BAND AGE

2005/04/27

むかしのひび

私も人権擁護法案について触れようと思います。(も?)
現在、その法案が国会に出されるかどうかの瀬戸際だそうです。まったく知りませんでした。そもそもマスコミがこの話題を取り上げないことも問題なんですが、それよりも困ったちゃんなのはその中身。人権の擁護、というと聞こえはいいんですが、実態はというと差別に対する取り締まりらしいです。一部の人の差別につながる言動や表現、業務などが規制されるということでしょうか。詳細は各自お調べください。…どう思いますか。私は成立してほしくありません。
ひとつ懸念するのは、これが逆差別につながるのではないかということです。人権擁護法案は、基本的人権など国民すべてをカバーするものとはちがい、差別を受けるであろう特定の人たちのみを保護対象にしていると考えられます。そういった人たちを冷遇や非難から守りたい、と考えるのは自然なことですが、そのための手段が差別する側への罰則というのはおかしい気がします。社会保障や雇用対策などに力を入れればいいことですし、それにたとえば、体の不自由な人を見かけても指さして笑ってはいけない、なんていうのは大人や社会が子どもに教えることです。道徳がすたれているからって法律化を議論するのはお門ちがいというか、教育のありかたなんかを見直すのが先でしょう。ともかく、被差別者の擁護がいきすぎて、被差別者以外の人への抑圧が強まると、それはかえって人権侵害にならないでしょうか。ちょっと人をけなすようなことを言えばすぐ叩かれたり白い目で見られて、自由にものを言ったり主張できなくなる社会になるかもしれません。私はこれを逆差別と呼んでいます。先月にも「女性」の件で書きましたけれど、女の人は社会的に立場が弱いからかばってあげよう、そこがおそらく出発点だったと思います。それが今や神経過敏きわまって、女に向かってろくにものが言えない世の中です。私が恐れているのはそのような事態です。
それに、差別そのものはよくないことかもしれませんが、それをなくそうとする動きもけしてよいものだとは思えません。人と人とはちがうものです。身体的特徴もふくめて、差異や優劣があってしかるべきです。それらに目をつぶらせて、人はみな同じでちがうところなんてないって言わせるつもりなのでしょうか。その流れは昨今言われている個の埋没にあたると思います。右ならえな答えばかり求めて、個性や個人の意見を認めなくて、目立ったことをする人は排除して。そんな風潮が助長されそうな気がしてなりません。これでは、多様な人間観を受け入れられない画一性の押しつけです。本当に大切なのはそんなことではないでしょうに。人は一人ひとりちがう、けれどおたがいを尊重しよう、理解しあおうって教えていくべきなのに。だいたい、差別かそうじゃないかってどう線引きするのでしょう。あやふやな判断基準を法として適用するなんて不可能ですし、恣意的に差別行為を選別すること自体が差別にほかならないことは言うまでもありません。
私はこの手の話を人と議論する気はありませんけれども。たくさんの人がこの法案や、あるいは人権について考える機会を持ってくれたらと思います。

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