[こころ] にっき

 公開型日記についての話ですけれど、私がそれに出会ったのはおそらく学校の宿題じゃなかったかと記憶しています。毎日の生活や学習記録などをつけて担任に提出するというもの。絵日記もそれに入るでしょう。できのよかったものは教室に貼り出されたりクラスの前で発表なんて場合もありますので、すすんでる子(?)はその段階でウケをねらったものの書きかたを覚えていくんだと思います。
 私の中でのそうした日記執筆欲への発端となったのが高校時代。日直になると学級日誌を書くと思いますが、あれです。ページ下部に数行のテキストスペースがありました。日直が自由にコメントを書ける場所です。で、そんなところをまじめに書こうとする生徒は当然すくないですよね。けれど42日のうち1日だけはちがいました。それは私、とにかく空欄を埋めることだけを念頭に毎回びっしり書きました。いきおいだけだったのでもはやなにを書いていたのかなんて思い出せませんが、なんでもいいから思いついたまま書いてみること、そしてそれがクラスメイトや担任に読まれることを想像するのはとても楽しく充実感がありました。担任の先生が私のそんな原石(あ?)をほめてくれて、ちょうどそのころ亡くなった遠藤周作さんの名前を出して、おんだは将来そういう方向にいけるかもしれないなんてことを言われていました。それがきっかけというか目覚めの瞬間でしたと。それから大学のサークルやホームページなど活動の場を得て私のライティングスピリットは徐々に開花していくわけですけれども。ってただの昔話やないけ。
 いっぽう見せる日記ではなくふつうの日記を書いていたときもあります。やはり高校生のときで上の時期と前後しているっぽいのですが、キャンパスノートにつらつらと書きはじめてみました。期間は一週間。速攻で挫折でした。だれにも見せない自己補完のためだけの執筆はやはり息がつづきません。かといってそれを後日家族に発見されて読まれたときは死ぬかと思いましたけれど。
 すぐにあきらめてしまったこの日記ですけれど内容は濃かった。社会への疑問、自分の性格や進路、人間関係などの悩みなど、自分で自分のことを深く考えて書いていたように思います。そこで感じるのは、見せる日記よりも見せない日記のほうが書き手の気持ちをストレートに出せるんじゃないかと。もちろん見せる日記ではうそを書いているというわけではないけれど、やはり読者を意識してしまいます。いっぽう他人に公開しないという前提があれば作らない素顔のままでいられそうです。私は読むにも書くにも後者のほうがいいと思っていて、着飾って見栄えのするオープンな姿より、たとえ地味でまとまっていなくてもありのままの心を表現したいですし、また他人のそういうはだかの部分をこそ見たいわけです。それが私がウェブ日記に対してのぞむ気持ちですってことで。

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