[なぞ] 2009/09/28

表とか裏とか、内とか外とか、そういった垣根を取っ払って話しあえていたら今ごろは。

こんなこと、人前で言っちゃいけないんだろうけど。
本当は何も感慨なんて湧かない。何も「思うところ」なんてない。
得たものやめぐりあえたものより、失ったもののほうがはるかに重たいから。
それだけ精神的に頼っていた。旅先で独りぼっちにされたような心細さ。
誰の言い分も理解できる。誰も恨みたくない。ただし、誰の味方にもならない。
結束という無言の圧力。禁則事項にがんじがらめにされて息が詰まりそう。
もう、わからない。誰の言葉を信じていいのか。誰についていけばいいのか。
先達はきっとわかっていた。だから最初から誰も、輪に加わろうとしなかった。

全力で挑んでみて、それで駄目だったらすっぱり諦める。そのつもりだったのに。
現実に返ってみたらいつも通りで、今までと何も変わってなくて。ため息が出た。
袖にされて、自分なんか相手にされないってわかっていても覚悟が及ばなくて。
報われた、認められたと感じられないでいるのは、欲張りになった証。
どんなに呆れても、嫌気がさそうとも、自分を疎んでばかりいるゆとりはない。
本当に姑息な、意地汚いことばかりしていると思う。見え透いた魂胆。
相互理解のように見えて、実際の始まりは一方的な「友達宣言」だったりして。
ただ、それでも。まだ未分化のかすかな萌芽でも。いつか咲かせたいんだ。

たとえば映画を観て泣くなんて、自分にはもうできないと思っていた。
自身の体験や記憶とかすりもしない、赤の他人の生き様が琴線に触れるはずが。
だけど、あった。
心を動かすもの。心を突き動かされるもの。体内に脈々と脈打つ、脈。
感動を与えるという作用は、成果物によってしかもたらされない。
そして成果を上げるには、たゆまぬ努力を積み重ねるしかない。
たとえ歩みは遅くとも。腐ったり卑下したり、ましてやそしったりしないで。
まさに「生活」なのだと。がむしゃらに生きた結果こそが、他者への活力となる。

折りしも、平和について考える機会があった。うず高く積まれた折り鶴。
折り紙でも銅板でもチラシでも。重要なのは、折る指にどんな気持ちをこめたか。
戦争を起こさないために個人ができること。個人レベルの戦争を、なくすこと。
アメリカは嫌いだ、イスラムはむかくつ。的なことを、平気で日常的に口にする。
他人の実力や人気をそねんだり、幸福を羨む気持ちから、敵意の第一歩は始まる。
安心して穏やかに暮らせる日々を嘱望しながら、誰もが心をざわめかせている。
そんなんじゃ、争いなんてなくならない。言葉の暴力を目撃するたび、悲しくて。
曲解されたって恨まれたっていい。ただ、これが本音だから聞いてほしい。

ぼくは嫌だ。
愛想笑いの裏で腹をさぐりあうなんて。舌禍を恐れて会話に臆病になるなんて。
口下手や内向性を気にする人に厳しい目が向けられ、人前に出られず萎縮するなんて。
かつて人間関係の全部をシャットアウトした後悔から、やっとたどり着いた。
人生において、最も大事なもの。何よりも守らなければいけないもの。
何も力を持たない、人に何もしてあげられなくても、たったひとつできること。
「『好き』にもいろいろある」なんて信じない。ぼくの中では一種類しかないから。
会いたいか。話をしたいか。離れていてもまた会いに行きたいと思うか。それだけ。

かたや一方で、もう誰もあてにできない。欲するものは自力で手に入れるしかなくなった。

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