[こころ] ここにいること

 近所にお気に入りのラーメン屋さんがあります。あっさりして飽きのこないしょう油味で、値段も安い。おいしいラーメンを出してくれるお店は世間にたくさんあるでしょうけれど、何度も足を運びたいと思わせてくれる条件はそれだけではないように思います。質素なたたずまいや身近さを感じさせる店内のつくりが、気取らずに入れる雰囲気のもとになっているようです。うっとうしさを感じない程度に有線のポップミュージックが流れています。がらのわるい客にもめったに出会いません。具はていねいに盛りつけられて、漆塗りのおぼんにのって出てきます。そして、いつもにこにこしている穏やかな店主の笑顔。私にとって心地よいと感じられる要素が、そのお店にはつまっています。  ただ、あまり人気がないように見受けられるのがすこし残念でして。ときどき雑誌などには紹介されているようなのですが、あまり人通りの多いところに立地していないせいか、それほど混みあうことはありません。味も淡泊でパンチに欠けているため若者向きではありません。これで経営はうまく回っているのかと心配になってきます。ただでさえ競争が激しいラーメン店、このままお店をたたんでしまうことだってまったく考えられない未来ではありません。
 かくいう私も、さほど足しげく通っているわけでもありません。自炊派だという自分自身の事情もありますが、ほんのときどき思い出したように食べに行くくらいのものです。私とて、自分の懐や世間の流行などに行動を左右される一介の消費者にすぎませんから、しかたないことかもしれませんが。しかしこういう態度をかえりみるにつけ思います。こんな自分がそのお店のファンであると口にする資格などあるのだろうか、って。ろくに売り上げにも貢献していないのに、人気が上がってほしいとか生き残ってほしいとか願うことなんて許されるのだろうか、って。

 世の中のさまざまなものについて、このような関係が見られると思うんです。ラーメン店の場合は商売ですから、客が遠のいたら息がつづかなくなるというところはあるでしょうけれど。私はウェブサイトもそうなんじゃないかって思いつきまして。お店がサイトで客が訪問者、という関係ですね。熱心にチェックする人もいればたまにしか見に行かない人もいる。ただのぞき見るだけの人もいれば作者とコンタクトを取ろうとする人もいる。自分のページからリンクをして他人に勧めることもあるし、飽きたらブックマークから削除して離れていくし、しばらく忘れていてひさしぶりに開いてみたら閉鎖していたということもある。
 店主の立場として考えたとき、どのような客が訪れることを望むでしょうか。私は今、自分の書きたいものをただ書くためにサイトを開いています。物書きにあこがれていた(昔ね)私が何にも束縛されずにやりたいようにやれる場所、としてたどり着いた結論であるわけですが。インタネ上の出会いやコミュニケーションも若いうちにひととおりのことはしてきたのでもう新しいものを求めたいって気もありません。そんな自分勝手なページでも、読んでくれる人がいますし、文章をほめてくれる意見もあります。それはもちろんもったいないくらいありがたいことなんですが、たとえそれらがあってもなくても、私が書くものはそれほど変わらないんじゃないかと思います。
 最近になって聞いたことですが、私の昔のサイトを知っていた人がいるって話をいくつか耳にしまして。もちろんこちらは何も気づいていませんでしたが、そんなふうにしてどこかで見てくれている人がいるんだと思って、ちょっとうれしくなりました。たとえマイペースをつらぬくと言っても、アクセスがまったくなければさすがにつづけていけないと思っています。おこがましいかぎりですが。ですからすこしはそれに応えたいって気持ちがあります。サイトを公開しつづけていれば、私という人間が存在しているという証拠になるので、といってもそれくらいしかできないのですけれど、できるだけここにとどまっていたいです。今日も訪れてくれるだれかのために。

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