[むかしのなぞ] 2002/11

2002/11/07

自分の中のタブーを排斥してしまおう。

心に網を張って語句を狩ってしまったら。
なにも言えなくなるから。
なにも聴けなくなるから。
なにも表現できなくなるから。

ありのままをこれ以上失ってしまわないように。
かたくなな呪縛に窒息させられないように。
笑顔を、忘れないために。
見ないふりをするよりはたとえ苦痛でもきちんと向き合っていきたいから。

だからぼくは書きつづけます。
なにもかもを。

2002/11/08

いろいろ、なんて言われたくないね。
たったひとつなのだから。
見る人が見たらわかるのだろうね。
絵に描いたように堕ちていって。
そのさまはさぞかし愉快だったろうね。

かつて自分が否定した存在に。
今は自分が成り下がっていて。
かつて自分が槌ち振るった虐絶に。
今は自分が苦悶をにじませていて。
めぐりめぐって、皮肉にもこうしてはね返ってきている。

嘲られて当然だろうね。
ひとりだけ気づかずにいたのだから。
一方的にその気になって、とんだ茶番だったろうね。
こんなぼくを、どうぞ、笑うがいい。
我を捨てた脱獄囚のなれの果てを。

2002/11/09

猶予が与えられて、なけなしの余生を、ただ潰しています。

物騒で暗い世の中だと口にする。
平和を願っても、いざこざや対立や戦争はなくならなくて。
ぎすぎすしてぎくしゃくした重い濃霧の中で、牽制しあって生きている。
その現状を憂える人間にかぎって、自身もまた加担者であることを自覚しない。

おそらくは平和など実在しえない。
非現実を夢想するがごとく愚かな思考。
つねに、争いあい憎しみあい罵りあい、それが宿命だといわんばかりに。

そうしなければ理解しえないこともあるのだと。きっと。

2002/11/10

ふと笑顔に不自然さを覚えた。
空間が、空気が、頬をつんざくような冷たく鋭いダイヤモンドダストのようで。
か細いともしびなど、気丈な遮壁などひとたまりもなく。
どうしてこれほどに徹底して熱を発しないのだろう。
温度が、ないのだろう。
無理に盛り立てようとして、それが胡散臭くてまどろっこしくて嫌気がさす。
自分の感情だけが浮き立って空回りしているのが、目に見えてわかって。
ぼくは笑っていたのだろうか。

2002/11/11

悲酷な現実が待ちかまえているだけなのに、それでも踏み入ってしまう。
いなくなることで解決するならば、それでいいじゃないか。
それ以上でもそれ以下でもない、ただそれだけのことなのだから。

自分という存在に意味があるのかは自らで判断することではないにしても、ぼくが他者に害を及ぼすものであることは疑わない。
そのくせのうのうと息をしていたり、不幸な目に遭っているんだと思いこんでいる自分がよけいに腹立たしくて、かといって消すこともできない臆病さを見てますますいやになる。
血管を圧迫しつづける悶絶も、ぼくの価値と同じく軽率でちっぽけなものなのだろう。

すべての罪をひとりでかぶってしまえたら。
その感情さえも独善なのかと思うともはや怒りのやり場がない。

2002/11/12

かけがえのない大切なもの、と豪語したそれでさえ、可算で可測で、そして可換であることを知る。特別なものなど。そんな冷血な話。

たとえばほら、あれですよ。
ドラゴンボールでもはじめ最大のライバルはピッコロ大魔王だったけど、サイヤ人が地球に攻めてきたらピッコロは味方になったし、そのサイヤ人最強の戦士として死闘を演じたベジータも、ナメック星では悟空たちといっしょにフリーザ一味と戦ったわけで。
ピッコロさーん。
ピッコロさーん。
なんて呼び寄せてみたり。

イベントトリガーってそんなものなのかなと。
仲間がふえるのはあらたな敵が現れたとき。
大きな問題の前にはほかの小さな問題は影をひそめる。
すべてはひとつの目的のために。
あるいは絶えゆくものを絶やさぬための手段。

そんなふうに現状を処理してしまおうとするのなら、ぼくは自分に罵声を浴びせつづけるだろう。裏切りの代償など。そんな退屈な話。

2002/11/14

なにも求めない世界に固執するのも無理はなくて。

力。
強い力をぼくたちはいくつも持っている。
それはときに便利で、生きるために必要なものだけれど。
使いかたを誤ると、また悪意をもって用いると危険をおよぼす。
災いとなって他者に降りかかる。

たとえば自動車。
たとえば刃物。
たとえば親切。
たとえばことば。

日常に身近にあふれているものが突如として牙をむく。
安心しきっているから、信頼しきっているから、不意のダメージは予想以上のものとなる。
そんな凶器をいつも後ろ手に隠し、またはちらつかせて、生きている。

力を持つことを放棄したいという願望が浮かぶ。
他人を傷つける危険性のある一切のものを投げ捨て、両腕を挙げて丸腰だと主張する。
ただしその行為は、人間としての生活をも犠牲にする。
社会の中で、あるいは他人と接して生きることを諦めるのか。
結局はそれができなくて、きっと捨てられずにいる。

どんなに優れた運転手も料理人も事故を起こしたりけがをすることがあるように。
ぼくたちは力をうまく制御し使いこなすことなどできない。
だからといって、それが力を持つことを怖れる理由になるだろうか。
故意のことでなければ良心をとがめられることはないのに。

無数の見えざる刃に囲まれ、そして自ら内在させ、日夜警戒心をたぎらせて。

おたがいがそうしているという共通の理解があるから、ぼくたちはやっとのところで許しあっているのかもしれない。

2002/11/15

血の気が失せていくとはこのことなのだろうと思った。

温度がなくなる。
痛みを通りこして、どんどん無温になっていく。
神経がそこまで到達していないのだと客観的に知る。

気に入らないものを捨ててしまって。
その結果として、声にならない声でもがき叫びつづける。
悲しみと、後悔と、おそらくはそれらが交互に。

かつて自分の一部分だったものが、不慮にも切り離されそこに転がっている。
それはどのような感覚なのだろう。
指先の切断面に、なにを見るのだろう。

こんなものに縛られたまま悩みつづけるくらいなら。

2002/11/16

怖いと思った。
その文言がどちらに向けて発せられたものなのかさえ知ることもないまま。
よけいに傷に浸みるだけだとわかっていてそれでも。
一種の被虐性なのかもしれない。
卑しみつづけて痛みを感知することにこんなに鈍感になってしまった。

そして妄想により堅強なまでの個人世界を完成させてしまったこと。
頼ることなどなくすべての欲求をそこで調達してきたから。
夢を選び。
イコール現実を捨て。
目の前にあった当たりまえの至福をぼくは享受することができなかった。

2002/11/17

辛辣な悲痛から脱却するには、さらに強い衝撃を自らに負わせるしかなかった。

触れると音の出る楽器。
でたらめに弾かれた金切り声。
それはさながら迫真の名演技、のようであった。

誰にとがめられたわけでも蔑まれたわけでもないのに。
どうしてこんな自滅行為を重ねるのだろう。
何も思っていない、あるはずの将来も、最低限の自尊も。

手が震え息が上がり思考が消白して、脱力感に立ちつくす描画的状況。
引き剥がされた粘膜が執拗にまとわりつくのも頓着せず。
履行されてしまった事実からただ逃げることだけを、考えた。

こんな悪質な恣意性も見透かされているのなら年貢の納めどきなのかもしれない。

2002/11/18

しあわせの中にいるときはそれが見えない。

うしなってはじめて気づくこと。
あれがしあわせと呼べるものだったのだということ。
そして今はこんなにもふしあわせなのだと感じること。

この地の大きさにくらべたらちっぽけなことだけれど。
自分の体内にしめるわりあいはとてつもないけれど。

いつくずれるかもしれないバランスで立っている。
あるいはじわじわと、もろくなっていって。
気づかぬまますこしずつすこしずつひび入っていた。
そしてささいなきっかけに足下をすくわれる日。

音を立てて。または音も立てずに。

触れられないとき、その隔たりの深さを感じて涙する。
触れているとき、その温もりの終わりを怖れて涙する。
現在どこにいようと、待っているのはより暗酷な状態のみ。
カーブを描き原子レベルで分裂していく、その絆。

絶望を知ったとき、幻だったと口にするのだろう。
こんなことは夢であってほしいと嘆くのだろう。

両手で顔を覆って。
大きくかぶりを振って。
身の上にある何もかもを払い除けることにばかり躍起になって。

ふしあわせの中にいるときはそれが見えない。

2002/11/19

見上げていよう。
楽しいことや待ち遠しいことを思いうかべて。

見上げていよう。
うつむいていたら気持ちまで下降線だから。

見上げていよう。
自分のことを決めつけるにはまだ早いよ。

見上げていよう。
冷たい闇夜に光る月がきょうはきれい。

2002/11/21

無限にカウントアップしていく毎日。

いつか許容量をあふれて亀裂が走る。
いっそオーバーフローしてシステムごとダウンしてしまえばいい。
不幸を、願ってしまった。

気がつくと自分の中にいくつも例外を作っている。
ストレスのはけ口だったり苦しまぎれの言いわけだったり。
タイムリミットとトラブルクレームの板挟みにあって。
破滅を食い止めるその場しのぎのパッチワーク。

容赦なく時は刻み余暇を削り心の隙間を奪っていく。
忙殺されていれば思考にほかの何も入りこむ余地がない。
それも、いいのかもしれない。

重なりあわない距離感を相対座標に乗せて指を折る。
皮算用だと気づいて自分で自分をあざけてしまう。
行動も決心もできず堆積していく過去ばかり見つめてため息。
ためらいの数だけためらい傷。

こんな日々の繰り返しははたして収束しうるのか。

2002/11/22

この世でいちばん読みやすいものは自分が書いた文章だという主張はなるほどと思う。
灰白色のぬるま湯に両手をひたしてどれともつかない心を紙にして。
いつからか自分に酔っていたのだと。
何度も反復して、取るに足らないことばを暗示させ、虚像だらけの構築をなした。
ホログラムのイメージを自分自身にまでかけていたなんて。
どうりでこんな知ったふうな口ばかりきいているのだと。
自分のしゃべりかたや口癖やよく取る話題や話のもっていきかたや、そういうものがいちいち癪に障る。
今まで他人にどれだけの不快感をふりまいてきたのか見当もつかない。

だからふたたび文字を並べて、思う。
ぼくはどこへ行ってしまったのだろう。
なにも知らないままならばもしかして報われていたのではないかと思うこともあるがそれはとっくに消失した遠い過去の選択。
今は実感がわかない、自分の思うままのことばを発しているということも、それを紡ぐための心の滑車が回転しているのかどうかも。
他人の文章に感化されたり、逆に印象を与えたり、それはいいのだけれど、それでは純粋な自分のままの自分がどこかへ流れ出てしまう気がして。
力の衰えは切実な深刻。
あんなにたくさん話したいことがあったのにそのストックすら不法所持として罰せられる時代になった。
そんな中でぼくは、ここにいるふりをしているだけだ。

2002/11/23

こんなことがなんになるっていうんだろう。

ときどき、自分のやることなすことが嫌になる。
何のためにそれをしているのか自分で説明できなくて、そのことへの不安感がそうさせているのだと思う。
たとえば毎日書いているこれも。
いつまでつづける気でいるんだろう。

意味がない、役に立たない、時間の無駄。
そうやって日夜多くのものを切り捨てている。
人間は頭は合理的だけど体はそうではなくて、そんなふうに切り詰めた時間をほかのことに有効に使っているかというとけしてそうではない場合が多い。
意味があるかどうかに神経質になることのほうがよほど意味のないことのような気もするけれど。

きっといつか、今までやってきたことが無駄になったと思い知らされるときがくるだろう。
そのときにぼくは後悔しないでいたい。
あとでつらい思いをするのだけは嫌だったから、ありのままの自分、笑っているとき、心があったかくなることを大切にして、やってきたつもりだから。
それが宝物だから。

変わりばえのしない世界と、自分と、日記の内容を見て、ふと思った。

2002/11/24

こころのしじま。
生きれば生きるほど偶然なんてないのだと知る。
どんな難題にもきちんと解答があって。
そして無機質的に淘汰されていく。
主張を通すことと矛盾に悩むことを往復して。
そして乱雑な正当性をまとめた気になる。
風は冷たくなくむしろやわらかさを感じる。
とりとめるもの。

2002/11/25

うれしいことがあった日は。

いつから約束を破ることを覚えたのだろう。
いつからことばの裏を読むようになったのだろう。
いつから他人を疑うことに傷つかなくなってしまったのだろう。
そんな自分から抜け出せた日は。
はだかの自分を取り戻せた日は。

寒い時期はお風呂からあがるとすぐ布団にもぐりたくなる。
夏はしばらく体を冷ましてからでないと寝つけなかったのに。
なんだか正反対。

そんなふうに。
あったかい気持ちを胸にもったまま、そっと目をつむろう。
なつかしくて甘い、夢を呼ぼう。

やらなきゃいけない課題はまたあした取りかかればいいから。
せっかくつめこんだおもちゃ箱をひっくり返したくないでしょう?
だから今はこのままふたを開けないでいて。

うれしかったんだから。

2002/11/26

知っている。

自分の醜態を何度見てきたか。
何度自分に裏切られたことか。
あと何度自分をなじくるのか。

冷静を欠くとこんなにも短絡的になれる。
無謀と果敢を履きちがえられてしまう。
そして最後にはむなしさだけが残る。
ぼろ雑巾のように疲れ果てた心が。

達観、ではないと思うのだけれど。
すこしは学習してきたということだろうか。
それは本当のひもじさに気づいたときに。

上質を知る人の。

2002/11/27

自分の仕事に誇りが持てるか。

評価や成績やあるいは充実感とはべつのところにそれはある。
それに従事し、日々を捧げ、心血を注ぐことに納得できるか。
何より自身に対して胸を張れるかというところにあると思う。

愚かな労働者ほど執拗に他者の評価を気にしたがる。
自分はがんばっているんだと言いたげにやつれた顔を見せ愚痴をこぼす。
当人の苦心如何など周囲の関心事ではないというのに。
もっと高いレベルで悩みたいものだ。

たとえ誇りを持てずとも黙々と仕事をこなしているのなら、そのことを誇ってもいいのかもしれない。

2002/11/28

強さと弱さは表裏。
一方を見せれば他方は裏返って隠れる。
どちらを表にするか。
犬のように相手に腹を見せて完全服従の意思表示か。

人間はキャラではない。
その特徴や性格をひとことで表現などできない。
多くの信念、多くの側面、多くの主張を持つ。
それを使い分けていただけだということ。

状況に応じてさまざまな弱さを演じた。
人生や人間関係に悩む若者を装っていた。
だれもそんなふうに自分を見ていないことにも気づかず。
すくなくともコミュニティにおいては。

所を変え品を変え姿を変え。
ぼくであってぼくでない人間のふりを、しつづけるだろう。
そうしていずれまた目の前に現れるかもしれない。
強くて弱いアナザーサイドを伏せたまま。

2002/11/29

華々しく、だって。
男らしく、だって。

自分で言いながら悔しさがあふれた。
失笑も起こらないほどのみじめさ。

そんな度胸ないくせに。
そんなプライドないくせに。

ぼくはもっとぼくに失望すべきなのかもしれない。
心の痴態をさらけることの罪深さを思い知るべきなのかもしれない。

2002/11/30

スケジュールを逐一記述しないことの意義。

手帳の類を持たない。
何度か使ってみたことはあるのだが、ものを持ち歩くこと自体を極力避けたがる性質もあってかほとんど活用されることはなかった。
大学のサークル時代も、就職活動時も、そして会社勤めの今でも。

自分の記憶力を自負するわけではないが、予定を書きこむ必要を感じない。
すっぽかしたり時間に遅れることはしない自信があるし、大切な用事や人との待ち合わせであればなおさら失礼な真似はできまい。
そんなことで誠意を示そうとしたつもりになっていたのかもしれないが。

なにより自分の行動履歴が残されることにしがらみを感じた。
それは流れ者としての感覚だろうか、帰属や関係やあるいは過去にとらわれずつねに更新していこうとする欲求、気概。
思い出を引きずっていてもしかたないと今の自分に言い聞かせてやりたいほどの。

逃げ場を、自己庇護のシールドを生み出す手段としてこんなにも有用だったのだと。

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