かぶらない名前

2003/01/06

むかしのひび

ネッツ世界は一週間ほど留守にするとすっかり浦島太郎なので困ったものです。
以下、休暇中のひびダイジェスツ。

12/30
ふるさとはすっかり雪化粧していました。駅に降り立ってまず感じるのは、駅ビルが年々ゴージャスになっていくさまです。昔は片田舎の町らしい地味な店舗しか入っていませんでした。数年前に改装されて無印良品や大型スーパーなどが誘致されたのは見ていましたが、さらに服飾のブランドショップに洋菓子店とその発展はとどまるところを知りません。いちばんおどろいたのはPassport。かわいいグッズが豊富なのでお気に入りのショップなのですが、なんだってこんなところにあるんだべさ? 生活が便利になったりゆたかになっていくのはだれもがのぞんでいることでしょうしもちろんいいことだとは思います。しかし地域性とは言い切れないものの、田舎が必要以上に都市化しちゃうのはなんだかもったいない気がするんです。へき地はまわりにしゃれた店や娯楽があまりなくて、だから若者は都会暮らしにあこがれて家を飛び出し、ビル風と世間の冷たさを知ってぬくもりのあるふるさとに帰ってくる、ねえ、それが流れってもんじゃないですか。<そう? 私の知っている町はすこしずつ姿を変えつつありますが、根底に流れるあたたかさはなるべく変わらないでいてほしいと、心のふるさとでありつづけてほしいと願うものです。

12/31
一週間ほど前にトイザらスに行ってやっぱりガンプラは男のロマンだなあとしみじみつぶやく夢を見たのですがそれが正夢になりました。つまりはただ買い物に行っただけなのですが、ガンダムのコーナーは老いも若きもちまたのヤングメンであふれかえっていました(意味不明)。不朽の人気です。どうしてガンダムはこんなに日本男児たちのハートを魅了しつづけるのでしょう。私の年代はガンダム世代というよりむしろ初代ガンダムと同い年なのですが、それでもクラスの男子はみんなガンダムっ子というくらいの流行りものでした。どちらかといえばSDガンダム世代だったんでしょうか、かつてのモビルスーツたちが親しみやすいデフォルメキャラとなってガチャポンやカードダスで登場し、そこからガンダムの何たるやを勉強していくという流れだったように思います。エスカレーター式教育ってやつですね。ちがいますね。ともかく少年たちが大きな夢を託せる国民的ヒーローが時を超えて健在であるというのはすばらしいことです。また、おもちゃ屋はいくつになっても心躍る場所であり、あこがれや理想や笑顔や思い出、そういったたくさんの大切なものがいつでも多くの人を待っているんだと思います。たとえたまには私のような現実を見失った困ったおとなが育っちゃうとしても。

01/01
正月といえば初もうでと言うかたが多いかと思います。私のうちは初もうでには行きません。二年参りには行きます。町内のちいさな神社で近所のみなさん集まって今年もよろしくってなもんですが。そしてちゃっちゃと帰宅してカップそば食って寝る、というのが年越しのしきたり。

01/02
日経が読みたくてしかたありません。ただの新聞ではなく日経です。数日も経済情報から離れていると気が落ち着かなくて禁断症状が出そうです。(何) そのあたりの感覚が中途半端におやじ臭くもといビジネスクラスになってきているように思われます。それはさておき。
うちに置いてあるシュート!を消化しました。またまた新シリーズになってますが、九里浜というひとつのチームを目立たせるためにかつての強豪校が次々とかませ犬にされていくストーリーはいささか納得がいきません。とくに帝光戦は読んでいて悔しさがこみあげてくるほどでした。これは私自身の感情というより、帝光の選手たちがあらわにした侮辱感が伝わってきたからなのかもしれません。昨年の冬(物語中の時間)に掛川と死闘を繰り広げ、この全国大会でも最大のライバルとなるはずだった存在が、ぽっと出とも言えるもうひとつの主役が突如現れたことによりあっさりその座を明け渡してしまう、これは悔やみようのない怒りだったと思います。というか九里浜相手じゃなかったとしても帝光弱すぎます。試合の流れを持っていかれたために自分たちの得意な形を出せなかったと言えばそれまでなのでしょうが、やはりこの扱いのひどさはどうかと思います。
しかし、キャプテン翼2002でも言えることですが、実在の現役選手がそのまま登場人物として出てくるのはいいんでしょうか。ありなんでしょうか。

01/03
スキーの日。ゲレンデに舞い降りた雪ん子としての天性をむき出しにして(?)、でも実に7年ぶりだったりします。ということでちゃんと滑れるかどうか(おもに体力面で)不安だったのですが、ちゃんと体が覚えていました。昔よりだいぶすれてきた(??)のでむしろスピードに関しては今までより出せたんじゃないかと思います。山の斜面から見る風景はやはりすばらしいです。隣りあう山々もふもとの田んぼもみんな銀色で、そうした雄大な景色を正面に見ながら滑り降りていく快感というものはやはり雪国に生まれしものの特権だと感じます。
そんなわけですっかり気をよくした私はボードに挑戦してみました。ブーツの片足にはめておもむろにリフトへ。いきなりかよ。…命からがら下山。スキー歴は長いし自信があるのでどうせ斜面を滑るんだからたいしたちがいはないだろうと高をくくりまくっていたので思いっきり死にました。これぜったいスキーと使っている筋肉ちがうよ、というか無謀すぎた自分をもっと責めるべきだったのですがさすがはこりない私、トライアルアンドエラーといえば聞こえはいいのですが要は転びまくり。しかし人間というもの失敗の連続からなにかを学べるもので、体はずっと正面を向いたまま横ジグザグに移動することでなんとかこけずに滑降できることを発見しました。いわゆるベタ降りです。腰引けまくりです。チキンです。人様への迷惑なんのその。ええもうなんとでも言ってください。かくして教師なし学習にはいささか限界があったものの、私のボード歴には大きな一歩が記されたのでありました。

01/04
地元の中学校へ行ってきました♪←なぜか心なしか浮かれている いわんやマイ母校です。かつての日々を思い出すたびに、ここが自分の原点だったんだなとつくづく思うものであります隊長。娯楽や刺激になるものは現在よりずっと少なかったけれど、そのかわりなんにでも興味を持って真剣に打ちこむことができた、それが自分の中学時代だったと思っています。大きくなるにつれてつまらないことを考えたり、行動することをめんどくさがったりするようになり、あのころの私がなくなってしまうのが怖かったのかもしれません。でも今はそうじゃないことを知っています。思い出は現実から目をそむけるための過去なのではなく、それをばねにほかの場所へ飛躍するための、いわば未来への鍵なのですから。

01/05
朝から年甲斐もなく雪だるまを作りました。作り終えてあたりを見てみると自宅前の雪がすっかりかたづいていて、それでちょっと思い出したことがあります。もちろん子どものときから冬になると雪で遊んでいたものですが、それは100㌫遊びというわけではなかった、という推論です。雪国の人間にとって雪というものはロマンチック要素ゼロです。交通(徒歩含む)をまひさせ生活を阻害する大敵です。積もったらまず雪かきをしなくてはなりません。そうしなければ家から出られないんですから。屋根の雪も落とさないと家屋がつぶれてしまいます。本気です。そうすると道路のわきや家の軒下に集められた雪が高く積み上がります。その小さな雪山を押しかためてそりで滑れる坂道を作ったり、横穴を掘ってかまくらにしたりするわけです。雪だるまも似たようなもので、雪玉を転がすということは積もった雪をひとつにまとめるわけですから、雪をかたづける作業として子どもにやらせるのに適していると言えます。なかなかの重労働ですから体もきたえられますし。ですから、雪を克服するための生活の知恵からいろいろな遊びが派生してきたんじゃないかと考えます。いえいつものこじつけですが。

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