眼科を娘科に空目。ごきげんよう。
※思い込み注意
まさかとは思いますが、「魚心あれば水心」なんてことわざがあるから水からの伝言なんていう宗教本に毒される人が続出したのでしょうか。<何
元のことわざについて、現代人だったら魚に心はあっても水に心なんてありえないとすぐに理解できるのに。
考えられる一つの可能性ですが、科学の知識がなかった時代、人間以外の生物が心を持っているという考えがまだ一般に受け入れられていなかったとしたら。
だとすれば魚もどちらかと言えば水に近い存在、物質的なカテゴリーという認識だったのではないでしょうか。
心を持たない(と当時思われていた)二つの対象に対して心の存在を同列に仮定したものであり、言葉の成り立ち時点では矛盾点はなかったと言えます。
それが後年になって、魚だって意思があるし何か考えてる、という説が広く支持されるようになった結果、ことわざのほうがおかしくなってきたのではないかと。
それでもこの言葉が廃れずに残ってきた背景には、やはりやおよろずの神的な思想があると思われます。
ワンチャン水にも魂が宿るかも、というひとかけらの土着信仰が、科学的にありえないこのことわざを完全に否定できず生き長らえさせてきたのではないでしょうか。
他の宗教でも創造論と進化論の両立みたいな議論いまだにありますし、簡単に割り切れるものではないのかもしれません。
ただ日本の場合、「道徳」のほうが宗教なんかよりよっぽど危険(それ以上いけない
今の教育現場は特定の考えの押しつけになっていないことを切に願います。





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