[なぞ] 2009/07/24

自分探し(笑)なんてするまでもない。常に己を突きつけられる旅行記。

たくさんの笑いがあふれていた。その多くは、自分に向けられた蔑みの嘲り。
暗くて、ださくて、意思がなくて。世の中にとって格好の好奇の的なのだろう。
そんな現実にさらされたくなくて。偏光のきついレンズで、あらゆるビームを遮る。
嫌われているんじゃない。ぼくが世間を嫌っているから、世界が違って見える。
本当に細かく区切られた、限られた一部しか、この目には映さないようにしている。
都合の悪いことは考えない、存在自体認めない。ひたすら、ずるをして生きている。
真正面から受け止めるのが、怖いだけなんだ。内に抱える真のみじめさを。
長年ストレッチを怠った筋肉のように凝り固まった、取り返しのつかない人生を。

大人になったら自分の性格は変えられない、なんてとんでもない誤解だ。
簡単に嘘をつくじゃないか。自分を偽るじゃないか。人を騙すじゃないか。
そんな社会だからこそ、偏屈に持論を貫く姿勢に価値を見出したかった。
どうしても人を好きになれない、と言い続けるきみを、好きになりたかった。

神のごとき力を得るなんてどだい無理な話だった。例外には、なれなかった。

何を何より優先させるかの順序づけがおかしいこと。とうにわかっている。
だから明示的に例示した。走り出したバッチ処理は、もう上書きがきかない。
子どもじゃないんだから。もう誰も、家のドアをノックしに来たりしない。
すねていたり泣いていたって、声をかけてもらえるなんて期待してはいけない。

そしてたどり着く。何か楽しいことをするのは独りに限るという結論に。
手の中の物は見せても、手の内は見せたくなくて。
誰かと会うことは好きでも、誰かに合わせることは嫌で。
知りたい興味は山とあるのに、教えを請う礼節は欠片もなくて。
人が何をしているか気になる一方で、何をしていようと関心がなくて。
一緒に笑いあいたいとは思うけれど、喜びを分かちあう気にはなれなくて。
まじりけのない自分でありたい。それは、他人とまじりたくないという忌避。
だから疑ってしまう。ぼくは本当に、ちゃんと、どきどきしているんだろうか。

心の弱さが、言葉を奪って。自己表現を奪って。恋をしていた事実を奪って。

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