たがたんぞ

2003/03/04

むかしのひび

時間差攻撃。だれだって悲しい気持ちにはなりたくなくて、つらい思いは味わいたくなくて、だけれども回避できずにおちいってしまう、それが人生だとは昔から言われつづけていることですけれど。そしてやっかいなことに、自分がどれだけ注意していても、またたとえ自分の行動に誤りがなくとも、不幸は突然にして襲ってきます。あまりに一方的な不条理というかたちで。しかもその瞬間はなにも感じなかったはずなのに、あとになって思い出すなどしたときに記憶が胸につきささるときもあって。忘れかけていたものが急によみがえってくるという事態はたいていまったくの想定外で、だから不意をつかれたような激しい一撃に見舞われることになります。あるいは時間がたって緊張がゆるんだ結果として再発してしまうのか。理由や経緯などはおそらく重要ではないのかもしれません。心の苦しみ、ただその一点において。つらいできごとから解放されたくて、また押し寄せて、おそらくはその行ったり来たりで、これはひどく精神を摩耗します。一度は回避できたと思ったその悲しみがまた迫ってくる、逃げても逃げても振り払えない、憑依した霊のようにしつこくこの体に、そして心にまとわりついてまだ癒えきらない傷を攻撃します。忘れたいと願うこと自体が誤りなのでしょうか。そんなこと、できるはずないのに。あがくことを諦めて立ち止まった私の頬を涙が伝いました。もう終わりにしたくて、悲しみという感情なんて捨ててしまいたくて、こんなことで泣きたくなんかなかったのに。自分の中でいくつも築いていたバリケードがすべてめちゃめちゃに壊される瞬間。ぼやけた視界の先に、この呪縛は決して破れないのだと哀れげに笑うだれかの姿が――もちろん、――あったような気さえして。実際のところ、自分が本当に苦しんでいたのかは定かではありません。けれど泣きたくもないのに涙が落ちて、体がそう表現したのだから、または自分が泣いていることを知ることで悲しみがあふれてきたのかもしれません。だからといってどうしてこんなに時間がたっているのに、どうして今になって、こんな仕打ちを受けなければならなかったのか、それだけが不可解でなりませんでした。いまだ許されざる大罪を背負っているかのように感じられて、それだけがただみじめで、痛くて。切っているときはなにも感じなかったはずの玉ネギを炒めているときにすげー目がしみました。

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