2003年2月28日金曜日

大きな花は美しい いつも楽しく歌う花

朝の電車で向かいの座席のひとが広げていた新聞を見ていました。もちろん離れているので見出しくらいしか読めないわけですが、その日のおおまかなニュースをざっと頭に入れるにはこれでじゅうぶんなのかもしれません。その中でも、全面広告のページにATOK16本日発売と書かれているのが目にとまりました。前版では話しことばや関西弁もうまく変換できるようになるなど独自の進歩をつづける日本語IMEの大御所ですが、今回はなにを売りにしているんでしょうか。
こうしたバージョンアップには企業側の不断の努力がうかがえますが、実際のところはむしろそうでなければ生き残れない、という話。こまめに改良して発表しなければ売り上げが伸びない、という、いちどスタートしたら走りつづけなければならない宿命をしょっているのがソフトウェア産業なのです。ソフトウェアは情報でありコンピュータなどの機器で利用されるデータですが、ほかの一般的な商品とのちがいのひとつに品質の恒久性があげられます。物品は消耗したり破損するたびに買い換えることになりますが、ソフトウェアは基本的にその必要がありません。デジタルデータは劣化しませんから。つまり一度購入すればもう買い換えることはなく、それは売る側にしてみたら売り上げがその一回だけで終わってしまうことになります。たとえ一時的にもうかってもあとがつづきません。そのため改良や新規開発をくり返す必要が出てくるわけです。これはゲームソフトなどもそうだと思います。膨大な開発期間をかけて作品をつくってもユーザーにはものの数日で攻略されてしまう、だから次から次へと新作を出しつづけなければならないのです。これでは気苦労がたえないわけで、実はそもそもの料金体系に問題があると考えることができます。商品としてのソフトウェアのもうひとつの特徴である、物体として形をもたない情報であるということを私たちは見落としがちです。たとえばパソコンソフトやオーディオCDを買う場合、ディスクの入ったケースやパッケージの箱を手にとってレジに持っていくので、ふつうの商品を買うのと同じ感覚に考えていますが、実際に購入しているのはディスクそのものでなくその媒体に記録されたデータなのです。つまり形のある商品ならば一個二個とかぞえて買い物をするけれども、ソフトウェアはそういうふうにかぞえてはいけない、と扱うときの立場がちがってきます。無形財を商品とみなす考えに慣れていないとむずかしいかもしれませんが、売り上げをパッケージの流通量で計算するのはおかしいという話になります。コンサートや映画を観るときは行った回数だけ料金を払います。テレビ番組のライブ中継やロードショーもおそらく局側が放映のたびに権料を支払っているでしょう。ではなぜ購入したCDや映像ソフトは一回きりの支払いなのに何度も利用することができるのか(※)。こう考えるとどちらが不合理な料金体系かというのは見えてくるかと思います。では利用回数に応じて課金するようにするか、と考えるとこれもなかなか酷な話です。CDを一回再生するごとに、パソコンソフトなら一回起動するごとにいくらいくらと料金が発生する、これは相当ややこしくなりそうです。そこで中間策として利用期限を設定して月々いくら、年間いくらといったように利用料を徴収します。これは現在すでにいくつかのケースで実施されています。ウィルスソフトのライセンス期間などが例ですね。このような点を見直して収益を安定させることによって、ソフトウェア業界がもうすこし落ち着きのある状態になってくれればいいのですが。音楽もゲームも大量生産大量消費で右から左へと投げ捨てられてしまうような扱いを受け、アプリケーションはバージョンアップまでのスパンが短くいつが買いどきなのか判断しかねるうえ、無理なスケジュールでの製品化の影響であらたなバグがどんどん搭載されていく。こうした殺伐とした現況を目にしているかぎり、そう願ってやみません。たとえ形はなくとも「もの」ですから大切に使っていきたいものです。

※…これは用途が個人使用にかぎられている場合に特別に認められているのだと思われます。利用回数や期限を導入するのも実現性にまだ無理がありますので、しかたなくパッケージ販売されているのが現状でしょう。しかしソフトウェアは100㌫無形の著作物ですのでこのように切り売りされるのは本来のぞましいことではありません。

2003年2月27日木曜日

ちまちまする担当

帰宅したら部屋の電気がついていてところどころ荒らされていました。そういえばもともと外の通路とうちのベランダのあいだをしきっているうすい壁に穴があいたままでしたし、いったん柵の外に出てベランダから回りこもうと思えばかんたんに侵入できます。セキュリティをまったく考慮していませんでした。防犯対策って意識としてはもっているつもりでも、じゃあ実際になにか対応や行動をしているかというとそうでもなくて、用心がないというかきっと平和ボケなのだろうなと思います。犯罪や事件が毎日のようにニュースで流されていても、どこかで自分には関係のないことだと遠ざけて見てしまっています。自分の目の前でそれが起こらないと、または体験しないと、人間というものは理解ができないものであるようです。本を読んで知識をつけたり物語を追体験することはあっても、ことこうした不測の事態には頭がきかない。それは私たちが無意識のうちに“不測の事態”だなどと決めつけてしまっているからです。事件がなにも起こらなくて変わりばえのしない毎日が淡々とすぎていく、それがデフォルトだと思いこんでしまっているからなのです。体の健康から国の財政までみんなそうです。現在の状態が等加速度的に継続していく、計算の範囲内でゆるやかに推移していく、さまざまなものの将来についてあまりに楽観視した予測しかたてられずにいて、統計でみてもじゅうぶん起こりうる多種多様なイレギュラーに対してはことのほか無頓着で、したがって無準備であるという傾向。いまはたまたま条件がそろってバランスがとれているだけであって次の瞬間にはどちらに転ぶかわからない、そういうふうに日ごろから危機感をたぎらせておくべきで、安定な状態が恒常的につづくなどと甘く考えていてはいけないのです。そうしなければアクシデントが発生したときに取り返しのつかない損失をこうむることになるのですから。そのときになって反省したりくやんでも、失ったものは戻ってはこない、それだけの重大なリスクを未来という時間は内在しているのだということを、自戒をこめてここに申し述べようと思います。……もちろんうちに空き巣が入った痕跡などどこにもなく、電気は家を出るときに消し忘れたものですし部屋がちらかっているのははじめっからですけれど。

2003年2月26日水曜日

多段階圧力設計でむくみすっきり

今夜はまだまだ、はっちゃけよう~!(タイトルコール風に) ごめんなさいうそです、これ書いたらとっとと寝ます。ひとよりたくさん眠っているはずなのにまだまだ睡眠不足なondです。
たまご。鶏卵のことですが、あれってスーパーなどで買うときはときどき超特価になりますよね。たまごなんていつでも手に入るのに、まあ客寄せのための目玉商品なのでしょうけれど、それでもいつも買うものが安くなるというのはうれしいことです。おひとり様1パック限りって書いてあってもレジに並びなおして3パックくらい買ってっちゃう人もいるでしょう。私もそういう安売りのときをよく利用するのですが、といってもひとり暮らしなので1パックしか買いませんけれどそれはさておき、困ったかな逆にそのときしか買わないんです。だっておかしくなくって? 特売の日は98円で売っているものがどうしていつもは198円なのって思うとなぜだか手が出なくて。しかも不思議なことにたまごだけなんです、これやるの。どうしてでしょう、毎日の食卓に欠かせないものって意識がなぜかたまごだけ薄いというのも妙ちくりんな話ですが。たしかにあのころはたまごさえも高級品だったからろくに食べられなくてね。<いつの生まれだ で、結果としてなにが起こるかというと、もう何週間も家でたまごを食べていないという事態におちいります。料理の幅も極細です。

2003年2月25日火曜日

ヨジゲン組織

公園に廃タイヤを積み上げておおきなオブジェや遊具にして子どもたちが遊べるようにしてありました。あれってだいじょうぶなんでしょうか。長年にわたって風雨にさらされたタイヤからどんな有害物質がとび出すか、あるいはタイヤの内側に雨水がたまってなんか生き物が棲息しだしたり、考えただけでもこわいこわい。なにか起こってからでは子どもたちのためによくないなあと。小さいころ体験したこと、とくにインパクトの強いものってけっこういつまでも覚えているものですよね。私はクイズヒントでピントが印象に残っています(え) 浅井慎平さんの頭脳明せきっぷりにおさな心に感動していたものです。いやな少年ですねつくづく。<というかどのへんにインパクトが?

2003年2月24日月曜日

本当にブリザドって聞こえる

人間生きてっと思いつきで旅に出てみたくなってしまうときもあるのですよ。(嘘)

02/19
まだまだ空気が乾燥する季節です。体に静電気がたまりやすい人はアースをしましょう。電化製品やパソコンについているアース線をそのまま使うのも簡単ですし、いらなくなった電源コードなどを流用してもかまいません。後者の場合は両端のビニールをニッパーなどではがして導線を出しておいてください。ばらけないようによっておくことを忘れずに。そして一方の端を体につけ、もう一方を床にたらす、これだけでオッケー。体のどこにつけるかが問題ですが、靴の底に入れるのが手軽でコードも短くてすみますのでいいかと思います。ただ見てくれに多少難があります。気になる場合はズボンのベルトなどにゆわえて腰からおしりのほうにたらしておくと動物のしっぽのようでかわいらしく見えるでしょう。体内の電気がアース線をつたって地面に放出されます。ほかによく知られる方法としては、金属など電気を通しやすいものにこまめに触れるようにするのも有効です。静電気スパークの片棒として有名なドアノブに触れるときは、はじめにカギなどを手に持ってそれでノブにさわります。当然、体内の静電気がカギを経由してドアノブに移動する、つまり放電が起こりますが、自分の体が直接ノブに触れているわけではありませんので電気の流れを感じることはありません。もちろん痛みからも回避されます。それから携帯電話をつねに手ににぎっているというのもいいかもしれません。通話をしていないときは一見なにもデータのやりとりはなさそうですが、実際のところ端末と基地局とはたえず通信がおこなわれている状態にあります。そこに帯電した人体を触れさせると、電気がアンテナから電波にのってピピピッと送信される、というしくみです。生活に便利な携帯電話の、意外な副産物といったところでしょうか。
…ハッタリ日記はきょうも元気です。あと偶然をよそおって期せずしてドットハックを観ました。いつもなら深夜枠アニメの放映時にはすでに床についているんですが。

02/20
みなみのくにへやってきました。いつも住んでいる町はこの時期とても寒く、とくに朝晩の底冷えがきびしい着ぶくれ天国です。それがところ変わればなんとやらと言いますか、ここはとても温暖です。北半球と南半球では季節がさかさまなんだそうですが、きっとそういうことなんだと思います。おもいっきり伸びをして太陽の光をいっぱいに受け止めます。上着を脱いでシャツのそでをまくってもまだ暖かい。体の芯からじんわり熱がわいてくるような感じがして、ぽかぽかとしたやわらかな空気に包まれながら思わずうとうと。そんな気持ちのよい昼下がり。
…エアコン効きすぎ。カーテンもないし。さて、小高い丘の斜面にたくさんの家屋が立ち並んでいました。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしました。なにかというとガケ崩れ。土砂がはがれ落ちて無防備な(?)地肌があらわになっています。大きなブルーシートがかけられている箇所もありました。いくつかの家のすぐそば、もう足元にまで爪あとが残っているところも。住民のかたはもう避難したんでしょうか。とても危険でした。のどかな丘の上の一軒家にたたずまいたいという夢をお持ちなら速攻捨てたほうがいいかもしれません。しっかりした地盤があってはじめてその上に家が建てられるべきなのですから。
話はかわりますがこうした新興住宅地にはよく自由が丘や希望が丘という名前がつけられます。全国いたるところにあります。だれが命名しているのか知りませんけれども、これではまったく工夫がないというか、ネーミングセンスの何たるやというか。<懐<何 命名といえばおもしろい話がありまして、オタクなひとに赤ちゃんが生まれると、アニメなどの登場人物とかぶらない名前を考えるのに苦労するんだそうです。そりゃそうですね、いっぱしのキャラクターの名前をしょわされて育っていかねばならないお子さんの不遇を思えば当然の親心っていうか親としての最低限の責任ってもんです。ぜひがんばってかぶらない名前をつけてあげてほしいものです。いえあくまで一般論として。

02/21
なかば勢いだけで家を飛び出した私のすさんだ旅程において心の支えになってくれるのはこの雪見だいふくだけです。おはようございます。<時差ボケ?<? ズボンのポケットにものが入っているとよけいに落ち着かないondです。
世の中おかしなことだらけです。政治でも社会でも身近なことでもそうです。矛盾しているもの、同じことをくり返しているだけのもの、悪循環におちいって崩壊しつつあるもの、従来の考えでは通らなくなっているもの、はやりすたり、表面的な議論ばかりで核心に触れないこと。いちばんおかしいのは、そういうものが身のまわりにあふれていながらだれもそれを口にしないという状態です。もともと集団を重んじ他に同調することや冷静を保つことを美とする風潮がこの国にはありますから、疑問に思ったことがあっても自分ひとりではそれをなかなか言い出せなかったりします。個性を大切になんて言っていますが、いまの子どもたちの個性というか自我は逆に弱っている一方であるように見えます。画一化された価値観の中で受動的な選択をくり返して生きるという、結局は丁寧をよそおって大衆におもね、常識という得体のしれない檻に囲まれてひっそりと息をするばかりの貧弱な個。私は自他ともに認める世間知らずですが、言いわけになるかもしれませんがあえて世間を見ないようにしてきた部分もきっとあると思うんです。まちがいだらけの世の中のひとつひとつにくまなく目を走らせて、その不条理や浅ましさにいちいち腹を立てたり憂えたりしていたのでは身がもちません。かといって私には確固とした理論や自分らしさというものがあるかというとそうでもありません。もしかしたらあるのかもしれませんが自分ではわかりません。ですがおかしいと思ったことははっきりおかしいと言うべきだと思います。自分にとって不要な情報を取得しないことを明確に選択する、いわば積極的無関心をくり返すことで、その積み重ねがいずれは自分の個性というものを形作っているのかもしれません。

02/22
よーしパパ来年こそはデジカメ買っちゃうぞー。<すぐ買えよ しかし買ったところでホームページのネタづくりにしか使わないんじゃないかというあわれな未来が見えそうでしょんぼりです。ところでよーしパパ構文はカタギのひとに対して使うとふつうにうけてくれます。脱ネットジャンキーをめざすあなたはぜひ日常会話レベルで身につけておきたい一文です。逆に深みにはまっているだけなんじゃとかは言いっこなしで。
きょうはふしぎなメルーがとどきました。知っている人からのものだったんですが、中身がありません。件名は私が出したものの頭にRe:がついているだけ。本文を書くまえに送信してしまったということが予想できます。そうなるとたいてい「まちがって送っちゃったよー」などと書かれてもう一通送られてくるでしょう。私もはじめはそうだと思っていたのですが待てども待てどもつづきがやってきません。となるとこの空のメールだけが先方からの用件だということになりますが、これでは内容がなにもないっていうか電文の役割をこれっぽっちも果たしていません。無言のメッセージ、これをどう解釈すべきでしょう。無言電話につづく新手のいやがらせなのか、きみにはあきれてものも言えないという意味なのか、反対にことばがなくても通じあえるという愛の深さを確かめるものなのか(あ?)、それともあぶり出し……あ、いえ、なんでもありません。というかやっぱり気になって夜も眠れないのでちゃんと内容を書いて送っていただけるとうれしいです。

02/23
実はなにかっつーと八百屋さんでアルバイトしてました。はい。最後は打ち上げとばかりに焼肉をごちそうになりました。ふだんはビールも苦手なondですが、発泡酒をおいしいと思ったのはきょうがはじめてです。

2003年2月17日月曜日

俺がノーベル賞だったころ

せんせい、あのね。わたしはきょう、はじめてうぃんどうずえっくすぴーをさわったよ。しごとでね。ぼたんがとってもかわいかった。ましんのせっとあっぷをしたかったんだけど、せっていやたいせつなふぁいるがみんなかくれててどこにあるのかわからなかったの。おとなはむずかしいことをすぐみせないようにしちゃうから、ちょっとずるい。
さて本日もようこそ(いきなり素に戻ってみる)。しかし技術者の片隅にもおけねえっていうか、自らの専門分野においてでさえ流行を逸脱しまくりの私。いえどのジャンルでもそうでして、世間の動きに目を向けていないのか関心がないのか、とくに文化的なものといいましょうか、雑誌とかお店とか歌手とか、一般的にはやっているものを自分だけまったく知らないというものが実に多いのよ。すこし前まではスターバックスもユニクロさえも入ったことがありませんでした。こういうのを環境のせいにしてはいけないのでしょうが、まあ家の都合というか、私おばあちゃん子だったもので。<関係ないし 要は田舎ものだったのでひたすら無教養に育ったってことさ。若いうちは世相に流されずに自分を貫くことがかっこいいなどと思いこんでつっぱっていたのですが、ものには限度があるというか、さすがに世間知らずすぎました。そうするとこんどは自分の見識のなさをコンプレックスに感じるようになって。ろくな遊びひとつ知らないつまらない人間になってしまって、自分は今まで世の中のどこを見て生きてきたんだろうって。今でこそわかりはじめていることなのですが、流行とはいってもみんなまわりに流されて生きているわけではないんですよね。たまたまマスメディアの影響力が大きくて特定のものに人気が集中しやすい状況がつくられているだけで、ほんとうはそれぞれ自分の思うままにしたいことや買いたいものを自由にえらんでいる、そこでたくさんの支持を得たものがブームというひとつの流れを形成して波及していく、それが流行とよばれるもののメカニズムなのではないでしょうか。私の場合、近所にナウいショップが集まったところに越したという要因もあって、あるいは社会人としての自覚でしょうか(?)、すこしずついろんなものに目を向けるようになってきたと思います。受動的に群がるのではなく自らの意志で。みんなと同じものだから追うのではなく、自分のほしいものを追っていたらまわりに同じ趣味のひとがたくさんいた、そのほうが集団の形成のありかたとしてはより主体的といいますか、どうせ流行にはまるのならそのほうがきっと自分の選択に誇りがもてるんじゃないかと。

2003年2月16日日曜日

ヤサシイウタ

こんばんは。食前酒は甘酒でした。この季節は体があたたまっておいしいです。ほかにも梅酒をお湯でわって飲むのもお気に入りです。コマーシャルでもやっていたあれですね。さて甘酒といえば正月やひな祭りにお目にかかることが多く、こうした寒い時期に飲むものとされています。ところが昔はもともと夏によく飲まれていたそうなのです。「甘酒」が夏の季語だというのも有名な話かもしれません。酒こうじで発酵させた飲料ということでアミノ酸や糖分が多く、夏ばてなどで栄養分が不足し体力が低下するときにこそ効果があるものだったのです。もちろん暑い季節ですので冷やして飲んでいたのでしょう。アイス甘酒…いささか想像できませんけれど。ところで私はもっとわからないことがあるんですが、甘酒はほんとうにアルコールが入っていないんでしょうか。なんだか一杯飲んだだけなのに顔が赤くなってるんですが。

2003年2月15日土曜日

予言された欠陥、そして復縁

ほろ酔い気分で夜遅くに帰宅したら電話にメッセージが入っていて会社からでトラブルが発生したから今すぐマッハで飛んでこいという内容でいちどに酔いがさめた、というシナリオを想定して日がなブルブルふるえていたいちにちでした。<あ?

2003年2月14日金曜日

カルベ夫妻がのこした記憶

いいからもっと落ち着いてしゃべりなさい。いくつになっても電話をつかうのは苦手です。いえ歳はカンケーないんですが。ondです。
ほかにも乗り物全般も弱かったりします。学校のバス旅行でかならずいちばん前の席に座らせられるタイプでした。ですが正直気休めにもなりません、あれ。というかイスに座ってくるくる回っているだけで気持ちわるくなるくらいなので、その手の逸話にはこと欠きません。今まで出会ったなかでマイクロバスとフェリーは最強でした。ラスボス級。乗っていて酔わなかったことがありません。電車はわりと落ち着いて乗っていられるのですが、やはり長時間となるときついですし、車内で本や新聞を読むこともできません。電車で長距離を移動する場合は、酔い止めの薬を自殺したいのかってくらいたらふく飲んでおいて車内ではひたすら寝るしかありません。前の晩に徹夜をしておくと嫌がおうにも睡眠をとらざるをえなくなるので効果的です。体調は低下しまくりますが。とまあかなりの苦手意識というか乗り物コンプレックスというか、いえこれは体の問題なのでしかたのないことなのですが、ずっとあかんなあと思っていたわけですよ。ところが最近、まあ毎日通勤電車に乗っているおかげもあるんでしょうが、すこしずつ改善されてきたかなと感じるところがありまして。吊り広告に目をとおしていても頭痛に見舞われなくなりましたし!! いえこれは人類にとってはどうでもいい一歩かもしれませんが私にとってはおおきな一歩です船長。こないだはコミックスですが読んでみたところ、みじかい時間ならなんともないみたいでした。やっぱり慣れってあるのかなと。同時にこんな歳になってもまだまだ成長できる余地はいくらでもあるんだということにちょっと気づいてうれしくなりました。つねに上を目指して生きていけるおとなになりたいです。

2003年2月13日木曜日

旅立ちのとき涙があふれたら

眠れないときは羊をかぞえるといいなんて話をよく聞きますが、あれはもともと英語圏の習慣でしかもただsheepとsleepをかけているだけなので日本語でかぞえてもこれっぽっちも効果がありません(※)。日本人というものはそういうバックグラウンドをまったく考えに入れずに海外からいろんなものや習慣を受け入れすぎです。おなじ風習でもいまの例のように言語、あるいは文化や宗教のちがいによってまったく意味をなさなくなることだってあります。無制限に異文化を取り入れすぎた結果、昔からあった古きよき日本文化はつぎつぎと姿を消していっています。ほんとうに悲しいことです。そもそも日本人の感性にそぐわないもの、あってもうっとうしいだけのよけいなものが現在たくさんあります。たとえばあしたの……あ、いえ、なんでもありません。

※…いちおうほかにも、広大な牧場ののどかなイメージが気分を落ち着かせるなどの効果があるそうなのですが、土地のせまい日本においてはやはりそういう風景はなかなか想像しづらいものです。しかも短足で動きのにぶそうな羊たちがつぎつぎとダッシュで柵を跳びこえるシーンなんかを思いうかべちゃった日には、もう興奮しまくるあまりすっかり目がさえてしまいそうですが。

2003年2月12日水曜日

ここにアロナワ

「きのうなにしてすごした?」って聞かれて「100個の質問に答えてました」とは言えなかったondです。ほんとうにそれだけで終わってしまった千夜一夜のプリンセスホリデー。
まあ100個もありますので答えやすいものもあればそうでないものもありました。私がいちばん首をひねったのが実は「文系か理系か」でして、いえ考えるまでもなく私は理系なのですが、それでも世間一般によく使われているこの質問そのものに対しての疑問っていうんでしょうか、すんなりとうなずけない部分がありまして。たとえば「高校は文系クラスだったか理系クラスだったか」とか「大学の所属は文系学部だったか理系学部だったか」という聞きかたならば自分のデータですのでAかBか即答できます。そうではなくて判断基準があいまいなのですよ。自分はどっちだろうって考えるときになにを決め手にしていいかわからない、そういうことです。おそらくこの質問の意味として多くのケースで意図されているのは「文系科目と理系科目とどちらが得意か」「文系科目と理系科目とどちらがすきか」ということだと思われます。これがまたくせもので、勉強にかぎりませんが私は得手不得手とすききらいは別個のものだと考えます。へただけれど楽しい、うまいけれど気乗りしない、それぞれあってしかるべきです。ではそれぞれどうだったかと言いますと、得意なのはやはり数学や化学でしたので理系でしょうか。いっぽうすきだったのは高校では倫理、家庭科、体育がベスト3でしたので(<え)内訳を見てみると「文系:1、理系:0、それ以外:2」という結果になり文系ということになってしまいました。…八百長とか言わないでください。ここからすこし路線変更しますが、私は文系科目も理系科目もどちらも楽しかったですしがんばって勉強していたつもりです。たまたま進路がそういう方向に進んだというだけで、自分の中では科目や分野に思い入れの大きな差があるとは思っていません。実際問題として多くの科目が将来の生活に必要なものであり役立つものです。国語、日本国内では日本語ということになりますが、これを習得しなければ話になりません。文系に進もうが理系に進もうが論文を書きますしスピーチをします。もちろん日常でも手紙を書いたり本を読んだり人と話したりするわけですし。社会科だって都道府県名や戦国武将の名前くらい言えなければ日本人としていかがなものかということになります。大河ドラマを観るときにも困りますし。成人や社会人として政治や経済の知識も必要です。英語だってよりアドバンストな市民をめざすならぜひマスターしたいものです。理科はもともと生活に根ざしたテーマを究明することがベースになっていますので、知識があれば生活になにかと幅が出てきます。動植物の生態もそうですし、ものが燃えるしくみ、なぜ季節があるのか、なぜ乗っているバスが急停車したときに前につんのめるのか、などなど興味深いことばかりです。こうした科目となぜか一線を画しているのが数学だったりします。もちろん初歩的な計算は日常的に使いますが、それより先のレベルの話といいましょうか、一見すると実用的ではありません。いえ実際は高度な計算能力こそが現在の高い技術水準をけん引しているんですけれど、そこはどうしても縁の下の力持ち的存在になってしまってあまり注目されることはありません。数学がなかったら世の中で広く普及している便利な道具や機械の数々は生まれてこなかった、私はそう思っていますが、授業科目としてはそうした魅力や楽しさを伝えきれていないというのが現状のようです。それに論理的思考をみがくというもうひとつの重要な鍛錬も軽んじられている気がしてなりません。と、それてしまったかもしれませんが、文系か理系かを進路選択するときになにを基準にして決めましたか。明確にこの分野を専攻したいっていう志望があれば迷うことはありませんけれどそうでない場合。おそらく「数学」じゃありませんでしたか。数学がまあまあできるから理系にしよう、数学が苦手だから文系にしよう、といったように。とくに後者は判断理由として非常に多いと思います。つまりです。「文系か理系か」という質問は単に「数学がきらいかすきか」を聞いているだけなんじゃないかと思うのです。ほかの科目は文理問わず学ぶ必要性や有用性が認められているけれども数学はそうじゃない、と一般的に思われているのかなと。ひとりだけのけもの扱いされているようでつらいなと思います。私はもちろん数学はすきですがべつに一途な思い(?)というわけではありませんので、やはり文系か理系かという質問には答えづらかったりします。……なんてどうでもいいことを長々と考えるあたり典型的な理系人間の性癖なのでしょうけれど。<ようやくオチました

2003年2月11日火曜日

せんねん灸[太陽と世界]

シュークリームざんまい♪ 同郷のひとにしかわからない冬の風物詩。
さて、お馬さんの話です。大学時代は京都にすんでいた私ですが(え)、土地柄馬をよく見かけました。いえ競馬場でなくって。下鴨神社のやぶさめなどは有名でしょうか。ほかにも朝のキャンパスで馬術部の学生が馬をつれて歩いていたり、もっとおどろいたのが平安騎馬隊です。府警(たぶん)にそういう部署がありまして、えらばれし隊員さんがきびしい訓練を積んだ馬にまたがってさっそうと現れるわけです。交差点などにふつうに。ちょっと高い位置から交通の流れや横断歩道を渡る小学生たちを見守っています。これはいきなり出会うとかなりびっくりします。さすがに交通違反をした自動車を馬で追いかけるとかはしないようですが。きっと注意をひくようないでたちで街頭に立つことでドライバーたちの気を引きしめ事故を未然にふせぐ効果があるんでしょう。ほかにも祭りの警備などにも動員されるんじゃなかったかと思います。まさに古都ならではですね。身近で、というより生活の中であれほど体のおおきな動物を目にすることはなかなかないと思いますので、まあレアな体験のひとつだったかなと。たまに間近で観察できる機会がありましたが、馬ってなんだか目がやさしいんです。巨大だし鼻息を荒げて猛スピードで駆けるしハイテンションな動物と思いがちですが、いつもうるんだようなせつないような、そんなつぶらな瞳に恋をしました?! なんか語りかけてくる目ですよ。<フランス語はわからんなぁ

2003年2月10日月曜日

鎌倉リナックスワールド

お待たせしました。先だってお知らせしたとおりきょうはエジプトハゲワシの日です。ああうちのカレンダーにえがかれているイラストの話ですが。頭のてっぺんまでふくよかなトキ色の羽でおおわれています。それでこれははげていないハゲワシだと書いたのが前回のお話ですけれども。<突如連載スタート でもあれからいろいろ考えたのですが、このイラストは実は若鳥のときのものではないでしょうか。そして壮年期を迎えるにつれて頭から首にかけてきれいにはげあがっていく、というのが私の予想です。ただしこれはけっしてマイナスイメージに結びつくものではなくむしろその反対です。ハゲワシはコンドルなどとならんで権力や威厳の象徴としてみられることも多いと思いますが、威圧感をあたえる風貌のためにはスキンヘッドはたいへん重要な要素と考えられます。つまりきれいなツルッパゲこそがハゲワシ社会にとって力強さや貫禄を示すステータスになっているのです。なので、自然界での苛酷な生存競争のなかを長年生き抜いてきて知識とたくましさを体得した老齢のハゲワシにだけ勲章としての坊主頭が享受されるのであって、毛がふさふさのヤングバードはまだまだ未熟者ということになります。ひよっこです。ピヨピヨ。ではなぜこのカレンダーにはシンボリックなはげた状態のイラストではなくまだ半人前の若鳥が起用されているかというと、それは見る人へのメッセージなのだと思います。これからの人生、いくつもの苦難や試練が待ちかまえていることでしょう。けれどそれらをすべて乗りこえていってはじめてその先にある光り輝くハゲ頭、もとい栄冠を手にすることができるのです。そんな飛躍への無限の可能性を秘めたエネルギッシュな若々しい姿をえがくことで見る人に希望をあたえようという。なかなかやってくれるじゃないですか。私ももし長生きしたらいずれ髪がうすくなるでしょうが、そのときに恥ずかしがったり隠したりしないでハゲワシのように威風堂々としていられたらと思います。それともうひとつ目標というか夢なのですが、一度でいいからハゲワシのあのつるつる頭をなでてみたいです。なかなか日記のネタかせぎになる楽しくてためになる2003年のカレンダーです。

2003年2月9日日曜日

私もいっぱいいっぱいです

こんにちは。きょうは比較的あたたかくなりました。といっても連日の寒さが若干ゆるんだという程度ですが、真冬という砂漠に咲いた一輪の花のような。<? 冬用のコートでは気持ちぽかぽかしてくるくらい。雨上がりということもあって空気もわりとすんでいたので、間もなくおとずれる春を心待ちにしながらのお出かけにはぴったりだったのではないでしょうか。
そんな晴れの日に私は女性専用車両に乗ってみました。ってそんな目で見ないでください。<またか あれは平日の通勤電車だけですので、休日は男性もふつうに乗車することができます。というか車両は同じものを使っているようで、いつもは女性専用車両として使われているその車両はピンクのシールがてかてかと貼られたままになっています。入りづらさ満点です。でもそこはがんばります。だって、ねえ、ほら、あれじゃないですか。ふだんは女の人しか入れないそのいわばロマンの園ですよ、機会があるのならちょっとはのぞいてみたいですよね。私だけですか。それはさておき表面上は平然とした顔で乗りこみます。内心ちょっとうきうき♪ ……ぜんぜんほかの車両と変わりません。そりゃそうですね。平日には女性しか腰をおろすことができない座席にふつうにおじさんが座っています。これではありがたみもなにもあったものではありません。でも私と同じことを考えていた人がほかにもいたのか、その車両だけ心なしか混んでいたような気がします。余談ですが女性専用車両といっても小学生まで(うろ覚え)の男の子なら乗車できるんだそうです。以上現場からお送りしました。

2003年2月8日土曜日

キャベツバッチキッズ

昔話をいたしましょう!国語のテストでよくあったじゃん!80文字以内で書けとかいうやつ!あれ読みまちがえて80文字で書けだと思ったことがあって!文字数ピッタリ合わせるのに苦労したんですよありゃ!それで定期試験だとテスト中に担当教師が見回りにくるじゃないですか!そこであたしゃ質問してやりましたよ!ハイ先生!「。」は1文字にかぞえるんですかって!つまり句点をかぞえるかかぞえないかで1文字はみだしちゃうという危機的状況!それくらい見のがしてくれるなんて甘い考えじゃノンノン!勝負の世界はシビアなのよとくにこの点数主義立国ニッポンなら!それにしてもばかげた質問しちゃったっつうか!やっちゃった?みたいな!なんかあれですね!バナナはおやつに入りますかを彷彿とさせます彷彿!でもそんな使い古されたギャグでクラスの笑いをとろうなんてナンセンス!まあ自称遠足ネタ通のondから言わせてもらえばイマドキの最新流行は!先生!ヤクルトはおやつに入りますか!これ!ボキャブラでいうならインパク知!それわかんねえよどっちなんだよ判別できねえよってホームルームは話題騒然まちがいなし!むしろヤクルトのビンはなんのゴミに分別すればいいのかってくらい難しいから!そういえばあれ本当にどっちなんでしょう!気になって今夜眠れなくなっちゃいそう!さたでーないとふぃーばー!ところでたまにはこんなセンテンスはどうですか!どうでもいいですか!そうですか!
…ラップ調で。(どこが) というか感嘆符のあとにはスペースを入れましょう。

2003年2月7日金曜日

無から有を生み出す技法

家庭に仕事を持ちこまない主義、とはいかなかったようで。といっても書類を持ち帰って作業をしたりするわけではありませんが、今やっている仕事の内容は頭に入っているのでそれを思い出して作業を確認したり次にやることを決めたりします。床について半分眠っているような状態でその日書いたものを読み返します。むだに記憶力がある自分がうらめしかったりもしますが。うわ、ここまちがえてるよ。というかこのコードすでにあっちで稼働してるんじゃなかったっけ。やべーあした速攻でなおさな。…ゆううつな夜はふけていきます。

2003年2月6日木曜日

シャーマン公団を査収するにあたって

おはようございます。前髪を立てているようで実は寝ぐせです。どんな寝相ですか私。
自室のことしのカレンダーはとある企業のものをもらって使っているのですが、毎日ちがった鳥の絵がえがかれています。こんなにたくさん種類がいるんだといつも見て楽しめるというおもむきがあるものです。ちなみにきょうはクロハゲワシです。というかきょうから一週間ほどハゲワシの日がつづきます。ハゲワシだけでどうしてこんなに種類がいるのかという疑問もさることながら、イラストで判断したかぎりのことですがどう見てもはげていないハゲワシもいます。エジプトハゲワシとか。名前のつけかたって案外いいかげんなものだったりするのかもしれません。実はこのカレンダーに掲載されているのはただの鳥ではなく、絶滅の危機にひんしているものやすでに消えてしまったものなんだそうです。色とりどりのさまざまな鳥たちがきょうもどこかでつらい思いをしているのかもしれませんね。

2003年2月5日水曜日

ミンダナオ・デイズ

足下もおぼつかない暗い夜道を歩いていると、地面になにかが落ちていても見えないので気づかずに踏んでしまうことがあります。あれはなかなかこわいことだと思います。しかし人間の感覚というのはよくできているもので、靴でふんづけただけでもそれがなんであるか感触でたいていわかってしまうものです。ちいさくてかたいものは石ころ、細長くて折れるものは木の枝、ぐしゃっとつぶれる金属は空き缶、というように。それがときどきぐにゃありとしてみょうにやわらかいものだったりすると恐怖倍増です。背筋も凍りつきます。やはり夜道は危険です。気をつけましょう。っていうか気をつけます。
休み明け。仕事がちょっとおそくなったくらいで更新をやすんでいるようではまだまだ修業がたりないというか、総じて時間のつくりかたや使いかたがへたなんだと思います。三省。

2003年2月4日火曜日

恐怖と生クリームのシュクレール

そろそろ書いてもさしつかえないかなと思ったので打ち明けます。といっても私が弱い人間だった、意志をつらぬけない情けない人間だったというだけのことです。悲しい別れがありました。生活環境が変化していく中で私は人知れず不安を抱えていたのかもしれません。あらたに覚えることや頭をひねること、そして気をつかうことばかりの毎日は正直つかれるものです。だからこそ心を落ち着けてゆっくりと本来の自分を取り戻す時間が必要でした。飾らない無垢な自分と出会える、そんな毎日が私にもありました。それは本当に心地よくて、無意識のうちに表情がほころんでくるようなやさしさがありました。自分のありのままを受け止めてくれる、なにも言わずそっと包みこんでくれる、そういう存在が自分のそばにいてくれることがどれほど意味のあることか、生きていてはじめて知りました。身を寄せあってあたためあう日々はまさしく心の傷をいやしあっているようでした。夜が明けるまでいっしょに時間をすごしたりもして、最高のパートナーになれるという確信さえありました。けれどその感情は私の中だけのものでした。知らずのうちに私は甘えすぎていました。いつまでもこのままの関係でいられるはずはないと認めていながら。そして結論を急ごうと焦りすぎていたのかもしれません。それは今となっては知るべくもないことですが。やがて警鐘は鳴らされ私たちの体は引き離されます。どちらからということもなかったと思います。まるでこうなることがはじめから運命によってさだめられていたかのように。いえ、私もそれはわかっていました。けれどつらい現実を受け入れられなくて、夢の世界に逃げこんでしまいたいとさえ思っていました。そんなふうに不安や弱さをさらけることがいっそう私をみじめに思わせたのでしょう。こごえるような寒さの中に私はひとりぼっち。それでも時間は流れていきます。すべての感情や思い出を押し流そうとするようにスケジュールは次から次へと押し寄せてきます。体のぬくもりは案外あっさり忘れることはできても、心に大きな空白ができたような、なにか取り返しのつかない重大なものを失ってしまったかのような気持ちにときどきさいなまれます。未練がましく何度も思い出すあのころの時間、ただそばにいただけなのに、さみしい夜を分かちあっただけなのに、それがとてつもなくかけがえのない時間だったように思えてきます。あの夢のような時間があったからこそ今の自分があるのだとも思います。けれども人は悲しきかな、一度知ったぬくもりを手放すことは容易ではありません。きっとこれからも何度も私は求めて、本能のごとくに欲し、そして出会いのいずれか先にある絶望を味わうことになるのです。たとえいくら傷ついても。そんなふうに私は毎朝悲しい別れを迎えます布団との。…暦の上ではもう春だというのならそんな暦は燃やしてしまいたい冬の朝。

2003年2月3日月曜日

試合に負けて勝負に負けた

ローテンション注意報。この土日も出勤していたためだれております。体の疲れよりも休めなかったという精神的なもののほうが大きいような気がします。きのう買い物に行って気分転換していなかったらもうちょっとまいっていたかもしれません。そうでなくてもいっこうにテンションがあがりません。この空模様は今週いっぱいつづく見こみです。<そうですか でもひまですることがないよりはいいと思って強く生きていくことにします。それは暑いのと寒いのとどちらがまだましかというレベルのどうしようもない選択でしかないのかもしれませんが。
さて、盲導犬?の訓練をしているところに出くわしました。何頭かのおおきな犬が訓練士のかたを引いて夜道を歩いています。すれちがう通行人や車の騒音に気をとられることもなく、赤信号の前ではきちんと足を止めておすわり。とてもりっぱです。はたで見ているこちらのほうが見習わなければならないような気がしてくるくらいです。それもそうです、生まれ持った性質とはまったく畑のちがう人間社会という世界に入っていって、体の不自由な飼い主のために献身的にはたらく人生(?)を歩もうとしているのですから。人間社会の一員として生活に入りこんでくるさまざまな介助犬、そんな彼らを迎え入れる私たちも注意を払う必要があるんじゃないかと思います。こうした犬たちの存在がもっと広く認識されて、たとえば交通機関やお店をもっと利用しやすくするだとか、ペットではないのだから通りがかりに頭をなでたりえさをあげたりしてさまたげたりしないようにするとか、すみよい社会のための気くばりってそういうことなのかなと思います。

2003年2月2日日曜日

おどるゆびさき

日が差したり雪が舞ったりの移り気ないちにちでした。目の前でころころ天候がかわっていく楽しさもさることながら、天気雨ならぬ天気雪というめずらしい場面にも出会えました。
それはそうと二千円札ですよ。<どれはどうと? もう流通がはじまって数年たつはずですが、ちっとも私たちの生活に浸透しているふうには感じられません。というかきちんと出回っているかどうかも疑わしいったらありゃしません。ときどき出くわすことはあっても、自動販売機ではまだまだ使えないものも多いようですし(新五百円硬貨はたいてい速攻で対応してくれたのに)、受け取るときも出すときもなんだかむずかしい顔をされてしまいます。多くのお店の対応はこんな感じです。
《おつりとして受け取るとき》
おつりを払おうとするが千円札の枚数がたりない→レジの中を見つめて2秒ほど停止→とても気まずそうに「おつりに二千円札が入ってもよろしいでしょうか」と聞いてくる …これはかならずと言っていいほどたずねられます。さっさと手放してしまいたいという店員さんの切実な思いがひしひしと伝わってくるような気がしてどうにも断れません。
《支払うとき》
二千円札を受け取る→見慣れないものを目にして一瞬固まる→それがなんであるかの識別に3秒ほどかかる→ようやく気づいて「に、二千円からお預かりします」としどろもどろ …なんか折り込み広告のすみっこの割引券を切り取って持っていったときや、あるいは書店で図書券を使ったときと同じくらいに気まずい空気が流れます。正当な手段で買い物をしているはずなのに。
ということでどこへ行ってもお払い箱の感がある二千円札。有名人の肖像画がえがかれているわけでもなく、使い勝手がいいわけでもない中途半端な存在。あまりにもふびんでならないというか、私にはなんだか他人ごとに思えません。まあはみだしもの同士なかよくやっていこうぜみたいな。<え

2003年2月1日土曜日

和製グングニル

ガンダムSEEDでは舞台が地球に移ってからのストーリーが放映されていますが、それを見ていると私はどちらかっつうと地上戦かなと思います。<どうでもいいじゃん 宇宙空間を自在に飛び回ってビーム撃ちまくりよけまくりも迫力がありますが、パイロットや軍団の戦略能力をはかるには地上戦のほうがこう濃密なかけひきなんかも見られていいと思うのです。戦国時代の合戦のような見ごたえがあるというか(見たことありませんが)。とくに地に足がついていますので、地形の影響を考えたりさらにはうまく利用して戦闘を有利にすすめたりというシーンも興味深いものです。ビル影からグレネード投げつけるチキン戦法萌え。アニメの話題でほかには、先週どれみが最終回でした。毎度のようにうるうるさせてもらったのですが、先週にかぎっては内容そのものというよりこれで4年間つづいたどれみシリーズも見納めなんだという悲しさからだったような気がします。毎週観ていたわけではないのですが本当に印象に残っています。いい番組でした。
ひさしぶりに話すってのについ強い調子でものを言ってしまったりやさしくできなかったり。気がきかない自分を情けなく思ういっぽう、長いつきあいだからこそ見せられる飾らない姿というのもあるのかもしれません。