本当にブリザドって聞こえる

2003/02/24

むかしのひび

人間生きてっと思いつきで旅に出てみたくなってしまうときもあるのですよ。(嘘)

02/19
まだまだ空気が乾燥する季節です。体に静電気がたまりやすい人はアースをしましょう。電化製品やパソコンについているアース線をそのまま使うのも簡単ですし、いらなくなった電源コードなどを流用してもかまいません。後者の場合は両端のビニールをニッパーなどではがして導線を出しておいてください。ばらけないようによっておくことを忘れずに。そして一方の端を体につけ、もう一方を床にたらす、これだけでオッケー。体のどこにつけるかが問題ですが、靴の底に入れるのが手軽でコードも短くてすみますのでいいかと思います。ただ見てくれに多少難があります。気になる場合はズボンのベルトなどにゆわえて腰からおしりのほうにたらしておくと動物のしっぽのようでかわいらしく見えるでしょう。体内の電気がアース線をつたって地面に放出されます。ほかによく知られる方法としては、金属など電気を通しやすいものにこまめに触れるようにするのも有効です。静電気スパークの片棒として有名なドアノブに触れるときは、はじめにカギなどを手に持ってそれでノブにさわります。当然、体内の静電気がカギを経由してドアノブに移動する、つまり放電が起こりますが、自分の体が直接ノブに触れているわけではありませんので電気の流れを感じることはありません。もちろん痛みからも回避されます。それから携帯電話をつねに手ににぎっているというのもいいかもしれません。通話をしていないときは一見なにもデータのやりとりはなさそうですが、実際のところ端末と基地局とはたえず通信がおこなわれている状態にあります。そこに帯電した人体を触れさせると、電気がアンテナから電波にのってピピピッと送信される、というしくみです。生活に便利な携帯電話の、意外な副産物といったところでしょうか。
…ハッタリ日記はきょうも元気です。あと偶然をよそおって期せずしてドットハックを観ました。いつもなら深夜枠アニメの放映時にはすでに床についているんですが。

02/20
みなみのくにへやってきました。いつも住んでいる町はこの時期とても寒く、とくに朝晩の底冷えがきびしい着ぶくれ天国です。それがところ変わればなんとやらと言いますか、ここはとても温暖です。北半球と南半球では季節がさかさまなんだそうですが、きっとそういうことなんだと思います。おもいっきり伸びをして太陽の光をいっぱいに受け止めます。上着を脱いでシャツのそでをまくってもまだ暖かい。体の芯からじんわり熱がわいてくるような感じがして、ぽかぽかとしたやわらかな空気に包まれながら思わずうとうと。そんな気持ちのよい昼下がり。
…エアコン効きすぎ。カーテンもないし。さて、小高い丘の斜面にたくさんの家屋が立ち並んでいました。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしました。なにかというとガケ崩れ。土砂がはがれ落ちて無防備な(?)地肌があらわになっています。大きなブルーシートがかけられている箇所もありました。いくつかの家のすぐそば、もう足元にまで爪あとが残っているところも。住民のかたはもう避難したんでしょうか。とても危険でした。のどかな丘の上の一軒家にたたずまいたいという夢をお持ちなら速攻捨てたほうがいいかもしれません。しっかりした地盤があってはじめてその上に家が建てられるべきなのですから。
話はかわりますがこうした新興住宅地にはよく自由が丘や希望が丘という名前がつけられます。全国いたるところにあります。だれが命名しているのか知りませんけれども、これではまったく工夫がないというか、ネーミングセンスの何たるやというか。<懐<何 命名といえばおもしろい話がありまして、オタクなひとに赤ちゃんが生まれると、アニメなどの登場人物とかぶらない名前を考えるのに苦労するんだそうです。そりゃそうですね、いっぱしのキャラクターの名前をしょわされて育っていかねばならないお子さんの不遇を思えば当然の親心っていうか親としての最低限の責任ってもんです。ぜひがんばってかぶらない名前をつけてあげてほしいものです。いえあくまで一般論として。

02/21
なかば勢いだけで家を飛び出した私のすさんだ旅程において心の支えになってくれるのはこの雪見だいふくだけです。おはようございます。<時差ボケ?<? ズボンのポケットにものが入っているとよけいに落ち着かないondです。
世の中おかしなことだらけです。政治でも社会でも身近なことでもそうです。矛盾しているもの、同じことをくり返しているだけのもの、悪循環におちいって崩壊しつつあるもの、従来の考えでは通らなくなっているもの、はやりすたり、表面的な議論ばかりで核心に触れないこと。いちばんおかしいのは、そういうものが身のまわりにあふれていながらだれもそれを口にしないという状態です。もともと集団を重んじ他に同調することや冷静を保つことを美とする風潮がこの国にはありますから、疑問に思ったことがあっても自分ひとりではそれをなかなか言い出せなかったりします。個性を大切になんて言っていますが、いまの子どもたちの個性というか自我は逆に弱っている一方であるように見えます。画一化された価値観の中で受動的な選択をくり返して生きるという、結局は丁寧をよそおって大衆におもね、常識という得体のしれない檻に囲まれてひっそりと息をするばかりの貧弱な個。私は自他ともに認める世間知らずですが、言いわけになるかもしれませんがあえて世間を見ないようにしてきた部分もきっとあると思うんです。まちがいだらけの世の中のひとつひとつにくまなく目を走らせて、その不条理や浅ましさにいちいち腹を立てたり憂えたりしていたのでは身がもちません。かといって私には確固とした理論や自分らしさというものがあるかというとそうでもありません。もしかしたらあるのかもしれませんが自分ではわかりません。ですがおかしいと思ったことははっきりおかしいと言うべきだと思います。自分にとって不要な情報を取得しないことを明確に選択する、いわば積極的無関心をくり返すことで、その積み重ねがいずれは自分の個性というものを形作っているのかもしれません。

02/22
よーしパパ来年こそはデジカメ買っちゃうぞー。<すぐ買えよ しかし買ったところでホームページのネタづくりにしか使わないんじゃないかというあわれな未来が見えそうでしょんぼりです。ところでよーしパパ構文はカタギのひとに対して使うとふつうにうけてくれます。脱ネットジャンキーをめざすあなたはぜひ日常会話レベルで身につけておきたい一文です。逆に深みにはまっているだけなんじゃとかは言いっこなしで。
きょうはふしぎなメルーがとどきました。知っている人からのものだったんですが、中身がありません。件名は私が出したものの頭にRe:がついているだけ。本文を書くまえに送信してしまったということが予想できます。そうなるとたいてい「まちがって送っちゃったよー」などと書かれてもう一通送られてくるでしょう。私もはじめはそうだと思っていたのですが待てども待てどもつづきがやってきません。となるとこの空のメールだけが先方からの用件だということになりますが、これでは内容がなにもないっていうか電文の役割をこれっぽっちも果たしていません。無言のメッセージ、これをどう解釈すべきでしょう。無言電話につづく新手のいやがらせなのか、きみにはあきれてものも言えないという意味なのか、反対にことばがなくても通じあえるという愛の深さを確かめるものなのか(あ?)、それともあぶり出し……あ、いえ、なんでもありません。というかやっぱり気になって夜も眠れないのでちゃんと内容を書いて送っていただけるとうれしいです。

02/23
実はなにかっつーと八百屋さんでアルバイトしてました。はい。最後は打ち上げとばかりに焼肉をごちそうになりました。ふだんはビールも苦手なondですが、発泡酒をおいしいと思ったのはきょうがはじめてです。

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