左曲がりのダンディ

2005/04/09

むかしのひび

子どものころの「将来の夢」は何でしたか。今でも夢を持ちつづけていますか。
私は中学生くらいのときから、コンピュータプログラマーになりたいと思っていました。その意味では、いちおう夢がかなったということになりますが。学校のパソコンの授業で興味をもったり、すでに家のワープロで文書書いたり表計算プログラム走らせたりしてましたから。自分が関心をもったことを目指そうと考えるのは自然なことでしょうし。ほかにも、NHKのロボコンとか大ファンでしたし、興味だったら電気電子系全般にあったと思います。そのなかでもソフト産業にひかれていったのは、やはりテレビゲームの影響でしょうか。ゲームで遊ぶのがすきだからゲームを作る人になりたい、というあんちょこな発想だったのでしょう。ゲームの開発者なんて、私たちくらいの年代ならたくさんの人があこがれた職業のひとつだったかもしれません。
ですが、私はその道には進みませんでした。とうとう就職活動なんてものをする歳になって、実際ゲームソフト会社にもいくつか足を運びました。そこで知った実情というのが、私が子どものときとはだいぶ勝手がちがっているみたいでした。つまりは厳しい現実というか。ゲーム産業の今後について、まず将来は少子化で販売本数が減るだろうと。ほかにも、インターネットや携帯電話の普及がすすんで、テレビゲームへの関心そのものが減衰していくという予想でした。もう国内に見切りをつけて海外にマーケットを求めるしか生き残るすべはないと。また、ほかの業種よりもとりわけ過酷とされるプログラマーの労働環境、むだに微細なクオリティや技術ばかりを追い求めて開発費が高騰する、そもそも開発拠点や人材を海外に移すようになる、などいろいろ聞きました。数年後、ゲーム業界がかかえる実状はまさにそのとおりになっています。前もって予測されきっていた事態に飛びこむしか手だてがなかったのか、と思うと悲しいものですが。
それ以上に決め手となったのが、私自身の流行へのうとさ。大学に進学してからテレビゲームをやっていなかったので、過去数年のゲームソフトについてほとんど見識がなかったんです。まったくテレビゲームというものから離れていたことになります。パソコンのギャルゲーはバリバリだったけどな。なので、たとえば面接でその会社のお気に入りの作品なんかを聞かれても、思いつくのは大昔のファミコンソフトばかり。「もっと最近のでは何かないんですか?」と尋ねられて答えに窮することもありまして。つねに新しい流行を追っていかないといけないこの業界において、それはちょっと致命的だろうってことに気がつきまして、それで断念したんですけれども。まあ、そのことに関して今さら思うことはありませんしたらればの話もしませんけれども。ですが、開発者の名前がばっちり表に出るゲーム産業よりも、裏方として人知れず社会にかかわる仕事のほうが私には合っていたのかな、という気がします。

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