[こころ] あじ

 三つ子の魂百まで、ということ。
 大学で卒業論文を書いているころ、遅くまで研究室にいて学内の食堂も閉まってしまうと、よくメンバーそろって外に食べに行っていました。いくつか有名なお店や評判のお店もあるのですが、その中でどれがいちばんおいしいかという話になったことがありまして、みなさんそれぞれにお気に入りの店名を挙げていたのですが、私はやっぱりおふくろの味がいちばんだと言ってしまったためにちょっと浮いてしまった記憶があります。
 でも本心から言ったことですので。小さいころから慣れ親しんでいる味がいちばんだと本当に思っています。今は親元を離れていますが、たまに帰省して実家の料理を食べてはじめて、ああ帰ってきたんだな、ここが私の家なんだなと実感できます。実家が農業をやっていたこともあってたくさんの種類の野菜を食べて育ちましたから今でもきらいなものはありません。同じ野菜でも、町中のスーパーで売られているものは色も形もよすぎて、かえって口に合わないと感じます。「たおる」の回で幼少期の感覚を思い出して、といったことを書いたと思いますが、それは味覚についても当てはまっているのかもしれません。
 それを逆手にとった商売もあります。ハンバーガーチェーンのマクドナルドは、おもちゃつきセットメニューやキャラクターを展開したり、プレイランドを設置している店舗もあって、子どもの興味をひくことに力を入れているように見受けられます。これはそのとおりだそうで、子どものうちからハンバーガーの味に慣れさせておけばその人は一生ハンバーガーを食べつづける、というとても長期的な販売戦略なのだとか。実際に、かつて通っていた若者が親となり子どもを連れてまた食べにくる、その子どももハンバーガーのおいしさを覚えて成長していく、という継承が実現されつつあるように思われます。
 私もときどき外食をしますし、もちろんおいしいと感じますが、やはりいちばん落ち着くのは子どものころからずっと知っている味だけなのかなと思います。みずからの手でその味が作れればいいのでしょうけれど、さすがにそれはかなわないでしょうか。いつか自分の味を定着させたとき、それが自分自身というおふくろの味になるのかもしれません。

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