2012年ごろの自分が一番イキってたなと。<どうしたん? ごきげんよう。
運動会にろくな思い出がない人! はい!(セルフ挙手)
まあ、昔体育が苦手で恥ずかしい思いならいくらでもしてきましたが
それは運動会に限った話ではないですし、それよりも悔しい思い出が
あるのが小学1年のときの学校のではなく学区の運動会でして。
…そんな昔のことまだ根に持ってる時点でどんだけーなんですが。
それでも当日までは楽しみにしてまして、というのも自分が町内対抗
リレーの選手に選ばれていたからです。運動会の花形じゃないですか。
ですが、それは町内の保護者たちがどの子が足が速いとか知らないで
無作為に決めたものでした。
まだ1年生だからそのへんの情報がないという事情もあったでしょう。
当日になり…、どころかリレーの直前になってぼくの鈍足が知れ渡り
にわかに動揺が走るわがチャーザー村チーム。(んなわけねえだろ)
急きょ、町内で足の速い同級生の子が代わりに走ることになりました。
大人たちの間だけの決定で。同意なしにぼくの出番は奪われました。
しかも、この日は全員がどれか一つの競技に出ることになっています。
景品とかあるので平等にもらえるように、ということなのでしょう。
ですがリレーは一日の最後、それ以外の競技は全部終わっています。
リレーに出る子と入れ替わりで他の競技に出ることももう叶いません。
学校行事とは違うもう一つの運動会を楽しみにしていたぼくの一日は
一歩も走ることなく終了となることがこの時点で確定しました。
もう泣きました。
グラウンドの横にあるほったて小屋みたいなトイレの裏でいつまでも
いじけていました。
リレーが終わって、上位に入った代走の子が自分のところに景品の
鉛筆の箱を持ってきましたが、おそらく受け取らなかったと思います。
そこだけ記憶あいまいですけど。
景品がほしくてリレーに出たかったわけではないし、自分の悔しさを
少しでもわかってほしいというせめてもの反抗心はありましたから。
自分が出場してどんな遅くても、恥をかいたり責められたとしても、
それは自分のせいですから受け入れられたと思います。
その機会すら与えられなかったことに怒りのやり場をなくしました。
一人の子どもの晴れ舞台を奪ってでも町内の成績が優先だったのか。
足が遅いことはそんなに悪いことなのか。走る姿を人前にさらしては
いけない、ひた隠しにしなければならないほどの罪なのか。
このとき味わった、社会の不条理に対する思いがベースとなって今の
人間性が形成されたと言っても過言ではないでしょう。
ぼくが大人だったらけして子どもの思い出を踏みにじるようなことは
しない。誰一人として見捨てたり犠牲にしない。
一度与えたチャンスは取り上げたりしないし、どんなに足が遅くても、
ビリになっても叱責しない、もちろん笑いものにもしないで最後まで
声援を送り続ける。
自分の周りにいる大人たちみたいには絶対ならない。
…そう誓ったのに、現実は難しいというか皮肉なものでというか。
平気で他人を見殺しにしたり心の中で見下す人間に育っていました。
自己中で他人を傷つけたくないとか弱者に目を向けようという思いは
ありますが、それも限定的であって分け隔てなくとはいきません。
職業以外は子どもの頃思い描いた理想とする大人にはなれておらず、
なかなかうまくいかないものだな、と。
せめて今からでも遅くない部分は少しでも改めようと思う日々です。
そしてどうか、自分と同じような悲しみを背負って生きる子がこの先
現れないようにと願うばかりです。
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