[こころ] どうぶつ

自称大の動物好きでして。
自宅の周りで出るトカゲすらかわいいと思ってしまうくらい、ほぼ種類問わずほとんどの
動物が好きで、かわいらしい姿や何気ないしぐさを眺めているだけでも心癒されますが、
間近で触れられるときは触れあいたいという気持ちが一番強いです。
実際これまで乗馬体験したり、イルカにタッチしたり、沖縄旅行でゾウガメに乗ったりと
われながらレアな経験もいくつかしてきました。
いい歳してひとりで動物園に行くこともあって、それって恥ずかしくないのと自問しつつ、
それでも抑えきれないほど欲求が強いのもまた事実でして。
テレビ番組や映画でも動物もの、動物が出てくる作品を自然とチェックしています。
地元長岡を舞台にした『マリと子犬の物語』なんかは涙なしには見られませんでした。

しかし、昔から一貫して好きだったわけではありません。
「どくしょかんそうぶん」でも触れましたが、子どものころ犬を飼っていたことがあります。
最初はペットとかそんなに関心がなくて、飼っているうちに愛着も湧くだろうと気楽に
構えていたんですが、実際にはむしろ逆でした。
散歩やふんの始末など世話がとにかく面倒で、だんだん邪魔に感じるようになりました。
言うことを聞かない、懐こうとしない、むやみにほえる、目を離すと逃げようとする…。
自分の思い通りにいかないことが気の短かった当時のぼくには不愉快だったのでしょう。
そのうち世話もおっくうになって、関係は冷えこむ一方、最後には面倒見きれなくなって
保健所に引き取ってもらうという、飼い主の責任を放棄した最悪の形で終わりました。

過去にそんなことをしてきた自分が、今は手のひら返して動物好きだと言っているのは
どういうことなのか、と首をかしげることがありまして。
ひとつは性格の問題で、歳を取るにつれ気性の荒さや我の強さが薄れていって少しずつ
自分以外のものにも気を配れるようになった面はあるでしょう。
ですが、他ならぬ自分のことですから、根っこはそんなに変わっていない気がします。
つまり、動物をただ見ているだけならかわいいと思えるけれど、いざ飼う段になったら
本当に愛情を注げるのか、愛着を持って育てられるか、そこは不安が残ったままです。

そしてこの懸念は、自分にとって単に動物好きという趣味に限定した話ではありません。
動物ではなく人とのつきあいにおいても似たようなことを考えることがあるからです。
人前ではとりあえず愛想よくしたり盛り上がったりはするけれど、本当に親身になって
相手のことを考えているか、自分をさらけ出して深くつきあおうとしているか、といった
点がいつも気にかかっています。
誰かと真剣に向きあうのが怖いから物言わぬ動物に逃げているんじゃないか…とか。

動物の話に戻りますと、折りしも近年、実家でネコを飼い始めました。
帰省のときにしか会えませんが、純粋にかわいいと思えているので、今のぼくにとっては
ちょうどよいリハビリになりそうです。

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