[こころ] れんあい

 私は恋愛というものに特別の思い入れがあります。…マイナス方向に。そう、つまりは嫌っているということです。
 若い世代になれば、当然のように恋愛とか性の話が出てくるわけですけれども、私はそういった話題に首をつっこむ気になれません。他人のほれたはれたの話にも興味がわきませんし、同級生が結婚したと聞いてもべつにふーんくらいの感想しかもてません。これは単に関心がないとか、あるいは個人的に縁がないからというだけではなくて、できれば避けて通りたいものだと思っているからです。話題としても、それから自分自身が関わることも。
 そもそも、異性を見て心ひかれるということがまずありません。これは子どものときからそうでした。クラスの女子の中でどの子がすきかとか、道ですれちがったあの子がかわいいとかって話をよくしますが、それに入っていけませんでしたから。だいいち女子を見てかわいいなんて思えない。服装や声だけならかわいいと思えますが(笑) よく言えば他人を容姿でえらばないってことなんでしょうけれど、そのことで疎外感をおぼえたのも事実です。どうして女子の話になんて没頭できるのか、とまわりに嫌気がさしたというか。決定的だったのは中学の国語の授業でのディベート。あるテーマについて対立する主張をするふたつのグループに分かれて、たがいに相手に質問したり反論して意見をたたかわせようというものです。私のグループにあたえられたテーマがよりにもよって「恋人は必要か」でした。私たちはNOを選択して、YESを主張するグループとたたかうことになったんですが、もう激論も激論。私情入りまくりの子どものけんか状態というか、おたがいいるいらないの一点張りで平行線のまま、とうとう教師が止めに入る始末でした。どんなことを言い合ったかまでは思い出せませんが、あのときの相手グループの言い分、つまり恋人は必要だっていう発想は私には一生理解できないだろうな、とそのとき身にしみて感じました。
 そういう人ってわりといるはずだと思うんですが。私は恋愛なんてしないとか、男なんていらないって思っている人は。けれどそんな人たちも、いざ自分が恋に出会うとそんな過去の主張はすぐに忘れてしまう。あの変わり身はなんなんだろうって思います。「恋をすると人生が変わる」という言葉は、実はそのことを意味しているのではないか、と毒づいてしまいたくもなります。また私は、マンガやギャルゲーの恋愛話に触れるのはとてもすきです。ああいう絵に描いたような話というか、かえって絵に描かれた話だからこそのめりこめるという面はあります。恋愛は私にとってフィクション、むしろファンタジーとまで言ってもいいでしょうか。現実に起こりえないことだからこそ、創作の世界のできごととして心おきなく楽しめるんです。
 そんな私ですが、大学のときにいろいろ問題を起こしました。本当は友だちとして親しくなりたかったのに、それを恋愛感情と錯覚してしまって。大学生にもなれば恋のひとつやふたつするものだ、という周囲や社会の通念に流されたんでしょうね。それで、そういう意識というか立場で相手に接して、それで人間関係をだめにしたっていう。同性でも異性でも、私がそういう感情を向けた相手と壊れなかったことはありませんでした。そのことをとても後悔しています。自分の気持ちをかんちがいさえしなければだれにも迷惑をかけなかったのに、という反省もありますが、昔からあれほど毛嫌いしていた恋愛というものにみずから手を染めようとした、その情けなさが悔やまれてなりません。
 男女の関係に関心をもてない。それは、私が自分を変人だと思っていること、それから自分を幼稚だと思っていることの大きな要因のひとつです。だからもう、いっそそれをアイデンティティにしちゃってもいいかなと考えたりもします。これからもきっと恋をしたいとは思わないでしょうし、してはいけないのでしょう。男とか女とか言う前に、私は人として人と仲よくなりたいだけですから。

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