。
認めあってはじめて絆は確立されていく。

たとえば年一回きりの挨拶状だったり。
たとえば常連客専用のカウンター席だったり。
たとえばインターネット回線の向こうがわだったり。
たとえば口づけだったり。

たくさんの点があつまって図形をえがくように、ぼくに力をくれる。

2003/01/25-a

夢のような夜と朝のはざまに愚行の果てを見た気がした。

夜更けに降り出してあっという間に一面をうっすらと白く染めた大粒の雪もすぐに止み、翌朝の射光が訪れると同時にみるみる溶けて音もなくその姿を消した。
ぼくは雪が恋しくて、夜中に家を飛び出したまま曇ったレンズの向こうに広がるまっ暗な空に向かって両手をかざし、落ちてくるその綿のようなひとつぶひとつぶを受け止めようとした。受け止めたかった。このまま地面に積もっても朝になればみんな死んでしまう、蒸気になってまた空に戻っていってしまう、それがたまらなく嫌でさみしくて、だからつかまえておきたかったんだと思う。
そして重ねる。自分が今まで追い求めていたもの、手に入れようとしていたものはこんなにもはかなくて、触れれば消えてしまうほどもろくて、そして欲望とはなんと利己的でかつみだらなのだろうと。たどたどしく経路をとってその使命を終えようとしている雪たちが頭を冷やせとばかりにぼくの顔や頭に降りかかった。

またすぐどこかへ行ってしまって。
ぼくの心は躍る間もなく癒される間もなく、記憶のかけらにも残らないほどのちいさなちいさな残像として。
すっかり冷えきった体と心をどうしていいのか、しばらくわからずにいた。

自分はいつまでも夢を見ている子どもなのだろう。現実ってこんなものなのかと思うと、ある種のあきらめの気持ちと、それを嫌がおうにも受けとめなければならない苦しみに対する不安な気持ちとがことばをつまらせる。
それでもようやく、強がりではなくぼくはぜんぶこのままでいいんだと言えるようになりはじめてきている。ぜんぶ、ということばに自分の中のどこからどこまでの範囲を言い含めているのか自分でもよくわかっていないのだけれど、あらかじめ厳密に定義しておかないほうがよくもわるくも逃げ道を作れるのではないかと思う。
降ってはすぐに消えていくこの町の雪に一喜一憂しながら、生きてくのかなって。

愚行ならそれでかまわない、とことん落ちぶれてやろうじゃないか。

2003/01/25-b

罪、と名づけられたもの。
きっとそれらの多くはもっと一般的なほかの単語に置き換えることができるのだろうけれど、否そうだとしても。
誰だって悪いことをしている。自分の見えないところで気づかないうちに人を苦しめたり不自由にしたり。その事実から目をそらして善人ぶることはできない、それはわかっているけれども。
また同じことをくり返してしまうんじゃないかと思うとそれが怖くてたまらない。

究極的に言えば生きることに意味などない。
魂の輪廻や神の存在を信じる人もいるだろうけれど、やはり人生はこれっきりで、だから何もしなくて終えちゃうんじゃもったいないからとりあえず生きててみようか、という気持ちが見えない前提になっているのだろうと、すくなくともぼくについてはそうだと思う。
人間として、生き物として、あるいは有機化合物の寄せ集めとして。しかしそこにつきまとう罪悪。
ほかの個体をむしり捕食しなければ維持できない生命というのは、なんと苛酷な合理性なのだろう。

苦しめなければ満たされない。奪わなければ得られない。傷つけなければ守れない。不幸に落とさなければ幸福になれない。
自然のシステムは末恐ろしくさえあり、見えざる行政機関が総量規制により流通量をコントロールしているかのようである。
これがセカイだというのならいっそ離脱してしまいたい、そんなばかみたいな考えから何度も抜け出しては気がついたらまた舞い戻っている。
インフレを起こしてみんな笑顔でなかよくいられたら、なんて絵空事。

しかし現実問題としてぼくは飢えていて、やつれてやせ細ったこの手をまた伸ばそうとしている。理由、ちいさな理由はいくつかあっても絶対これだけはと宣言できるものはないのに、きっと思いつきで行動しているのだろう。
身勝手なくせに無責任で、肝心なことをなにも決められなくて、けれど堪えきれずに叫んでしまう。自己非難をする自分に酔ってしまう。すがってしまう。すすけた血痕をシャツのすそに拭いつけるまで。それは汚れを共有するタトゥー。黒いパイプを流れて厭世と冷血だけが伝播していく。
そんなふうにしてでしか生きられない自分がうらめしくて、それを罪と呼んでいるにすぎない。ぼくは叱られたかったのだろうか。地面にたたきつけられるほどに罵倒されたかったのか。それともわかってほしかった?
だれも答えなんて教えてくれない。理由を与えてくれるわけでもない。だからなにもわからないまま。こうして生きることの正当性も善悪も。でも生きようとしている。重ねようとしている。たとえ間違いでも傷害的でも心の赴くままに、またこの手を染めていくのだろう。

2003/01/26

信じた自分が馬鹿だった。
それで丸く収まると思ってるのか。

2003/01/27

いつぞやの恐怖に再度駆られている自分がいる。

このまま変わらずにつづいていくものなどないということを、あまりにも知らずにいるのか、あるいは痛いほど知りすぎているのか。
だから壊す。
終わるのが怖いから。消えていくことを想像したくないから。なくなってしまうなんて嫌だから。
不安に堪えられなくなって先に行動を起こし、そして足下をすくわれて自滅。

かつて自らよく口にしていた忍耐とか根性といったものはどこへ行ったのだろう。
今や何ごとにも警戒しすぎて触れることのできない臆病者ではないか。
あるいは痛みを感じなくなったターミネーター。
勇気という名の無謀など、調律を乱す独善など持つべきではない。

外界の変化に怯えて身を縮めて生きていこうとするのなら、それでも多少は痛みを分かちあえるのかもしれない。

2003/01/28

理不尽という存在にいつだって打ちのめされてきた。
この世界には自分の理解の及ばないものもあり、むしろそちらが大部分を占めている。
異質たる価値観に憧れや群集心理だけでいつまでもすがろうとしていた。
泣き寝入りすることしかできないと知っていても。あるいは自分が変わってしまうことになろうとも。

どうして監視の目を逃れてコソコソしなければならないのだろう。
罪人とて人であり、罰を背負っている以外の点においては市民であり、カウンタブルな実存である。
小間切れにされたパケットによって誰が誰だかわからなくしてしまうより、開き直って個を主張したほうがよほど堂々としている。
すでに刑期を終え凶器も没収され、牙など持たぬに等しい一介の小市民として。

存在そのものが迷惑、だなんてきっと自分で思っているだけ。
もし偶然がもう一度起ころうともそれは偶然でしかないので、そのことで誰がとがめられることもない。
もちろん起こしたいとも思わないが、そういう可能性に突きあたることがあってもよかろう。
はじめての出会いがそうであったように。

空は、ひとつじゃない。大気は、ひとつじゃない。月は、ひとつじゃない。
受け入れられない世界があるなら否定すればいい、自分の空間を規定してその中で生きていけばいい。
CDMA。同時刻に流れる多重化情報。チャンネルを変えさえすればよかったのだ。ぼくはちがう景色を見ていられる。いずれは住む星さえも。
もちろんそのときは、もう誰も巻きこまないように。

2003/01/29

矛盾には誰だって気づいている。言い出せないでいるだけ。
だからもし流れゆく雑踏の一角に目が止まったとしても、それを自分自身の疑問として申述することの正当性は保証されるべきである。
一般性や多数論から逸脱した独創性はつねに阻害や排斥の危機にさらされる。しかし処刑の恐怖に弾圧されて自らその芽を摘むようなことがあってはならない。
すべての質疑応答を分かちあえる誰かに出会うまでは。

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