企業公式アプリがこんなに評価低いことある?<どれ ごきげんよう。
怖いという感覚は生存本能として重要なものですが、現代においては時として悪意を持って用いられることがあります。
例として、経度と緯度がわかれば地図上で座標が一意に定まりますけども。
テレビ番組で地図サイトを使ってその機能が紹介されたとき、知らなかった出演者から「怖い」と声が上がったことがありました。
10年くらい前でしょうか、当時どれほどの認知度だったかは不明ですが。
知っている人からしたら何言ってんだこいつ状態です。無知をさらしているだけ。
ですが知らない人が見たら、暗号のような数字の羅列を入力したら何かの場所が特定された、といったように映ったのかもしれません。
「十分に発達した科学は魔術と見分けがつかない」
という有名な言葉もありますし、未知のものが得体の知れないものに見える現象は昔からあったでしょう。
ですが、これだけ科学技術の恩恵を享受しまくっている現代においてもその感覚が残っているのはやや違和感を受けます。
自分が知らないだけですでに誰かが解明しているに違いない、となぜ想像を働かせられないのか。
理解を拒み「怖い」と一蹴するのは、先人たちの英知や努力に目もくれない冷淡な態度であり、失礼にあたるととらえるべきです。
このような拒絶は科学技術にとどまりません。
インターネット上では恐怖心を大義名分にした批判やデマが後を絶ちません。
ショッキングだったのが、JICAや地方自治体の国際交流事業が移民政策だなどといわれのないそしりを受けた件です。
内容も知らずに決めつけや思い込みで批判しているだけですが、影響は甚大でした。
近年、グローバルサウスやアフリカ諸国にロシアが取り入って孤立化を免れたり、中国が援助をして自分たちの政策方針に賛成させようとしたりしています。
それを阻止するには他の国も各国と交流を深め、政治的中立を維持してもらわなければなりません。
国際秩序を守り、ゆくゆくは自国の利益にもつながる日本の重要な取り組みが、ネットデマによってつぶされたのです。
ぼくは、声の大きい人だけが幅をきかせている今の世の中にあきれています。
自分には内容が理解できない、だから中止しろ、なんて言い分が通ったら誰も何もできなくなります。
理解する努力を怠っていることを棚に上げ、なぜ平気で他人を悪者にできるのか。
日々世の中のことを学んで理性的に行動している多くの人たちが、なぜ割を食わなければならないのか。
アラブの春のような民主化運動の起爆剤になった一方で、恐怖心や疑念を増幅させ一国の政策まで覆させる。
SNSや動画サイトはもはや誰にもコントロールできない化け物となり果てました。
と、だいぶ話が大きくなりましたので、最後は身近な例を。
ある日の帰り、夜道に若い男女がいて、目的もない様子でうろついていました。
閑静な住宅地にこういう人がいると治安が心配だと思いながら、関わり合いにならずに通り過ぎようとしたのですが。
すれ違いざま、若者の男のほうが、知らない人が近づいてきて怖いみたいなことを言いだしたのです。
わざとぼくに聞こえるボリュームで。
その言葉そっくりそのまま返したい気持ちをぐっとこらえて、相手にせず立ち去りましたけども。
ただの通りすがり相手にこれだけ悪意をあらわにできる神経は、自分には一生理解できないでしょう。
怖いという言葉は、簡単に被害者を演じることができ、その後の拒絶や攻撃的な行動につながりやすくなります。
他人の気持ちを想像しようとせず、未知のもの、怖いものと決めつける。
その態度があらゆる対立や暴言の引き金になっていることを認識する必要があります。
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