[こころ] おっさん

 突然ですが私、おっさんがすきです。
 ってそんな目で(以下略) 誤解を招く表現をあえて使いたがる年ごろというか、いいかげんわざとらしいですねすみません。ていうか脱線してますね。でもあながちうそではなくって、つまりは語弊があったんですが、人間的な魅力あふれるおっさんにあこがれるのですよ。
 幼少期から同年代の人との会話が合わないことにかけては疑問をはさむ余地がない私ですが、実は同年代かどうかは関係なくてただ性格に問題アリなだけだったりしますがそれはさておき、じゃあだれとなら話せるか。今どきの子どものことばづかいにかねてから頭を悩ませている私にとっては年下の人っていうのはあまりいい印象をもっていなくて、できれば敬遠したかったりします。根っからのオールドタイプなんでしょうね自分。それでいくと年上の人のほうが話しやすいんですが、それもちょっとの差じゃなくてひと世代以上離れてるくらいのがいいんです。どう言ったらいいんでしょう、上下関係がはっきりしているケース、もちろん私が下で。立場の差が明確であればあるほど自分の態度をフィックスできるからでしょうか。くだけて話せるほど親密なわけではないけれど、ですます調で通すほど目上というわけでもない、そういう相手への接しかたが実はいちばん迷うものです。
 おとなになることへの不安をときおり書いたり口にしますが、というかこの歳になってまだそんなこと言ってるのかってのは今はおいときまして、それは私が一般的なおとなにもっている先入観のせいです。若者は切れやすいなんてよく耳にしますがそれはおとなも人のことは言えませんで、仕事やらなんやらでストレスがたまって年じゅうピリピリしている、ちょっとしたことでかっとなる。背負っているものや守るものがあるとどうしても行動が制限されてしまって冒険ができなくなる。だから毎日同じことの繰り返しで、表情も楽しそうなんだかなんなんだかよくわかんない。そういうつまらないおとなになってしまうのを避けたいと切に願っているのが今の私ということになるでしょうか。だって、おとながみんなそういう背中ばかりを見せていたら、きっと子どもはがっかりするはずです。将来への明るい希望をもてなくなってしまいます。
 ほんで、私がそういうふうに思えるようになったのも、具体的なシルエットというかすなわちおっさんたちとの出会いがありまして。私がこのんで話す人はみなさん気さくで穏やかで、いつもニコニコしているような人たちばかりです。それからもちろん仕事にも一生懸命で、苦労や挫折を味わっていてもおくびにも出さない、前向きな姿にひかれます。自分のことを面白おかしく話してくれるたびに、人生ってやりようによってはこんなに充実できるんだと思わせてくれるオーラを感じます。つらいことや悲しいこともきっとたくさん知っていて、だからこそ他人にやさしく接したり、若者に人生を語ったり適切にアドバイスできるんだと思います。
 仲のいいおっさんとの会話はちっとも気をつかわなくていいので疲れませんし、時間を忘れてのめりこんでしまいます。自分もいつかそんな人になりたい、という目標をあたえてくれるおっさんが私はすきです。そういえばこの文章、タイトルを父親に置きかえてもいいかなって気がしました。身近なおっさんとして、身近な先輩として、身近な目標として。もしかしたら私はそういう存在にまだまだ甘えたりないのかもしれません。

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