いまだにセワシへの怒りが収まらない今日この頃ですが。<何!
というか作品そのものに対してでしょうか。物語の根幹からして
登場人物の動機に反感しか覚えないし、のほほんと何も知らずに
アニメ見ていた昔の自分が恥ずかしいとすら思うようになりました。
(それほどまでにか)
とくに許せないのは、貧乏は悪だ、恥だととらえている点です。
金がなくたって自分らしく幸せに生きる道はある、と説いてこそ
少年漫画にふさわしいし、ましてや自分の欲望のために大勢の人に
迷惑をかける(=歴史改変)のはいけないことだ、ばちが当たると
教えるべき題材ですらあるはずなのに。
そう考えると、ドラえもんはけして子どもの教養とか影響を考えて
描かれた作品ではないと言えます。
むしろ他の作品でも差別的表現や人権意識に欠けたせりふが多く
見られますし、もう藤子・F・不二雄がそういう作風だったんだと
割り切るしかありません。
ですが、これは連載当時の時代背景も関係しているのかなと。
高度経済成長で誰もが豊かになるのが普通だった時代に、その道から
外れた人は落伍者の烙印を押されたでしょうし、差別や人格否定も
現在より当たり前に行われていて誰も疑問に感じていませんでした。
22世紀の世界を描いているのに発想は20世紀のままだったわけです。
時代とともに価値観や社会の常識も変わりうる、というところまで
思い至らなかったのでしょう。創作の限界と言うほかありません。
こんな作品は未来に語り継がず、昭和の遺物として封印しておいた
ほうがよさそうです。
少しだけ作品の話に戻りますと、セワシには恨まれたのび太ですが、
貧乏だろうと何だろうとそんな何世代も続く家系を残せた時点で
十分立派だと思います。
…野原ひろしが勝ち組って言ってるのと似たような理論ですが。
普通に生きたり家庭を築くのも簡単でない今の世の中、そのように
見方を改めますし、セワシの思考にはますます違和感を強めます。
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