[こころ] きりすて

一度きりの人生、いくつもの道を選ぶことはできないけれど。だとしても。

中学・高校のころ、定期テストを前にして同級生たちがどの試験科目を捨てるかという
話題に興じているのを、いつも不思議な気持ちで聞いていました。
そもそも「捨てる」という意図がわからなかったからです。
自分にとってテストとは全教科満点をめざすのが当たり前で、もちろんそう簡単にねらえる
科目ばかりではありませんでしたけれども、だからこそやってやるぞと燃えたというか。
それは実技科目であっても、また進学や受験に関わりない科目でも一緒です。
高校の体育の授業で、学校オリジナルの体操を覚えるのにクラスの男子の中でひとりだけ
一発合格したときは本当にうれしかったです。
けして運動が得意なほうではない中で、努力してそういった成績を残せたわけですから。

学校から与えられた課題にどう取り組むか、提供された機会をどう生かすかは個人個人で
決めることですけども、ぼくは何事にも全力で、夢中になってやっていた気がします。
学校の勉強が将来の役に立つかどうかなんて考えたことありません。
どうせやるなら楽しくやりたい、そして上達したほうがだんぜん面白い、それだけです。
だから、せっかくのチャンスを生かさない人はもったいないなと考えていました。

それが今、大人になって、いろいろなものを切っている自分がいます。
仕事のキャリアでも、資格でも、あるいは生活でも、趣味でも、ときには人間関係さえも。
簡単に投げ出してしまったり、始める前から二の足を踏むケースが格段に多くなりました。
言いわけは決まって「時間がない」「面倒くさい」…。かつての同級生たちと変わりません。
当時のぼくが今のぼくを見たら、きっと怒るでしょう。何もったいないことしているんだ、と。

考えてみたらおかしな話です。
自立した生活を送って、何でも自分のしたいようにできる環境を手に入れたはずなのに、
かえって何もできなくなっているという。
ですが、それをただ嘆くのではなく、社会人としての宿命だと受け入れないといけません。
その上で、限られた時間の中でどれだけのことをこなすか、どれだけ満足を得られるかに
考えをめぐらしたほうがよさそうです。それが大人としての腕の見せどころというか。
現実は新しいことに手をつけるどころか、今あるものを維持するだけで精一杯でしょうけど、
それでも切るという選択をしないよう、一つひとつのものを大事にしていきたいものです。

自分がどんな環境に置かれても、絶対に捨ててはいけないのは人生を楽しむ気持ち。
どうせ生きるなら楽しく生きたい、そして充実したほうがだんぜん面白い、それだけです。

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