「おかしいね」「おかしいね」

2003/08/17

むかしのひび

…えーっと。
恥ずかしながら戦線復帰です。おまえなんかお呼びじゃないとかは言いっこなしで。

08/10
今日のユリスキー。<えっ 電車の通路はさんで反対側の席に大学生くらいの女子ペアが座ってました。どうやら友だちどうしのようなのですが、なーんかね、にゃんにゃんムードなの。(謎言語) ちょっとないってくらい仲むつまじいの。そこで直感的にピコピコピコーンとアンテナが3本立ったものですから、おいちゃん横目でロックオンとしゃれこみました。そう、観察です。おおっとつっこむのはまだ早いぜ?(何)
ひとりがねぶくなってきてもうひとりに寄りかかったり、あまつさえ脚の上にもたれこんだり。ひざまくら状態ですね。そいで乗られたほうは寝ているほうの肩をさすったり、頭をなでたり、むしろ折り重なるように倒れこんだり。そんなことをときおり攻守交代しながらひたすらやってらっしゃいました(←敬意がにじみ出ている)。どうですか。萌えませんか。わかりませんか。そうですか。
さらに見ていると、もっとすごいの。ひざモワーンです。ってわかりますか。ひざのところで指を開くようにはわせてくすぐるあれです。正式名称はわかりません。あれをおやりになっていました。私の試算ではひざモワーンをやっているカップルはべらぼうに親密度が高い(髪をいじったりパジャマパーティーとかよりも上)と出ておりますので、つまりはかなりの高得点ですよこれは。投げる手裏剣ストライクですよこれは。今度はどうですか。マニヤックすぎますか。むしろただの変態トークですか。そうですか。
それ以上に会心の一撃だったシーンもあったのですがはずかしくってとても男の子の口からは言えないようなものだったので割愛させていただきます。

08/11
ほら見て!
まるごとバナナが108円だよお母さん!
…いっぱい買ってもらいました。

08/12
本の虫。日ごろ読書らしい読書をしていないので読みだめとばかりに。いえ実際にふだん読んでいませんことよ。ああそうだよ小説なんてここんとこあれしか読んでなかったよヴァーカ!<なんで逆ギレしてんの 今回読んだ中ではスキップがぐっときました。まさに手に汗握る展開というか、ソワソワールしっぱなしで読めました。
きまってコミックも読みます。シュート!終わっちまいましたね。(きょう知った) あと、苺ましまろというマンガがちまたで評判だと小耳にはさんだものですからチェックしてみました。絵は文句なしだしおもしろいことはおもしろいんですが、気になる点がひとつ、なにげにエロ要素が目立つんですが。<エロ要素って言うな そっちの路線で売ろうとしてるんならちともったいないかなと。
さて。私も昔はジャンプとかよく読んでいたくちなんですが、しこたま応援していたマンガのひとつがBOYだったりします。背中からバット出してうるァァ!っていうあれです。そうなんよ意外と。ケンカや暴力はからっきしの三級品というか、やはり世の中にあってはならないものだとわたくし思っているのですが、その反動なのかフィクションの世界ではそういうものを求めてしまう。リンチやドラッグ、果てはレイプなんていう、少年誌らしからぬ過激なストーリーもあったのですが、そこがかえって刺激的だったというか。
もうひとつ、ふつうの(?)高校生が登場するっていう舞台設定もポイントでした。もしかしたら自分の近くでこんなことが起こっているんじゃないかと思わせてくれるような。いえ実際にあったら困るんですが。同系統のものではろくでなしBLUESとかもよかったですが。それくらいのころの私はまるでもっていい子ちゃんで通っていて、不良っぽい同級生もいなかったし、ましてやカツアゲやストリートファイトなんてどこか遠い世界の話にしか思えませんでした。だからこそなんでしょうか、ちょっと悪い子にあこがれてしまうのは。心の殻をやぶって思いっきり暴れてみたいっていう願望が、どこかにあったからかもしれません。
まあこれは、私が見ていたころの、現実とフィクションの境界がそれくらいはっきりしていたときの話ですが。

08/13
西部警察の一件が残念でならないondです。まあ、たとえ規模も期待も大きかった番組とはいえ、重傷者が出てしまった以上こうせざるを得ないというのはしかたないところだと思います。むしろ即断をくだしたところに男気を感じますが。でも、でもさ、楽しみにしてたのに。だってすごくね? いえ私は昔のは観たことありませんし、裕次郎さんがどれだけ偉大だったかも肌で感じていない世代なのですが、だってすごくね?《表現の重複》 ハリウッドばりのど派手なアクションに爆破シーン。こんなもんもんとした今だからこそドバーンとやってほしい番組だっただけに。はい。
満たされることのないこのさみしい心の埋め合わせにもなりませんが(またか)、名探偵コナンの再放送みてました。昔のエンディング曲とかがやたらなつかしいのなんの。

08/14
公約どおりゴーヤーをいただきました。それはさておき。
このほど自分の中で議論が一応の決着をみたのですが、ら抜き表現について。まず「ら抜き表現」についておさらいしておきます。ええ頼まれてもいないのに。助動詞「れる」「られる」は受身・尊敬・可能・自発の四つの意味をもちます。いずれの場合も用法は同じで、五段活用かサ行変格活用(する)の動詞に接続するときは「れる」を、その他の種類(上一段・下一段・カ変(来る))の動詞に接続するときは「られる」を使います。「見る」→「見られる」といった具合です。ここで、可能の意味で用いる場合にかぎって、従来なら「られる」を使う場合でもかわりに「れる」を使うという、あらたな用法が出てきました。この規則でいくと「見る」→「見れる」となります(可能の意味のとき)。これがいわゆるら抜き表現でして、日本語本来の文法としては正しくないので使うべきではないという意見があります。
ところがこれ、べつの見かたでは実は正しいんじゃないかって説。それは可能動詞です。可能動詞とははじめから可能の意味を含んでいる動詞のことで、おもに五段活用の動詞を下一段に活用させたものを指します。「飛ぶ」→「飛べる」のように。これは動詞「飛ぶ」+可能の助動詞「れる」→「飛ばれる」のかわりに用いることができます。ら抜き表現の動詞も、助動詞の用法を誤ったものではなく、一段活用(注:ここでは、上一段活用・下一段活用・カ行変格活用の総称)の動詞から作られた可能動詞であるとみなせば説明がつきます。つまり「見る」→「見れる」のように変化させたひとつの動詞であると。そこで調べてみると、どうやら五段動詞の可能動詞も、もともとは動詞+「れる」の発音がちぢんで派生したのが起こりだといういうことらしいんです。だったら一段活用の場合だって認めないわけにはいかないでしょう、というわけで。ただ、一段動詞の可能動詞をこうやって作っていいかどうかに関しては学術的にグレーゾーンですが。
で、わたしはそんなけしからん的見地から異をとなえているのではありませんで、どうもこの違和感は私の地元の方言によっているみたいなのです。うちでは若干なまって「いる」「らいる」なのですが、いずれを使うかは従来の用法のとおりです。徹底しています。さらに可能動詞がいっさい用いられません。たぶんそれがすっかりしみついちゃってるから、よその地方の方言を聞いたときみたいに変に感じるのでしょう。まあそんなわけで私は生涯新潟県民を名乗ることを心に決めているわけですが(?)。
(08/20 修正)

08/15
朝起きて鏡を見たら見慣れない人の顔がありました。よく目をこらしてみると、すっかり肥えてふくれたマイフェイスでした。ごっつぁんでーす。<?

08/16
海行ってカモメとたわむれてきました。…なんですかその目は。こいつ遊び相手もいないでやんのさびしいやつだなとかおっしゃりたいんですか。カモメのよさを知らないからそんなことが言えるんです。<だれにいってんの かわいいぞーカモメは。

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