盆休みみたいな選手

2005/03/31

むかしのひび

私はあまり社会になじめない人間なのかなと思います。
仕事でもプライベートでも電車や新幹線を利用する機会が多いのですが、乗るたびにいろんなことが気になって気になってしかたありません。具体的には、ほかの乗客のマナーについて。まず、降りる人を先に通さないでわれ先に乗ろうとする人。おかげで、電車を降りるときにドア付近が非常に混雑して足止めをくらうこともあります。新幹線の自由車なんかとくにひどくて、座席を取ろうと降りる人を押し分けて乗りこむ人ばかりで、結果として乗り降りに手間どって発射時刻が遅れたりします。自分勝手な行動がたくさんの利用者に迷惑をかけています。それから、ごみや空き缶を車内に投げ捨てたり、禁煙車で堂々とたばこをふかせたり、電源を切るよう決められた座席で携帯電話をいじったり。モラルをうたがいます。ですが、へたに注意しようものならこっちが刺されるご時世ですから、目にさわっても何も言えません。座席のすき間に無理やり体を割りこませてくる人もいます。座っている人にちょっと席をつめるように言えばいいことなのに、無言で押しのけてくるんですから気味がわるいです。たがいに声をかけあうことすらできない社会、実におそろしいことです。また、ホームの階段やエスカレーターを、人の間をぬうようにして駆けあがる人も多いです。階段を駆け足でのぼるのと歩いてのぼるのとで、いったい何秒の時間短縮になるというんでしょう。危なっかしくてしかたありません。将棋倒しなどの大事故につながる危険性もあります。実際、発車間際の電車に駆けこもうとして、ほかの人にぶつかったり転ばせる人をたびたび見かけます。相手は地面にたおれたり靴が脱げたりしているのに、立ち止まることさえせずにいそいそと電車に乗りこんでしまいます。電車に乗るためなら他人を突き飛ばすこともいとわない、そんな理不尽な言い分がまかり通っています。
こうした場面に出くわすたびに、とても悲しい気持ちになるのですが、そのいっぽうでべつの考えかたもできます。これが世の中の現実なんだということを、私が受け止めきれないでいるだけかもしれません。私は、自分がいやだと思うことはあまり見たり立ち入ったりしないようにしているので、社会や人間のきれいなところばかりを見てすきになっているたちだと思います。だから、きちんと現実社会と向きあえていない私に非があるのではないかと。もしくは、私の考えかたのほうが正しくないのか。正しいまちがっていると言うより、社会に適合しない考えかただという気がします。自分が常識だと思っていることが、実際にはそうでないということはよくあります。とくに私は、子どものころから人とはちがったことばかり思いつく子だったので、他人やまわりと意見がくいちがったときに、まず自分の考えを疑うべきだと思っています。このことだってそうです。マナーのわるい乗客が多いことは事実だとしても、そういう人が多数派であれば、それが社会にとっての真理であると認めないといけません。他人への迷惑なんてかえりみずにもっとエゴに徹しなければ、この世の中を渡っていけない、そんなふうにさえ思えてきます。ですが、私はそんなことはしたくありません。人から変な目で見られようと、自分がまちがっていると思うことはぜったいに実行に移しませんし、それに、まわりの人を不快にさせる行動が正当化されるなんてことは、どうしても受け入れられません。ですから、えてしてそういった光景に触れないように生きようとする手段に出ます。電車に乗ることや人の多いところへ出かけることを避けて、自分のいやなものと顔をつきあわせないようにする。そんなことばかりくり返していると、いままで以上に現実離れがひどくなってしまいかねません。しかし、それも心の痛みには代えられませんから。
そんな私ですがきょうも社会のどこかで生きています。

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