[こころ] ちから

 手元に「力」という漢字一文字だけが書かれた色紙があります。
 だいぶ色あせてきた古びたこの色紙、小学校を卒業するときに当時の校長先生から書いてもらったものです。
 卒業間近のある日、六年生全員にどんな字を書いてほしいかアンケートが回ってきたんですが、私はそれをどう勘違いしたのか、校長先生ではなく自分が字を書くんだと思い込んだみたいです。それで、習字がかなり苦手だったので、なるべく画数の少ない簡単な言葉、ということで「力」と書いたように思います。
 ただ、本当に画数が少ないからという理由だけで選んだわけではありません。そのころの私は、たしかに自分にもっと力があったらなあ、と感じていたわけです。
 子どものころは、今以上に自分に自信がなくて引っ込み思案でした。自分の意見を言い出せなくて押し黙ったり、ちょっと嫌なことがあると逃げ隠れたり、かと思えば突然怒り出したりと、自分自身でもどうしようもないと思うような子どもでした。
 他人と向き合ったり、あるいは自分自身の臆病さと向き合ったり。そういう勇気というかメンタルの強さというか、力がほしいと願っていました。大人になって社会に出たら、もう人には頼れない。自分だけで困難を乗り越えたり、意見を主張していかないといけない。そんな危機感がどこかにあったんだと思います。
 すっかり大人になった今、力――というには程遠いですが世渡り的なものなら多少身についたような気はしますが、本当の力強さというものはまだまだだと感じています。
 それに加えて、自分に対して求める「力」の意味が、年月をへるとともに変化してきている気がします。
 昔は、力というのは独力、自力。つまり自分の力だけで何でもやりとげることだというふうに捉えていました。自分が何かしたいと思ったら自ら行動する、あるいは自分に与えられた仕事はきっちりこなす、そういうことが力の表れであると思っている節がありました。
 今になって欲している力というものは、むしろ逆のベクトルです。困難に直面したりつらいと感じたときに、周りの人にきちんと訴えられる、あるいは助けを求められる。いわば自分の弱点や失態をさらけ出す勇気といいましょうか、そういう力も重要だなと思って。
 思えば、私は子どものころから何でも一人でやろうとする人間でした。頑固だったり、完璧主義だったり、無駄に頭の回転が速かったりと、いろんな性格が複合した結果だと思うんですが、とにかく何でも自分、自分。独りよがりになってしまうたちだったように思います。
 そういう自分を改めて、周りの人と支えあったり協力したりというのを心がけて、一人じゃできないことを達成していきたい。そういった願いを、これからの私の「力」の色紙にこめたいと思っています。

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