ブラックゲーマーズ閉店してました。ごきげんよう。
なんか今さら気づいたことがあるんですが。
自分は夏休みの宿題の中で読書感想文が一番好きだったくらいで、
原稿用紙とかもすらすら埋まったんですけども、そうじゃない人に
本読んでなんか書けっていうのは苦痛だったんじゃないかって。
だって感想なんて必ずしも思いつくわけじゃないじゃないですか。
読んで面白くなかったとかはずれを引くことだってありますし。
それとも良書に出会うまで何冊も読み渡らないといけないとか…?
毎日遊ぶことしか頭にない夏休み中の小中学生にそこまで負担を
強いるのはちょっと酷というか。
ぼくにはとてもできない。(←
人に感想を強要するのどうなの、と思うことがありまして。
大学で人間関係について考える合宿があって、グループ討論中に
一人が学生団体で政治活動してて変な目で見られてないか不安…
みたいな身の上話始めて、みんなしんみり聞いてたんですね。
そしたら急に進行役の教員が割って入ってきて「なんで誰も何も
言ってあげないの?!」とか言うんです。えー…。
べつに無関心だからノーコメントだったんじゃなくて、他の人は
同じ経験してないからイメージしづらかっただけで人目に対する
恐れ自体はみんな雰囲気で共有してたのに、なんかなあ…って。
あと最近だとセールスの電話でそんなことを感じます。
興味のない商品の説明を一方的にまくし立てた上、どうですかとか
聞いてきてこちらが気のない返事を返すと感情的になる、という
ことがたびたびあったもので。
しかしその一方で、教育として読書感想文を課すことは大賛成(ぉ
ぼく自身が感動体質なもんでそちら寄りの書き方になりますが…、
感想というのは感動を人と分かちあうための媒体だと思うんです。
本でも映画でも景色でも人の優しさでも、何かに触れたときに心が
動かされることあるじゃないですか。
それを誰かに伝えたいって思うじゃないですか。
そんなときに言葉が出てこない、気持ちを伝えられないようでは
せっかくの感動を共有する機会を失ってしまいます。
人と人とがわかりあえる最高の瞬間を築けない、そんなつまらない
大人になってほしくないのです。
感想だけならまだしも、自分の意見や主張を持てない人が増えたと
よく耳にします。
本を読んだら感想を書くという反復練習が、折に触れて自分なりの
考えを持つという習慣づけにつながるのではないでしょうか。
またインタネ上では、自分は何も主張しないのに人の発言は叩く、
といった陰湿さも垣間見えます。
自分の意見や感想を包み隠さず言える、そして相手を尊重しつつ
主張がぶつかるときは堂々と議論する、そういう自由な場をいかに
守るかもこれから重要だと思います。
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