[こころ] ことば

 たったひとことで道を開いてくれる、鍵。
 人づきあいの中でことばのやりとりは欠かせません。自分の意見を伝えたり、相手のことを気づかったり。私たちが対話の中で実際にやりとりしているのは気持ちであって、ことばはそれを伝達する手段、媒体であるといったこともときおり耳にします。
 身近な人が困っているときや、選択に悩んでいるときは何か声をかけてあげたいと思うものです。けれど何を言っていいのかわからなくて迷ってしまう場合があります。へたなことを言ったら反対にその人を落ちこませてしまうかもしれない、なんてわるいほうに考えてしまうとけっきょく言えずじまいになってしまったりもします。自分が逆の立場だったときのことを考えますと、つまり何かに悩んでいて、だれかが声をかけようとしてくれたとき、そのときその相手に何を求めるでしょうか。自分のことを気づかってくれる気持ちだけでうれしくなるときもありますが、その人のことばが自分にとって満足のいくものでなければかえって気を悪くしてしまう、ということもあるかもしれません。こういうのはだれに非があるわけでもありませんから、よけいにむずかしいものです。
 私が今までかけてもらったことばのなかで、そういうことの例をひとつ書かせていただきます。これから取りかかろうとすることや将来がうまくいくかわからなくて不安になっているとき、そんな私を見かけて何人かの人が「なるようにしかならない」と言ってくれました。ほんとうにみなさんが同じせりふを言うのでびっくりしてしまって、それで今でも印象に残っているのだと思いますが。このことばをどう受け取りますか。どんな結果になっても運命を受け入れるべきだ、と言われているような気がして、もちろん声をかけてくれたことは本当にうれしかったのですが、私にはどうにもはげまされている感じがしなくて、すこししっくりこない部分がありました。そんな中でひとりだけ、ちょっとちがうことを言ってくれた人がいました。「なるようになる」です。先ほどのと言っていることは変わらないのですが、なんとなく受ける感じがちがうと思いませんか。こちらのほうが、がんばれば結果はついてくる、という前向きな印象があります。実際そのときの私も、このことばにいちばん元気づけられたような気がします。
 本当にちょっとしたことですけれど、そういったちがいもコミュニケーションでは大切なのかもしれません。私もそのように人になにか力を与えられるようなことばをかけられたらいいなと思っています。もちろんいちばん必要なのは相手を気づかう気持ちですけれど。

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