きょうの昼ごはんと夕ごはんは外で食べたんですが、両方の店内でおなじ客とかちあいました。知らない人と一日に二度出くわす、というだけでも偶然天使なのに(天使?)、めし食う店どころか時間までいっしょってどういうことですか。趣味が合うどころか体内時計までがっぷり四つですか。これはもしかして運命の出会いでしょうか。私たちはひとつ屋根の下でうまくやっていけますか。<なんで ナンパってこういうときにすればいいんですかね?(しなくていいんだよボケがっていうか、やれるもんならやってみやがれこのヘタレっていうか、念のため確認するがその人は女なのか?男なのか?)(三段ツッコミきたよ)
それはそうと、気になる話を耳にしました。全国の国立大学のなかでもとりわけ東大・京大の学生は、収入の高い世帯の子の割合が多いんだそうです。まあ、よく考えればごく自然な話なんですけれど。金があれば塾や予備校など十分な教育が受けられるからっていう。ですが、それがどうしても、けっきょく財力がものを言うのかっていうふうに思ってしまって、個人的に腑に落ちないところがあります。私立大は金のある人が行くところであるのに対して、国公立はすべての受験生に門戸を開いているべきだって気持ちがまずありまして。いえ、もちろんいまの試験制度はちゃんと平等な入学機会をあたえているとは思うんですが、それでも、受験競争のスタートラインにいたるまでのハンディキャップってんでしょうかね。うまく言えないけど。
なるほど言われてみれば、私のまわりでも日々の暮らしに難儀しているのは少数派だったような気がします。着ているものや生活ぶりもリッチな人は本当にリッチですし、話をしていても、どうも物や金に関する考えかたがちがうなとか、金銭感覚がずれているなということが多くありまして。たとえば、学生のうちから車持つなんてとんでもないとか。私が特別ドケチだからというだけではなかったということでしょうか。それとも、大学生は貧乏であるべきだというイメージがそもそも時代遅れなのでしょうか。そういう型どおりの学生ってのも友だち連中にはきちんといまして、いえ単にるいともだったのかもしれませんけど、そちらの流派の人たちと苦楽を分かちあってきたつもりです。オンボロな学生寮に住んでいるとか、遊ぶ時間も惜しんでバイトかけもちとか、バイキングは胃袋の限界まで詰めこむとか、コンビニバイトの捨て弁当で食いつなぐとか、実家から米送ってもらって食事は毎日ボンカレーとか。人それぞれどこかしら切りつめたり努力をして学生をやるっていうのが当然の姿だと思っていたし、とくに地方からはるばる進学してくる人にとってはそういう同志の存在がありがたいわけです。
今後、大学の募集者数の減少などがすすめば、いっそう格差が広がっていくかもしれませんね。つまり、低所得層の子はますます大学に入りづらくなるっていう。そうでなくても、学費や生活費はかさむ一方、奨学金制度などは減ってきているという厳しい社会情勢がつづいているっていうのに。昔は大学なんて一部の世帯の子しか行けなかったんですけれども、なんだかその時代に戻っていっているような。や、ただのブルジョアギライのぼやきですが。
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