負の兄弟

2003/12/17

むかしのひび

かなわない夢なんて見たくないの。(挨拶) こんにちは、トミーフェブラリーです。うそです。<そんなの言わんくてもわかってるし きょうはロザンにひとこと申したいと思います。ロザンってなに?とかぬかしてやがらっしゃる人はお引き取りくださいっていうか、ナイチチどもは帰れ! 帰れよう!(ナイチチ?) もうひとつ伸びていかないのはどこに原因があるのかっていう、私なりの愛のムチっていうか。
えっとですね、頭が切れるのは認めるんですが、問題はその賢さの使いみちなんです。ただ学術的な知識をならべ立てるだけでは、へぇ~ボタンとかは押してもらえるかもしれなくても、それは漫才のおもしろさとはちがうわけで。私はむしろ、観客の心理を操作するような高度なテクニックを期待してたんですが。理詰めで笑いに誘導していくっていうか。漫才にも台本があり、シナリオがあります。その構成をうまく練って、これこれこういう流れにしたらバカウケまちがいなし、っていう技量。まあ、それはギャグセンスなどとはちがった能力なんでしょうけれど。
頭のよさっていうのは、テストの点数や成績がいいってこととは直接は結びつきません。たとえば、何のために数学を勉強するかと考える人がいるでしょう。いえ、日本人の8割は数学ぎらい(あまやどり試算)ですのでたいていの人が考えているでしょうが、たしかに一見むずかしい関数や公式を覚えていたってあまり役に立ちません。私たちが数学をとおして学んでいるのは論理的思考です。筋道を立てたり、先のことを予測したりといったことです。そうした考えかた自体は生活のどんな場所でも使えるものです。また根気や集中力を養うことにもつながるでしょう。だから、ただ知識をつめこんだ状態は、なるほど博識ではあるかもしれませんが、でもそれだけです。その奥に流れる思考や理念を身につけて、実生活に応用していける、それが本当の意味で賢いということだと思うんです。
ですから、すこし話がそれましたが、頭脳をそういうふうに生かしていけばもっと注目される存在になるはずです。たとえば菊川怜さんをごらんなさい。出たてのときは東大卒だからということで注目が集まって、ゲストで呼ばれて積分の計算やらされたりしてたじゃないですか。それが今やドラマでもMCでも何でもこなす、才色兼備を地でいくような存在感のあるタレントに成長しました。仕事に真剣に取り組み、より多くのものを吸収してきた結果だと思います。知識をひけらかすのではなく、知性がにじみ出ている、結構ではありませんか。容姿とか学歴といった見た目の部分じゃなくて、もっと強い引力でファンを惹きつけられるように。…ただ、あのふたりはあまり芸人顔じゃないので不利なんですけれど。<けっきょく見た目じゃねえか!

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