[なぞ] 2009/08/10

正答は一通りではない、それが何なのだ。複数ある正答のいずれかを答えれば事足りる。

歳の数の豆も手にしていない。
毎日、どうしてギリギリの生活なのだろう。ただタイムスタンプだけが如実に物語っている。
最悪の事態が、つねに脳裏をちらつく。悪夢に襲われるのが怖くて眠らないようにする的な。
どんなにひもじい思いをしても、このまま飢えてくたばるよりはまし。極限状態の中の選択。

歯の浮くファンタジーは好かない。
人の死を軽く考えている。死とはもっと粗末なもの。そもそもそんなきれいに人は死なない。
死体、死体、死体。どうしようもなくそれは残る。動かないのに存在感だけはやたらとある。
さあどうしよう。邪魔だからバラして捨てようか、という話にもなってくる。それがリアル。

誰が呼んだか、ところてん式。
FIFOで押し出される。流れ作業の設備のように。卵を産めと飼い慣らされた、雌鶏のように。
産む機械、という言葉の妙。人は労働力を生産し、税金を生産し、チームに勝利を生産する。
だがそんな力関係に収まる気はない。失礼な物言いだとしても、餌付けされるつもりはない。

どこに人間らしさの欠片があると言うのか。こんな生き生きしていない人間の、どこに。

何より、構っている余裕はない。
忙しいからと誘いを断っていては人間関係をだめにする。わかってはいても、首が回らない。
真実に近づけば近づくほど遠さを実感するような。ロボットが気味悪く思えてくるような話。
汗で紙が滲む。汗ではなく涙かもしれない。滲んでいるのは、紙ではなく視界かもしれない。

目的。目標。目論み。何それ?
昔のぼくは「生きること自体が無意味」と反論して無意味なことを繰り返した。今はどうだ。
自分のしていることに必死に意味を見出そうとしている。かっこわるい。落ちぶれたものだ。
だけど、そんな自分が嫌いじゃない。それは何かを見つけたからか、見つかる寸前だからか。

こんな人間でもひたすら生きている。その証を残そうとする欲求。それが、正答の一つ。

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