[こころ] ぼっち

ひとりでだって戦える。その強さは貴いものかもしれない。だけど。

大学生のときに一年間ほど、ほとんど誰とも交流を持たずにすごしていた時期があります。
勉学をおろそかにして研究室に配属されるのに必要な単位が足りず、留年が決まった年のことです。
一年間で何十単位も取らないといけない状況でしたので、とにかく授業だけは休まないで出ようと。
朝から夕方まで時間割を埋めて、そしてほぼすべての科目に年度の最後まで出席しつづけました。
それまで平気でサボっていた自分からは考えられません。わき目も振らず勉強に集中していました。
その甲斐あって翌年には研究室に入ることができ、無事卒業もしました。

学費などの面で親に負担をかけて申し訳ないという気持ちもあったので、生活も切りつめました。
それまで利用していた学生食堂などに行かず、弁当持参です。というかタッパーに白米をつめただけ。
ごま塩やインスタントラーメンの粉末スープをかけていたでしょうか。
とても人前では広げられないので、校舎の陰に身をひそめてかきこんで空腹を満たしていました。
とくにみじめだとは感じなかったです。それまで遊び呆けていた自分には当然の報いだと思ったので。

その間友人・知人に会わないようにしていたのは、講義に時間を追われていたからではありません。
自分の姿を見られることが恥ずかしかったからというのがひとつです。
新入生に混じって共通科目を受けている、みすぼらしい食事、服も買わない、誘われても遊ばない。
もうひとつは自分を律するためでした。雑念を捨てて勉強だけに打ちこまざるを得なくしたというか。
親元を離れての新しい生活、学内外問わず多くの出会いがありました。インターネットも始めました。
いっきに世界が広がって、人づきあいの楽しさに溺れていくうち学生の本分を忘れていきました。
だから、その状態から立ち直るには関係を一旦シャットアウトしなければと考えたんだと思います。
空白の一年間で失ったものは少なくありません。それと引き換えに未来を切り開いたことになります。

こうした経験がありますから、自分は人と関わらずに一人でいたほうが仕事やさまざまなことに
集中して取り組める、力を発揮できる人間ではないかと考えていました。
必ずしもそうではないと気づいたのはここ数年のこと。現在やっている同人活動もそのひとつです。
イベントに参加する目的が「人に会うこと」という方もいるのではないでしょうか。自分もそうです。
始めたきっかけもSNSの交流からでしたし、自分を見てくれる人や期待してくれる人、また同じように
サークルでがんばっている人がいるから何か作りたいと思う、それが大きな原動力になっています。

それ以上に忘れてはいけないのは、人間関係にブランクを作るという不義理をはたらいたぼくに対して
変わらずにつきあってくれた、つなぎとめてくれた友人たちの存在です。今もずっと恩を感じています。

一人ぼっちになりたくてもなれそうもない、そんな恵まれた境遇にめぐりあえたと実感する日々です。

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