[こころ] しせん

 視線が痛い。
 子どものとき、おそらく物心つく前から、私はよくもわるくも目立った存在でした。読み書きやおゆうぎをすぐにおぼえて周囲をあっと言わせてもいましたが、最たる要因はそうした面ではなく、目にあまる奇妙な行動の数々でした。おもちゃをひとり占めしてほかの子に貸さなかったり、粘土のうどんを本当に食べようとしたり、障害物競走で軍手のはめかたにとまどって立ち往生したり、それから、保育所のトイレに行けなかったそうです。ひとりで行くのが怖いというわけでなく、自宅以外の場所で用をたすことがどうしてか恥ずかしかったみたいです。保母さんに手を引かれてもかたくなに拒んで、それでまあ、いつももらしていました。昔からそんなおかしな子どもでした。
 人からあれっ?と思われるような言動を、無意識のうちによくとっていました。そのたびにまわりから好奇の視線を向けられたり、同情するような顔をされるといやな気分になりました。幼かった時分は、なにか奇抜なことをすればみんなが注目してくれる、と鼻にかけていたことさえありましたが。狙ってもいないのに悪目立ちして人前にかつぎ出される、というようなことが続くとさすがにつらくなってきます。いま思えば、キャラクターを崩してふざけまくっていたのも、自分を語ったり人と目を合わせるのをしだいに避けるようになったのも、自分が変であることを隠そうとしてやっていたのかもしれません。
 現在でもよくあるのが、道を歩いていると突然、私の前方を歩く人が振り返ってこちらを見てくるんです。すれちがう人が横目で見るのではなく、私に背を向けて歩いている人がわざわざ、です。その視線の理由がわからなくて長いこと頭を痛めています。性格がおかしいのはともかく、容姿まで人とかけ離れているというのでしょうか。歩きながらただならぬ気配を発しているから思わず振り向かれるとか、日本人離れどころか人間離れした顔をしているとか、自覚がないだけで実はだれもが目をおおう超ダサダサなファッションだとか、考えようとすればするほど自己非難のどつぼにはまっていくばかりです。人前に出たり人ごみを歩くことがきらいになったいちばんの原因です。
 そんな経緯があって遠ざけてきた関係もありましたが、だからと言って人との関わりを断ったままでいられませんし、やっぱり自分のことを知らしめたい、見てほしいという欲求がないわけではありません。いつも視線をこわがり、人目を気にしてよそよそしい私ですが、ふつうに接してくれる友だちや文句もなく雇っている会社もいるわけで。心の広さを考えると頭が下がる思いです。せめてそういう人たちの前では臆することのないように、自分の姿を見せていられるようにありたいです。

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