[むかしのなぞ] 2002/06

2002/06/01

何のために離れたのか。
本当はずっと知っていたから、だからこんなの、堪えられなかった。
秘密はそれを隠していることを悟られては意味がないのだから。
何を約束していたわけではないかもしれない、しかしぼくは、破った。
もっとも卑怯で意地汚くて打算的な、手段を選ばない手段によって。
そこまでしなければならなかったこと、苦痛と疲弊のシェアリング。
わかっていても、それがどれだけ自分を追いつめることになろうとも。
消えるはずなど、ないのだから。

2002/06/02

まどろみの中にいる。
ふわふわ浮かんでいるような甘いにおいに包まれながら、求めつづけている。
そこには最後の砦なんてとっくになくて、なんの障壁もタブーもないように感じられて。
たまらないほど熱くなって、びりびりふるえて、溶けていく感覚。
これが狂っていくということなのかと、心の中の冷めた部分が認識していて。
どこにも行けない、逃げ場のない、閉じこめられた爆発寸前のリビドー。
“妄想と現実の境界がわからなくなる”スポットがあるとしたら、きっと。
…自己に陶酔しているだけだということをまだちっともわかっちゃいない。

2002/06/03

疲れていそうに見える? つらそうに見える?
ぼくはいつも笑顔。
だってそうすれば、だれにも心配されなくてすむもん。
よけいなこと、勘ぐられなくてすむもん。

2002/06/04

どうして思い出してしまうのだろう。
つらいことも煩わしいことも何もない、ただ毎日ほほえんでいられる世界を夢に見て、逃げ出してきたはずなのに。
フォーカスがぴたりとあう瞬間だけを追いつづけて、固執しすぎていつの間にか目の前から被写体が消えていた。
知ってはならないことを知ってしまったときのような、知られてはならないことを知られてしまったときのような。
それは、まだぼくが囚われていることのあらわれでもあるし、まだぼくが過ちを忌んでいることの裏づけでもある。
形式にこだわる職人気質のような“昔”ながらの手法。
それは武器、関係における武器であって、振りかざして相手を威嚇し、ときに強迫するための手段である。
とっくに失っていたのだと思う、自我の境界線も、理性の境界線も。

2002/06/05

現実は、こちらの都合などおかまいなしに押し寄せてくる。
夢の中の時間、液体になって漂っている時間、それはかぎられていて。あっという間で。
気がつけば終わっていて、始まっていて。
そう、まるで何ごともなかったかのように。
だから目が覚めるたびに泣きそうになる。
どうして、こんなにこんなに、遠ざかってしまうのだろう、距離を、感じてしまうのだろう。
だれよりも、信じなければならないのに。
確証がほしい。

2002/06/06

離れてしまうことを、こんなにも繰り返してしまって。
壊してしまうことに、あまりにも慣れてしまっていて。
またいつ朽ちてしまうともわからない、そんなぎりぎりの状態で、何かにつなぎ止められているかのように、崖下を見下ろしたまま。
実体のない重圧に潰されて、消えてしまいそうで。

知らないことが多すぎる、自分のことなのに、それとも自分のことだから?
近寄れない、遠ざかれない、完全に支配されて金縛りのように自由を奪われて、その中で両目をじっと見開いたままで、時を待っている。
降伏さえも戦術であるとしたら、どこまで腐っているのか。
もう…。

2002/06/07

体温が奪われていく感覚。
それは固有の空間であり、固有の資源であり、固有の領土でもあった。
何も語られることはなく、ひっそりと今まで、息を殺して生きていた。
自分から言い出すなんてやぶへびだと思って、ずっとそれが表出することはなかった。
そのはずだった。
どうして自分の中でゼロかイチかにしか決められないのだろう。
無か全か、文字どおり、前者は何も起こりえないこと、後者はすべてを自分のものにすること。
不安定な状態を、保てなくて、それが不安定たるゆえんなのだけれども。

2002/06/08

パークに咲きほこるさまざまな花、それを眺める人たちを見ていた。
ゆっくり歩く人、足を止めてじっくり見入る人、おしゃべりに興じる人。
鮮やかな色彩に見とれる人、隅から隅まで観察する人、目につくものにしか興味を持たない人。
敷地内にいろんな植物があって、たくさんの人が訪れるにぎやかな場所もあれば、あまり注目されずひっそりした部分もある。
吹き上がる噴水の中にも、見る角度によって虹が映ったり映らなかったり。
そんななかで、見つけた花。
ぼくはその美しさを誰よりも知っているつもりだし、ずっと大切に見つづけていたい、それしかできないけれど。
めぐりあえたラッキーを、かみしめていたいから。

2002/06/09

暗闇の中で何を思う。
なんの約束があったわけでもない、いわば空白の締結の、その切れ端だけが杭に引っかかっている。
どちらが本当なのか、どちらが本来なのか、どちらが未来なのか。
やはり言葉は傷つけるものにしかならないのか、それとも人と人とはそういうものなのか。
存在を主張しつづけることが、自己を誇示しつづけることが、苦しみを与えているのだと、しかも知っていてもなお。
何も見えなかった、何もわからなかった、ただ夢中だった、…こんなことになるなんて、思ってもいなかった。
結局、これがぼくという存在なのだ。なのだろう。
ありもしない空像に肝を括り付けて、もう一端の杭を渇して。

2002/06/10

世の中、いらないものばかりだ。
どうしてこんなものがついているのだろう。

2002/06/11

遠のいていく。
長すぎる時間は、結局、溝を深めるものにしかならなくて。
望めば変わる、とすればその逆も。
力なく落ちるタバコの灰のように、あまりにもあっさりとした、風化の結末。
そんなふうにして、過去は。
恐れているのはそんな自分。
今のこの時間を、いつかうとましく思ったり、忘れたいと嘆いてしまうことがあるのだろうか。
どうすれば失わずにいられるのか。

2002/06/13

自分の中に、はっきりと嫌いな自分がいる。
他人の顔色ばかり気にしている自分、いい人間を繕おうとしている自分、どうしても精神的に強くなれない自分。
穴ぼこだらけで、つぎはぎだらけで、切れ目から黒い液体が流れ落ちている。
ことばも、笑顔も、涙も、何もつかむものもなくて、人体の形状をとどめているかどうかさえ自信がなくて。
正反対の、夢にあこがれて、とめどなく流れこむ感情に、奪われて。
もし未来があるのなら、どうしてこんなに暗いのだろう。
どうしてこんなに、不透明なのだろう。
こんなに不安でたまらなくて、何も成長なんてしていなくて。

2002/06/14

ぼくは、悩んでいない。
つらいことも悔しいこともない。
それなのにどうして、毎日毎日、こんなことばが次から次へとわいて出てくるのだろうか。
暗い感情が、根拠のない不信感が、自己嫌悪が、不安が、消えない。
先天病のようにずきずきと痛みを発しつづける、そんな傷を抱えて。
どうなってしまったのだろう。
自分の中では“過去”はすべてわかっているはずだし、今はようやくそれを振り返ることも受け止めることもできるようになって、それでもまだ、根強くはびこっていて。
どこまでも深く、深く。

2002/06/15

いいにおいがする。
甘くて、だらけた気持ちになれる瞬間。
抱きよせたときの、ふんわりとした肌ざわり。
やわらかさ。
たまらなく苦しくて、それが、切なくて。
意識が遠のいていく寸前のような。
そこに実体は何もないけれど。
けれど、そんなにおいがする。

2002/06/16

何だったのだろう。
ただ流れたのではなく、過ぎたのではなく、強制的にえぐり取られたような、空白の時間。
奪えない。取り返せない。戻らない。
ぼくを何が拒むのか、阻むのか。
たとえばこんなことも、もうやめなければならないのに。
心が、重すぎて。
目の奥が曇っていって、まなざしも失われて。
ひっくり返っても“存在”になんかなれやしない。

2002/06/17

かたちあるものは、みんな。
子供のころから、ものを壊すことに快感を得ていた。
砂の山や、積み木や、雪だるま。
自分でひたすら積み上げ、固め、高く大きくすればするほど、崩しがいがあった。
ストレスを感じたときにものにあたる性癖も、消えていない。
押さえつけられた自我の、はけ口を求めていたのだろう。
自ら培ったすべてをなげうって、だめにして、めちゃくちゃにしてしまいたくなる衝動に、いつも怯えて息をしている。
これが前兆でなくてなんだったのだろう。

2002/06/18

自己完結ばかり、何を求めているのか。
どんな現実も、それが夢のつづきか何かにしか思えなくて、イメージを固めて、見ようとしなくて。
とらわれるように、熱にうなされるように、きりきり回って落ちていくように、ただ収束を見るのみのわだかまり。
すべてが叶って、すべてが妄想で、だから抜け出せなくて。
閉じられた、滞った世界の中で、厚い隔たりの向こうで、ようやく存在している、うごめいている。
切り離されて、はじめてぼくはぼくでいられるのかもしれない。
だから黙秘を貫く。
誰にも見せない、見せられない。…きみにさえも。

2002/06/19

手つかずの自然なんてもはやどこにもない。
塗り固められた基盤の上に、機能と浪費のみがそびえる。
あらゆる意志は、埋めこまれたプログラムにしたがって行使されているにすぎない。
文字どおり自由に動いている存在などなく、ごくかぎられたパターンを、それも受動的な選択によって。
人生のレールとはよく言ったもので。
決定的な行動を発生させ、規定された応答を返し、与えられた価値観を握りしめ、押しつけられた感情を抱く。
あらゆる意志は、記述可能性を有する、作為的な、人為のそれである。
心の中にも自然などありやしない。

2002/06/20

ちぐはぐについばまれた思片。
まるでいままでの時間が、過去の罪悪に対する償いのためであったかのような。
どちらが罪でどちらが謹慎なのかもあやふやな場面に、置かれた状況をはめこんであてはめてみる。
これくらいになるまで心を切り離しておかないと、穏やかでいることもままならなくて。
服喪としての沈静なのか、放心なのか、嵐の前の静けさか、思考も意識もおよばないレベルで何かと何かが戦っている。
もし果てがあるのなら、たどり着きたいという気持ちと、そんなものを見たくなどないという気持ちが交錯するだろう。
見ないふりをして、想像しないふりをして、うつろな貞淑を保って、それを支えているのがいまにも崩れ落ちそうなひしゃげた精神であるとしても。
もし、先に進むことが、ありえるのなら。

2002/06/21

考えれば考えるほど執着していって。
つぐめばつぐむほど反動が押し寄せて。

いつだって不安はたえないものだから。
いまは信じなければならないときだから。

できることなんて何もないかもしれないけれど。
ぼくがぼくでいることくらいしかできないけれど。

抜けるような澄みきった空が待ち遠しい。
すべてをかき消すどしゃ降りが待ち遠しい。

2002/06/22

記憶のパケットがきれいさっぱり抜け落ちたように、思い出せないことがある。
見まちがうほどのなれなれしさが、営業スマイルがあった。
チラシに見出したうたい文句が、“売り物”が、まったくの偽りであったとしたら。
何が誤らせたのか、何が狂わせたのか、おぞましき変貌。
もくろみなどあったわけではない、しかしぼくは、そのときたしかに、近づいていた。
自らの命題としてきた存在不可能性の根屈を脅かすのに十分な反例。
異様なほどの警戒心を顕わにするのも、ふてぶてしいわざとらしさを感じるけれど。
ぼくがまたひとつ、嘘をついてしまったことにかわりはない。

2002/06/23

ことばにすればするほど、きもちがわからなくなっていく。
ありえないこと、どこへもいけないこと、わかっているつもりでもまったくうらはらに、はしりつづけている。
やりたいこと、かなえたいこと、やまほどあるけれど、ほんとはたったひとつ。
こわれていくことなんてこんなにかんたんだったのかとおもえてしまうほど、それほどくるおしくて、しろくなっていって。
からだとこころが、こころとこころが、べつべつのもののようで、ほんもののようなきがしなくて、じぶんであるようなきがしなくて。
たとえば、どこまで。
どんなことをかんがえたいちにちも、どんなふうにふけていくいちにちも、おわればおなじようにあたらしいあさがきて、…ゆううつな、あさがきて。
ねえ、こんなにくるしいの、はじめてだよ。

2002/06/24

最後の警告を、警鐘をわかっていて、それでも無視することしか選ばない。
このまま日々に埋もれることも、そういう可能性が頭をよぎったとしても、必死になって拒絶しつづけるだろう。
それは確信とも、あるいは思いこみとも異なる、べつの信念、もしかしたらただの臆病かもしれないそれ。
これまでにないほど理由を蔑視しようとする自分と、反対に理由に固持しつづける自分、あるいは、記憶への依存と離別との狭間。
目に見える何かは、それ自身が依拠となることはなくて、目に見えないべつの何かを介するためのものでしかないのかもしれない。
それでも、かぎられた資源にすがらざるをえなくて。
何もかも投げ出すなんてあんがい簡単にやれてしまう今だからこそ、大切にしなくちゃいけない。
心細さを、ぼくひとりだけの不安を、どこかへやってしまえたら。

2002/06/25

ことばを、指でなぞって、いつくしんで。
そこから何かがにじみ出ているのだろうか、それとも、ひとりでかってにそう思いこんでいるだけなのだろうか。
こちらがわに、たしかに、ぼくはいた。
たとえかたちのないものであったとしても、それを信じるしかなかった、それほどに飢えていた、溺れていた。
思い出にうもれて、甘えた声を発して、いつかはその安らかな場所を離れなければならないとずっと心のどこかで自分を叱咤していることも知っていながらも。
人間は自分のことしか考えられないいきものだけれど、それでも、度が過ぎた自分の身勝手さは目にあまるものがあって、だからちっとも、ふさわしくなんかなくて。
がむしゃらに追いかけているのは、きっとそんないやな気持ちを忘れたいから、考えたくないから、楽しさとうれしさと期待で心をいっぱいにしておきたいから。
もっと走ったら、すこしずつでも、近づけるとしたら。

2002/06/26

これっぽっちの、そんな、なんでもないこと。
いろいろあったの、みんな、どっかいっちゃった。
むずかしくって、そして、ずっとかんたんなこと。
じぶんのために、いまは、そういうことにしよう。
おもうだけで、きっと、しんじていられる。
しんじるだけで、ずっと、おもっていられる。

2002/06/27

時間の流れはいつも一定で、だれにでも同じ速さで。
みんなが平等であることは、不満ではないけれど、だから、ときどきずるをしてしまいたくなる。
はやく成熟したい、あるいは、もう歳はとりたくない。
はやく終わってほしい、あるいは、いつまでも終わらないでいてほしい。
はやく追いつきたい、あるいは、追いつかれるまで待ちつづけたい。
どんなにすばらしい時間も、状態も、そのままでとどまっていることはできなくて、いつかは過ぎ去ってしまう。
たとえ今が楽しくても、よろこびに満ちていても、それはこの瞬間だけのものだからけっして甘んじてはいられない、また前を向いて追い求めなければならない。
時間の流れといっしょに、歩きつづけていられたら。

2002/06/28

このまま歩こう この空の果てに
つづく道は いつか見える
広がる景色に 心を映して
ほほえみながら ただ明日へ

日が沈んで 霧が立ちこめて
雨が降れば ずぶぬれだけれど
朝は来ると 信じてる

2002/06/29

苦しみも。
焦りも。
涙も。
依代も。
傷つけることも。
渇きも。
待ち遠しさも。
思いも。

すべて、忘れられたら。
すべて、放り出せたら。
すべて、切り離せたら。
すべて、固められたら。
すべて、見せられたら。
すべて、抱えられたら。
すべて、思い出せたら。
すべて、信じられたら。

2002/06/30

よけいなお世話だっただろうか、ちょっとことばが過ぎたのでは、肝心なときに何も言えなくて、悔いてばかり。
ことばは、けっして軽い気持ちで受け止められる、信じられるものではないけれど、ぼくたちにはそれしか手段がないから結局すがらざるをえない。
それでも、大切だと思いたい。
かつては過去の“失敗”に怖じ気づいて、傷つくことをおそれて、口をつぐんでちぢこまったままだった。
ミスを繰り返さないために、教訓にするために、同じ後悔をしないために、そのためにどうすべきか考えるばかりで、気持ちをどこかへ押しやってばかりで、…悲しみを受け止めることとはそういうものだと思っていた。
だけれど今はそんなふうには割りきれなくて、たとえまた過ちを重ねようとも、自分を悔い、嫌うことになろうとも、それでも貫かねばならないものもあるのではないかと。
そのために、今、ここにいるんだって、確信したいから。
もうすぐ…もうすぐだから。

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