2002年12月30日月曜日

TEAM!

きょうは別行動です。というか今年のうちに書けることは書いておきたいというだけのことです。
集団でどこかに出かけているのに自分だけちがう場所に行ってみたくなることってありませんか。ない? そうですか。私はあります。あれは17の夏でした。同級生たちと受験勉強そっちのけでN市に遊びに行こうという話になりました。その計画に人一倍胸をおどらせた当時の私は思春期まっさかりのお年頃シェークだったわけです。そう、ちょうどいわゆる大きいお友だち向けのアニメに興味を持ちはじめた時期で(あれ?)、そのころN市内にオープンしたばかりのアニメイトにいちど行ってみたかったんです。どうかあのころの私を許してあげてください。<なに言ってんの しかしあのときはまだピチピチの(死語)初級者といいますか、書店に行ってもアニメ情報誌がはずかしくて買えなかったというくらいうぶな少年だったので、もちろんそんな趣味というか心に芽生えはじめたあらたな感情をクラスメイトたちに打ち明けられるはずもなく、しかし田舎のため近所でそうしたグッズやコミックスがそうそう手に入るわけでもなくそのガンダーラがいかなる場所なのかをどうしてもこの目でたしかめてみたい、そんなジレンマを抱えて当日をむかえました。流行のジーパンやスポーツバッグに目を光らせる友人たちとは当時から興味のベクトルが完全にずれていた私は、なんとか言いわけを並べて単独行動タイムを得ることに成功しました。そのときのしどろもどろっぷりはおそらく想像に難くないことでしょう。でまあ向かった先での顛末はここでは述べませんが、あとでみんなに思いっきりあやしまれたことだけはまちがいありません。集団行動にはルールがあります。その枠を踏みこえて自分のやりたいことだけを追おうとすれば相応のリスクがともなう、ということを肝に銘じておかなければなりません。

2002年12月29日日曜日

「行きはよいよい帰りはこわい」って言うしね

ondと思います。きょうはやや下世話な話題ですのでご注意を。
男湯に女がひとり。<カポーーン<何 これはどういう状況なんでしょう。たとえば銭湯の番台さんのことでも、おじいちゃんに連れられて入っている幼児というオチでもなくて。なんかね、脱衣場に入ったらこともなげにいるんですよ。いらっしゃいませみたいな感じで。従業員の人だとは思うのですけれど、ふつう驚きませんか。だって浴場はべつべつに分かれているのが世の常であって、そのうちの男湯というのはいわば男の園じゃないですか、そこに女の人がいるというのはまったく想定外であってリアクションに困りますっていうかむしろリアクションなんか取っている場合じゃありません。というわけで私はちょっと困惑してしまったんですけれど、これは逆のパターンを考えていただければ容易にわかることと存じますが、もし女湯に男が入ってきたらそれはそれはもう黄色い悲鳴(?)ですよね。そしていっせいに石けんやらたらいやらを投げつけて追い出すというお約束のシーンが連想されることでしょう。それが男湯ではといいますと…ことごとく無反応。はずかしがる様子を見せる人もいなければ、それどころかみなさん心なしか胸をはって誇らしげにしているように見えたのは気のせいでしょうか。どうして異性に体を見られるということに対して抵抗感がうすいのでしょうか。これは駅やデパートなどの男子トイレでも見られますが、中に清掃員のおばちゃんがいるのに何食わぬ顔で用をたしちゃったり。その前に入口に清掃中の看板が立っているのに無視して入っちゃだめでしょうとつっこむべきなのですがそれはさておき、男性だってもっとはずかしいという気持ちを持っていたって悪いことはないと思うのですが。肉体にかぎりませんけれど自分をさらすことでステータスを示すことも重要かもしれませんが、自信やプライドといったものとは関係なしに人には見せられない部分があったって、べつにいいですよね。

2002年12月28日土曜日

ひどくなければ意味がない

納まりませんでした。(仕事が)
さて、正月も近いので書きますが、元旦の正時ぴったりに電話やらメールをするのは控えたほうがいいと思うんです。私は通信会社のまわしものではありませんが、社会システムにたずさわる身としては気になるところがあります。実際に昨年も一部の地域で回線がパンクしたと記憶していますし、たかがワンコールといえどちりも積もればなんとやらと言いますか、不測の事態に対応できなくなるといった問題が起こりえます。地震などの災害時にその地域に電話をしてはならないというのは常識だと思いますがそれと同じで、電話回線が埋まってしまうと緊急時などの通話もつながらなくなるので通報が遅れ、被害や状況が悪化してしまうことになりかねません。これは電話だけではないと思います。ごみ、電力消費、違法駐車などなど、自分ひとりだけならたいした影響はない、そう考えてしまうと減らそうとする意識を忘れがちになります。

2002年12月26日木曜日

ロックちょう

いえもう突然のことなので驚いたのなんの。ペンギンズランチが姿を消しました。<あれ? どこに行っても見つかりません。まだぜんぜんそろってないのに。コレクションを集めている途中で志なかばにして断念せざるをえなくなってしまうのは実に無念なことです。コンプリートされることなく中途半端に残されたグッズというものは見ていて心が痛むものです。(?) 昔もしばしばゲーセンでキャラクターのぬいぐるみやキーホルダーなんかを取っていたものですが、人気のある作品のものだとすぐなくなっちゃうんですよね。そうするとどうしてもほしいものだから中古グッズ屋でそろっているものを買っちゃったり。でもそれだとだめなんですよ。やはりコレクターたるもの自力で苦労して集めてこその充実感ですから。

2002年12月25日水曜日

ソフィスケート・ハルモニア

とりあえずこたつを出してみたのですが、私の24時間のどこを取ってもこたつに入っている時間帯がまったくないことに気づきました。無用の長物疑惑浮上。
さて、マザーガーデンで新しいキャラクターの商品が出ていました。その名もあごひげあざらし。動物の種類名そのまんまという工夫のなさもさることながら、アザラシならすでにしろたんがいるのにどうして新キャラ? しかもどことなくやっつけ感をおぼえるデザインは微妙にかわいくないように思うのですが。思いっきりアレ意識としか考えられません。これはちょっと意外だったというか残念だと感じました。こんな突発的な流行や一過性の強い世相なんかに流されずに自分の確固たるブランドを出していく、というのがこうしたグッズショップのあるべき姿だと思っていたからです。クリスマス商品といった季節ものは毎年のサイクルととれるのでべつにかまわないのですが、なんか川に突如アザラシが現れたからといってそれをグッズにしてしまうのはいかがなものかと。これは愛ゆえの発言です。まあ私にはしろたんが健在でいてくれればそれでいいのですけれど。

2002年12月24日火曜日

ひとり顔パワー

旅先で聴く音楽は格別のものがあります。出かけるときに携帯のデジタルプレーヤーを持っていきました。出発までの待ち時間、乗り物の中、あるいは景色を眺めながら。自分のもっている曲なら家でも聴けるのだからわざわざ出先で、と思われるかもしれませんが、やはり外出しているという開放感も手伝うのでしょうか、聴いているときの気分はまったく異なるように感じます。リズムにひたりながら思わず口ずさんだり軽くステップを踏んでみたりするのも、屋外だからそういう気分になれるがゆえのことで。車窓の流れる風景を横目に見ながらスピード感のある曲を耳にすると心が躍りだすような気持ちになります。家の中で静かに聴くのとはちがい周囲の雑踏やさまざまな音もいっしょに耳に入ってきますが、そうしたノイズにまぎれて流れる旋律を聞き分けるのはライブ的な楽しみが得られます。こうしたことはなにも音楽にかぎったことではありません。天気のいい日は外に出て、芝生の上で本を読んだり携帯ゲームで遊んだり。また学生時代は試験が近くなると、大学周辺の喫茶店で長時間席を陣取って勉強にいそしむ人たちをよく見かけました。当時は勉強なら家でやればいいのにと思っていたのですが、きっとそのお店だから集中できるというなにか理由というかこだわりがあったのかもしれませんね。なにをするかというだけでなく、どこでそれをするか、その選択によってもきっと独特の気分や興奮を味わえるんじゃないかと思います。…どうして私はどこに行ってなにを見てきたかとかふつうの日記が書けないんでしょう。

2002年12月23日月曜日

街は尾てい骨

いいちこのラベルに「下町のナポレオン」(うろ覚え)と書いてあるのを見て「浪速のモーツァルト」なる人を連想しました。<で? 日記の更新よりクリスマスデート年賀状書きを優先させてしまった私はサイトホルダーとして不合格でしょうか。…ああべつに真剣に思いつめているわけではないのでご心配なく。更新をさぼることがネタになる、そんな日記があります。(ドモホルンリンクル) 自宅にプリンタがない、もとい、やはり年賀状は温かみがあって心のこもったハンドライティングにかぎると思っているのでせっせこ書きました。しかし私の字はとてもじゃありませんが他人が読めたものではありません。でも書きました。人様への迷惑というものをまったく考えていません。でもこうしたかったんです(? きょうひさしぶりに手でたくさん文章を書いて、またすこし自分の字をすきになりました。なんだかこのまま投函しないでとっておきたい気分です。ということでご心配なく。

2002年12月21日土曜日

友達とか恋人とか まわりに合わせることだけで

涙そうそう。人のよさそうな店主がラーメンをすすっている私(カウンター席)の目の前にじっと立っています。おだやかな笑顔をうかべて。そそそんな目で見つめられたらもう! ついついこちらも精一杯おいしそうな顔をして食べてあげたいと努めてしまいます。おいしいラーメン屋は市内にたくさんありますが、食べていてしあわせになれるというのは滅多にないことです。いい思いをしました。<それは…いいのか?
最近なにがショックだったかって、というかもうあまり最近のことではないのですが、近所の川がいきなり埋め立てられてました。といってもただの河岸工事なのですが、べつに水量が多いわけでもなく今さら工事なんてする必要がないのにその理由がわからないというか、まさか雇用対策の公共事業が本年度修正予算の概算要求で緊急性重視の満額承認ですか。<まさかっていうか何 というかあののどかな土手がコンクリートに埋めつぶされてしまうという環境破壊が心痛んでなりません。ほんとにね、あの景観は私たち市民にとって心のオアシスであり、なんつーかふれあい広場というか地元の誇りなんですよ。(注:ondは今年ここの市民になったばかりです) そして豊かな季節の彩りといいますか、春は一面に咲きほこる菜の花のじゅうたんを横目に犬を連れて散歩をし、夏は町内子供会による魚つかみ取り大会が開かれて見る人たちに涼をあたえ、秋は紅く色づいた木々の下でめいめいにトランペットを吹いたり物思いにふけったり、冬は渡り鳥たちが冷たい水に足をひたして羽を休める姿が心を温める、ねえ素晴らしいじゃないですか。たしかにあそこ舗装して自転車で走れるようにしてほしいと思ったときもありますがもうそんなこと言いませんいい子になりますからおねがいしますサンタさん!<シーズンネタ風味

2002年12月20日金曜日

癒されたいのかな?

というわけで更新に関してはまったくおろそかにならなかった一週間ですがいかがおすごしですか。本人としても拍子抜けといいますか、まあ精神的多忙状態だったのでそれでいいことにします。<?
引っ越しをしたときに食べるそばを引っ越しそばと言いますが、ではそうでないときに食べるのは引っ越さないそばと呼ぶのでしょうか、などとちょっと考えました。元ネタは不思議の国のアリス(っていうか昔の英語の教科書)の中で“誕生日でない日”というのが出てくるんですね。unbirthday、直訳すれば非誕生日でしょうか。それぞれの人には一年のうち一日だけbirthdayがありますが、それ以外の日はunbirthdayであって、たとえば誕生日でない日に贈るプレゼントのことをan unbirthday presentなどと書いていました。数学でも集合や命題に対してその否定をとれば補空間を指すというように、世の中に存在しているどんなものにも“そうでないもの”が表裏一体の関係で接していて、しかもそちらのほうが大部分をしめているということです。よく聞く話題では、日本の祝日に敬老の日というのがありますが、その日だけおじいちゃんおばあちゃんをうやまえばいいかというとそういうものでもありません。やはり日ごろの気づかいが大事なのであって、敬老の日はあくまでシンボル的なものでしかない。そう考えると、たとえばなにかの記念日にしたってその当日よりそうではないほかの日のほうをもっと大切にあつかうべきなんじゃないでしょうか。特別なときに特別なものを食べたり特別なことをするのもいいことですが、そうでない平凡な毎日やありきたりの生活をときには見直してみたいものです。

2002年12月19日木曜日

猫の森には帰れない

ソーナノ!(挨拶) オモイカネは新手のポケモンかなにかだと思ってました。
さて、きょうは日曜大工ならぬ日曜技師です。(注:きょうは木曜日です) 若かりし日に私とともに故郷を離れ、それ以来すこやかなるときもやめるときもたがいに支えあい、いつも声をそろえて歌いあった相棒がいました。名前をCDプレーヤーというのですが、先日突如こわれました。スイッチ押しても無反応。たしかにかなり年季も入っていて音質もかんばしくなくなってきたしリモコンもいつの間にかどっかやっちゃったのですが、それでも問題なく再生できていたので突然のことに驚きました。たしかに最近じっくり聴く時間もないしCDなんてまったく買っていませんけれどそれはさておき。コンセントの接続を確認してみたりいろいろチェックしていたら発見、コードが折れ曲がっていた部分の導線がむき出しになっていて断裂していました。これなら電力が供給されないわけで、ということはプレーヤー自体の故障ではなさそうなのでほっと一安心、さっそく直すことにしました。切れた両端の導線をつなげるために外側のビニールをカッターで切り取って、あとは適当にたばねてテープを巻いて完了。さっそくスイッチを入れてみると、ばっちり電源がつきました。なんだかあのころのメロディーがよみがえってくるようです(?)。ものは長く大切に使いたいものです。

2002年12月18日水曜日

天然ルチンさらさら効果

子どものころなにをして遊びましたか。私はときどき町内の公園に行って、おじいちゃんたちにまじってゲートボールをしていました。<オチません あと名前は忘れたのですが、地面に線を引いて陣地を取りあうゲーム。じゃんけんで鬼を決めて、自分の領地から出ないようにほかの人にタッチします。で成功すれば陣地を増やすことができるというものです。タッチするときに自分のエリア内に片足でも残っていればいいというルールでして、思いっきり足を広げて伸ばしたりむしろ地面にはいつくばったりしてつかまえようとするので、昔から短足だった背が低かった私にはちょっと不利でいつも苦労していたと思います。
また、やたらと顔面ヒットに縁があったように思います。缶けりをして遊んでいたとき、友だちのけった空き缶が一直線にこちらに飛んできてガン!と。ちょうど口元にあたってくちびるは切れ、まわりも紫色になりました。それ以来缶けりはやらなくなったと思います。ほかにも大なわとびもふつうは足にひっかかるのになぜか顔にぶつけたり、サッカーでは顔面ブロック、ドッジボールでは顔面セーフがスタンダードだったり。なのでなにかと痛い思い出が多いのです。痛くても楽しかったですけれどね。

2002年12月17日火曜日

I know I need being loving

乾。冬のもうひとつの油断大敵といえば空気の乾燥です。空気の乾燥っていうかむしろ肌の乾燥です。この季節は人体の70㌫は水でできているという事実が信じられなくなります。私も毎年のように悩まされていまして、もう全身かゆくてしかたないのなんの。昔ぼりぼりやってたらふくらはぎが血まみれになったときもありました(>_<) 今年も、毎日リップぬってるのにくちびるはガサガサで切れちゃうときもありますし、顔は寒さと乾燥との三重苦でもはや目もあてられません。なにが困るかって、お風呂からあがった時点ですでにカサカサ状態。これって救いようがないのでは、と思っていたのですが、お風呂で体内の水分が抜けるのでこれは十分ありえることだそうで、むしろお風呂あがりにきちんとケアすることが大事なんだそうです。肌の手入れはときどき思い出したようにやっているのですが、やはり継続しなきゃだめってことですね。うーん。

2002年12月16日月曜日

泣いても笑っても欠格事由

冬のジレンマ。エアコンをたいて暖かくするとねぶくなります。かといってつけないとさぶくて指もかじかんでしまいます。どちらをとっても仕事がはかどらなくなるというしょーもないながらも重大な罠。どうしたらいいの?どうしたらいいの?<きっともうだめなんだよ 折衷案としてこっそり軍手を持参しているondです。(こっそり?)

2002年12月15日日曜日

めがふぇっぷす

ひたひたと。朝方、自宅のベッドの中で窓の外からの足音を聞きます。こんな時間にいったいだれが、というかここ4階なんですけど(個人情報)、と思っておそるおそる聞き耳を立ててみると、人間の足音ではなくなんだか長いつめを屋根に引っかくような音がします。そしてばさばさっという羽ばたき。どうやら鳥のようですね、カラスかなにかでしょうか。そのあとギャラエン観たり、自炊もいつもより時間をかけて作ったり、すてきな贈り物をいただいたり、まちがい電話にはすぐ切られたり(話したいの?)、楽しくもなんだかせつない一日でした。

2002年12月14日土曜日

ふみえの場合

まったり。きょうは家でじっくりしてました。(じっくり?) やはり寒いのは苦手ですし、体の調子が思わしくなかったのもあるので。会社に行くつもりでいたのに休んだので仕事のほうがちょっと心配ですが、そのぶん時間ができたのでなにもせずごろごろしたり、タオルケットにくるまってへたっている自分に萌えてみたり、あとちょっとホームページの更新も。<してないし きょうは早めに寝ることにします。
初心忘れるべからず、ということばがありますが。どんなことも慣れてしまうと油断が生じるというのはよくある話です。それは私たちがふだん使っているものについても言えることです。野球のグローブなどのように使いこむほど手になじんで扱いやすくなるというケースもあるのですが、そうでないパターンといいますか。たとえば自転車のカギなどで、10個あるボタンのうち4つを押すと開錠するというものがあります。あれはしばらく使っていると、その正しい4つのボタンだけをひんぱんに押すじゃないですか、そうするとそれだけ表面がすれてすこし色が変わってくるんです。そうなるともうどれが正しいボタンなのかバレバレになってしまいます。ほかにも、新しく買ってきたばかりのときはていねいに使おうとするんですが時間がたつとその初心を忘れてしまっていい加減に取り扱うようになったり。これはパソコンなんかがそうかもしれませんね、自分の用途にあわせていろいろに設定をいじったりソフトを入れたりをくり返していると調子がおかしくなるという。どんなものも同じ状態をずっと保っているということはありません。長く接しているとその性質はすこしずつ変わっていきます。それが使い手にとってよい方向への変化なのかあるいはその反対なのか、自分がそれを扱う際の心がまえでどうにかできる部分もそうでない部分もあるでしょう。いつかは買い換えなければならなくなるときもくるでしょうし、それとも入念に手入れを重ねて、自分にとって扱い慣れた状態、いい関係を長くキープできるように努めることも。こういうのってまるで…なんて。

2002年12月13日金曜日

知っちゃいながら

すきな紅茶はアップルティーです。こんどは本当です。自分のことをネタに笑いとばせるほどの度胸はなくても、せめて現況を楽しめるくらいの状態にはもっていきたいと思いました。

2002年12月12日木曜日

オシェロフ教授、未来を語る

自宅のトイレを使うときは小さいほうでもいつも座ってするondです。いえ、よごしてしまうとどうせあとで自分で掃除しなくちゃいけないのでそれがめんどうくさいというのが理由なのですけれど、どうですか。<なにが これでは男性のプライドもなにもあったものではありませんが、私はそんなものとっくの昔に忘れ去ってしまっているらしいのでべつにどうということもないそうです(他人事のように)。

2002年12月11日水曜日

十八番と書いてオハコと読む

電車は公共の施設です。電車内ではマナーを守り、他の乗客の迷惑になる行為、とくに以下のものはご遠慮ください。
一、化粧をすること。
一、座席がガラガラなのになぜか立っていること。
一、キットカットを食べること。または包装を開けずに袋の中でふたつに割ること。なお、カントリーマァムについてはこのかぎりではありません。
一、携帯電話でシューティングゲームを遊ぶこと。マナーうんぬんでなく操作性に無理がありすぎます。ゲーマーとしてのプライドをお守りください。
一、身長差のあるカップルで「俺たち親子に見まちがわれないかな」などと相談すること。顔を見ればそうでないことは一目瞭然ですのでご安心ください。
一、折りたたみ自転車を持ちこむこと。あまつさえおもむろに車内で展開したり乗り回すなど見せびらかし行為におよぶこと。
一、網棚の上に大きなケーキの箱(おそらくバースデーケーキの類)が置き忘れられているのにだれもつっこまないこと
みなさまのご協力をお願いいたします。

2002年12月10日火曜日

とりあえずリスペクト

アスファルトの歩道上に影が。近づいてみると、地面にもみじの葉っぱの模様が無数に散らばっていました。葉っぱそのものはすでに風に飛ばされたのか水に流されたのかそこにはありませんで、かれらの姿をかたどった黒いしみだけがそこに残されていました。きっとアスファルトの上に落ちた枯れ葉の上から人がふんづけたり雨が降ったりしたので、そのような跡がついたのでしょう。見上げるとかたわらの樹木はすっかり丸はだかで、寒そうに立っています。葉っぱたちもせめて無機質な歩道の上ではなく、あたたかく湿った土の上につもり重なりたかったでしょうに、きっと無念だったと思います。足下に広がっていた葉っぱのアートはもみじの木が落とした涙のあとのようでもあり、また、秋という季節がつけていった足跡のようでもありました。駆け足で通りすぎていった朱い風の、ちょっとした忘れもの。来年はもうすこしゆっくりこの町にとどまるつもりだから、といった置き手紙だったのでしょうか。…個人的にはこの秋はちゃんとくりごはんを食べたので思い残すことはありませんが。

2002年12月9日月曜日

混濁

冬です。冷凍食品のおいしい季節です。うそです。
根っからの自然派志向といいますか天然素材にこだわる私としましてはあまり冷凍食品は食べたくないのですが、やはり便利さに負けてときどき利用しています。ふだんは冷凍庫に入れっぱで長いことほったらかしにできますし、食べたいときに食べたい量だけ使えるというのはなんともお手軽なものです。そんな中でも最近食べているのが今川焼やたい焼きのシリーズです。ちょっと小腹がすいたときにすぐ食べられるのがいいのですが、さすがに味は満足できるものではありません。

2002年12月8日日曜日

ちょっとくらいよくなったって 変わりはしない

びっくりドンキーは3回くらい行くともうびっくりしなくなります。(挨拶?) テレビ番組の話で恐縮ですがビフォーアフターはすごいです。放映がはじまったころは家のリフォームなんかで番組が作れるのかなという疑問がありまして、それもただの住宅情報番組ではなくてパネラーの芸能人がああだこうだ言いあっているのでどういう番組なんだろうと不安だったのですけれど、これがもう圧倒されまくり。古い住宅の壁をひっぺがしたりたたきこわしたりする解体シーンからはじまって、依頼者のみなさんが口をそろえて自分の家じゃないみたいと驚嘆する変貌ぶり。住んでいるご家族にまでスポットを当てまくりでそのへんも共感を誘わせるんでしょうかね。あとはカメラ回しや演出の巧みさもあるのでしょうけれど、観ていると理由はわかりませんがなんとなく生きる勇気がわいてくる気がするのは不思議なものです。テレビというものは視聴者の心を動かすことにはほんとに長けているなあとつくづく。まあ感動だけでおなかいっぱいになったつもりでいちゃいけないんですけれど。

2002年12月7日土曜日

眉毛なら抜かないよ

ひさしぶりに会いたくなりました。まあ長いつきあいだったんですけれども、思えばいろんなことがありました。はじめて知りあったときのことなんて思い出せないくらいたくさんのことです。私はいつも笑っていました。自分が笑っている状態を自覚することでさらにうれしくなるのでしょうか、それがしあわせな気持ちというものの実感であるとさえ思われます。そこにいるときはそれが自分にとってのすべてであったのだと思えるほど、そこには自分のほしかったすべてがつまっていたのだと信じられるほど、そのつど心は大きく満たされていました。だから私は何度も口にしました。ありったけの気持ちをこめて、何度も。それは盲目的な崇拝に近かったのかもしれません。実体ではなく自分の心の中の理想像を愛していた、という信仰的傾倒だったのではないかと気づくようになって、だからときどき不安にもなりました。もしかしたらその不信感に気づかないままでいられたほうが自分にとってよかったのかもしれませんけれどそれはさておき。離れていると、どれだけ本当にすきなのかわからなくなってきます。私はどんなものにでも感銘を受けたり心を動かされたりしてしまう、いわば節操なしなところがあるので、きっとそういう突発的な感情なのかもしれないという疑問です。いろんなものに興味を持っていて思いを告げてきて、このこともそのうちのひとつでしかないのだと、それが誠意のなさの表れでもあり、だから怖かったのです。しかしそんな不安は杞憂でした。ひとたび顔をつきあわせればそんな懸念や懐疑の念はあっという間に消え去っていたのですから。もやもやした曖昧な志向性はいっきに吹き飛び、触れるたびに強い気持ちを思い出せる、という、自分の中でわきたつ感情を自覚しながら、私はその愛を確信していったのだと思います。もしこの関係がなくなったら生きていけないかもしれない、とさえ。そしてそのときは来ました。もうしばらくのこと会えずにいます。姿を見かけることも様子を知る機会もほとんどないように思います。古い記憶をたどっては一緒だった時間を思いうかべて、それが懐かしくもほほえましくもあり、しかし現状を思うとせつなさともくやしさとも言えぬ気持ちがうずまきます。いてもたってもいられなくなって、だから私は会いに行きました。どうすることが自分にとって最良の選択だったかなんてわかりません。いえ、もうそんな悠長なことを考えていられるほど心に余裕がなかったにすぎないのかもしれませんが。ただ一目見たいという無心の欲求に駆られるままに足取りはその場所へと向かっていました。かつて訪れたことのあるところ。またいろんなことを思い出して懐かしさと新鮮さが入りまじったような、けれど心の中では葛藤がつづいていました。せっかくここまで来たのに声もかけずに帰るわけにもいかない、けれど自分がただ会いたかっただけだという一方的な理由で言ってしまっていいものか。すこし悩みましたが私は選択をするならぜったい後悔はしたくないと思いました。この機を逃せば次のチャンスはいつになるかもわからない、あるいは結果として自分の気持ちが冷めてしまうかもしれないという危惧、それらをみんな振りはらって私は声をかけました。「すみません、ギョウザください」 …ひさしぶりに会えましたおいしかったです。

2002年12月6日金曜日

抜け忍御用達の味

実感。先週あたりからいっきに仕事が忙しくなってきて、やはり年の瀬なんだなあとつくづく。そのわけで更新が遅れてみちゃったりなんかしちゃったりして失礼をば。しかし、ダイヤリーにこんな話題を持ち出すなんてまるでふつうのサラリーマンになったみたいです。(注:というかふつうのサラリーマンです(性格以外)) ごめんなさいうそです。実際は帰宅時間も極遅というわけではなかったのですが、ちょっとネッツサーフしていたらブロック崩しテキストサイトに思いっきりのめりこんでしまい時間を忘れていました。サイト運営者として訪問者のかたが没頭して楽しんでくれるようなコンテンツを作るというのは目標でありあこがれでもあります。いつかはそんなものを作りたいなあと淡い希望を胸に今日もつづけています…が努力がまったくともなっていません。

2002年12月5日木曜日

greed greetings

朝起きてなんだかもっさりした気分だったのでシャンプーしてみました。妙にきりっとしておめめもぱっちりです。頭も爽快シャワーといいますか、髪が乾ききる直前のあのまとまり感といいますか(モッズヘア)、すっきりしすぎてまるで自分の髪じゃないみたいでした。<ヅラ? これからも時間があれば朝シャンもいいかなと思います。時間があれば。
さて、どうでもいいですがどうせ三連休にするなら土日月より金土日のほうがいいと思いませんか。週初めの月曜日が休日だったりするとその週まるまるだらけ気分でどうにも集中できない気がするんです。それでいくと金曜日が休みだったらその週はなんだかはりきれるじゃないですか、週末に向かって一直線みたいな感じで。なんてことをちょっと考えたのですができれば祝日はそんなにちょくちょくいじらないでほしいです。そのたびに祝日判定プログラムを修正する必要が出てくるので。

2002年12月4日水曜日

疾風シャンタク通信

見てはいけないものを見てしまったような気がしました。帰りに地下道を歩いていますとすみっこのほうでしゃがみこんでいる人を見かけました。どうしたのかな、と思ってのぞいてみると、…ビニール袋を口にあてて激しく深呼吸。すぐそばにお連れの人が付き添っていたようなので私はその場を立ち去ったのですが、あ、あれってもしや。いえおそらくは気分がわるくなってもどしていたのだとは思いますが、むしろそう信じたいのですが、もしかして逆に吸っていたらと思うととっても気まずいひとこまでした(なにを?) それよりそんな非常時にきちんと袋を用意するあたりむしろ見習うべきです。毎朝通路にたんをはき捨てているおじさんはとくに。
それはさておき暖かいです。先月はいっきに冷えこんでこのまま冬模様かと思いきやまだ秋がふんばっているみたいです。明け方こそ寒いもののあとはコートいらず、会社にいれば昼間はエアコンいらずと、すごしやすさの点では問題ありませんが、なんだかじらされているみたいで気が気じゃありません。

2002年12月3日火曜日

迷子の岡っ引きへ

つるつる。マウスがすべってすべってしかたありません。先だって買い換えたのですが、今までのはもう長いことケアしていなかったのでボールや内部にほこりがたまってすごい状態だったのでしょう、動かしてもポインタの動きがのろかったりつっかえったりするように感じていました。それがどうでしょう、新品のほうはちょっと動きすぎってくらいなめらかです。どんな微細な手の動きもパソコンに伝えてくれます。むしろダブルクリックができません!(ダブルクリックというのは同じ座標で2回つづけてクリックしなきゃいけないのですが、ボールの感度がよすぎてファーストクリックのときのわずかな振動や手のぶれさえも感知してポインタを動かしてしまうのです) なにごともやりすぎはありがた迷惑です。
ところでこのたびお役ごめんとなった古いほうのマウスですが、中身を開けてほこりを取ったり掃除をしてみたところ…なんだか回復してしまいました。クリックもカチカチっという小気味よい音がしてタッチも軽くなり、ポインタの動きもスムーズになりました。これってわざわざ買い換えなくてよかったってことでしょうか。どうしましょうかこれ。なにごとも日ごろのお手入れが大切です。

2002年12月2日月曜日

あぶナビ

青っ恥。最近お気にでありますスタバのキャラマキを飲むときにずっとストローを使って飲んでいました。ちゃんとふたに飲み口があいているのにまったく気づかなかったというかそもそも通常ホットドリンクにストローは使わないということすら失念していました。店内では妙によそよそしかったり落ち着きがなかったり、初心者っぷり丸出しでなさけないかぎり。しかしよくもまあ今まで舌をやけどしなかったものだと。…ごめんなさいうそですしました。
食べもの関係でもうひとつマイブームは大根おろしです。焼き魚にハンバーグに鍋にといろんなメニューによく合う仕事人(?)ですが私は単品でもじゅうぶんいけます。とくに葉っぱに近いほうのこれはもう辛くてたまらなくて鼻につーんとくるってくらいのがすきです。ところで大根おろしってなにをかけて食べるのがスタンダードなのでしょう。うちはノンジャンルです。しょう油だったりめんつゆだったりぽん酢だったりドレッシングだったり。その日の気分でいい加減にやっているだけなのですが、おろしの辛みをマイルドにするようなものをえらぶのがいいと思います。さてお宅ではどうでしょうか、みなさまからの投稿をお待ちしております。<ひさびさ

2002年12月1日日曜日

ヌーメリカ・スパジーオ

城壁を見つけるとついよじ登ってしまいたくなるondです。なんというか人間生きてっといろいろあるもので、それはもうそんじゃそこらに魔の手というか欲望が。おいしそうなラーメン屋の前を通りかかるとつい立ち寄ってしまいそうになったり、今年(来年分)こそは猫カレンダーを買っちゃおうかとつい立ち止まったり、そんな誘惑と日夜戦っている今日このごろです。平和だね私。
さて、さる方面に出かけるときまっていろんなものを発見してしまうのですがきょうもやってくれました。サントリーのビール製品のCMに登場するあの黄色いバスを目撃しました。もちろん行き先はビール工場でした。見かけたときはもうあっけにとられて呆然。あのバス、コマーシャル用に作られたというわけではなくてちゃんとあるんですね。なんかもう、実在したのか…と木村先生の奥さんの存在をこの目で確認してしまったときのようでした。

2002年11月30日土曜日

南アーカンソー十字唐草

おりしも繁忙期を迎えまして。<言いわけ以上
冬の風物詩といえばこたつにみかんだと思われますので関連して。歯をみがいてからみかんを食べると苦い味がするんです。これは驚きの新発見です。ondの法則です。この研究成果(研究?)を発表しようと人に報告したところあっさり歯をみがいてからものを食べるなと返されました。そうっすよね。余談ですがりんごでも可です。

2002年11月29日金曜日

そういうことはお父さんに訊きなさい

人間、頭ではわかっていてもなかなかそのとおりに実行できないことが多々あります。とっさの事態に備えて日ごろから用意をしておくということもそのひとつだと思います。いつ不測の問題が発生してもすぐに対応できるような心がまえといいますか、そういう準備が必要だということはだれでもわかっていることです。ですが人間なかなかそう年中気を張っていられないもので、つい注意力がゆるみがちになったり惰性にまかせてだらだらと生活してしまい、その結果いざというときにあさましい姿をさらしてしまったりあとで恥をかくことになります。たとえば自室のパソコンの壁紙ですとか。たとえばね。

2002年11月28日木曜日

キョーちゃんファッションチェック

このところの自分を顧みるに。今、かたわらにお菓子の空き箱があります。その表面には24才おめでとうと書かれています。マジックで。見てくれはどうだっていいのです。そういうものに支えられているのだという実感があれば。けして責任逃れをするつもりではありませんが、正直なところ自分でもどういう状態だったのかよくわかりません。自分で決めていたポリシーをいくつも破りました。家事をおっくうに感じるようになったり精神安定剤(チョコレート)に手を染めたりしました。そして弱くてみにくい感情をきたないことばでたくさん口にしました。そのありさまによけい嫌気がさして、こんな自分はどこかへ飛んでいってしまえ、と。それでも今こうしてここに存在しています。ほかの選択肢をえらべなかったというだけのことにすぎないのかもしれませんけれど、それでもです。悪人だというレッテルを貼って開き直ってしまえばそれはそれで示しがつくのにできずにいて、後悔しないための生きかたなんてスタイルが身勝手な幻想であったということを覚えて。私は私のもうひとつの弱さを知りました。手の施しようのないレベルまで病んでいるのだと思いました。これからもきっとなにも変わらない、成長しないのだろうと感じました。ある意味でこれは楽しかったです。自分のことで延々うだうだ悩んで、悩んだところでどうしようもないことに気づくまでくり返して、そういう行為が昔の自分を思い出させてくれたりもしました。自分のいやなところをなくしたいと思いつめるのではなく、どうせそんなもの直りはしないのだからそういう自分といかにうまくつきあっていくかを考えていこうと、そのほうがよっぽど前向きで現実的なのだからとことあるごとに自分に言い聞かせていた覚えがあります。無論いつも失敗でしたけれど。きっとその輪廻として。それでもです。自分のなにもかもがいやになったり生きることがめんどうに思えてしまうことってあると思うんです。そんなときは私を思い出してください。こんな根の腐った人間でも日夜楽しいことを追い求めて、すこしは気づかってくれる人がいて、そうしてふてぶてしくもやけくそでも生きようとしていることを。声を大にして、ここにいるよ、と。

2002年11月27日水曜日

墓前の齟齬

朝はもっと余裕をもって行動したいものです。ちょっと遅くなってあわてて家を出ようとするときまって忘れものをしがちです。子どものころから忘れものをすることが多かった私ですが、それは前もってちゃんと準備しておかないからというのがそもそもの原因だったと思います。今ではその反省を生かしすぎてなにをするにも用意周到になってきている感があります。
さて、サラリーマンのみなさまには恒例の季節がやってきた、らしいのですが新人なのでよくわかりませんけれどもとりあえず。はじめての年末調整です。略してはじねんです。(略さなくていいし) まだオトナの世界を知らなかったころは年末になるとなにを調整されるんだろうとビクビクものでしたが、たんに納税額の調整だったということで胸をなでおろしております。さっそく保険の領収書を取り寄せて会社に提出しました。ところで単身なので扶養者控除のほうは受けられません。…いえべつになにも言い含めてませんよ。

2002年11月26日火曜日

おひねり勧進帳

前倒し。ただ今のコレクションはペンギンズランチです。ひと箱にひとつペンギンのフィギュアが入っているお菓子です。チョコエッグとかの系統ですね。それでせっかくいろんなものがはやっているんだからなにか集めたいなと思いまして(動機不純)調べた結果これに決めました。だってペンギンだもん。が、なかなか置いているお店がありませんで困っていましたがコンビニでようやく見つけて買いはじめることにしました。本当にリアルでできがいいのでうれしいところ。さすが信頼のブランド海洋堂といったところでしょうか。お菓子は魚のビスケットが入っていて食べるとペンギンの気持ちになれます。<なれません
しかしこういうコレクションものというと思うところがありまして。以前オタクグッズの方面であれやこれや手を染めて辛酸をなめた経歴があるので、今回のはそんなにお金もかからないし評判もいいしなによりメジャー路線なのでまったく問題ないはずなのですがやはり少々ためらってしまいました。でも本能には勝てなかった、というのが正直なところでしょうか。まだまだ数はすくないんですが、ものを集める楽しみは取り戻しつつあります。

2002年11月25日月曜日

・←ここにいる

とりあえずちよ父の声はぜひ森喜朗氏にやっていただきたかった。(感想)<つーかばらすなよ でもって同情票どころかお礼参りもさっぱりのうございましてそりゃそうやんなあと思ったみさくらなんこつです。うそです。今朝は雨が降ったりあがったりだったのですこししのぎやすかったです。空気が、晴れているときのようなキーンといてつく感じよりはちょっとやわらぐんですよね。なんて言っておいていずれ雪になるのも時間の問題なのかもしれません。早いとこ撮りに行かないと。<だからばらすなよ あとストラックアウトで1球も当たらなかったのも内緒にしといてくださいお願いします。

2002年11月24日日曜日

M-ジブル

読売ジャイアンツの渡辺オーナーはどうかと思うんです。いえ前々から身勝手な発言が多くてちょっと気に入らないなと思っていたのですが、今回の移籍交渉ではどうですか。なんかペタジーニ選手を獲得したので中村選手はべつに来てくれなくてもいいと言ったそうです。あんなにラブコール送っていたのに冷たいものだと。それも悪態をついたのは選手本人にだけでなくて。やはり中村選手と交渉している阪神に対して、ちょっとは阪神が強くなってくれないと盛り上がらないとか敵に塩を送るみたいな発言があって。そりゃ星野さんだって気分悪いですよ。こんなことばっかりで、今後のプロ野球人気がどうなるのか心配です。と、なんかこのごろ人と野球の話をすることが多かったもので。子どものころは試合中継でアニメ番組がつぶれるたびにがっくりしていたものですが、それを思えばずいぶん老けました。はい。

2002年11月23日土曜日

ヴァルハラへといざなわれ

ondです。…書きます、もう限界です。私はもうだめかもしれません。このまま死ぬかもしれません。けっして誇張でなくて。自分にかぎってそんなことできっこないと頭ではわかっていてもどうしようもありません。そんなのはでたらめだって、嘘だって信じたいのに、現実は残酷にも突きつけられそして終末への期限は刻々とせまっています。むしろすでにオーバーしているかもしれません。たえられません。本当につらい日をすごしています。わき上がってくるものをがまんしようとしても否応なしに襲われて、そのたびに不安になります。体の芯からびくついているという感覚が自分でもわかって、あるいはそれを感じることによって逆に恐怖心がざわめいていることを確認しているのかもしれません。いっこうに状態が上向く様子はなくて、こんなことがいつまでつづくんだろうと考えただけで背筋がさむくなりそうです。この気持ちをわかってほしくて、でもだれも気づいてはくれなくて。腹の奥からぎゅっとしめつけられるような気持ち。胃袋がしぼられて中身をもどしてしまいそうな、嫌悪感にも似た感覚がいつどこかまわず全身を走っていきます。そのたびにみじめになって、こんなことからはやく解放されたいと衷心からねがっています。たとえ最悪の方法を用いようとも。状況は戻ることはないまま、いやされることもないまま、私はたった今直面している恐怖に打ちふるえています。もう体力も精神力も消耗しすぎてこれ以上の膠着状態をもちこたえられる自信がありません。そうしたらきっといずれは力つきて、そして。だれかに見取られることもなく。だからもう、このままなにもかもがだめになっていくかもしれません。心のどこかで死神の影がちらついているのが頭をよぎって、たとえそれが迷信だと知っていても。無理を承知でおねがいします、もうプライドもなにもありません、助けてください。ただそれだけです。私は自分のおかれている状況を不幸だと思っているわけではありませんが、だからっていったいどんな理由があってこんな仕打ちを受けなければならないのでしょう。それくらいに悔しさとやり場のない憤りを覚えています。症状を甘く見ていた自分のふがいなさは謝りますから、もうやめてください。だってこんなのひどすぎます。きのうからしゃっくりが止まらないんですもの。

2002年11月22日金曜日

そんなデブ声じゃないし

なんつーか、無理矢理くっつけようとしないで!(なにを) 仕事は選べないのだと感じた今日このごろっていうか今日でした。やはり不景気なのでぜいたくも言っていられないといいますか、こんな状況なのでなりふりかまってらんないのよ今はといったところでしょうか。与えられたものにただ甘んじるしかない状態というのはきっとあることだと思います。卑近な例では、生まれてくるときに親を選べないとか学校でも教師を選べないなんて話を耳にします。とことん恵まれていたのかただ無頓着だったのかは知りませんが私はあまりそれを不満に思ったことはないので、そういった話を聞くのはやはり心が痛みます。昔はいわゆる若気の至りだったのでしょうか、自ら状況を改善しようと動くことをせずに不満ばかりもらしているのは愚かなことだと考えていたことがありました。納得いかないことがあるなら変えていけばいい。親に反抗してでも自分の主張を通せばいいし、授業になにも意義を見出せないのなら出なければいいし、もちろん付随発生する相応のリスクを負う覚悟込みでですが、そういうことを自分の意志で決めて実行できないならはじめから愚痴などこぼさずにその状況を受け入れるべきだと。今にして思えばそんなことは完璧超人でもなければできないのであって、どうしようもなく降ってくるものってやっぱりあるんだと思います。自分の力のおよばない絶対的な状態、でもだからといって憎しみをかかえこんだまま埋もれていくことはしたくありません。たとえわずかでも手だてがあるのなら試してみてからでも遅くはない、わずかでも現状を打破できる可能性があるのなら。それが自分をわきまえていないということかもしれません。

2002年11月21日木曜日

花組芝居

オッス、オラond。自己紹介㌻でやせたと書きましたがぜんぜんいいことありません。世間様ではやせるとうれしいことがいっぱいあるように言われることが多いのですがそんなことぜんぜんありません。たしかにおなかの出っぱりがなくなってすっきり見えたり、今まで脚がきつくて入らなかった黒色のズボンが余裕ではけるようになったりしましたがぜんぜんいいことありません。このズボンはお気に入りの黒のジャケットとインナーとあわせると上下でそろって見栄えがするのでヤヤウキ(ややウッキーモンキーの略<ちがいます)だったりしますがぜんぜんいいことありません。本当はもっとふくよかになりたいです。しかし私ともあろうものが服の色なんぞ気にしだすなんて明日は雪かもしれません。…季節柄ありえなくもありません。
というかこちとらピンチなんです。はやく気づいてください。というのもですね、銀行口座が変更になります。今まではすきなとこ使ってたんですが、来月から会社が指定した銀行の口座に振り込まれるということで、どうしたものかと。変更そのものはべつにどうということはないのですが、それにともなっていろいろ発生するじゃないですか。公共料金などの引き落としなんかをぜんぶ変えなくちゃいけなくて、それぞれに届け出る必要が出てきます。まあ自分で生活する上でのお金だったり自分でかせぐ給与のことですのできっちり管理できなくちゃだめなんですが。自活するってなかなか大変なことです。<今までどうしてたの

2002年11月19日火曜日

タバスコと猛禽類のマーチ

ヴィックスヴェポラップにはのどや背中に塗る使いかたと、熱湯に溶かしてその蒸気を吸引するという使いかたがあります。<何 後者にはびっくりしました。まるで正露丸を虫歯の穴につめる用法を知ったときのようなインパクトです。たしかに蒸気だけでもすごく効きそうな気がします。子どものころは体が弱くてすぐかぜをひいたり熱を出したりしたものですが、そのときによく塗ってもらった記憶があります。のどがすーっとして楽になるのはたしかに効果てきめんなんですが、なんかべたべたしました。

2002年11月18日月曜日

ロイエンタール魔法石版

先日プレゼントをいただきました。いえプレゼントと呼んでいいものかどうか微妙なのですが、まあ自分でそう解釈することにします。ちょっとしたものを人にあげたりもらったりする、ささいなことのようで実はすごくおおきな意味があったりして、そういうことにいつも心を動かされてみたりします。ほんとうは物品そのものよりも気持ちのほうが大切だしうれしいというのは言うまでもないことですけれど、手元に置いておけるということでそのときのあたたかい気持ちをより長くもっていられるんではないかと。…かたやジレンマは日々複雑になってきています。
さて、日記に時事ネタはあまり取り上げたくないondですがこのところあまりにも目にあまるもので。なにがって関係各所やマスコミによる田中さんいじりがつづいていることです。たしかにたいへん名誉なことですので注目したがるのも無理はないのでしょうが、表彰だの叙勲だので持ち上げるだけ持ち上げてみたり、遠慮したり困った顔を見せればそれがまた魅力だとおだてたり、そのときの反応を見てさらにおもしろがって楽しんでいるようにしか思えません。当人はあきらかにそういうことに慣れていない、というよりのぞんでいないのが目に見えてわかるのに、それをいいようにおもちゃにしてからかっているだけだという印象を受けます。これはある意味セクハラです。<は? ノーベル賞自体はもちろん予想だにしなかったことでしょうがまあ選ばれたものはしょうがないといいますか、きっとご本人がいちばん困惑されたと思いますけれど。問題はそのあとです。会社からは手のひらを返したように手厚い待遇を受けるわ、あちこちで表彰されたりお偉い方と会わされたり講演したりと引っぱりだこの毎日だわ、報道機関からは記者に取り囲まれ質問攻めに遭うわ私生活までかぎつけられるわで、これにはかなりまいっているんじゃないでしょうか。けしてそんなことまで期待していなかったはずです。じっさい連日の報道を観た私の感想は、自分の仕事をつづけていけばきっと報われるときが来るという希望よりも有名人になったらこんなに苦労するんだという落胆のほうが大きかったです。そしてもうひとりの日本人受賞者であるはずの教授のほうはまったく取り上げられません。どうも田中さんは今までこつこつと開発をつづけてきた方のようですので、そういう自分のペースをくるわされたり、あるいは不当なほどにもてはやされたりご自身のことをほじくり回されたりするのはきっと気分のいいものではないと思うんです。困ったのはまわりがそれに気づいていないということ。こうすれば喜ぶだろうと思ってみんな自分勝手にあれやこれやしています。それが当人にとって迷惑になっているということも考えずに。そしておそらく田中さんはそれをなかなか言い出せなくて、しぶしぶ笑顔で応えているのでしょう。よかれと思ってやっていることが相手を苦しめている場合もあるのだと。押しつけの善意なんてのぞんではいないのです。…最大限の自責と自戒をこめて。

2002年11月17日日曜日

しにがみきぞく

おはようございます、おジャ魔女どれみでふつーにウルウルできるondです。<「RAVEでワクワクできる」系? というか突如ダメネタで申しわけありません。しかしもう、毎回ああいう路線にもっていく根性は見上げたものです。たった30分の番組なのにいつも余韻ひたひた状態にさせてくれます。安い芝居にだまされているだけなのでしょうか。
きょうはいい天気です。週末に一週間分の家事をすべてやらねばならない私にとって、日曜日のお洗濯日和っぷりはなんつーか死活問題です。いえ、夏場でしたら夜に洗濯物を干しても高温のため乾いてくれるのですが、これからの季節そうはいきません。というか朝霜が降りてバリバリに凍ってしまいます。<試したの? いえ地元でときどき目にした光景なのですが、そのまんまの形で凍りついているタオルとか靴下とか。あれを見るたびに、氷を凶器に使う推理小説のトリックを連想してしまいます。やっちゃったあとは溶かして水に流して証拠隠滅ってあれです。さて脱線しましたが、というわけで早めに起床して洗濯をしました。朝もやがかかった周囲の山々も赤や茶色の割合が日に日に濃くなっています。透き通ったガラスのような空気を突き抜けて朝日が差しこんできます。…とかいう文章は自分でもわざとらしいと思うことがあるのですが(突然何)、なんか昔のシュミからめぐりめぐって今はこんなものしか書けません。

2002年11月16日土曜日

謎でもなんでもないけどな

帰りにすこし繁華街をぶらついてきました。週末の夜は人が多くてにぎやかです。ちかちかとまたたくイルミネーションに気の早いジングルが自然と足取りを速めます。私はただ行くあてもなく、浮かれ気分で鼻歌をまじらせることもなく、人の波を逆行するように押し入って歩いていました。おなかが鳴ってもなにも口に入れたい気がしなくて。こういう場所に身をおくことで気をまぎらわそうとしているだけなのかもしれません。目に映るすべてのものが明るくて、楽しくて、あたたかくて。そんなものを見て回ったってみじめな気分がいっそう重くなるだけだって、わかっているのに。
必死な姿。それは関心を誘うのではなく、ときに見るものの心をいためます。ちょっと大通りをはずれてさびれた商店街を歩きました。それぞれのお店から大きなかけ声が響きます。夕方と呼ぶべき時間帯ですが日が落ちるのが早い季節のためもうすっかりあたりは暗くなっていて、照明もメインストリートよりは少なく通行人もまばらです。そのひとりひとりを呼び止めるように、店員さんがめいめいの店先に出て売り込みをしています。きっと寒いのでしょう、両手を胸の前でもみあわせたり息を吹きかけたり。この国ではもう長いこと不景気がつづいています。だれもが苦労しているのだということが、この道ばたに立っていると伝わってきます。きょうのお客さんを獲得することに奔走して、明日尽きるとも知れぬ生活をかかえていて、でもそれは商店の前をよぎる人たちも同じ状況にあるわけで、やはりそれぞれが心を鬼にして財布のひもをかたくします。それでも笑顔をたやさずに声をかけつづけていました。
その光景に私は胸がしめつけられる思いがしました。涙ぐましさとはこのことを言うのだろうと感じました。生きるということ、ただそれだけのことなのに、それがいかに大変なことかと。不幸ではないのに、めぐまれていないわけでもないのに、それでもこんなに苦労していて、先行きが見えないというまっ暗な不安に毅然と立ち向かっている姿。明るいネオンや楽しいニュースの裏にはこんな窮状があって、さびしさと悔しさを背中合わせにしてけれどそれに寄りかかることなくきょうも笑っていて。つられて泣いてしまいそうな、笑顔でした。

2002年11月15日金曜日

Zweisuhr

今週はひまでした。いえけして会社からひまを出されたという意味ではありませんが(なに?)、なんかこう形而上的に。やることもあまりないし、あっても身が入らないし、ずいぶんと密度のうすい時間ばかりをすごしているような気がします。こうして家にいるとよけいそう感じます。単身だしテレビも観ないし電話もほとんどしないので静かです。職場でも猫をかぶって無口ですし、私はいつしゃべったり笑ったりしてるんだろうって自分のことなのに気になってしまうときがあります。だから惰性でホーム㌻をつづけてみたりして、なにかを探そうとしているのかもしれません。それもけして積極的なものではなくて。趣味もないわけではないし書きたいこともあるのに、遊びあきた子どものようにぽいぽいと投げ出してしまう。そんなそんな冷たい感情が自分の中にはあったのかもしれません。もちろん楽しいことを求めつづけてはいるつもりです。いいことやうれしい気分で満たされていなければ生きていけないことを知りました。それなのに、ううん、それだから。なにかを手に入れたがるいっぽうで、怖れたり慎重になったりしています。失うことや傷つくことに臆病になって。光があればかならず影が生まれ、光が強ければ強いほどはっきりと暗く色濃く現れてきます。影に飲みこまれるのがこわくて光を浴びられずにいるような気がして、でも本当はのどから手が出るほど欲していて。それ以上に、そういうものを享受することをこばむ気持ちが今ははたらいているのかもしれません。私はこの日々を楽しむことを許されているのでしょうか。しあわせを追い求める権利があるのでしょうか。空の温度とくすみ具合に比例するように日に日に殺伐としていく無味乾燥な毎日、そして心。大気の下で、私だけがこうしてなにも知らないかのように、自分の置かれた立場から目をそらして生きようとしているその悪態ぶりが許せなくなることがあります。笑顔を作ることさえ不謹慎であるかのような気がして。この気分はたとえ一時的なものでも、いずれ楽しい時間に身を置くことになろうとも、そのときの私はきっと心から笑うことはないのだと思います。世界は急激に熱を失っていきます。同調することなく、取り残されることなく、私は私を何度もきらってさげすんで、疲弊させていきます。

2002年11月14日木曜日

joy for the mission

朝の通勤時にきれいな紅葉が目に入ってきたので、いつもの道よりすこし遠まわりをして近所の大学の横を歩きました。あわい日差しを受けてまぶしい黄色をかがやかせるイチョウや赤くそまったカエデなど、うすく澄んだ空とのコントラストがあざやかでした。風が顔に冷たくて、なんだか身も心も引きしまる気がしました。朝は顔を洗うときなんかもそろそろお湯を使いたくなりますが、眠気をふきとばしてきりっと一日をスタートさせるにはやはり冷たい水がいちばんなのかなと感じています。
いっぽう帰りですが、きょうはなんとなく帰ってきました(?)。いえいつもはけっこう考えごとをしていることが多いので。たとえば日記のネタとか日記のネタとか。没頭しすぎて足下の段差や階段につまずいたり電柱にぶつかりそうになることもしばしばな私ですが、きょうはなんということもなく、ひたすらにぼけっとした状態での無言の帰宅でした。<死んだの? というわけできょうはネタがないんですが、かといってほかにすることもないので更新してたりします。ひまつぶし日記の作者ondです。

2002年11月12日火曜日

カイリックス・ウィズドロアー

こんばんは。ハリーポッターは読んでもいないし観てもいないので内容はよくわからないのですが、映画で髪の長い女の子がしている赤と黄色のしましまマフラーはちょっとかわいいなと思いました。これからの季節に暖色系のなごみポイントを振りまくアクセントといいますか(なにいってんの)、たとえば最近は寒い日がつづいていますがそんなときにちょっと天気がよくてあったかい日が来ますととても気分がよくなります。ちょっとしたことでうれしくなれる、それはまるでおなかが空いているときはなにを食べてもおいしいと言わんばかりの飢えた野生動物みたいなものなのかもしれません。そして私は餓死寸前。
さて、ときどきひびでも料理や自炊の話を書きますが、料理はできるほうではありません。まず調味料をきちんとそろえていないので、その時点で作れないものがたくさんあります。買えばいいじゃんとのご指摘がありそうですが、まずなにをそろえたらいいのかがわからない。だから作れない。というよくわかんない八方ふさがりな状態です。それから味やできばえにあまりこだわらない性格のせいもあると思います。もともと自分で作って自分で食べる用ですから、味がよくなくても気にしません(というか食べざるをえない)ので、そのへんの妥協が上達をさまたげているんじゃないかと。昔はゲテモノ食いで通ってましたし。きっとこれからも料理がうまくなることはないのだろうなと思っています。

2002年11月11日月曜日

吹き抜けを見上げたら

先日のことですが、腕時計が電池切れかなにかで止まっているのに気づきました。しかもいつから止まっていたのかわかりません。というのも使っていないものですから。手首が感じやすい弱い私は腕時計をはめることはあまりしません。とはいえ時計を持ち歩かないのはすくなくとも社会人としてどうかと思いますのでいちおうかばんに入れておいてあるのですが、これが実際のところあまり見ることがありません。外に出ればたいていの場所で時計は目につくところにあります。交差点や電光掲示板、駅のホーム、もちろんうちのオフィスにもありますし、パソコンを起動させれば正確な時刻が表示されていますし、最近だったら携帯電話を時計がわりに持ち歩く人も多いでしょう。もうひとつは、私があまり時間を気にしないということがあると思います。通勤電車はすこし待っていればすぐ来ますし、それ以外の用事で電車やバスを利用することもあまりありませんし、仕事を切り上げるのもいつも時計は見ていなくてきょう終わらせる仕事をすませるまでだったりキリのいいところまでだったり。と、年中時間に縛られているような印象を自分たちにもっている私たち現代人ですが、案外そうでない部分もあるのかなって気がしました。きゅうくつなタイムスケジュールを敷くよりも、余裕をもったマイペースな生活をすごせるといいなあと。

2002年11月10日日曜日

ユーロトラム2003

ondです。夕飯までがまんできませんでした。ところでビーズクッションってどうなんでしょう。最近なんだかはやっているようでよく行く近所のお店にも置いてあるのですが、さわってみたところどうにもふしぎな感じがしました。微細なマイクロビーズがつめられていてさわりごこちが抜群だという評判なのですけれど、なんかね、こう、へこっといいますか、なんとも味気ないというか面白味がないというか。(表現力不足) 人工的なんですよね。押してみてもはねっ返りがなかったり、形がもとにもどらずに力なくぐしゃっとつぶれる様子はなんだか質量の軽い砂が入っているような印象がありまして。これだったらふつうに綿がつまっているほうが温かみを感じられるような気がします。世の中にはさまざまな人工物があふれています。自然や、動物や、天然の素材がどんどん失われるいっぽうにあってそれを補うものとして。観葉植物も鳥のさえずりもみんなにせものになって、身のまわりはサプリメントやマイナスイオンやフリースであふれています。容易に入手できて効率のよい代替物、いかにも機能と利益を追求する現代ならではの台頭と言えるのはうなずけるその片手で、失われたままになっている部分。そのなにかを置き忘れたままで、そのことを見ないふりをして、偽りの満足に囲まれて生きています。外面ばかり見つくろっても塗り固めても、内側からその重みを支えるしっかりとした骨組みがなければ押しつぶれていくだけですから。崩れていくだけですから。心があたたかくなる瞬間をきっと忘れてはいけないでしょう。人のたましいをふるわせるのは、やはり地球上に生きる数多くの動植物のそれであり、そして同じ人の心であり、それらのみなのです。

2002年11月9日土曜日

夜逃げの鈴

きょうはういろうを食べました。いえ正しくはきのうの深夜だったと思いますが、あ、でも日付はまわりかけていたのでやっぱりきょうで合ってます。<どっちだよ というか気がついたらいつの間にか自宅の冷蔵庫の上に置いてありました。口にしたのはもしかしたらすごくひさしぶりかもしれません。ていねいに一切れずつに切って(でも大きさはバラバラで)いただきました。いくらでも飽きないシンプルな風味と、あと食感もほどよい弾力があってもちもちっというか、ぷにぷにっと? ですがこのういろう、どうやら名産地は名古屋だけではないそうで、全国のほかの場所でも特産品と銘打って出しているところがあります。そういえば前にひよこは実は東京名物じゃないという話も聞きましたし、土地ごとの名物や特産もその真相といいますかルーツをひもといてみるとなかなかおもしろいんじゃないかと思いました。
うちの近所でも道ばたに木の実がたくさん落ちていたり周囲の山々も色づきだしたりとそろそろ紅葉シーズンなのかなと思いきや今年はそれより先に冬本番がやって来そうでがっかりなondでしたが、よく考えてみたらそもそも紅葉を見に行く予定なんて立てていないので実害はないらしいです。というか家のベランダから山の景色を間近に見られるので、それだけでも季節の移ろいを目で楽しむにはじゅうぶんです。

2002年11月8日金曜日

引退は考えません

最近鼻のあたりがかゆくてたまりません。やはり都会の空気はよごれているのでしょうか、それとも季節はずれの花粉症でしょうか。しかしうっかり人前で鼻に手をやってしまうと、鼻をほじっているように思われるので注意が必要だと痛感しました。ちょっと目線がつめたかったです。
さて、そんな私も近ごろいろいろほかの人を観察しています。というのも、これから会社につとめて最初の冬をむかえるのですが、冬用のアイテムをまったくそろえておりません。ビジネス向きのスーツしかり、ベストしかり、マフラーや手袋しかり。それでどういうものを買ったらいいのか、ほかのサラリーマンのしている格好を参考にしてみようかなと。さすがにカジュアルなものにするわけにもいきませんし、あまり周囲と同調していない服装はすぐ目立ってしまって恥ずかしいものです。社会において個人は集団にとけこまねばならないのであって、そのへんは日本人のつまらないところだなあとつくづく思うのですが、でもだからといって自分だけ奇抜なことはやっぱりできない小心者のondです(自己紹介)。

2002年11月7日木曜日

卒業制作保護区

やっとかめ。サイト改装のためしばらくお休みをいただいていましたがなにか。まずはページの配色をがらりと大胆改革しました。HTMLにまったく手を加えることなく全ページのデザインを同時に変更できるスタイルシートを使っているのでらくちんでしたが。ほんとはもっとひんぱんにデザイン更新をするつもりでいたのですが、さいしょのピンク色がかなりきらいじゃなかったため今までほったらかしでした。ところでこの色…なんだかわかりますか。いちおう昇格を祈願してのチームカラーにあわせてみました。
「雨がくれる50のしあわせ」(タイトルうろ覚え)を読んだときはやられたー!と思いました。女性向けかつややハイセンスな内容だったため一部私にはほにゃほにゃなものもありましたが、雨の日だって考えようによってはこんなにハッピーなものなんだと。あまやどりもとりあえずコンセプトは雨ということなので、なんというか先をこされた気分です。<対抗意識? 同時にこういったしあわせ系文章にもひかれてみたりします。というか近ごろ書店に行ってもこういう系統の本しか探していない私はどうなんでしょうか。

2002年10月31日木曜日

For フルーツバスケット

ondです。こんな荒れっぷり日記月間もおそらく最初で最後です。そしてラストテーマもずっと前に決めていました。<もはや日記ですらなし 自己紹介ページの誕生日は?という質問に私はその期日でなく「誕生日が自分にとってどのような日であるか」についての考えを答えました(2002/10/31現在)。親や周囲の人のことはもちろんですが、自分の人生のいろいろなことを振り返ったり考えたりする、いわば節目にあたる日と言えるかと思います。私はもともと記念日のたぐいにはあまり思い入れがありませんでした。たまたま日付が以前になにか起こった日と同じというだけで、それ以外はなんの変哲もない、ほかの日となんら変わらない一日にすぎない、という考えが強かったからです。そもそもカレンダーや日付は人間が考えてつけただけのもので、そんなことはおかまいなしに太陽や地球はたえずぐるぐる回っているわけです。これは人為的なものにあまり魅力を感じない私の性格のせいなのでしょうけれど、特定の日付にとくに関心をいだくということはしませんでした。それは自分の誕生日もしかりだったわけで。と余談はこれくらいにしても、子どものころから家族に祝ってもらうくらいの別段どうということもないふつうの日でした。まるいケーキの上のメッセージが書かれたチョコレートを食べて、うれしいことはうれしかったけれどとくに印象深いこともなかったといいますか。自分が歳を取っているという実感がなかったからかもしれません。その観念が一変したのは大学時代でした。保育園のお誕生会のようなものを除けば、はじめて家族以外の人に自分の生まれた日をそうやって祝ってもらうこととなったからです。これは不思議な感覚でした。他人の誕生日なんてふつう全然関係ないものですし知ろうとも思いませんし、いえすくなくともそれまでの私はそう考えていたもので、それが驚きだったというか、そのときようやく誕生日ってこんなにいいものなんだと感じてうれしくなりまして。あの日もらった子はもう里子に出してしまいましたが、それで思い出が失われることはなくて。それがきっかけで、自分の誕生日やその月に愛着がわくようになったり、友人の誕生日を気にするようになったりというふうに意識が変わっていったと思います。
そんなほのぼのハッピーバースデーは1年目だけのことでした。しだいに私は荒れていって暗いことも考えるようになったのですが、そのときに思いつくのが誕生日でして。人生の節目、区切り、という意味です。誕生日が近くなると自分の人生にいっぱい疑問が浮かんできます。なんでここにいるんだろう、今までなにをやってきたんだろう、って。そしてつらいことや悲しい気持ちもいっぱい思い出して。そうしたら自分が生きていることになんの意味があるんだろう、こんな無駄なことをしていたってなにも残らないのに、生きていたって痛くてくやしい思いばかりしかないのに。だったらいっそ年齢がかわるその日を境に、自分に線を引いてしまおうと、ここで終わりにしてしまおうと、考えていました。19歳のとき、勉強も人間関係も進路もなにもかもが真っ暗で、どこにも抜け出せない牢獄に閉じこめられたような気持ちになっていました。不安でこわくて、そして一刻も早く逃げ出したくてそればかり考えていました。20歳を待たずに。世間では成人といわれるその歳をむかえるのが本当にいやで、できることならその手前で、子どものままの自分の時間を永久に止めてしまいたいとさえ。けれどそのときは友人が一本のカセットテープをくれまして、それでなんとなく通過したように思います。もちこたえられたんだと思います。20歳のときはかなり投げやり人生でした。ちょうどネッツ中毒だったころだったとも思います。もはや授業ってなんですかというほどの放埒ぶりで、ゲーセンで踊るかオタクなイベントに参加するかくらいの用事でしかまともに外出した記憶がありません。先のことなんて考えたくなくて、それは考えても絶望的になるだけだから、ずっとそこから目をそむけようとしていたのだと思います。そのときは友人がCDをくれまして、荒いだ気持ちがふっとほぐれていくようで、21歳になったらもうちょっとしっかりやろうと心に決めたときでもありました。21歳のこの時期は徹底的に関係を避けていました。留年が決まっていたこともあっての劣等感もあったんだと思いますが、自分の過去をくやんで、苦しみから逃れるようになにもかもを遠ざけていました。とくにさんざん痛い目に遭ってきた人間関係というものを本当に忌々しく思っていて、だれとも関係をもたずに孤独の中で生きてそして終わりたいとまで考えていて、それであんなことを言ってしまったんだと思います。私の22歳の誕生日を祝いたいと誘ってくれた人がいたのに、私はそれを断ってしまいました。そのあと激しい後悔にさいなまれまして、あれほど自分のしたことをつらく思ったことはありません。それと同時にようやく私にとっての大切なものをすこしずつ見つけていったんだと思います。いつしか、誕生日は私にとって生きることの節目、自分の人生を振り返って見つめなおし、ときにはそこでなにかに気づく、そういう日になっていました。
そして24歳をむかえようとして、私はふたたびこの場所に立っています。岐路です。今回はこの息をつなぎとめられる要因があるのかまだわかりません。いえ、私はいつもかけがえのない人たちに囲まれていますし、今もこうしてこんなにつたなくて気味のわるい日記を読んでくれる人がいますし、それだけ恵まれていてちっともさげすむことなんかないのに、それなのに生きられないなんて口にしたらきっと失礼にあたります。なので、とくに最近会ったり話をしてくれたみなさんには私のこんな姿を、さもつらそうな胸の内を見せなければならないのはなんとも心苦しかったりしますが、まあこれは日記というよりただの文章ですし、ホームページのいちコンテンツにすぎません。それはそう思っていただいたほうがこちらも気が楽だという点もあるのですが、やはり心の中身をそっくり取り出したり文章に表すことなんてできませんし、すくなくとも今の私にはそれだけの技量もしようと思う意志もありません。なにかがあっても、あるいはなにもなくても、おそらくはそのまま通過していくのでしょう。おそらくはちっとも成長しなかった自分をかえりみてため息をついてみたりするのでしょう。やはり誕生日といえどただ日付が過去に自分が生まれた日と同じというだけのことでしかありませんから、その日を境にしてなにが変わるというものでもありません。人間が変われるのは、毎日のちょっとずつの積み重ねの結果のみなのですから。けれどやはり、私にこういうことをまた考えさせてくれるきっかけをくれた日であったということは今年も変わらなかったようです。今年は人生で2度目の、自分の干支の年でもあります。これからの人生は長いのか、あるいはもう短くなってきているのかそれはわかりません。でもわからないから生きていけるのであって、すくなくともせめてその期限を自分でせばめたり決めてしまうことはやはりできないなあと感じます。いつ終わってしまうかわからない、いつかは終わってしまう、けれどだからといって無意味だなんてことはけしてなくて、だって生きていればこんなに楽しくて、たくさんいいことやすてきなことがあって、そして胸がはちきれそうなくらい待ち遠しいのだから。人とのつながりも、ひとつのことをなしとげる達成感も、こうして今ここにいるから、今まで生きてきたからこそ得られるものなのですから。たくさんのものと出会って、影響を受けたり成長したりして、そうして今の自分があります。愛されて、笑顔があって、そうやってつないできた人生があります。今ここにあるしあわせをかみしめたい、そんな気持ちにさせてくれる日、というのを誕生日のもうひとつの定義にしてもいいかもしれません。
…がんばったね。私は今までがんばってこられたよね。だからもういいよね。なにもくやむことなんてないよ。もう無理してつづけなくたっていいんだよ。きっとむだになんてならないよ。だから今はそっと目をとじていよう。せめて自分では自分のことをたたえてあげよう。私は私のままでいよう。きっとだいじょうぶだから。かなしいことなんてないから。これからも生きていくんだから。この場所で。

2002年10月30日水曜日

datte.

やさしさについて。他人のためになるようなことを言ったりしたりするのは一般に道徳的な行為だと言われますが、いっぽうでよけいなおせっかいだったり身勝手だと解釈されることもあります。人に親切にするのは、その人のことが心配だからではなくてその人がもたついているさまを見ている自分がやきもきして心配になっているからだとか、他人によく見られたいという気持ちがはたらいているからだとか、人づきあいに波風を立てないように穏便にすまそうとしているだとか、そうしたいろいろな思惑にもとづくものだなどというようにわるく言われてしまうときもありますが、それはたしかに真理の一面をついているかもしれませんけれどやはりかたよった見かただと思います。他人に対してなにか行動するって理屈じゃないところがあると思うんです。道徳だとかあるいは利己的だとか、そんなふうに理由をつけて私たちはいちいちうごきますか。いえ、きっとそんなことはありません。人にやさしくすれば自分も気分がいいですし、みんな気持ちよく生活できますし、動機なんてものはその程度でじゅうぶんではないでしょうか。けして積極的にやる必要はないと思います。ふだんどおりのなにげない気持ちで、ちょっと思いついたときになにか気づかいができればじゅうぶんではないかと。そういう心はだれもが胸の奥にもっている素直な部分なんですから、それに対してへんに難癖をつけてねじ曲げてしまうのは本当にもったいないことです。ですから、ほんのささいなことでも、たとえうわべだけの態度だったとしても、受ける側にしたらやさしさはうれしいものです。気持ちの大きさや本心がどうであったかということは、人間関係という点でみればさほど重要なものではありません。なにかをしよう、声をかけようと思ったその気持ちが、いちばん大切なのですから。あわただしくてすさんだ世の中。人ごみのなかでだれかが困っていても、さびしそうにしていても、だれもが見ないふりをして通りすぎていきます。心をもたない無機的なものの流れのように。必死に他人を求めて出会えずにいる人も多いなかで、たとえ偶然でもなんとなくでも、足をとめて立ち止まってくれて。自分の時間をちょっとだけそれに割いてくれて。それは立派なやさしさの第一歩と言えるでしょう。だれにでも心の中にちゃんと思いやりはあります。大切なのはそのことに気づくこと、自分に自信をもつことなのかなと思います。他人のためでも自分のためでもなく、それは生まれつきもっているあたりまえの力なのですから。…これが私に言える精一杯です。

2002年10月29日火曜日

卯の花腐し

俗社会にうといondはときどき♂と♀がどちらがどちらかわからなくなります。これを書いている今もど忘れしています。しかしべつに知らなかったところで日常生活にまるでもって支障は出ないと思われますので頓着しません。といいますか男だ女だという話題からしてトラウマンな昨今ですがいかがお過ごしですか。なんでもかんでもがごっちゃになった今の世の中で男女のちがいとか男性らしさ女性らしさを議論すること自体ナンセンスなのかもしれませんが、私は自分では女っぽいところがあると思っています。また一方で、自分が男性であることにはあまり自信がありません。このふたつの感情が独立なのか相関があるのか自分でわかっていませんが、それをふまえて私はより中性的なものをめざしているようです。女性でも男性でもないべつのなにか、という意味でです。これはなにかコンプレックスみたいなものがあるのかもしれませんが、自信がないというより、自分の男性をきらっているところがあります。ひげや体毛が濃かったり、すぐいやらしいことを考えたり、女性をそういう目で見たり。こればかりは男とはそういうものだと認めることができません。かといって女になりたいかというとそういうわけでもありませんし(なれませんし)、それでどちらでもないもの、と考えるわけです。まあこれは、自分への劣等感やわずらわしさから逃亡したがっているだけで、いわば俗世を捨てて出家したいと思うのと似たような感覚なのかもしれません。もうひとつは社会的な要因でしょうか、私たちのあいだにはそれぞれの性別についてある程度のイメージが固まっています。男性または女性はそれぞれのイメージの枠組みの中で行動することを社会は期待しています。男だからこうしなければならない、女だからこうしなければならない、といったものです。そうした通念にはどうして?と首をかしげたくなるものもたくさんあります。性別というきまりごとにとらわれて自分らしさを発揮できない、そういうしがらみに悩んだり異を唱える人もふえているようです。私に自分らしさなどというものがあるかどうかわかりませんけれど、とりあえず女か男かいずれかいっぽうの世界にしかいられないというのは不便だと感じます。ですので、自分から性的な特徴をできるだけ取ってしまって、どちらの性別にも身を置かない中立な立場にありたいと願ったりします。本当はだれもが肉体的または社会的な性差にしばられることなく生活できるように世の中が変わっていくのがいちばんなのでしょうけれど。ただ、性差というものは生物学でいえばあってしかるべきもので、動物によってはオスとメスとで体の大きさや生態がまったく異なるというものも存在します。そして両者の役割分担はたいていはっきり決まっています。つまり人間にも男性や女性の特徴や相違点が多くあることは当然のことと言えるわけで、そのギャップを否認したり取っ払って差をなくそうと考えるのは生物たることを放棄したがっていることに等しいのかもしれません。

2002年10月28日月曜日

あの星をくれたらね

私の名前にかけて。ひと昔前の青春ドラマやアニメでは人を信じることの大切さがよくテーマに描かれることがあります。信じることが当事者におよぼす影響とはなんでしょう。他人を信頼することはその人への強要と依存という独善的な行為と表裏であると考えています。けっしてきれいなことばでもなければきれいな行動でもありません。いえ、むやみやたらと信用してそれで自分が傷ついたり損をしたりするのは当人の勝手ですのでその点はべつにどうということはないのですが、他人に負担を押しつけるという面では悪意のある行為だととられてもしかたありません。これは逆の立場を思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれません。ほかの人から頼りにされたり役目をまかされるときどのような気持ちになるでしょうか。うれしいでしょうか。はげみになるでしょうか。期待に応えたいと思うでしょうか。たいていの場合はそうだと思います。しかしたとえば、それが高じてみんなが仕事を押しつけたり責任をまかせっきりにしたり、しだいに度をこえていって遠慮なしに図々しくものをたのんだりしまいにはその関係があたりまえだと思われるようになったり。そうなると頼りにされた側はつらくなってきます。信頼や期待がいつしかプレッシャーに変わります。これはたとえば、最近は企業や政治家の不祥事が相次いでいますが、それらは多くの消費者、顧客、または有権者や団体との信頼関係で成り立っているといってもよいでしょう。私たちの要望に見あうサービスや商品を提供したり政策を実施するかわりに支持を得るという関係です。それがあのように一度問題や疑惑が起こるといっきに信用が崩れ、痛手をみるのはニュースでくり返し報道されているとおりです。信頼が大きくなればなるほど小さな失敗や不正の許されない厳酷な状況におかれます。もちろんその重圧がサービスや政治の質を高めることにつながっているのも事実なのですけれど、私たちはこれら企業や政治家への信用と同時に、それらに多大な期待を押しつけてもいるのです。そしてこれは個人レベルでも言える話でして、職場や学校でそのような経験にあったり、またはだれかをそのような立場に追いこんでしまうということも間々あるでしょう。他人に寄りかかられると、その人の体重を支えていなければならなくなります。とくに気の弱い人ですと仕事をなんでも引き受けてしまいますので、いずれ堪えかねてつぶれてしまうなんてことにもなりかねません。信じることはとても迷惑であるという側面をもっています。
私も自分の学生時代を振り返ってみるとそうだったのかなと思います。責任のある役目についてみんなをまとめて、それがやりがいだったし楽しかったはずなのに、仕事のきつさや立場の重さを思い知らされるたびにいつからかそれがつらいものになっていって、そしてついに逃げ出してしまいました。仲間からの信用を捨てて。ただ断っておきますが、これはまわりのみんなが私に責任を押しつけてきたからではなく、私がそういう役目を負うには精神的に弱くて適さなかったというのが原因です。もちろん今はこのことを反省していますし後悔してもいます。なんてもったいないことをしたんだろうって。そこで先日からたびたび書いている話題と重なるわけですが、やはり人から信頼されるということはある程度は不可欠なのだと思います。もし自分がだれにも必要とされていなかったら、だれからも見てもらえなかったら、きっと生きることはすごくつらくなるんじゃないかと思います。私がそうなったら生きられる自信はありません。他人とのつながりを確立することで人間は社会の一部となりそこに存在しうるわけですので。そしてまた、信じられることと同程度に信じるほうもなければならないということ。だれも信じていないような人を信用することはやはりためらってしまうわけで、信頼を得るためには自分から信じることも必要だと言えます。頼りにすること、必要とすること、おたがいにそうやってすこしずつ寄りあっていって関係は深まっていくものです。でも忘れてはならないのは程度があるということ。依存しすぎてしまうと相手に負担をかけ苦しめてしまいます。かといってまったく信用しなければ相手も自分のほうを見てくれませんから、そのバランスをとるのが大切だと言えるかもしれませんが。…とこんなにえらそうなことを書くくせに、私はなにもわかっていませんでした。信頼されることのプレッシャーを、度の過ぎた甘えがどれほど重くのしかかるものであるかを人一倍よく知っていたのに。この身で知っていたのに。それと同じ苦しみを押しつけてしまったのかもしれません。否定への幇助、信じあえる喜びを、笑顔を、奪って。それでも私は愚かにも信じつづけようとしています。自分のことしか考えられない独善と知っていて。けっしてきれいごとではありません。きたなくて身勝手で、またつらい過ちをくり返すだけなのかもしれないのに。それでもです。信じることをやめてしまうのは、私にとって自己否定のようなものだから。

2002年10月27日日曜日

ひとりでときめいてる

ふしぎな目覚めでした。昨夜は遅い時間に床について朝はふつうに目覚めたのですが、非常に眠りが深かったというか、本当にぐっすり長いこと眠っていたような感覚に陥りまして。それはもう丸一日眠ってしまったかのような、今日を24時間完全に寝て過ごして翌日を迎えてしまったのではと思い違うほどの錯覚でして、目が覚めてそう感じてあわてて会社に向かう準備を始めようとしてしまったくらいです。そして朝のニュースを観ようとテレビをつけたところ日曜日の番組が流れていたのでそれで事なきを得たというくらいです。というのも、長い夢を見ていたからだと思います。それで、いつもは夢を見ることがあっても起きたときにその内容をあまり覚えていないのですが、きょうは断片的ではありますが記憶に残っていたので書こうと思います。というか実は夢を見たらそれを日記に書こうとは前々から決めていたことなのですが、それがやっときょう実行できるという運びとなりました。よりによってこんなときにね。それでいてその内容のソースというのが前日に観たガンダムSEEDだったというあたりいかにも私というかげんなりなのですが。まあつづけます。――私は戦国時代の下級武士でして、小さいころから剣の修業に明け暮れていて中略でなんか敵国の城に単身乗りこんでいきました。で向こうの武士が大勢出迎えて刀を交えることになるのですが、相手もそれはサムライスピリッツと申しましょうか、こちらが一人なのに全員で一斉にという戦法は取りませんでみなさん一対一で勝負を挑んできます。私は次々とそれらを破ってどんどん城の奥に進んでいきます。で武将クラスの相手と戦うあたりまで到達してまたさらに斬るか斬られるかのバトルが続くのですが、その最後のほうに出てきたのが子どものころともに修業をした旧友(でこの人はだれだか忘れてしまったのですが、やはり現実世界でも私の知り合いだったと思います)だったと。で彼もこちらに気づいて、でも今は敵どうしだから戦うしかないわけです。決闘開始の合図を前におたがいに鋭い刃を向けあって私たちは対峙しています。戦国ですから勝負というのは一方の息の根を止めてはじめて決着がつくことになります。どちらかは死なねばなりません。彼の実力が相当のものであることは古い仲である私もよく知っているので、行方をまったく予想できません。そうすると死への恐怖がふつふつとわいてくるわけです。ここで果てるかもしれない。いえしかし私も一国の武士ですから覚悟を決めていなければならないはずです。失うものなどなにもないという捨て身の覚悟を。でもそのときふとある人のことが思い出されて、もしここで死んだらもう二度と話せなくなると思って、それがとても悲しくてこわくて涙がぼろぼろあふれてきて、そこへ非情にも決闘開始の旗があがって、ほぼ同時に旧友が斬りつけてくるのですが私は泣いていたので視界がにぶっていて太刀筋を見切れなくて――。というあたりで目が覚めたと思います。いかにもファンタジー小説な展開で自分の趣味を再確認したのと、丸一日どころか二十余年の歳月が走馬燈でしたのでそりゃ睡眠時間を錯覚するのも無理はないわなとひとり納得した朝でした。最近生きるとか死ぬとかいささか不謹慎なことを考えているからそれが夢に現れたということなのでしょうか。それとも、夢の内容は深層的な心理が顕れてくるものだとよく耳にしますが、きっとそういうことなのではないかと。今の私をつなぎとめているものがなんであるかを、これによって自分でははっきり自覚できたと思っています。そう。これは禁断症状であり、また末期症状なのです。

2002年10月26日土曜日

私は逃げる 私は子猫

おはようございます。
生きることのむずかしさ。かつて毎日歩いた通学路。未来へのほのかな希望を胸に課題に勤しんでいた日々。どんな困難もスランプも容易にジャンプできて。そして夜が明けるまで語りあったこと。そうして過ぎていった時間たちは、どこへ行ってしまうのでしょう。自分自身がはがれていく感覚。今の自分はもうあのときの自分とは質を異にするものになってしまいました。戻せません。毎日毎日、それはすでに過去と呼ぶに相応するものですが、なにがあんなに楽しかったのか、なにがそれほどに自分を奮い立たせていたのか、なぜがんばれていたのか、思い出せません。それは現在の私が過去という殻を脱ぎ捨てる行為なのか、それとも甘美な記憶から閉め出され遊離していく現象なのか、それすらも。心のいちばん大きな部分をえぐり取られて、そこからいのちの色が大量に吹き出していくように。きっと今まで経験したそれらと同じく、私はこのように陥れられていくのだと、殺害されていくのだと思いました。辛辣に、凄絶に、やさしい嘘で。実際に死ぬわけではありませんが、ただそれまで積み上げてきたものは修復されません。また一から新しい土台を組まなければなりません。その作業が面倒だと感じているわけではありませんが、でもなぜ、失わなければならないのか。もしそれが人生経験だとか成長ということばで表彰されるのであればそんなものを私は受け取りたくありません。きっと自分を見ることを放棄します。それでも日付は進んでいって、たとえそれが今の私の脳内と同様に空洞であっても、地面を踏みしめる感覚すら失われても。流れていきます。流されていきます。時間は待ってくれません。人ひとりの個人的な都合で止まったりはしてくれません。やがてスクロールする画面に押し潰されるか、奈落へ突き落とされるかのいずれかの結末が迎えるでしょう。生きることはそれを回避すること。次のランドマークへと飛び移って、迫り来る死期から逃げつづける行為。たとえば会社から仕事が与えられれば、それを完了させるまでは勤める理由ができますし、友人と会う約束をすればとりあえずその日までは自分は存在していなければなりませんから、それまで生命をつなぐことになるでしょう。そうやってちょっとずつちょっとずつ寿命を延ばす、そのくり返しで私たちはどうにか生きているのだと思います。これは生命体としてはかなり致命的な弱点かもしれませんが、人間はそうでなければならないと感じています。他人とのつながりの中で、ときには社会やしがらみに囲まれて、でもそうしなければ生きていけないのです。人はひとりでは生きられない、かつては安っぽいありふれたことばにしか思えませんでしたが今はその意味をかみしめています。生まれたときから私はひとりではなくて、人生のどの一瞬においてもひとりっきりになったことなどなくて。以前なにかのゲームに影響されて真の孤独をのぞんでいた私を今はつくづくバカだと思います。きっと私は恵まれすぎていました。しあわせで運がよくて、つねにすてきな人たちに囲まれて生きてきたから、人生のむずかしさをなにも知らずにここまで来てしまったのだと。悲しいことも理不尽なこともすくみ上がるような恐怖も人間関係においてはさほどなくて、曲の歌詞を聞いてもなんとなくいいなんてうなずける程度の世間知らずで、そんな温室育ちの私だからこんな歳になって苦しんでいるのでしょう。挫折や絶望を免れて、のうのうと生きることの甘い部分ばかりを見てきて、夢のような世界は所詮は夢の中のものでしかないことさえ、認識できなくて。蔑まれていることさえ狂言でしかなくて。すべてが思いどおりになるとまではいかなくても、努力すればほしいものが手に入る、そんな理路整然としたインタフェースを想起していた無知な私。そう。甘かったのです。私はなにを知ったのでしょう。知らなければならなかったのでしょう。人生はそういうものだと再定義することなのか。自分はしあわせになれない先天にあると悟ることなのか。つまらない夢をもって生きることを愚弄すべきなのか。どれも私にとってにわかには受け入れがたいものばかりですが。ですがやっとそれに気づいて自分の存在意義をいったんまっさらにして構築しはじめている段階にいます。今からでは取り繕えなくなってしまったものもありますし新規のカテゴライズなどもってのほかですがそれも今はわきまえたつもりになって。だれもがあたりまえに認めていることを、実践していることを、私はやっと知った、それだけのことです。そしてとりあえずまだ生きる意志が残っていますので。なんとか用事を作って、その日までは甘いお菓子と紅茶でしのいで、排泄物としての日記を書き留めて、そうやってちょっとずつ生きていくのだと思います。とりあえずのその日まで。あるいはまだ結論も出ていない状態では悔やんでも悔やみきれないという未練だけで長らえているだけなのかもしれませんが。

お願いだから 私のことを

生きることに器用だとか不器用だとかいった話をときどき聞きますが、思っていることがすぐ顔に出たりすることは不器用と言っていいものでしょうか。人間は頭脳や思考がとても発達していますから、考えることや心が身体の状態や変化になんらかの影響を与えることが往々にしてあると思います。楽しいことに熱中しているときは夜遅くになろうとも眠くなりませんし、反対に気が滅入っているときはなにをするにもなかなか気分が乗らなかったり、あるいは体調を崩したりなんてこともあるでしょう。そう考えると心というものは、あるいは心と体との間のつながりはなかなか面倒なもので、気分や集中力ひとつでふだんの能力を発揮できなかったり逆にふだん以上のことができたりするわけですから、自分の実力をよくもわるくも不安定にさせる要因だと言えます。私ですが自分ではメンタル的なものが表面に出やすいほうだと思っています。いえ個人的には表面的な状況よりも、毎日毎日こんなことばかりうじうじ考えていて思考回路がオーバーヒートして脳みそが煮えくり返ってしまわないか心配なのですが、人間の脳は発達していますから(?)おそらくそんなにやわではないでしょう。それはさておき、あまり大っぴらには言えませんが会社もすこし休みましたし、肌荒れはひどくなるいっぽうですし、あと反動と言うのでしょうか、気をまぎらわそうといろんなことに手をつけたりして、それでもちっとも気が晴れなくてよけいにブルーになったり。ちょっとずつわるい子になってきているような気もします。それと先日ひとり身体測定を思い立ったのはこの話に関連してのことだったのですが、体重がここ数か月で5㌔ほど落ちました。自分の顔はいちおう毎日鏡で見ているのでかえってあまり変化に気づきにくいのでしょうか、人にやせたねと言われてはじめて知ったくらいでして。たしかにスラックスのベルトがすこしゆるくなってきたとか、食が細くなったとかいう自覚症状はあったのですが、これだけあからさまに顔に出るのもつらいです。ほおがすごくやせこけてしまって、ほお骨が飛び出ています。きっとあからさまにやつれたように見えるんじゃないかと思います。そういうふうに誤解されるのもしんどいのですが、あながち誤解ではなかったりする点がよけいしんどかったり。というかやせるときは顔からやせて太るときはおなかから出てくるという罠。はい、不器用な体だと思います。
おやすみなさい。

2002年10月24日木曜日

結局おとがめなし

ふと気になったのですが、私はどういう状態なのでしょう。<聞かれても 今月の日記は自分でもあきれるほどの文章量でお送りしておりますが、仕事から帰るのもそれほど遅いでも早いでもなく、ほかにやることがあるわけでもないわけでもなく、いつのまにか手元に妙な買い物があったりなかったり、おいしいものも食べたり食べなかったりと、気分的にはどうであれまったくもってふつうの生活をしております。すずしくなってきて朝ふとんから出るのに時間がかかったり顔を洗う水が冷たく感じられたりというふうに変わってきたというのはありますがそれは季節のせいですし、そう考えるとなにも不具合はないのではないかという気がします。つまり、必要以上に落ちこんだり、傷ついたつもりになってみたりするのはふさわしくないんじゃないかと。いえもちろんわざとこんなふうに振る舞ったりなどしてはいないのですが。因果の中で生き、霹靂の中で生き、思わくはその中間、偶然と必然の中間で生きています。幸運なこと、不運なこと、しかるべきこと、不条理だと感じること、受け入れても受け入れなくても、心にとどまってもとどまらなくても時間はひとしく過ぎていきます。さだめられたルートがあるわけではありませんが、なにかの選択を迫られる岐路に立たされることもあるでしょう。それぞれの点にイベントがあって、なにかを知って、感情をもって、考えて、その繰り返しの中で、だけれどもすこしずつ進化していって生きています。ですから今は悲しむべきところではないのかもしれません。もうなにも見えなくて、でもその先にもっと重くて暗いものがあるかもしれないと考えると、私はうつむいていてはいけないような気がします。不健全なほどやけになって自分のことをないがしろにしてしまったり、深い深い心の闇にすべての思念を投じて気持ちを閉ざして自分を傷つけてしまったり、それは本人にとっても、それを見ているかもしれない他人にとっても悲しくてつらいこと、なのでしょうから。歩きつづけることに意味があるかどうかわかりませんが、歩くことをやめてしまったらきっとなんの意味も生まれない、それはまちがいないでしょう。あるいはこうなってしまったことの責任が私にあるのなら。だからきょうも紡ぎ出します。そう。たとえ嗄れていようとも。…ひとつわかったことがあります。この日記は量は多くても質はスカスカです。
さて岐路と書きましたが。人生の中でなにかをえらばなければならないときはきっとあると思います。私は昔からそういうことはあまり好みませんでした。ものごとを取捨選択したり、優先順位をつけたりといったことでしょうか。やりたいことはみんな分け隔てなくやりたいですし、それがひとつだけだったらとことん突っ走ればいいだけですし、どうしてもこうシリアルにといいますかシーケンシャルに複数の事案を処理するようには頭がはたらかないところがありまして。…優柔不断なところがあるくせにこれだと決めたら考えるより先に体が動くという困ったちゃんなタイプですが。やりたいことや大切なものがいくつかあったときに、それらの重要性をくらべたり順序づけできないことって多いと思うんです。たとえば仕事と私とどっちが大事なの!みたいな。それをむりやりに数値に置き換えてみたり物質的な扱いをして並べ替えてみたりするやりかたがきらいでした。いかにも効率重視のオトナの考えかただなあという感想ももっていました。ですから、まわりの意見に流されやすいという性格のせいだったかもしれませんが、私は今まで重大な選択というものをあまりしてこなかったように思います。これは意識的に避けてきたというより、今までの人生がそんな感じだったのかなあという印象があるものでして。たとえば自分の進路しかり。どの学校を受験するかということは選択できますが、そこに合格するかどうかは自分では決められません。合格通知が来てはじめて入学できる、というように、それは自分の主体性にもとづくものなのかどうかややグレーな部分があります。そういうものも含めての話です。だからえらべませんでした。1年前も2年前も。それぞれが自分にとってどのようなものかなんて考えたことがなかったから。そしてそれは、考えなくて正解だったのです。えらんではいけなかったのです。消極的な敬遠でなく、それが堅持への条件だったことを私は知りませんでした。選択をしないということは臆病かもしれませんが、同時に敵を作らないための、秩序を保つための自衛手段でもあったのです。えらぶこと。えらんだものへ与えるもの。えらばなかったものへ与えるもの。そしてうしなうもの。その結果がこれです。均衡を失った世界は急速に崩壊を迎えます。そして迷いもなく。それがこんなにも喧しいと言うのです。そして今も分かれ道に直面しています。私はなにを消さねばならないのでしょう。あるいは自分自身でしょうか。なにひとつ失いたくなどなくて、でもそれはコドモの考えかただと気づいて、そうしたら人生はこんなにも分岐点でいっぱいなのだということが見えてきて。それとも、自分になんかしらの選択権があるなどという思いこみが傲慢なのでしょうか。そうですね、きっと権利なんてありません。望むらくはもうなにもえらびたくありません。いいようにからかわれてこき使われて捨てられて、あるいは世の中の赴くままに流れていくのが私に見あった生きかたなのかもしれません。その感覚はつらい選択を放棄しようとする逃避本能のいたすところなのでしょうけれど。

2002年10月23日水曜日

レイ・ギナーレ

ondです。きょうは私のカラダのヒミツを教えちゃいます。いえたいした話ではありませんが、本日ひとり抜き打ち身体測定が実施されまして、おもむろにメジャーを持ち出して胸囲をはかってみました。結果はといいますと82㌢でして、元スポーツメンとは思えないひょろさです。というか肋骨浮きまくりです。しかし80の大台はなんとかキープしているのでほっとしています。はい、女性の場合はトップバストが80㌢あるかないかを大きさの目安にするという話を聞きますが、その数値は男性にとってもデッドラインでありまして(たぶん)、胸の豊かさといいますかたくましさの指標と言えるかもしれません。そして男女とも共通のボーダーラインを用いているということは、はしょって述べますとバストを女性と比較できるということになります。男女の体格差、とくに胸の形はけっこう異なっているので比較することに意味があるかどうかわかりませんけれども、でもここはやはり気分的に勝っておきたい気もしなくもありません。男性はとくに体格で女性に負けてしまうのは恥ずかしい思いをするものです。女性より背が低い、と言われると肩身がせまかったりするものです。それと同じノリで女性より胸が小さいというのはなんとなくくやしい気がします。私だけでしょうか。それとも胸囲くらいは女性に譲るのが紳士のたしなみというものなのでしょうか。もう自分で書いていてわけがわかりませんが、とりあえずもっと体をきたえなくちゃと思った春の夕暮れでした。
さてうって変わって、音楽を聴くときの歌詞について。私が曲をよく聴くようになったのが大学に入ってからでそもそも歴史が浅いのですが、これまで歌詞はあまり聞きこんでいないほうでした。というのもやはりオタク業界からこの世界に入った(?)というのが関係しているのでしょうか、ヴォーカルの声質ですとか、あと曲のノリやアレンジの派手さにばかり関心がいっていて、歌詞をよく聞くということはしていませんでした。今にして思えばなんとももったいない聴きかたをしていたものです。もちろんまったく聞こうとしなかったということはありませんが、どう言ったらいいんでしょう、あまり胸にしみる感じがしなくて。難しいことを言っているなあとか、意味はよくわからないけれど格好いいとか、そういう気持ちになるときもあるかもしれないねとか、歌詞のよしあしと言われてもそれくらいぼんやりした判断基準しかありませんでした。それが今はいろいろ感じとれるようになってきました。痛いくらいに、という話です。ひところはフレーズのひとつひとつが突き刺さってくるように思えてきて聴くのをさけていたときもありました。今はソフトなものからすこしずつ聴くようにしていますが、それでもきついのはまだ聴かないようにしています。あるいは反対に、悲しいときはとことんどんより沈んでみようという逆療法みたいなやりかたがあることも覚えました。あらためて考えてみるとなかなか不思議なものです。現実的なもの、ファンタジックなもの、楽天的なもの、悲観的なもの、そしてしあわせと悲しみ。方向性はさまざまでも、人がつむいだことばが曲にのせて流れてきて、それを聞いた人の心にはたらきかける、感銘を与えさせる、そんな力があります。どうして他人のことばを聞いているはずなのに、その歌詞の中に自分の心情を照らしあわせてしまうのでしょう。重ねてしまうのでしょう。なぜ無意識的に頭がそうはたらいてしまうのか奇妙でなりませんがそれはさておき。けれど歌詞の意味を感覚で受けとれるということは、心にしみてくるようになるということは、聞く人がそれだけあたらしい感情を知ったからだと思います。あたらしい経験をして、そのとき思ったことが胸にのこっているからなのでしょう。自分の質を高めて、より多くのことばに対応できるようにバージョンアップしてはじめて理解できる歌詞があるのだということでしょう。共感できるということは、その人(作詞した人)と同じ考えをもっている、同じ感情を知っているということなのですから。ですのでどのような歌詞を受け入れられるかには個人差があってしかるべきですし、その差異というものはそれぞれの人のそれまでの人生や経験してきたことのちがいに帰着されるものです。なんとなくの意識で感じるレベルではなく、心の奥底で触れあうような一体性、そのときはじめて見えてくるもの、うなずけるものがあって、だからこそ胸を痛めたり感傷的になれたりするのかもしれません。意味を知るということはこんなにも奥深いものなんですね。ですけれど、それがこれほどにも苦しいものならば知らないままでいたかったという気持ちもないではありません。

2002年10月22日火曜日

今年のクリスマスは笑顔で迎えよう

こころはきもちのいれもの。たのしいこと、うれしいきもち、たいせつなことば、あのひとのえがお。いっぱいいっぱいつまってる。それはさみしさのうらがえし。いつもきもちでいっぱいにしておかないとさみしくなる。あながあいたみたいで、しずかで、つまらなくて、きっとかなしい。そのくうどうからくずれおちちゃうみたいに。だからみたそうとする。きもちがなくなったら、そのぬけたあなをうめあわせようとする。べつのきもちで。ほかにたのしめることをさがしたり、いろんなものをみたりきいたり、ほかのはなしをしてみたり。べつのものがかわりにこころにはいってくる。たとえかけがえのないたいせつなものをなくしたとしても、たえずべつのきもちでみたされようとする。かわりにはならないとわかっていても。そうしないとさみしくていきていけないから。かつてこころのなかにあったもの。いっぱいいっぱいつまってたもの。てをはなれてどこにとんでいくのだろう。ここからにげようとして。こころからもからだからも、きおくからも、きえてしまいたくて。かたくなにとざしたまま。こえもかけられないくらいしんけいをとがらせていて。だからちかづけない。こうしてかけらをひろいあつめておもいうかべるばかり。いまはもうこころのなかにもどすばしょがないもの。つくろえないもの。もしさみしいというきもちがなかったら。こころのなかがすこしのあいだからっぽになってしまってもがまんできたのなら。それならばまたいれられるばしょをとっておけたのかもしれない。でもできない。さみしかったから。ひとりぼっちでかなしくてひしゃげてしまいそうだったから。きっとげんじつからはなれようとするきもちばかりがさきんじて、それにばかりしがみついている。やけになってじぶんをわすれようとしている。つまらないつめたいぶっしつでこころをむりやりにみたしてそれだけでつなぎとめたきになっている。それはつらいこと。ただおちていくだけのやりかた。おねがいだからそまつにしないで。そんなふうにだめになっていくために、えらんだのではないだろうから。きもちをなげだしたのではないのだから。こころをかきみだしたままなんてきっとかなしすぎて、どんなおおきなきもちでもいやしきれなくなってしまうから。だから。すさんだこころにといかける。はなれていくきもちによびかける。まどわされることのないじぶんをわすれないでと。

2002年10月21日月曜日

ゆくゆくはマエストロとして

チョコセラピー継続中です。今週も袋チョコレートを買ってきてちまちま食べております。症状(何)がひどいときには徳用大袋です。なんかこう、甘いものを食べていないと心が落ち着かないといいますか、浮き沈みがはげしい状態になってしまうのでそれをしずめる効果があるってみのさんが言ってたかどうかは知りませんが。いっときの平穏に心をゆだねる反面、こんなものでいやされている私ってなんなんだろうという気持ちもあったりなかったり。甘いものといえば先日は近所ですごく有名なケーキ屋さんのケーキを食べました。見た目がまず食べちゃうのがもったいないくらいきれいでして、味も格別といいますか、濃厚でまろやかな味わいでした。というかけしてダサメンがひとりで入れるようなお店ではないと痛切に感じました。仲間がいるって本当にすばらしいことです。人はひとりでは生きていけません。<極論 …こんなものでいやされている私ってなんなんだろう。
さて近ごろはやたらろうそくの炎に縁があるような気がします。ゆらゆらっとした弱々しい炎はついつい見入ってしまうふしぎな魅力があります。炎というと、一般的には赤くて熱くてものを燃やすものであって、たとえば火災の原因になったりするこわいものです。人間以外の動物はみな火をこわがります。いちど燃えてしまったら灰になってなくなってしまう、そういう終末的なイメージも持ち合わせています。そのことからも火葬というおこないが広く知られるのかもしれません。ですけれど、ろうそくの炎は弱いためにそのようなイメージや脅威はあまり感じられません。反対にやわらかさや温かみといった要素を強く持っています。今は冬でもエアコンを使いますが、昔はたき火や暖炉やいろりなど、火を囲んで体を温めていたものでした。そういう時代の感覚をどこかで受け継いでいるんでしょうね、やさしい炎のゆらめきにひかれるというのは。きっとそれは、心をも温めてくれる炎なのだと思います。それと、私はろうそくが燃えるにおいもすこし好きです。バースデーケーキのろうそくを吹き消したときのそれですとか。最近はろうそくがあまり生活に身近なものになっていなくなりつつありますが、ふと思い出したときに部屋を暗くしてそっと火をともしてみるのもよさげだな、と思いました。

2002年10月20日日曜日

朝ごはん☆しびれ雲

結論から言うと、私はしあわせなのだと思います。生きる手段、人として生きるそれを模索しつづけています。こんなにもわがままを言える環境が整っていて、その中でやりたいようにやっていて、それでまだなにが不満だというのでしょう。私が後ろめたく感じているのは生きるためのくさびを得ること自体ではなく、それがこのように目につく形になっているという点です。今というタイミングであるということです。逃げ場所を作ってそれを担保にして向き合っているという姿勢が不謹慎だったということです。知らなかったと言えばそれが許される理由になるのではありませんが、稚拙だったと言えばそれが逃げ口上になるのではありませんが、でも子どもだったんだと思います。それは私の意志でした。心のどこかで、おとなになることを避けていました。だから子どもみたいな人間関係しか求められなかったんだと思います。明確に区切りを引けるものではないと言いながらもやはり両者は絶対的に異なるものです。いつか先の私は、今の私を振り返って幼稚だったと思うことがあるのでしょうか。何年先も、ガキだガキだと言いつづけて、そうして年を食っていくのでしょうか。こういう人間がまたひとつ社会をだめにしていくのかもしれません。きっと私は変わらないのだと思います。肝心なところは、なにも。それも“先”があればの話でしょうけれど。…それとも私は、他人に迷惑をかけないことがおとなとしての生きかただなんて思っていやしないでしょうか。
翼をもがれたような気持ちに、なっていました。もう空はないのだと、あの雲も風も太陽も、こんなに気持ちよさそうなのに、今にも手が届きそうなのに、もうけっして自分はその中には入れない、大空に還ることはないのだと、それくらいに失望していました。その感情を自分で整理するための方策として私は罪とか罰という概念をとなえだしました。この苦しみは報いであり償いなのであると。けれどそのせいで自らの掘った泥沼から抜け出せなくなっています。きたない泥水に顔中つかってあっぷあっぷしているさまはさぞ見苦しいものだったでしょう。なんて考えるのも体裁ばかり気にしていることの現れなのでしょうか。ひとつのことにばかり執着して、同じ過ちをくり返すだけの。なにがいけなかったのか正直わからずにいます。けれど自分がどういうものであるかという認識だけは明瞭です。わきまえなければならなかったのです。腐らせているのは、腐っているのはほかでもない自分自身だったのですから。雨は降りつづけるでしょう。けれどぬれてしまっても冷たくても、それは悲しみの色ばかりではありません。雨が涙を隠してくれることもあるでしょう。ほてった頬と高ぶった感情をさましてくれるでしょう。もうすこし、この雨の中にいたくて。私がいたんでいるのは雨のことではありません。その涙の理由を知りません。きっと今の私は世界からいなくなることも躊躇しないような状態にあるかもしれません。けれど要領の悪い頭で考えてもそれはよい選択ではないという気がします。だから生きなければならないのだと。たとえ罰だとしても、たとえエゴだとしても、あるいは推測の域を出ていなくとも。理由はなんでもいいのです、つなぎとめるものがなにかしらあれば。生きなければのぞみはつながらないのですから、生きなければ朝は来ないのですから、生きなければ必要な材料を稼げないのですから。不幸なことなのでしょうか、生きることって。不幸であるということがデフォルトならばきっとそんなに悩まないのだと思います。悩むということは高望みをしているということです。しあわせを知っているということです。その人にとっての満足のかたちを。それが叶わないときに悩むのです。だから自分のことで苦しんだり胸を痛めることは、その向こうにあるよろこびを求める反作用であって、それがつまりしあわせだと言うのです。
ホームページは出席確認だと言われたことがあります。生存証明とも言えますが。更新していれば今日その人が生きていたという目印になります。私は今日も生きています。とりあえず、まだ、生きています。そう。だからここにいます。今はもうそれくらいしか返せるものがありませんから。

2002年10月18日金曜日

extorted dissolution of ours

さて。あからさまに無理してとばしていることがばればれな最近のひびですが、このテンションについてこられる人がいらっしゃるのかどうかはなはだ疑問です。いちおうノーガード戦法のつもりなのですが。こういう文章ばかり書くのは私にとってもあまり本意ではないのですけれど、と自分でわかっていて書きつづけるあたりが確信犯的なのですが、実のところ、ことばが書いても書いてもなくならない状態なんです。湿気のようにわやわやとわいてきて、浮かんであふれて、それをこうして日々吐き出しているのに、全然消えません。苦しいです。自分で解決しなければならないということが。そして秋雨のように心を湿らせつづけます。好転する材料はあるのか、まだ性懲りもなく祈っているのか、それもわからなくなっています。就職活動をしていたころの不安な気持ちにすこし共通するものがあるように感じています。卒業したら自活しなければならず、そのためにどこかに就職先を決めなければならない、期間もかぎられていることもあって焦っているわけです。しかし経験のあるかたならおわかりでしょうが、企業ひとつの採用までへのスパンというのはたいへん長く、選考の結果が通知されるまでに時間がかかることになり、それを待っているときというのは本当につらいものです。そして、本命の企業に対して活動している間も、そこから内定をもらえなかったらという場合のためにほかの企業にもかけもちしてエントリーしなければなりません。どこかには入らねばならないのですから。これってなんだか浮気みたいです。その心中を知ってか知らずか企業側も面接でうちが第一志望ですか?とか、ほかにエントリーを申し込んだところはどこですか?なんて聞いてきます。まるで浮気をあばこうとしている恋人みたいです。そこで被面接者としては当然の回答なのでしょうけれど、何を言っているんだきみが本命に決まっているじゃないかと返すわけです。しどろもどろに。まさにお約束のやりとりです。まあ就職先を決めるということは今後の自分の人生を定めることに相当しますから、これくらい苦しい気持ちや葛藤があってしかるべきなのかもしれませんが。だから耐えることには慣れているはずなんですけれど。待っている、はずなんですけれど。
とりあえず当面の問題としまして、ホームページの運営という面においてこのままでいいのかという疑問があります。あまやどりを開設してから、閲覧していただいたかたがたにご感想をいただけてそれが今日までのはげみになっています。中には、見ていて落ち着くですとかほんわかした雰囲気がいいというふうに言ってくれる人もいらっしゃいまして、そのことばは本当にうれしかったです。というか私にしてみればちょっと意外だったのですけれど、やはりそういう感想をいただくことによって、自分でもその方向性を目指して作っていこうかなというふうに思ったことはたしかです。訪問者にしあわせな気持ちになってもらえるような。けれど、今やっていることはそれとは正反対のことです。自分の内面の問題を不特定少数の人に訴えようとしているだけです。現在はパソコンに向かってもきたないことばしか浮かんでこなくて、先述したようにしかたなくそれを起こしている状態です。公開したいこと、テキストもそうですがもっと専門的な話題ですとか、あと絵も練習したいのですが、時間がないのではなくて心情としてなかなかそれをするだけのレベルにもっていけないでいます。すごく昔、学生時代にサイトを運営していたころですが、あるかたに言われたことがあります。おんだくんのホームページはふつうに読んでも楽しめるけれど、おんだくんのことをよく知っている人が読んだらもっといろんなものが見えてくる、と。たしかに当時は思わせぶり日記ですとか、わかる人にしかわからないようなネタをまじえて書くということを好んでいた記憶がありますが、私が成長していない証拠でしょうかそのあたりは今も変わっていないように思います。本当の私、ウェブ上の字面からだけでは見えない私、それはどこにちりばめられているのでしょう。それを知られること。きっと意味などないのでしょう。これほどまでに難解なのですから。暗くて重くて、受け止めきれなくて、だから離れていくのです。本心を知ってしまったら、心の奥をのぞいてしまったら、そのときが崩れるときなのです。そうしてすべてが断絶していくのです。受け入れられることなどないと、それは不幸を招くだけだと、だから見せてはならないと、さんざん経験してきてわかっていてそれなのに。学習能力なさすぎです。のぞんではならないもの、だったのですから。そう。私はこんなにも難しい人間なんです。

2002年10月17日木曜日

老練老練老練

時間はなぜこれほどに不均質なのでしょう。1日24時間、それは固定されていて、その時間を生活に振り分けて私たちは1日を過ごしています。ではその時間の流れ、そのスピードは、その重みはつねに一定なのかというと、もちろんそうであるはずなのですけれど、感覚としてはそうは認識できない場合のほうがはるかに多いのではないでしょうか。楽しいことをしているときや人と話しているときは時間がすぐ経過してしまうように感じますし、めんどうな仕事をしているときは時間の進みかたが遅いのではないかと思ってしまったりします。スピード感覚もそうですけれど、ほかには時間のすききらいと言ったらいいのでしょうか、待ち遠しい時間とあまり来てほしくない時間というように、受け止めかたも時間帯によってかわってくることもあります。それは当然のことで、私たちは等間隔に区切った時間軸上でスケジュールを管理しているのではなく、用件や人との約束など、イベント単位で行動しているからです。そしてもちろん、やりたいこともあれば、あまり気が進まないけれどしかたなくと思ってやることもあるでしょう。試験前におもむろに部屋の掃除をはじめてみたり、やらなければならない仕事があるのに遊んでしまったり、今やりたいことをとりあえず実行するほうについ時間の使い道をさだめてしまうこともよくあります。そういった意識の差が時間の進みぐあいのちがいとして感ぜられているのだと思います。自分のほしい時間だけを寄せ集めて、使いたくない時間、やりたくない用事は徹底的に遠ざけて。それだけではいけないことは知っているのでしょうけれど。きっと。
さて、仕事、ここからは私の仕事の話ですが、慣れてくるとしだいにだれてきたり、あとは物足りなさを感じはじめたりしてきます。着実にステップを踏んでいるという意味ではいいことなのでしょうけれど、なんだか、このままでいいのだろうかと思う気持ちもどこかにあります。今は帰りもそんなに遅いというわけではなく、ですからこうして不愉快な駄文を吐きつづける余力があったりするのですが、正直言いますとそんな力はあまり残っていてほしいものではありません。会社に寝泊まりしなければならないくらいの多忙さというのもまだ経験したことがありませんで、むしろ泊まってみたいです。どうせ帰宅しても空虚と失望しか待ってはいないのですから。陰鬱なルーチンワークを無意味にくり返すだけなのですから。ときどき家族と電話するときも、仕事で根を詰めすぎないようになどと小言を受けたりしますが、そもそも体力を使う仕事ではないのですくなくとも肉体的には疲れるということはありませんし、くり返しになりますが背中が痛いのは私の寝相が悪いからですし、そんなに大変だという印象はまだありません。まあ、それはまだ私の経験が不足していてあまり大きな仕事をまかせてもらえないからというのが第一ですので、まずはそこからなのでしょうけれど。でも働きすぎて倒れたり、胃に穴が空いたりって本当にあるんでしょうかね。私はたばこもコーヒーもあまり飲まないのでそういうふうに体をこわす要因は少ないかもしれませんが。それに今はどこも仕事が少ないでしょうから、むしろ仕事をしたくてもない場合のほうが多いと思われますので、無理をしすぎるという状態そのものが出現しにくいと言っていいかもしれません。不景気はきらいです。もっと仕事をしてみたいです。どれだけ積み上げられたら精神的にパンクしてしまうのか、あるいは体にがたが来るのか、自分の限界をいちど知ってみたいという気持ちはあります。そこまでいかずとも、すくなくとも毎日毎日こんなつまらないことばかり考えてしまう余裕がなくなるくらいの忙しさを求めます。単調なくり返しの日常に追いやってしまって、そして流されていくのも、などと考えています。多忙に振り回されてほかのことがなにも手につかなくなって、そしてしだいに離れていって、それもまたひとつのありかたなのかもしれません。なにも追わず、知ることも知られることもなくひっそりと、おそらくは目標もなく。そういう人生、それだけの人生、それもそれで、なんて。これは前向きな意欲などではありません。目の前のかなしみを振り払おうとしているだけだということです。逃げているだけです。それとも私は、そうすべきではないのでしょうか。この現実から、希望と絶望が表裏一体になったような綱渡りの現状から、目をそむけてはならないのでしょうか。それが今の私に、私のしたことに対して科せられた責任だというのでしょうか。罰なのでしょうか。すべては未初期化のブランクデータとして。そう。その経歴として私は自己判断のもとで歪みつついるのです。

2002年10月16日水曜日

空は、ふたりのこと

思うことがあります。たとえばこの日記を書いているのが私ではなくて、私になりすました他人だったり、自動日記生成スクリプトだったとしたら楽ちんです。読む人にとっては私の顔が、私がこれを書いている現場が見えない以上、それを確認することができません。人の存在というものはそれくらいあいまいなものなのです。取るに足りない、あるいは簡単に取って代わられるような、それくらいちいさなものなのです。ある日べつのものに変わっていても、あるいはなくなっていても、それすら気づかれることなく時間はすぎていくかもしれません。なにごともなかったかのように、ひとりぶんの存在を置き去りにしたまま流れていくことでしょう。流されていくことでしょう。存在という記憶など、忘れられても消えてしまっても、ただそれだけのことでしかないのです。悲しむ必要すらないのです。ささいなことなのですから。そう。失うとはそういうことなのです。自分が自分であることを証明すること、そして自分というものを保つことは、それほどに困難なことです。やがては自我を失っていきます。
人はなにか困ったことがあるとすぐ他人のせいにしたがります。景気が悪いのも企業の不祥事が相次いで起こっているのも政治家のせいだ、国のせいだとよく言います。けれど政治家というのはそもそも有権者が選挙でえらんだ人たちであるわけですから、その人たちを選出した私たちにもともとの責任があると言えます。まあ長年かけて築き上げられた体質なんてものは正義感のある人がちょっとがんばったところで容易にくずせるわけはないのですけれど。自分のまったく関与していないところで起こったことで不利益をこうむるという場合はおそらく少数で、自分の努力が足りないことを棚に上げたり、自分の行動に責任をもたずに文句を言っているケースというのがよく見られるように感じます。みずからの行いを振り返ろうとせず、目の前の問題や自分のことを自分の力で解決しようとせず、なんでも人任せの他力本願な印象を受けます。いえ今さらいい子ちゃんトークを展開したいわけではありませんが、なんでもかんでも他人のせいにするのはやはり見苦しいかと思います。不利益の場合ももちろんそうですが、…利益の場合も。誰々のせいで、誰々のおかげで、という表現はプラスの意味でもマイナスの意味でも用います。そのことを言っているのです。結論を、または原因を他人という道標に集約させたがる行為、それは問題の過程ならびにその打開をその人に委ねようとしているだけのことです。盲目的に頼っているだけなのです。甘え、だったのです。だからこんなにも弱体化してしまったのです。
このまま堕ちていくのでしょうか。このまま朽ちていくのでしょうか。だれも望んでいないはずのことが、たとえば崩壊、絶滅、戦争、枯渇、そういうものが目の前で展開されている現状があります。あるいはこれは意図がはたらいたうえでのことなのでしょうか。世界の終わりを欲する圧力が。

2002年10月15日火曜日

wherever has gone

とても露骨でした。推論としては自明すぎるものでした。意思表示でした、殺意という名の。ことごとく触れないようにして、見えるものすべてを断ち切って、冷酷にじわじわとなぶって痛めつけて、そして最後に奈落の底へ突き落とそうとするその執行の瞬間を待って、さえいるのかもしれません。そのことばは明後日の方向を見ていました。かつての面影は、シェアはもうありません。クラス全員でひとりを無視するような陰湿。差異に戸惑う余地もなく。ささやかな「抵抗」など取るに足らないでしょう。それは不条理でしょうか。もう見てはいないのですから。そして、記憶から消えていくだけなのですから。いないのです。私はいないのです。そう。私だけが。知ってはならない世界だったのです。
さて、同じということはどのようなものなのでしょう。先日は私の会社の創立日でしたが、その「年齢」はちょうど私と同じだということです。同じくらいの長さの道のりを、いままで両者はあゆんできたことになります。そういう話を聞くとちょっとうれしくなります。ほかにも、出身地や誕生日が同じ有名人に親近感をもったりすることは多いと思います。日ごろの人づきあいにおいても、共通の趣味や関心事をもっている人とは話がはずみますし、性格や考え方が似ている人に親しみをいだいて接するということはよく見られるでしょう。共通点があること、同じものを知っていること、そうした同調に対して人の意識がはたらいているということでしょう。しかし人間関係では反対のパターンもあります。それは違いという認識です。まねのできないすごい特技をもっている人、自分にはない視点をもっている人にひかれるということもよくあります。それらのふたつの系統の要因がかみあって関係というものがリンクされているのですけれど、両者の人と人とを結びつける力としての意味あいは異なるような気がします。自然界にも4種類の力があるように。自分と周囲の人との関係について、どちらの力がどれくらいの割合で構成されているか洗い出してみるのも面白いかもしれません。考えてみたところでなにが解決されるわけでもないのですけれど。いずれにせよ、同調性も相違性も、他人に接近するための建前でしかないのかもしれません。すべては親密を願う意志が前段階にあって、その気持ちがはたらいた結果としてその人のいいところや自分と似かよっているところを無意識的にさがそうとするだけだ、とも考えられます。

2002年10月13日日曜日

コネ道楽

ondですが。今日もいたずらに日記を書きます。内容はもはや日記ではありませんがそれは今に始まったことではないのでそれでいいことにします。いたずらに。そう。なにもかもがいたずらなのです、今の私にとって。
いまはほとんど体を動かしていないのでひょろり一辺倒の私ですが、過去はいちおうスポーツメンでした。小さいときは運動全然だめで自転車に乗れたのもたしか小3くらいで通知表も体育1とかあって運動会もびりになるのがはずかったから大きらいというほどでというかそもそも体が弱くて熱出して寝こんだりとか車酔いとかしょっちゅうだったので運動できない以前の問題だったのかもしれませんがそれはともかくとしてこのまま運動オンチのガリ勉くん街道まっしぐらかと思われていた私はなにを血迷ったか高学年のとき運動クラブに入りました。弱い自分を変えたかったなんて崇高な目的などはなかったということはたしかです。陸上やら水泳やらノルディックやらやりまくりました。それでようやく身体能力も平均レベルくらいになったでしょうか。で中学にあがって、ほかにろくな選択肢がないという理由でバスケット部に入りました。部活動だと基礎的な体力づくりやトレーニングはしっかりやりますので、まあ参加していることでおのずと鍛えられたのだと思います。それでマラソン大会でなんか上位のほうになって、もしかして自分はけっこういけてるかも?と。(注:当時いけてるなんて表現ははやっていません) なんというか、とくに長距離走というか持久力には自信をもてるようになりました。体力測定でも踏み台昇降ではすぐに心拍数下がりましたし。余談ですがそのテストのときに脈をはかるじゃないですか、それではかる人が手首に指を押しあててきますよね、その瞬間うぎゃああ!!って、自分の弱点を認知した春でございました。さて戻しまして、そのままの勢いで高校でもバスケットをやりました。私はチーム内ではだんとつにへっぽこでしたが、そのへんは気迫と根性でカバーしましてがんばりました。背も高くないし100㍍走は14秒というスポーツメンとしては致命的な遅さですし、じっさい顧問の先生にもおまえは勉強のほうでがんばったらどうだと退部を勧告されたこともありました。今でいうリストラでしょうかね。そのころ折しもスラムダンクがはやっていてそれで刺激受けて入部してきた生徒が多かったですから。いえ私はちがいますが。そのとき私もここで逃げたら自分の負けだとか片意地張っちゃったんでしょうか、けっきょくやめないで3年間つづけました。そのことがとても自信になりましたし、体力も技術もそうですがほかにも数えきれないほどのことを学び成長し、友だちとの時間、チームワーク、そういうものの意義や楽しさも知りました。しかも勉強のほうも現役合格して、もうこれでもかってくらい充実しまくっていたと思います。ってそんなほのぼの青春メモリーを書きたかったんじゃなくて。
そんな私の愛の巣こと高校の部活でしたが、悩んでもいました。やっぱりやめたほうがいいんじゃないかと。まあ要は自分の技量が劣っているのを気にしていただけなんですけれど、自分がチームにいたら足手まといになるんじゃないかって。毎日の練習でも狭いコート1面の上で数十人の部員が走り回るんですから人数が多いのは練習効率がわるいわけですよ。私はへただから試合に出られないし(そのことがおもしろくなかったというわけではありませんが)レギュラーメンバーの練習相手にもならないし、かといってほかの部員のサポートをしたり雑用をこなしたりなんて機転もききませんし、じゃあ自分が居座っている意味ってあるのかなって。部をやめるのがこわくてできなかっただけかもしれません。私がここにいて、へたなのに練習して、それってチームにとってどうなんだろう、もしかしたらみんなに迷惑なんじゃないだろうかって。もちろんバスケットは好きだけれど、でもチームが強くなるために私はどうしなきゃいけないんだろうって。そうやって悩んでいる自分にさらに悩んだりして。こんな不まじめなことを考えながら練習に参加している自分はなにやってんだ、さっさと結論出さないでいつまでいじいじ考えてんだって。いっぺん仲のよかったチームメイトに相談したことがありました。さわやかなほどにあっさりと気にすんなって言ってくれたと記憶しています。顧問の先生も、私が忠告を聞き入れなかったからと言って嫌な顔をするでもなく指導してくれました。そしていつだったか言ってくれました。技術はなくても人一倍声を出したり努力しているじゃないか、それがほかのやつの刺激になっているしチームの士気も高まる、って。男だったら努力なんてものを人に見せて喜んだりしてはいけないのでしょうけれど、でもそういうふうに認められて、自分を見てくれている人がいるってわかって、自分にもできることがあるってわかって、無意味だなんてことは全然なくて。はずかしながら思わずうるるんしてしまいました。もうそれからは迷いもふっきれて厳しくも楽しい毎日というところでしょうか。
でも思うのは、私はこのころからこういう性格だったんだなということです。自分で言うのもあれですがなんつーかアホですね、はい。いえ昔にくらべたら「やめる」ことをいとわなくなってしまっているぶん、よけいたちがわるいのですけれど。せっかく言ってもらったのに。他人に認められなければ自分の存在を許せないにんげんは弱いでしょうか。ひとりで立ち直れないにんげんは弱いでしょうか。そして弱さは罪ですか。

2002年10月12日土曜日

タイムアウト/タイムオーバー

こんばんは。いくつになってもドキドキを忘れずにいたいものです。たとえば手のひらの上で豆腐を切るときですとか。<あんたいくつだ<主張食い違い 生きることって、思ったほどかんたんではないとも感じます。やはりなにかしら刺激がないとおもしろくありませんし、おもしろいおもしろくない以前に、本当にさみしくて悲しくて、このまま朝なんて来なければいいのになんて思ってしまうときもあったりなかったり以前に。自分がそこにいることを実感できるときってどんなときでしょう。目的もない、使命もない、死んだらなにも残らない、それでも生きています。なにもしなくても、たとえば仕事なんてしなくても生きていけてしまう、それほどにこの社会はうるおっています。みちみちています。努力すればある程度それに見あった報酬も得られるでしょう。こんなにわかりやすい合理的な世の中にあって、なぜ生きることを悩みたがるのか。言うなればぜいたくな悩みというやつでしょうか。それはひとが心をもっているからだと思います。思考があるから、なにかを考えようとします。たとえば宇宙の果て、たとえば人生の終わりのその先、たとえば穴埋めパズル。気持ちをもっているから、それが肉体や精神や行動や、いろんなところに作用してきます。楽しいことは時間を忘れて没頭したり、しんみりしたいときは静かな音楽をこのんでみたり、怒っているときは頭に血がのぼってことばづかいが荒くなったり。こういうふうにしたい、またはこれをしなければならないというスケジュールと、感情が引き起こす応答とが排他的に作動しなかったとき、それはジレンマとなり自己矛盾となります。自分はなんてことをしたんだとか、頭ではわかっていたのにどうしてやらなかったのかと考えてしまいます。生きることがあたりまえで、だけれどもなにかを考える、なにかを思う、そのときに断層が生じればそれが悩みとなるのでしょう。あたりまえだけれど生きるのですか。自分なりに意義を設定した上で生きるのですか。それともそれを模索するために生きるのですか。それはかんたんなことだと、あたりまえのことだとひとことでかたづけていいものではけしてないと思います。では、なにを考えるのでしょう。なにを思うのでしょう。生きていくうえで、やるべきことを果たすうえで、障壁となるかもしれないもの。邪魔な感覚。そう。邪魔だったのです。
さて、夜の話をしましょうか。お気に入りのぬいぐるみといっしょに寝ることがあるとたまに書いている私ですが、枕元に置いたり顔の上に乗せたりするくらいでして、布団に入れて抱いて眠るということはしません。そこまでしなくても、そばに置いておいてちょっとさわるくらいで安心感は得られるから、というのもあるのですが。寝るときにかぎらないのですけれども、ぬいぐるみは頭をなでたりにらめっこをして遊んだりはしますが、ずっと抱いているというのはあまりしている覚えがありません。これは自分の体のにおいがつくのをさけているからです。ひとつひとつを大切に扱いたいと思っているからでしょうか、あまり自分というものをしみつけたくないという気持ちがありまして。愛情表現のかたちは人それぞれでして。たとえばすきな本、大切にしている本というとどのように扱われているものをイメージするでしょう。指紋ひとつつけないように幾重にもカバーをかけてガラス扉のついた本棚に丁重に飾ってある状態でしょうか、それとも、何度も何度も読み通して端がぼろけるくらいになっていてしかも文中には所狭しと傍線が引かれていたりメモが書きこまれている状態でしょうか。手にしたときのオリジナルの状態を保持すること、すべてを取りこもうとして手を加えること、取っている行動は相容れないようではありますが、どちらもそれを大切に思うがゆえのものであることは相違ないと思われます。ただ、相手の立場、その本にとってはどちらがしあわせなのでしょうか。もちろん本は意志をもっていませんからそのようなものを考慮するのは愚かなことなのですが、これはなにも物品のみに言える話ではありませんで。大切にしたいもの、近づきたいものがあって、それにどのように接するか、そのときになにに配慮すべきか。自分でよかれと思ってやっていたことがその対象にはかえって不都合だったり迷惑だったり、またはそんなことを考えようともせず自分のやりたいことばかりを押しつけたり、往々にしてあることですから。どうだったのでしょう。私はそれができていたのでしょうか。ものを大切にしようと思える資格が、私にはあったのでしょうか。今さらですね、つくづく。

2002年10月11日金曜日

引っかけハンカチ

さて。<さて? 私は醜いでしょうか。それは厚かましいでしょうか。自分の中にいくつも矛盾をかかえていて、自分でも理解しきれない多くの疑問をかかえていて、それが人なのに。私はわかりきったようなことをくり返していただけなのでしょうか。醜いのはどちらでしょうか。小さいことで悩んでいるのでしょうか。それは小さいことなのでしょうか。もっとつらい思いをしている人がいるというのに。私が捨てようとしたものはいったいなんだったのでしょうか。たとえるなら、パチンコでなかなか出なくて台を移ったのにそのさっきまで自分がいた台にほかの人がすわってやりだしたとたん当たりまくったような気分でしょうか。自分で気にしていて劣等感をもっているものにかぎって他人はあんがい気にしていなかったりするものなのでしょうか。それは身勝手な解釈でしょうか。あるべきもの、もって生まれたもの、そこからのがれることなんてできやしないのでしょうか。仮想現実だったのでしょうか。現実逃避だったのでしょうか。ビットの配列に置き換えられたストリームを補間したところでなにをよみがえさせられるというのでしょうか。あのとき殺されました。私は自分をきらうことをおぼえました。気に入らない部分を切除して、きれいな自分をつくりたかったからです。それは正しかったのでしょうか。それともそこから歯車がくるいはじめたのでしょうか。変わりたいと思ってはいけなかったのでしょうか。ほかの多くのものを犠牲にして、その果てに得たものはなんだったのでしょうか。まだなにをさがそうというのでしょうか。口は災いの元、なんてありきたりですがよく言ったものです。つくろえばつくろうほどみじめになります。自分が理解されることなんてあるはずがないのに、それでもなにかを期待していたのでしょうか。ありていに言えば無様でしょうか。どうして話を複雑にしたがるのでしょうか。口うるさく取りざたするから敏感になってしまうというのに。過剰反応が問題をねつ造するというのに。どうして結論を急ぎたがるのでしょうか。どうしてひとつのことにこだわろうとするのでしょうか。それは弱さでしょうか。こわさに負けただけなのでしょうか。かといってにげることも失うことも受動的で、いつも責任を放棄して、そんな私をだれが相手にしてくれるというのでしょうか。知らなかっただけなのでしょうか。知られてはいけなかったのでしょうか。知ってはいけなかったのでしょうか。それとも知らなさすぎたのでしょうか。もっと泣いてしまえばよかったでしょうか。雨に打たれて熱でも出してしまえばよかったでしょうか。記憶を蒸し焼きにするほどの高熱に。もどれなくなることがわかっていたのに首をつっこもうとしただけなのでしょうか。それは滑稽でしょうか。ひとつの主張ですべての考えを塗り固めてしまう必要はあったのでしょうか。最後の糸が切れたら私はいなくなってしまうでしょうか。それさえも本望だなんて思っているのでしょうか。そして。けっきょくはたくさんある選択肢の中のひとつにすぎなかったということでしょうか。なにかべつのものをさがした結果なのでしょうか。そして捨てられる運命なのでしょうか。きっとくり返すだけなのでしょう。きっと同じことを言っているのでしょう。言うだけなら簡単です。あきらめたふりをするのは簡単です。それはけっして勇気などではありませんでした。そんなものは必要ではありませんでした。自分をさらすこと、それはただの露出狂です。恥さらしです。プライドのかけらもありませんでした。それが醜いと言っているのです。私は醜いでしょうか。

2002年10月10日木曜日

セピアビームはカラリスト

きれいでした。とにかく眠いのかつかれていたのかなんなのかわかりませんが、なかば意識がぼやけた状態でふらふらしていました。そんなときに、夕焼けが目に入ってきました。もう太陽は姿を消してしまっていたのですが、まだ低いところ…地平線に近いところでは茜色が残っていました。いっぽう上空のほうはすっかり濃い青色に変わりかけていたので、その2層のコントラストがなんだかきれいに見えました。ちょうど雲とかまわりの建物があまりなかったのでよく見えたからだと思います。比重のちがうふたつの液体をまぜることなく重ねあわせたときのような、あるいはガラス細工のグラデーションみたいに透き通った配色をしていました。こんな美しい風景を目に焼きつけて、それで私はなにをしようというのでしょう。楽しいできごと、経験、そして思い出。その一瞬一瞬に私がどんな顔をしていたのか、どれだけ時間を忘れて夢中になっていたのか、残念ながらまったく知らないのです。せっかくのひとときの中にあって、自分のことを、気持ちをまるで思い出せずに、記憶することなく、事実ばかりがどんどん積み上がっていってしまう、そしてきっと古いものから消えていってしまうでしょう、色あせてしまうでしょう。だから、ふと我に返ったときに道をあやまっていて、とりかえしのつかないことになっていて後悔に追いこまれる、という事態におちいることもあります。身のまわりのできごとと自分自身が、まるで同期していないかのような、べつの時間軸を歩かされているような錯覚をおぼえてしまいます。心ここにあらず、という状態でしょうか。
自分の気持ち、などというものはさして重要なものではないのかもしれません。すくなくとも他人の目から見られたとき、それはあらゆる評価において考慮の対象になりません。こんなに努力したのに、とアピールしたところで成績に加点されるようなことはありません。他人が求めているのは具体的な結果、行動、返答、または金品などであって、こちら側の意図がどうであるかを問われることはないでしょう。なにより確認する手段がありませんし。さらに、気持ちというものが不要でさえある場合があります。朝の通勤電車はすばらしいです。車内アナウンスのテープが巻き戻っておかしな声が流れようと、奇妙ないでたちの乗客が乗りこんでこようと、だれひとり笑わないどころか眉ひとつ動かしません。電車内という場所においては、自分の感情のはたらくままに笑ったり揶揄してはならないとみんなが考えているのです。思ったままのことを口にして場を乱してはならない、人間関係をこじれさせてはならない、それは社会の中で生きるうえでのルールなのです。社会は、企業は、あるいは他人は、個人に私情にもとづく突飛な言動を認めません。与えられた役割をこなせばそれでいいのです、それ以上のことは、信頼を傷つけてしまったり、秩序を失わせる原因となるだけです。ですから感情を持つことは、けっして人に認められてするようなことではありません。だれも見ていないのです、許さないのです、気づいてはくれないのです。自分の意志で、そして責任で、コントロールして信念を貫かねばなりません。他人に許してもらって居場所を与えてもらうのは子どものすることです。自分の内在世界は自分で守るしかないのです。それが人間社会の中で生きるということのひとつの意味でありまた義務なのかもしれません。私はサラリーマンです。急にそんな実感がわいてきました。
さて、偶然ってあるものですね、といきたいところですが。ほんとうに偶然なのでしょうか。ひとつの大きな流れがあって、ほかのことはみなその付随物という感じがします。もちろん運命などというものを肯定する気はありませんけれど、でもまったくの偶然というのもあまりないのではという気がします。一様乱数をくりかえし発生させても同じ整数が連続することはよく見られますし、とくにこの世界の中では乱数というものが存在するのかどうかもあやしいものです。そよ風や川のせせらぎはまったくのでたらめでもなく、規則正しい周期でおとずれるものでもありません。1/fゆらぎとも呼ばれるあいまいなリズムが自然界にはあふれています。そしてその中で生きている、私たちにも。そこになんらかの因果が明確にはたらいていたとは言えないけれど、きっと無作為にえらばれたわけでもない、そんな可能性の中で。重要なのは、偶然出会ったものを自分がどう受け止めるかなんだと思います。そこに意味を見出すか、それとも取るにたらないものとみなすかはその人の意志しだいということになります。偶然か運命かなんてのもけっきょくは当事者の思いこみのレベルの話なのですが、けれどその思念がその人の世界像を形成していることもまた事実です。世の中、どこにどんな偶然が待っているかわかりません。なにかに出会ったとき、それを大切にしたいと思える気持ちを持っていられたらいいですね。いつかそれが意味のあるものに成長しているように、そして、出会えてよかったと思えるように。

2002年10月8日火曜日

または準ずるもの

素朴な疑問ですが金融と経済財政ってかけもちしても大丈夫なものなんでしょうか。思いっきり時事ネタですすみません。チョコレートを食べると気持ちがほっとします。なんかこう、落ち着くというか、ぽわーっとなるというか。<そんなにもか 子どものころですがバレンタインデーに母から大量のチョコレートを買ってもらって、それをものの数日で食べつくしてしまうという年中行事があったというわが家なのですが、そのころから好物だったように思います。チョコレートはあの甘いにおいもお気に入りです。昨年、神戸の郊外に行ったときのことですが、お菓子メーカーの大きな工場の横を通りかかったときにとてもおいしそうなチョコレートのにおいがただよっていまして、思わずうっとりでした。もうあたり一面チョコアロマです。お菓子の国に迷いこんだみたいでした。<つーか何しに行ってんの 食べ物は生きていくために毎日とらなければなりませんけれど、その中ですこしでも楽しくおいしく、しあわせな気分を味わえたら安上がりいいですよね。
そんなちいさなしあわせ。たまごを食べたらふたごのたまごでした。ラッキーなこと、最近なにかありましたか。小学生のころ校庭に出ると、きまってきれいな色の石ころや四つ葉のクローバーをさがしたものです。いつもがんばってさがすんですけどなかなか見つからなくて。けれど、いざ見つけると、そのときはうれしい気持ちがわいてきますが、それはすぐにどこかへ消えていっちゃうような気がします。茶柱が立っているのを見つけても、それをいつまでも見ていたらお茶がさめてしまいますし。せっかくいいことがあったのに、そのときのよろこびをどうして持っていられないのでしょう。忘れてしまうのは悲しいことかもしれません。でも、それはきっとそれでいいのだと思います。次にまたさがそう、って思えるから。ひとつのしあわせを見つけてそれがいつまでも消えなかったら、ずっとそこで立ち止まったままで先に進みません。だから人間の頭には、忘れたり感情がうすれていったりする“機能”がついているのだと思います。いちどなくしても、またあこがれて、また見つけようとして、そのために努力する。すばらしいことだと思います。こんどはべつのものをさがしてもいいでしょうし、また同じものを見つけようとするのもいいかもしれません。あの日つんだ、四つ葉のクローバーのように。
さて、ことばの真意を突き止めることのむずかしさといいますか。それはワンフレーズだけ聴いて曲名を言い当てるイントロクイズのようなものでしょうか。直接的な言いかたはとげが出てしまったりしますし、かといってぼやかして言うと誤解されてしまったり、言う側にしても受け取る側にしてもむずかしいところがあります。伝えたいことがあるのにうまくことばにできなかったり、ことばだけでは伝えきれない部分があるという限界を感じてしまったり。いっぽう聞くほうも、相手のことばに「?」と思うようなところがあったとき、その真意を問いただしていいものか、あるいはその人の気持ちをうたがってしまったり、などなど、ちょっとした誤解からおもわくがすれちがってしまうこともあるでしょう。こういうのはおたがいの信頼というか、先入観によるところもあると思うのです。相手のことをうさんくさいと思っていたりうたがってかかっていれば、ことばは無意識的に悪意のあるものと受け取ってしまうでしょうし、反対に、その人のことを信頼していたり身近な存在だと感じていたりすれば、きっと好意的にといいますか、自分のいいほうに解釈するんじゃないでしょうか。おなじことばでも、話す人、聞く人、その両者の間柄によって意味合いが変わってくる、それがことばのむずかしいところでもありますし、同時に、おたがいの関係の深さを実感できる機会でもあると思います。私はどうでしょう。私のことばに誠意があるかどうか、それは自分では判断できないものですけれど、そのかわりに、ほかの人のことばはなるべく信じたいです。ほんのワンフレーズでも、ちょっとつぶやいたような、かけらのようなことばでも、きっとその中には気持ちがこめられています。それを大切に取り出すのが、受け取った人の役目ですから。…たとえ都合のいい解釈をしていることにしかならなくても。

2002年10月7日月曜日

迷子のソステヌートへ

先月の終わりのひびで旅に関する話を書いたのでそれに関連して。ある程度以上の距離の移動に利用した交通機関といえば電車がだんとつでしょうか。たまに自転車に乗ってどこまでもなんて愚行をはたらいたりもしますが。いえ若いころの話ですが。乗用車やバスは乗物酔いがはげしいため避ける傾向がありまして、移りかわる遠くの景色をゆったり眺められる電車の旅は私の体質にも合っている気がします。<でもたいてい寝ていますが 電車といえば時刻表がつきものですが、私は乗り継ぐ路線や時刻などは事前にきっちり調べておかないと気がすまないタイプです。出発前に入念に時刻表を読み、いつどの駅で乗り換えて、目的地には何時に着くか、というところまできっちりチェックします。こうすることで事前に分単位の綿密なスケジュールを作れ、当日になってもあわてることなく安全に行程をこなすことができます。もっとも、そうしておかないと不安で落ち着かないという私の性格がそうさせるのですけれど。あとこれでは、ちょっと時間に遅れたり寄り道したりなんてことが許されない状況を作ってしまうのでストリクトです。先日書いた、目的のはっきり決まっている旅行、というのはこのあたりのニュアンスも含んでいますということで。今はインターネットでも時刻表や路線図が簡単に調べられるので、手元に時刻表を用意する必要もなく手軽にダイヤを確認できます。そういう環境にあると私は、旅行の予定もないのに時刻表を読むということをときどきやってしまいます。朝出発してこの電車に乗って、ここで乗り換えて次は…なんて想像をふくらませて仮想旅行を楽しんでみたりします。自分を全国どこへでも連れていってくれるような、そんな物語の本みたいな魅力が時刻表にはあると思います。あの人の住む町まで今すぐ会いに行けそうな、そんな気持ちにもさせてくれます。…出不精なのが難点なのですけれど。
このごろの旅行といいますと、たしかにあんなところやそんなところにも行きましたがそれはおいといて、月1回ほど隣市の歯科医院に通っているのがそうなるでしょうか。私鉄ですぐのところですしあまり遠出とは言えないのですが、私は小旅行のような気分を味わって通っています。その町の名前がN市ということもあってなつかしさを感じさせるのでしょうか、いえ雰囲気はさほど似かよっているわけでもありませんが。みじかい時間の電車からの風景も好きですし、駅前はちょっとした商店街になっていて毎回寄り道します。本屋に入ったり、時間があるときは喫茶店でひまをつぶしたり。<通院前に物を口にするのはどうかと 診察時間もそんなに長くありませんのですこしぶらついてすぐ帰ります。たったそれだけのことなのですけれど、行くたびに気持ちがほころぶような感じがします。これから寒い季節に入っていって、心がうかれるようなぽかぽか陽気の日もすくなくなるかもしれません。悲しいことがあったり、さびしい気持ちがつづくことがあるかもしれません。けれど私にとってのその小旅行は、これからもあたたかいものであってほしいなと思っています。今はそんな悠長なことを言っていられない状態でもあるのですけれど。
遊び疲れた思い出の上に、そっと雪が積もります。春になって溶け出すころ、それはまだ残っているでしょうか。

2002年10月6日日曜日

勝手知ったる何とやら

おひさしぶりですondです。最近ほろりときた文章は「この9本の指で」です。検索する気力がある方は読んでみてください。「生きてるとね、総てに見放されたような、そんな気持ちになる時もあると思うの」…好きなマンガのその一節を、それを読んでから思い出していました。「王子よ~月の裏から~」も当然連想されましたが。わかりやすい不幸のかたち、見えにくい心のくるしみ。暗くて、つらくて、悲しくて、沈んで。その状態は同情を誘うことはできるかもしれませんが、そのままでは自分は何も変わりません。そう思いました。だったら私がこうしていることって何なんだろう、って。そうしたら自然と手が動きました。実を言うとこのところネッツ自体あまりやる気が起こらずに避けがちになっていたのですが、週末はかなり久しぶりだと思えるくらいたくさんサーフをしたり話したりしました。…大半がCGサイトだったりしましたがそれはさておき。やはり多くのものごと、ほかの人の生活や考え方に触れることは大切だと今さら知ったようなことをあらためて。一部の知り合いには私のオタク度はかなり高いと思われているようですが、私は自分など足下にもおよばないほどおわっている人をたくさん知っているので、自分はまだ大したことはないと思っています。他人を知ることで自分のポジション、自分のパラメータがどの程度のものなのかが見えてくるんだと思います。きっとそういうことなんだと思います。(注:さっきの例はちょっとちがう気もします) 自分のダメ人間レベル(?)を知るのも、自分のいいところを見つけたり自分を好きになれるのも、他人がいてこそなのだと思いました。今さらですね。…見つからないままのほうがよかったというケースもあるかもしれませんが。
もうひとつ読んだものがあります。自分の過去をすべてひもときました。私はあまやどりを開設する前、学生時代ですが、べつのサイトを運営していまして、そのときの日記やら文章のことです。いちおう現在の日記もそのころのものの流れをすこしくんでいたりしますので、明確に切り離されたものではないのでしょうけれど、それでもひさしく封印していたものです。…驚きました。すごいの一言。まるで私のそれではないようなたくさんの文章が、ことばがあふれていました。自分のどこにこれだけのエネルギーがあったのかと感心してしまうほどでした。数年ぶりに読み返した小説に転げ回ったりもしました。そして昔の私は、すべてを言い当てていました。今こうなっていることも、私が背負っている罪の意味や重さも、ずっとおそれていたこと、のぞんではいけなかったこと、行きつくべきところも、みんなです。予言したとおりになっていました。そこに自分のすべてがあり、今の私はそのまわりをうろちょろしていただけなのだと知りました。過去からのがれることばかり考えていて、それはべつの意味で自己を見失わせる行為だったのかもしれません。そういうことを考えてまた読んでみると、私は弱くなったかもしれないということが見えてきました。昔の私、勉強もさぼって遊びほうけて将来のこともわからず、漠然とした不安を打ちはらうかのように毎日ただ狂っていた日々。それでも、誰に何を言われても気にとめず、図々しく生きるふてぶてしさというか、しぶとさを持っていました。自分自身も人生もなかば投げやりで、だからこそ大胆にがむしゃらに生きていられたのだと思います。それにくらべて、大学も卒業して職に就いた現在では、やることなすことすべてが守りに入ってしまった感があって、失うことをおそれたり臆病になりすぎてもいます。そしてこんなに落ちこんで、ふてくされて、みにくいほど卑屈になって。今のほうがよっぽどダメ人間だとも言えます。笑われるでしょうか、あのころの私に。彼は私よりも自分のことをずっとよく知っていた気がします。自分のスタンスをわきまえていて、その範疇で行動していたように思います。私はどうでしょう。今回は過去の自分に諭されたような気持ちです。こんなこともあるんですね。
だから、もうちょっとがんばってみます。がんばるなんて人様に向けて言うべきものではないのでしょうけれど。でもがんばれませんなんて書くよりましだと思いますゆえ。<自嘲気味 もうちょっと。

2002年9月28日土曜日

白銀メロウ

山にもやがかかった、すこし涼しい日でした。くもり空をぼーっと見ていました。<ひま人 私は今まで天気といえば、雲ひとつない快晴か、雷がゴロゴロ鳴っているようなはげしい大雨という、両極端なものがすきだったのですが、最近はきょうのような天気もいいなと思うようになりました。空一面が雲におおわれてはいるものの薄明るくて、今にも降ってきそうで。その表情が、泣き出しそうなのを必死でこらえて、けなげに明るくふるまおうとしているようにも見えます。すこし悲しさをたたえていて、どこか応援したくなるような空でした。

目的のない旅がしたいな、とときどき考えます。思い出してみると私は、今まで「旅行」はいろいろしてきましたが「旅」はあまりしていなかったのだという気がしています。行く場所を決めると、どうしてもそこでやりたいこと、目的を決めてしまいます。たいていはその土地の名物や観光名所であるわけですけれども。(例:名古屋に行ったらみそ煮こみうどんを食べるがや) そうでなくて、行き先や目当てをもたずにただその土地を見てみたい、あるいは見ることすらしない、という旅をしてみるのもよかったかもしれません。観光客に対して開かれている看板ではなくてもっとべつの一面、いうなればその土地の素顔というか生の雰囲気みたいなものを感じられればそれもおもしろかったのかなと。ものごとのわずかな一面だけを見てそれだけでイメージを固めて、それでは本当にその対象をよく知ったことにはならないのですから。

静かな境内にひびく砂利の足音。店先から甘くささやく香ばしいパンのにおい。近所の人からの差し入れに飛びつくのらねこ。キッチンミトンごしに伝わるプレートの温度。そんな身近な、なんでもないものがすきでした。そういうものに心をなごませている自分を、おめでたい人間だとあきれたり、なに気色悪いこと言ってんのとさげすんだりする感情も、私の中に併存しています。ときにはいやな気持ちのほうがまさってしまって、素直な自分を手放してしまいたくなるときもあるのですが。それでも今は、こういうところに落ち着いた自分をまもっていきたいと思っています。いつまでつづくかわからない、というのが正直な予想ですけれど。

2002年9月27日金曜日

そのビットには2が入る

自分で信用を落とすようなことをしていたんじゃしかたありませんね。…最低です。

2002年9月26日木曜日

蟹工船

近所でまっ赤なヒガンバナが咲いていました。大きくてとてもきれいです。ふつうに道ばたや草むらに生えているのがまたうれしかったです。自然がすこしでものこっていってくれればいいなと思います。というか数日前から見かけていたのですが、その花の名前をきょう知ったのできょう書きます。知ったかぶり大王ondです。

2002年9月25日水曜日

スピロヘータ・コンチキチータ

前略。なんというか、時間の問題なんでしょうか…うーん。とりあえずきょうはおつかれさまでした。
今ちょっと書いているものがありまして、まあいろいろ触発されてということなんですけれども、うまく書けたらあまやどりで公開したいと思います。

2002年9月24日火曜日

ニトロの素

パキラの木がなんとなくかわいいなと思う今日このごろです。ガーデニング魂がゆさぶられます。でもゆさぶられるだけです。何をするにも腰が重いondです。<自己紹介
さて、夜になるとずいぶん涼しく感じるようになりました。なのできょうはお鍋にしてみました。今シーズン初です。というか書くことに困ると食べ物ネタに逃げるのはそろそろマンネリかなという感じがしています。反省しています。まあ食べざかりなお年ごろですのでご容赦ください。(嘘 魚のすり身と野菜をぐつぐつやりまして、さて味つけの段階になって、なんとなくみそ鍋がいいなあと思ってみそを入れました。ねろねろっと入れました。<音いらないから 私はろくに料理も知らないくせに思いつきでへんなことをやるときまってろくなことがないのですが、きょうも例外ではありませんでした。完成したものはみそ鍋というより…みそ汁でした。うーん、おかしいですね、どうやって作ったらいいんでしょう。失敗は次なる挑戦のはじまりです。

2002年9月23日月曜日

ルフルフ言ってた女の子

? ondの休日は朝からインターネッターですが何か? というか某Y!さんからいきなり電話がきましたですよ。12メガ体験キャンペーン開催中です接続セットを送らせていただきます住所はこちらでよろしいですねでは1週間以内にガチャンですよ。こっちがいらないって何度も言っているのに聞く耳ナッシングですよ。これにはせっかくの休日気分もげんなりというか、もっとおしゃべりしたかったのに…(何を
さて、今日は杏仁豆腐を食べまくった記憶しかございません。おいしいですよね。四角く切られた白い杏仁豆腐がシロップの中でふよふよただよっている様子がなんとも言えません。寿がきやラヴ♪<あんた通いすぎ

2002年9月22日日曜日

澤村(父)

えーと、今日はなにを書きましょうか。<聞かれても なんか…なんとなくいろんなことを考えたいちにちだったような気がします。おはぎを食べたい時季なので買ってこようかと思いましたが、実家のおはぎの味を思い出してやっぱりやめました。
あと、ポストの前で手紙を出そうとしてためらっている男の子を見かけました。気になりましたが、ここで安易に声をかけたりするのは治安上よろしくないと判断して遠まきに観察することにしました。(注:それはそれで危険です) どうやら、ふたつあるポストの口のどちらに投函していいのかわからなくて迷っているようでした。すこししてようやく口に手紙を入れたのですが、そのあともポストのそばからはなれないで心配そうな様子でした。きっと手紙がちゃんと届けられるか不安だったんでしょうね。おとなになればそういうこともちゃんと理解してこの社会をあたりまえのように生きていますが、子どものころはこんななんでもないひとつひとつのことが大冒険だったんですよね。はじめて行く場所、はじめての体験、はじめて会う人、そういう経験は私にもきっとこれからもあることでしょう。そのときのわくわくする気持ちを忘れずに大きくなっていければいいなと思いました。

2002年9月21日土曜日

さよなら幼い日々

朝、パーフェクトにぼけていて駅を乗りすごしてしまったondです。眠かったりしたわけではないのですが、ほんとに意識がぼやけていたかもしれません。降りる駅のアナウンスもいつもどおり聞こえたところまではちゃんと覚えているのですが、…気がついたらつぎの駅でした。<くたりすぎ 遅刻とかはせずにすんだのでよかったものの…私はアホでしょうか。というか私はアホですか。ええもう何とでもおっしゃってください。どちらかといえばアホをあわせると8割いきそうないきおい(自分の中では)なのですがご意見お寄せください。
さて、きょうは十五夜です。たぶん。植物園が夜に開放されてお月見をしましょうという催しがあったので、仕事帰りに行ってまいりました。くらい園内の通路にランプがならべられて光の道しるべになっている中を歩くと、いっぱい立てられた竹筒のひとつひとつの中にろうそくがともっていて、とても幻想的でした。そして広場にはステージが設営されていてちょっとした演奏会もおこなわれました。よかったものとしては、ハープをはじめて聴きました。すごくきれいな音色におもわず息を飲みました。かんじんの満月はちょっと雲でぼやけていたのですけれど、芝生の上でごろごろしながら聴く演奏もまたいいものだなと。<つうかスーツで?

2002年9月19日木曜日

4分箱

ondです。ゴルァーガが倒せません。本日はいっぱいしゃべっていっぱいねばっていっぱい検索したので少々おつかれです。めなー。
さて、えらいことに気づきました。ふと本棚を見ると本の色がなんだか変わっているような気がしまして、取り出してみてびっくり、背表紙だけ色が落ちていました。窓から直射日光が当たったせいでしょうか。方角としては朝早い時間帯にしか当たらないのでだいじょうぶだと高をくくっていたのが失敗でした。とりあえず応急処置として、引っ越す前もそうやっていたのですが、本がかくれるように布をかけておきました。こうするとほこりもふせげて本を守るのにはぴったりなのですが、せっかくのラインナップが見えなくなってしまうのはややもったいありません。…というかこれは本棚に日差しがあたってしまう部屋の配置のほうが問題なのでしょうか。

2002年9月18日水曜日

ぽこぽこポケット

プログラムを走らせて正常に動作しているか確認するためにじっとモニターを見つめている自分がなんだか「ドモホルンリンクルをつくる人」みたいに思えてくるondです。それはそのうちミスが見つかって修正作業に移るまでのみじかい時間でしかないのですが。
さて、新技習得です。<忘年会用? 鼻から水を吸って鼻の中を洗えるようになりました。昔から鼻がつまりやすい体質だったのですが、これをやるとずいぶんと楽になります。新鮮な空気が脳天を直撃する感じがします。<それほどまでにか

2002年9月17日火曜日

砂ずりを掘り当てて

いちにち催眠術をかけられたようにねぶかったondです。休みぼけでしょうか。しっかりせなあかんです。今朝はいかにも秋を感じさせる雨降りでした。家を出てから畑のそばを通るのですが、とれたてのかごいっぱいのナスも水にぬれてとてもつややかでした。しとしとと落ちる雨の音や、空の色が、季節の移りかわりを教えてくれます。でも昼間にはじとじとに変わってしまいました。<暑 というか駅の階段で足をすべらせてあやうく大ピンチになるところでした

2002年9月15日日曜日

パタパタの羽

けっきょくシュークリームの箱にしてみました。
さて、休日も平日とまったく同じ時間に起きてしまう私なのですが、きょうはとくにすることもなかったのでがんばって二度寝してみました。<がんばるほどのことなの? つぎに目が覚めたら10時くらいでした。やはり日ごろ慢性的に睡眠が足りないのでしょうか。とにかく寝だめできてよかったです。それから家でしめやかにぱそいじりなぞを。ひさびさに丸一日だらだらしたみたいです。

2002年9月14日土曜日

昼間からキッチンドランカーよ!

「はんにゃ」ってひらがなで書くとなんとなくかわいいですよね。ね。<念
さて、買い物に…というより探し物に行きました。先日ガラス製の置物を買ったのですが、部屋にそのまま置いておくとほこりをかぶっちゃいますし、なにより私のことだからそのうち落としてこわしてしまうかもしれません。なのでその置物を入れておくか、上からかぶせるケースがほしいなと思いまして。置物を買ったお店にもアクリルのケースが売られていたのですが、ちょっと高かったというかむしろ中身より高かったので断念して、かわりになるものをあとで買おうということにしまして。で、はじめはべつにタッパーにでも入れればいいかなと思っていたのですが、それではせっかくの思い出がかわいそうですから、とりあえず近所のショッピングセンターに行って…みたものの、そんなのどこに売っているのか皆目見当がつきません。探しまわってみたところ、アクセサリー入れのような小さいものとか色や模様が入っているものはあったのですが、それなりの大きさでただ透明なだけのシンプルなケースって意外とないものです。このままではほんとうにタッパーしか選択肢がなくなってしまいます。どうしましょう。次回につづく。<つづきません

2002年9月13日金曜日

タキシードモーニング

こんばんは、ond(おまけつき)です。ますます絶不調絶好調です。トゥデイはがっくしでした。会社のかぎをどこかに忘れてしまって中に入れませんでした。帰宅したらきのう着たスラックスのポケットに入れっぱでした。ほかにも、コンビニで買い物をしておつりを受け取ったまではよかったのですが自分が買ったはずの商品を持って出るのを忘れたり、あと、今ちょっと歯が悪くて治療中なのですが、形を矯正するために歯にかぶせているものがあって、それを食事かなにかのときにはずしておいたらそのあと紛失してしまいました。どうしましょう、あの先生おこらせるとこわいんですよ。<そういうことでなくて どうもうわの空といいますか、何をするにもぜんぜん集中できていなくて、どうにもぼけまくりの今日このごろです。以前はこんなんじゃなかったのですが。(注:つっこみどころです) こんな私ですがよかったのでしょうか。

2002年9月12日木曜日

あと5分って困らせた

ネクタイによだれたらしてお昼寝しておりますondです。さて、失礼をばいたしました。ちょっとせっぱつまっていたといいますか(精神的に?<?)、むしろ今年は勝負の年ですので。
きのうテレビなどの報道を見ていましたが、「1周年」という表現がたびたびもちいられていてすこし耳にさわりました。すくなくとも祝うべき日などではないと思いますので、あまり適切ではないような気がします。たとえ気持ちは同じでも、心にどれだけ誠意があっても、ことばひとつで誤解をあたえてしまったり悪くとられてしまうのはむずかしいことです。

2002年9月7日土曜日

次は私の番かもしれない

こんにちは、午後のひとときいかがお過ごしですか。家を出るときに雨に降られまして、しかも傘をきのう会社においてきてしまったので、すっかりぬれねずみになってしまいました。夜になって買い物に行ったら帰りにまた降られました。
買い物といえば、スーパーでブロッコリーの芽というものを見つけました。見た目はかいわれのような感じで、というかとなりにかいわれがおいてあったのですが、それの短いバージョンみたいなものでした。あとは葉っぱのかたちがちがいまして、ブロッコリーのほうは三つ葉っぽかったといいますか、いくつもわかれているみたいでした。すこしにおいをかいでみたのですが(危険な客)あまりからそうではなくて、からみが強いかいわれとはちがってサラダに入れてもほかの野菜とよく合いそうだなと思いました。でも芽のときはこんなによく似ているのに、成長するとまったくべつの野菜になるんですね。ふしぎ。

2002年9月6日金曜日

幹事会に捧ぐ

ondです。今日はネタがありません。<あ? 困ったときは昔話をしましょう。むかーしむかし、実家の浴室に軽石がおいてありました。あれが子どものときなんだったのかわからなかったんですよね。ちょうど小学校で水に浮くものとしずむものがあるといったことを習っていたころだったと思います。それで、軽石は石だけど水に浮くんですよと聞きまして、おもしろそうだなと思っていたのですが、そこへちょうどよく目の前にあるじゃないですか、なのでお風呂で浮かべて遊んでいました。…まさかかかとをけずるためのものだったとは思いませんでしたけれど。
でもどうしてかかとって固くなるんでしょう。足に負担がかかって皮膚が厚くなるんでしょうか。私が高校で部活動をやっていたときは、足の裏に水ぶくれができたり、それがやぶれて皮がめくれたり、かかとのあたりにもいわゆる血まめっていうのでしょうか、内出血みたいになっていて、それを夜な夜な焼いた針でつついて血を抜いたりしていました(>_<) 毎日練習で走りまくっていましたから、やはり足の裏もたいへんだったでしょうね。今にして思えばいい青春でした。

2002年9月5日木曜日

おだやかならね

このところ夜になるとすっかり涼しくなって虫たちの鳴き声が聞こえてきたり朝も明け方からすぐに気温が高くなることはなくなって快適なお目ざめを味わえたりおやつには甘栗むいちゃいましたを食べたくなってきたりとすっかり秋のよそおいかと思いきや昼間はまだまだうだるような暑さがつづいていて毎日だまされたような気分になっているondです。(自己紹介) なんかこう、信じてたのに…って思いません?<同意を訴え

2002年9月4日水曜日

カミソリムツと呼ばれた男

子どものときはさばの水煮が好きだったんですが、今はみそ煮のほうをよく食べているondです。…いずれにしても缶詰ですが。
さて、仕事なんですが、日によって集中できるときとできないときとばらけているように感じています。私なりに分析してみたところ、どうも朝ごはんをちゃんと食べない日はだめなようです。このところ、時間がないというわけではないのですが、というかむしろめんどくなって朝ごはんは手を抜きがちになっています。さすがに何も口に入れないということはしないのですが、朝食が目玉焼きだけだったり、みかんだけだったり、あるいはフルーチェだけだったりということになりがちで、そんな日はどうも朝からぽやーっとなってしまいます。まあべつの理由でぼーっとすることも多いのですが。朝ごはんは1日のエネルギーの源ですので大事にしたいものです。

2002年9月3日火曜日

そういう人だと思わせるための休暇取得

ondです。ふしぎな夢を見ました。大相撲の貴乃花関が来週から行われる秋場所の途中でけがをして休場、引退に追いこまれる、というものでした。…わけがわかりません。自分のことならまだしも、どうしてこんな自分とは関係なさそうな話題が夢に現れてきたのでしょう。でも、これがもし当たったら予知夢だったということになります。ですが貴乃花関には今場所こそはがんばってほしいので、当たってほしくありません

2002年9月2日月曜日

ミュータントと部分化について

みんな来るな、来るんじゃねえ!(何すか)
さて、学校では今日から新学期だったと思いますが、社会人にとっては今日から電車の乗客が増える日くらいの認識でしかありません。思ったとおりてんこ盛りでした。うちの近所に私立小学校があるのですが、私の乗る駅で制服姿の児童たちがいっせいに電車を降りて、元気よく階段をかけあがっていく姿もひさびさに目にしました。なんともほほえましい光景です。平常心平常心。<え あたらしい気持ちになれるときって本当に気分のいいものです。

2002年9月1日日曜日

アロン・ソピタル

おひさしぶりです。<それほどでも 今日はめちゃくちゃでした。自分で自分がわからなくなるときって本当にあるんだなと感じました。今日の私を見た人はみな口をそろえて壊れていたと言うかもしれません。どうなんでしょう、どちらが本当かなんてわかりませんけれど。けれど、やはりこれが自分なんだな、っていう感覚はなんとなくつかめたような気がします。それでよかったのかどうかもわかりませんけれど。感じたこと、得たものを胸にしまって、また明日から手のひらを返したようにがんばりたいと思います。とりあえず今はおなかがすきました。ごはんよそってください。<?

2002年8月30日金曜日

picnic

たぶんondです。ようやく熱帯夜つづきの毎日から解放されまして、またくーたんがいっしょに寝てくれるようになりました。ふかふかでいいにおいがして、そばにいると心がやすらぎます。ただちょっとおてんばなところもあって、私が寝ようとすると顔のほうに乗ってきたりして危険です。<というかあなたが危険です ほかにもまりんやしーくんといったお友だちもいます。寝つけないときやしょんぼりしたときも、みんながいてくれます。いつもいっしょです。…こんなやつです。いろんな意味で。

2002年8月29日木曜日

重ねてはさんで鼻広げ

私の住んでいるこのあたりは都会というほど都会でもないのですが、いちおう市民ということになっております。市街地のほうを見ますと、夜になっても街の灯りで空が照らされ、いっこうに暗くなりません。星もあまり見えません。都会はさびしいです。何もないことの物足りなさよりも。中途半端にものであふれているから、流通であふれているから、人であふれているから、よけいにさびしさが際立ちます。騒がしくて、静まらなくて、にぎやかで、だからいっそう心の静寂が身にしみます。こちらの都合はおかまいなしに、時間はひとしく流れていきます。

2002年8月28日水曜日

5年前のハリケーン

網棚の上に忘れられた新聞は、このあとこの線路を何往復するのでしょうか。笹の葉を食べたらパンダの気持ちになれるでしょうか。今まではなんにも感じずに聴けていた歌が、どうしてこんなに胸を苦しめるのでしょうか。なぜ自分を取りつくろおうとしか考えられないのでしょうか。今日もふんわりした心で、いちにちのおわりを肌で感じています。

2002年8月27日火曜日

遺跡都市アンタークティカ

今日のあっというま劇場(何)。「おんだくん、あごのところけがしてるやん。どうしたん?」「はい…今朝ちょっとかみなり負けしちゃって」「……かみなり??」 うわーー! またやってしまいました…。どうも昔っからのくせみたいなのですが、よく言いまちがえたり、かんだり(業界用語)、そういうのがどうにも直りません。漫才師にはぜったいなれないと悟ったondです。
それで、しゃべることをすこし苦手だと感じている私なので、文章で書くほうが自分を表現するのには向いていると思っています。うまく口に出せないことも書いてみるとあんがい素直に出せるという効果もあるでしょう。ですのでこうしてホームページなどで考えをつづったり、メールで話したりするのが、自分にとってやりやすくて気に入っています。ですがそれで私自身というものがどれだけ伝わるものなのでしょう。文字のコミュニケートばかりにたよっていていいのかな、と考えるときもあります。

2002年8月26日月曜日

かんなで削ったようなダメージ

起き抜けで作業するとろくなことがありません。<痛感<どうしたよ さて、今日は帰宅してから部屋の掃除をしました。きれい好きで通っている(だれに)私ですが、実はこのところまったく掃除をしておりませんで、床に物がちらかっていたり、テーブルがほこりだらけだったり、お風呂の栓がつまってお湯が抜けなかったりと荒れ放題でした。今日はようやく自分を鼓舞しまして、ごみをまとめたり浴槽を洗ったりと気分は日曜日でした。<だめじゃん かたづけてみるとなんだか広々としていい気分です。毎日生活する空間ですから、きれいにしていたほうが心もすっきりするような気がします。

2002年8月24日土曜日

サイモンセッズ

今日はお給料日だったのでラーメンを食べてきました。<やすっ 自己紹介のページをそろそろ更新しようかと思いまして書き直している最中なのですがぜんぜん終わりません。というか思うのですが、こういう個人サイトの自己紹介って実際どれくらい見られているものなのでしょうか。そもそもサイトのアクセスが少ないからそんなこと気にする必要はないと言われればおっしゃるとおりなのですが、なかなか気になるものです。自分がネットサーフする場合を考えてみますと、その人自身を知りたいと思うかどうかによるのではないかと思います。たとえばCGを描いている人のホームページでしたら、「その人のCG」だけにしか興味がないのならCGが置かれているページしか見ないと思いますし、反対に「その人」そのものに関心があればほかのページも開くでしょう。けれどどういう人が知ったところでどうなるのかとも考えますし、それに、ウェブ上で伝えられる情報だけでは人を知るためには足りないですよね。

2002年8月23日金曜日

イルカの超音波でメガネがきれいに!

乗っていたエスカレーターが突然停止して、ぼーっと立っていた不意を思いっきりつかれてがくっとなってびくっとなったondです。<わかりません 日が沈むのが早くなってきたのか、駅を出て家に向かうころにはすっかり夜のとばりがおりています。通り道に街灯がなくて暗いところがあるのですが、今日はちょうど私の前を歩いていた人が携帯電話で通話していまして、ぴかぴかと虹色に光るアンテナのおかげで安全に歩けました。便利な世の中になったものです(?) すくなくともトナカイの鼻と同じくらい便利です。
さて、最近へんなことをよく考える私ですが、というかいつもですが、たとえば、もし自分の余命がわかったら時間をどうすごすだろうとか、死ぬときにはどんな遺書をのこそうかとか、といったこともたまに考えます。これはけっして暗い考えではないと思います。元気なうちに遺書を書いておいたり、葬儀の方法や墓石を決めておく人は増えているようですし。生きているうちは自分の思うままに行動していますから、せめて、この世を去るときはなにかを返したいと思うわけです。人生が終わるときに、生まれてきてよかったと思えるように、そして、なにかをのこせる人間になれたらいいですよね。

2002年8月22日木曜日

ぬけぬけとうまい

お客さまです。<ガーン<? ベランダに出ようと思って網戸を開けると、その一瞬のすきをついて1匹のとかげが部屋に入りこんでしまいました。それから悪戦苦闘ありまして、ようやくお引き取りいただきました。どこででも見かける小さなとかげなのですが、つかまえてみるとなんとも憎めなくて愛着がわいてきます。しかし飼うわけにもいきませんので、そっと窓からぶん投げてやりました。子どものときからかえるやとかげなんかをよくつかまえて遊んでいたので、またなつかしい気持ちになりました。最近ひたってばかりのondです。

2002年8月21日水曜日

a wooden-brick proof

今日は運命の日です。<突然何 なんだかそんな予感がします。今は私に試練が与えられているのかもしれません。そうでも考えていないとつらすぎるから、というのが実際のところですが。直面している問題から目をそらさずに向き合っていくことが大切ですから。これを乗り越えられなければ、きっとこの先だって生きていけない、だからそのための試練なのだと考えることにします。…さてなんの話かといいますと、今、目の前にスイカがあります。そこそこの大玉ですっていうか、まるごと1個です。これを平らげなければなりません。小さい冷蔵庫にはまったく空きがなく、まだ暑いですので出しっぱなしにしていたらたちまちだめにしてしまいます。なので今日じゅうに食べなければなりません。若いころ(?)は大食いも自信があったのですが今はすっかり衰えているでしょう。なかなかの試練です。がんばります。

2002年8月20日火曜日

よぶことり

昆虫写真家の栗林慧さんをご存じでしょうか。私も長いこと忘れていて、つい先日、市内の百貨店で写真展が開かれるとの電車広告を見かけて思い出したのですが。そもそも以前はなぜ知っていたかと申しますと、子どものときよく読んでいた児童書で見た名前だったからです。小学校の図書室に、さまざまな動物や科学の現象などを大きな写真をたくさん使って紹介している本のシリーズがありました。(調べたところ、これはあかね書房の「科学のアルバム」というシリーズだそうです) 文字を読まなくても写真をながめるだけで知識がつくというお手軽さがよかったと思います、調子に乗ってどんどん読んでいました。とくに天体のシリーズは印象に残っていまして、星の誕生から死滅まで、宇宙の神秘などがわかりやすく載っていて、これと出会ったのがきっかけで私が理系に進むことになったと言ってもいいでしょう。ほかにも虫のシリーズがあって、さまざまな昆虫の生態がやはり丁寧に紹介されていたのですが、そのうちの数冊に写真を提供していたのが栗林さんだったというわけです。羽化やエサをつかまえる瞬間など、スクープとも言える数々の場面が間近でとらえられていて、子ども心にいい写真だと感じたことを覚えています。といったことをちょっと思い出したいちにちでした。

2002年8月19日月曜日

ホテトル妙法院

ondです。おとなりは新人研修とアトリエです。<犬ですか?<猫です。<何 夏休みと称して長いこと更新をお休みさせていただきました。どうもすみません。今日から再開するにあたって、いろいろ見直していってよりよいページにしていきたいと思っています。とりあえず枕の高さから見直してみようと思います。夜は涼しくなってきたようですし、これで安眠できるでしょうか。

2002年8月13日火曜日

迷子のドラセナたちへ

駅やお店で防犯カメラを見かけるとなにげに手を振ったりカメラ目線でポーズをとってしまうondです。この映像をだれかがモニターで監視していて、私のことを見ているのかもしれない、と思うとついがんばってしまいます。(?) ただ、目立ちたがりはさびしさの裏返しだと聞いたことがあります。自分のことをわかってもらいたくて、アピールしたくて、ふとそういう行動に出てしまっているのでしょうか。レンズの奥にいろんな気持ちをかくして、私たちは生活しているのかもしれません。

2002年8月12日月曜日

しゃべる種類

いつもお越しいただきありがとうございます。山場を越したとはいえまだまだ熱帯夜つづきの毎日でして、昨夜もお風呂から上がって何もつけずに眠ってしまったondです。(……) あ、これはその、べつに裸で寝ると気持ちいいからだとか、けっしてそういうヘンなシュミがあるというわけではありませんよ? なんといいますか、夏は解放感ですし。<苦

2002年8月11日日曜日

マイナスアピール

夏の風物詩といえば何ですか? 夏ならではものってたくさんあると思います。私が思いつくのは、花火や浴衣も捨てがたいのですが、今日はしろくまを挙げさせていただきます。ふつうのかき氷とはひと味ちがうあのボリューム感といいますか、どっさり感は思わずほれてしまいます。もとは九州名物らしいのですが今やコンビニで年中買えるのでお手軽さんです。しかしどうせ食べるならやはり暑い盛りがいちばん、ということで頭がきーんと痛くなるくらいの冷たさを楽しめるのも夏のだいご味なのかもしれません。…歯さえしみなければ、ですが。

2002年8月9日金曜日

AかBか選んでおかわり自由

こんにちは。しばらくはトマトで乗り切ろうと思います。<食欲不振? あまやどりも開設からはや3か月を迎えるところですが、最近アクセスも減ってきてようやくいい感じにさびれてきたのかなと思います。むしろさびれているのは私ですが(がーん)。なんというか、つづけるかどうかの瀬戸際?(何!?) 上の空で書いていたプログラムからはぼろが出まくりでがっくしですし、なんかもうだめそうです。顔がよごれて力が出ません。<汗ふけよ 大ピンチです。<レイクエンジェルにおまかせよ?<? というかうるおいにとぼしい日々の私にネタをください。

2002年8月8日木曜日

ラフテー

最近コーヒーのおいしさがわかるようになってきた(と思う)ondです。お気に入りはカフェラテですとか、あと7種類の茶葉が入っているやつとか!<全然わかってねえじゃん ほんとは朝飲んですっきりするのがいいのでしょうがそんな時間もありませんし、かといって夜に飲むとなかなか寝つけなくなってしまって大変です。でもなぜかお茶は飲んでもちゃんと眠れます。不思議なものです、コーヒーより日本茶のほうがカフェインが多いと聞きましたが。…カテキンでしたっけ? お茶はなんといいますか、落ち着きますしね。和の心です。

2002年8月7日水曜日

distorted annealing

ウナー。今年のondは眠らせてなおしちゃいます。<それは毎年ちがうの? というか背中が痛くてやってられません。毎日座りっぱ生活だからでしょうか、それとも姿勢がよくないためでしょうか。いえ本当は寝相が悪いからだということは重々承知しているのですが。しかもちょうどまん中の上のほうといいますか、いちばん手が届きにくいあの場所でして、湿布もあるのにうまく貼れません。がんばって腕を伸ばしてもぐちゃぐちゃになってしまうのがおちですし、無理をしてしまうとどこかべつの筋肉を痛めてしまいそうでいかんともしがたい状態です。こればかりはくーたんに頼むわけにもいきませんし。……なんかどっと疲れが出ました。(おもに自分に対して)

2002年8月6日火曜日

突拍子もないことを

ondです。よくわかりません。<何が というか私はこれしかすることがないのでしょうか。朝からけたたましいセミの鳴き声を目覚ましがわりに起き、夜になってもけたたましいセミの鳴き声を子守歌がわりに眠る日々です(夏ですし) 駅までふらふら往復して、仕事もなんとなく身が入らなくてだらだら気味で、そして寝る前にさびしくこんなの書いてます。こんなことがいったい何になるっていうのでしょう。でも私は書きつづけるしかないのです。今は。というかここ数年来スキーやってないのでやりたいです。<唐突だなっていうか、どうしたよ

2002年8月5日月曜日

伝統文化で勝負!

まさとしです。(またかよ) なんというか…今日は最悪でした。トイレットペーパーの端を三角に折っておく(ホテル風)のを忘れるわ、買い物してないので冷蔵庫は空っぽだわ、会社帰りにマンガ買いに行ったのにないわ(実は発売日をまちがえていただけ)、犬に吠えられるわ、朝のニュースの星占いが最下位だわでやってられません。<どうでもいいことばっかり とくに今日のラッキーパーソンとか発表されたときは泣きました。ええ。(何) 気分が沈んでいるときは何もかもがうまくいかないような気がしてしまいます。

2002年8月4日日曜日

魅力は陽炎のはかなさ

ただいまる。週末はお出かけしてました。今日の夜もどってきた私に、衝撃の事実が待っていました。今はとても悲しい気持ちです。自分の無力さを責めずにいられません。こういうこと(愚痴とか)はあまりインタネ上で書きたくないのですけれど、でも、それくらいにつらい現実だったので、あえて書かせていただきます。……扇風機つけっぱでした。ついでにガスの元栓も開けっぱでした。

2002年7月31日水曜日

大丈夫、ツラの皮厚いから

んば。今月も残すところあと約2時間(執筆時・日本標準時)となりました。今年も7の月には何も起こらなそうでなによりです。<今さら何を信じてるんですか というわけで今月を振り返ってみたいのですが、とりあえず暑さとセミの鳴き声で毎朝5時半ごろに目が覚めてしまうのは何とかならないでしょうか。というか許してください、こちらにも生活があるんです。<そうだね

2002年7月30日火曜日

鉛ならまだよかった

ondです。トマト冷えてます。<呼び込み? 今日もお仕事でした。なんかね、これといって何があるってわけではないなりにいろいろあるのですよ。<どっちだよ もちろんいつまでたっても新米気分では困るけれども、だからといってあまり気を回されるのもいい気はしませんし、背伸びをしても痛い目を見るだけですし、けっきょく毎日だらだらやっているだけになっていやしないかと思うと、それはそれで不満があるわけではないにしても、なかなかむずかしいものです。このあとどこへ行くのかなんて、目の前のことをひとつひとつ片づけることで手一杯になっているとなかなか考える余裕もないものです。

2002年7月29日月曜日

キケーロさん

やあ、ぼくドラえもんです。…は「く」にアクセントがあります。大山のぶ代さんご本人が言っていたからまちがいありません。声まねをするときの参考にしてください。<だれもしません
今日はお誘いがありましてビヤホールに行ってきました。つーかこりてないのかよ。<何 しかし肝心のビールは1杯だけで、あとはカクテルやらトマジューやら抹茶ミルクやらよくわからないものをいろいろいただいてまいりました。なので今日もごきげんです。やはりお酒は楽しく飲むのがいちばんです。

2002年7月28日日曜日

「第一印象から決めてました」風?

こんにちは、更新さぼっていてすみませんでした。というかおこられました(何) おとといのできごとも今日がんばって思い出して書きましたので許してください。<それ日記って言いません 朝からセミの大合唱で目覚ましいらずというかたも多いかと思いますが(ニュースキャスター?)、ぬけがらをあちこちで見かけるようになって、少年時代をやはり思い出します。夏休み中にいくつ集められるかを競いあったり、夜明け前に起きて羽化の瞬間を見に行ったり、むしろぬけがらにくっついているあの白いすじを食べたり(え)、なつかしい思い出です。
さて、日曜日です。<そうだね 最近になって平日と休日のメリハリがついてきたなと感じている私ですが、毎日が日曜日だったあのころとはちがって、こうしてだらだらすごせる一日がとても貴重なものに思えてきます。駅のホームに立っていても、スーツ姿と私服のときとではまったく風がちがいますし。<それほどまでにか

2002年7月27日土曜日

横溝の話はいいから

福生ー。(挨拶?) 適当に甘いものを食わせておけばそれだけでごきげんなondです。安い男です。<なんかあったの オンエアバトルを見てもちっとも笑えませんでした。やはり気分にそぐわない番組は見るものではありませんね。苦しい気持ちも、楽しい時間も、今はありのままに受け止めていようと思います。
今日も暑うございました。夏の花の大将格であるはずのひまわりも強い日差しにだれた感じで首をもたげていました。しかしすずやかなひとこまもありました。スーパーへの買い物に近くの川沿いを通るのですが、何頭かの犬が水に入って遊んでいました。気持ちよさそうにばしゃばしゃと走り回ったり、飼い主といっしょに釣りを楽しんだり、川からあがってぶるぶるっと水をはじいたり。夏は人間にとっても犬たちにとっても大変な季節ですけれど、こうした様子を見ていると、夏もいいものだなと感じます。

2002年7月26日金曜日

牛のマークのタックル専門

最近は血液サラサラブームのようですが(ブームっていうか…)、あれってどうなるんでしょうか、ドロドロだったのがなにか食品をとるとサラサラになって…と想像するとそれだけで背筋が寒くなってしまいます。血の話とかぜんぜんダメなondです。
さて、なにかと物騒な世の中ですが、私の近所もこのところあまり雰囲気がよくありません。隣で工事やってますし。<関係ないし あと夜になりましても、まあ市内ではわりと静かなほうだと思いますが、それでもときおり怒鳴り声や大きな物音が聞こえてきます。また最近では、夜ごとに銃声のようなものが響いています。おそらく花火で遊んでいる音なのでしょうけれど、やはり近所迷惑になりますし、というかまぎらわしいので困っています。あやうく通報してしまいそうになります。といっても私は本物の銃声を生で聞いたことがないので、区別がつくかどうか疑問ですが。…それはカレーとハヤシライスよりちがうん?(大阪)

2002年7月25日木曜日

ひとりかもねむ

こんばんは。ondのおそよう日です。後半まで集中力がつづきません。<係争中?<? 夜に思わぬ来訪がありました。というか突然チャイムが鳴ったとき生まれたままの姿だったので非常に焦りました。(がーん…) それであわてて適当に着て玄関に出たわけですけれども。
さて(さっきの誰だったんだよ)、毎日帰宅するとすぐに窓を開けて暑いのを逃がしているのですが、部屋はまだそれで涼しくなるのですが、困ったのはユニットバスです。熱と湿気(と臭い)がこもってえらいことになっていますというか、おちおち新聞も広げられません。<べつにトイレで読まなくても 換気扇を回しっぱにしていてもなかなか消えませんで、どうにかならないものかと思っています。さらにどうにも手のつけようがないのが押し入れでして、…なにか繁殖していなければいいのですが。

2002年7月24日水曜日

プレノーヴィス・エキシビジョン

おすぎです。(裏声) すがすがしい朝でした。というかむしろめくるめく夜でした。<きみも大変だね
さて、今夜もさっそくまいりましょう。シャチハタはだめですって言われても。<って言われても しかし印鑑というのも不思議なものです。公的な手続きや金融機関などではそれが個人を同定するものとして用いられているわけでして、本当にだいじょうぶなのかなあと考えてしまいます。同じ姓の人はたくさんいますし、デザインもそれほど複雑ではなく、指紋のように一人ひとりすべて異なるのかどうか疑問です。そのほかにも運転免許証や証明書のたぐいなども、当然法にもとりますが偽装することもやろうと思えばできるでしょう。そうなると、自分が自分であることをまちがいなく証明することというのがとても難しいことに思えてきます。身近な人がある日まったくの他人にすり替わっていたり、何者かが自分になりすまして現れたり、あるいは突然誰かから「あなたは本当に○○ですか?」とたずねられたり、もしそういうことが起こったときに、しっかり本物を見分けたり自分を特定することが、はたして本当にできるのでしょうか。私は、社会的なIDとしての証明ではなく、自分らしさを守ることこそが大切であってほしいと思っています。

2002年7月23日火曜日

予期せぬ仮病

夏を満喫しているみなさまはいいですなあ。<ひがみ? あ、いえその、けっして夏休みがうらやましいとか、セメスター制がうらやましいとか(何?)そういうことではありませんで、夏の暑さを楽しめるのがうらやましいというだけのことです。<おなじじゃん そういうことではなくて、夏は寒くてやってられません。どこ行っても冷房効きまくりで、とくに朝の通勤電車などはガンガンいこうぜでございまして、にわかに体を冷やしてしまいます。これは私が人一倍汗っかきだからかもしれませんが。外気はうだるような熱気なのに体内は背筋もふるえる寒気、これほど気持ちの悪いものはありません。そして毎年のように夏かぜをひいてしまったりするのですが、かぜはどの時期でもいやなものですが、ond的には夏かぜは最悪です。かぜをひいたら体を温めて休まなければなりませんが、そんなことして眠ったら汗のかきすぎでひからびてしまうといいますか、むしろ暑すぎて寝ていられません! という理由で夏はなかなか過ごしづらいと感じています。

2002年7月22日月曜日

ダブルノック(誰と誰?)

あたらしい一週間のはじまりです。っていうか納期です。
さて、いよいよ夏本番といいますか、今までのは準備運動にもならねえぜと言わんばかりの夏本番ですが(表現の重複)、床屋に行ってしっとりしてまいりました。<しっとり何 ですが私、床屋というのはどうも苦手でして。いえ髪は短くしているほうが好きなのでもちろん通わなければならないのですが、なんというんでしょう。以前、服を買うのがわずらわしくてめんどうくさいので苦手だということを書きましたが、それと同じようなものです。というか同じものです。いつも髪型の注文でもたついてしまうのです。自分の頭のことなのに何言ってんのと思われるかたもおありでしょうが、見てくれにまるでもって無頓着な私にとっては髪型すら関心の対象になっていないのです。なんかもう、適当にやっちゃって!とか言ったら怒られそうですし、むしろこの目を見て!とアピールして本当に見つめられたら困りますし(何)、おっちゃんいつものやつで!と頼めるほどなじみのお店もありませんで、ほとほとまいっております。とりあえずあっちこっち事細かに指定するのがめんどうなので、最近はこう言うようにしています。…シャキーンってしてください!

2002年7月21日日曜日

ウィンテル神話崩壊の日

あたらしいお友だちができてちょっとハッピーなondです。まるっこい大きな目と、あとおしりがかわいいのです!<セクハラ?<っていうか現実に戻ってきなさい 今日は部屋を掃除したりエアコンの運転をしたりしました。ぬかりはありません。…ぬかりちゃん?<誰
今、夜になって日記を書いているのですが、外から大きな音が聞こえてきました。ベランダに出てみると打ち上げ花火が上がっていました。窓を開けてしばらく見ていようと思います。もちろん網戸はちゃんと閉めましょう。学生時代とちがって長期の休みはありませんが、今年はどんな夏になるでしょうか。楽しみです。

2002年7月20日土曜日

ラララ ララララ 星きれい

今日もバリバリです。(さいですか) 今日はいい日でした。梅雨が明けたそうで、たいへん暑かったのですが今までのようなじめじめした感じではなく、からっとして気持ちのよいくらいの暑さでした。あとびっくりしたのは、街中で自転車タクシー(?)を見かけました。ふたりくらい後ろの席に乗ることができて、ちゃんとミラーや方向指示器もついていまして、道ばたをへろへろ走っているさまがとてもユーモラスでした。
さてもうひとつ、ジブリ最新作である猫の恩返しを観てきたであります。わざわざ公開初日に行くほどの気合いの入れようでございましたが、とてもほのぼのとして楽しめました。きのう書きましたが耳をすませばが好きだというのがありまして、それで期待していたというのがありまして。あとそれと…私にとって特別といいますか、どうしても観ておきたいっていう気持ちがありまして、うまく言えませんが、はい。

2002年7月19日金曜日

スクリャービンの話をしよう

ondです。やりました。(さいですか) 金ローで耳をすませばでした。<ってかその略何 何度観てもすてきな作品です。
さて(耳すま話終了?)、なんかね。<どうしたよ 最近ちょっといろいろあったというか、話をしたりというか、むしろしなかったりといいますか。会社にしましてもですね、どうしても距離をおきがちになってしまうというか、顔を作ってしまうというか、猫をかぶっているというか、そんなふうな自分をつくろっているなと感じることがあって、どうにも素をさらけることにまだ抵抗があるのかもしれません。昔だったら、こういうあたらしい社会なりグループに入っていったら、もっとみんなと打ち解けたい、自分を知ってほしいという気持ちがおのずとわいてきたというか、むしろそれが社交性というものなのでしょうが、最近はそのように思えなくなってきています。それはべつに仕事だから、という考えかたをしているのではなくて、たとえばどこであってもといいますか、自分の中でなにかを取捨選択している感があるというか、というか「というか」が多すぎというか、若さを失っただけなのかもしれませんけれど。それにたとえば、視点や人間性を豊かにするためにいろんなタイプの人間とつきあいなさいということをよく耳にしますが、そんなに割りきって考えられなくもなってきています。話の合う人、いっしょにいて居心地のいい人でないとなんとも…と思う今日このごろです。「社会」に出たわりには、その中へ飛びこむことを避けている私なのかもしれません。

2002年7月17日水曜日

immediate pain

油断しました。ついいつものノリで窓開けて薄着でいたら夜になって急に涼しくなってきたもので体を冷やしてしまいました。かといって着ると暑く感じますし、どうにも過ごしづらい今日このごろです。<時候の挨拶風
さて、今日の晩ごはんはハンバーグでした。…って自分で書いてもいまいちきませんね、というかうそです、ハンバーグじゃありません。(何ですか) 今日は牛丼屋ですませたのですが、ひさしぶりに入ってみたらメニューが増えまくっていてえらいことになっていました。もはや何屋さんかわかりません。このチェーンはカレーがおいしいと評判だそうで、なおさらなにがなんだか。それはさておき、最近ではこうしたファーストフードなどに依存した食生活を見直そうということで、スローフードなる考え方が提案されています。たしかに私も調理や食事にあまり時間をかけられない生活になっていて、ごはんをゆっくり食べるということもあまりしていないように思います。暮らしのゆとり、心のゆとり、そのさまは食生活によくあらわれているのかもしれません。

2002年7月16日火曜日

ジンジャーエールが飲みたいな

さて、今日はシリーズ梅雨の話題その2です。<勝手に立ち上げ 朝、起きてまだすこし眠気があったのでコーヒーでも入れてシャキシャキレタスのようにシャキッとしようと思いまして、あるいはプリプリくるまえびのようにプリッとしようと思いまして(いらんっちゅーねん)、ふだんほとんど飲むことのないインスタントコーヒーのふたを開けました。そしてスプーンをさしてみると、感触がやけにもっちりしているではないですか。いやな予感を覚えながらおそるおそるすくってみたところ、…もはやコーヒーではありませんでした。ひきわり納豆と化していました。かくしてまたしても泣く泣く捨てるはめになったのですが、こうなると自分の家にどんな恐怖がひそんでいるかおそろしくてびくびくしながらの生活を余儀なくされているondです。<自己紹介遅

2002年7月15日月曜日

モヤレンジ!

ロッチ!(挨拶) 最近、コアラのマーチキーホルダーをときおり見かけるようになって気になっているondです。あのお菓子のあの形をそのままデザインしたものでして、ぱっと見ただけでは本当に見分けがつきません。かばんにそれをつけている人を見かけたとき、お菓子がついてますよって注意しそうになったり、むしろこっそり取って食べてしまいそうになったりしましたが、それくらいそっくりさんなのです。<いいわけ …いいなあー。

2002年7月13日土曜日

マルサ定食

汗っかきな体質なので夏はお困りのondです。もうね、一日中だらだらなのですよ。水分補給のときはスポーツドリンクを飲むようにしています。しかし、昼間はまあしかたないとしましても、暑苦しい熱帯夜がつづくのは本当にげんなりです。だってくーたんといっしょに寝られなくなっちゃいますから。
さて、今日は昔の女に再会したような心境でした。<でじこ? というかさわやかスポーツ系サラリーマンでした。たとえて言うなら「仕事のあとはやっぱりバドだな」と言いながらバドミントンで汗を流すくらいのさわやかさといいますか、ブタミントンも可?<脱線しすぎ というかボウリングをしました。健全なるユースエイジの代名詞とも言えるさわやかレクリエーションの王道です!(ほめすぎっていうか、そんなにいいの?) ねらったところに球がいったりいかなかったりの一喜一憂ぶりを楽しんできました。今日のアベレージは102でしたがいかがなものでしょう。<聞かれても それからゲーセンでも年甲斐もなくはしゃいでしまいまして、体力の衰えを切実に感じました…。

2002年7月12日金曜日

不協声

今夜も風の声に耳をかたむけ…というかむしろ聞き耳を立てているondです。いちおう(汗)都会の夜はあまり静かではありませんで、窓を開けているといろんな音が聞こえてきます。自然の音であったり、人間が出すそれであったり。このまちは、ひとつです。
さて、今朝ですが、自宅の近くの道路で朝から作業をしている人たちを見かけました。道路のわきにトラックを停めて、マンホールのふたを開けて中で作業をしているようでした。すると、すこしはなれたところのマンホールも開けられていたのですが、そちらから水しぶきが飛び出してきました。とてもすずやかな光景だったのですが、きっと水面下ではえらいことになっていたのだろうと思って通りすぎました。

2002年7月11日木曜日

キレート水澪の雨

いやはや。<トレッパー?<?? きのうは更新をお休みしてしまいましたが、というかお風呂にも入らないでばたんきゅーだったので、今朝入りました。これはいたってリスキーです。朝のうちは心身ともにさっぱりして気分がいいのですが、しだいにねぶくなってきます。案の定、うとうとっとなってぼーっとなってふらふらっとなって突然がくっときてびくっとなりました!(意味不明さん)
さて、今日は今シーズン初の冷やし中華でした。めんをゆでていたら大変なことに気づきました。ざるがありません。でもそこはなんとかがんばりました。<どうやって そういえば、食べ物の好き嫌いはほとんどない私なのですが、冷やし中華にマヨネーズを入れるのだけはどうしてもだめです。どちらも単品(?)では好物なのですが、なんでもまぜればいいものではないといういい例なのかもしれません。

2002年7月9日火曜日

ジュール・トムソン効果

まいどどうも、ondです。ニラ玉が好きなんですあの子。<誰 天候が目まぐるしく変わるこの時期ですが、食べ物にも気をつけなければなりません。暑くて湿度も高い環境におかれた食材は、日持ちしなくなったりいたみやすくなってしまいます。ひとり暮らしをしていますと毎日買い物に行ける時間がありませんので食材を買いだめしておくのですが、これも危険なことです。今日も冷蔵庫の中のものをいくつか処分してしまうことになってしまいました。ふだん、こういう季節でなければすこしくらい賞味期限がすぎていてもおかまいなしにどんどんいっちゃうのですが、今はさすがにもったいないとも言っていられませんので。

2002年7月8日月曜日

「きなこ」

こんばんは、そばめしチャーハンです。<さいですか 毎晩電車に乗って帰宅しているのですが、どうにもタイミング(?)があいません。いつもホームに着いたときにはちょうど電車が出ていったところだったり、むしろドアが閉まる決定的瞬間だったりして、そのあと長いこと待たされてしまいます。ホームに来る時刻も毎日ちがいますし、けっしてねらっているわけではないのですが、ほぼ毎日こうなってしまいます。私はちゃんとポアソン到着できているのでしょうか…。

2002年7月7日日曜日

モチベーション天国

恥の上塗りです。(何) というかまちがってエスケープキーを押してしまわないようにふたをかぶせてみました。(何) 自宅が山に近い場所にあるせいもあって、たくさんの鳥の鳴き声が朝から聞こえてきます。むしろ夜明け前から聞こえてきます。私は小さいころから早起き大好き少年でした。外に出て日の出を見たり、早朝時間枠のアニメ(再放送)を観たり、あと春には5時ごろ起きて実家の畑のいちご摘みを手伝ったものです。いちごはやはり早朝の摘みたてがいちばんおいしくて、その朝のうちに牛乳をかけて食べるのが楽しみでした。大きくなった(?)今となっては、休日はすっかりおねぼうさんの私です。

2002年7月6日土曜日

one or astonished

ゆうべ寝る前にしこたま飲んだondです。でも梅酒は夏ばてにいいのでどんどんいっちゃいましょう。<正当化 今日は一転して気が重かったといいますか(というか胃もたれ?)、朝は涼しくて気持ちよかったのにすぐ暑くなるし、仕事もぜんぜん集中できなかったし、かぜの後遺症でのどを痛めてしまいましたし、いろいろあってごはんを作っていたら涙が出てきました。<たまねぎ(お約束) あしたは雨になりそう、なんて考えながら夜はふけていきます。

2002年7月5日金曜日

もやしのナムル

さて(いきなり話題転換?)、サブルーチンからちゃんとリターンできますか。私は最近、それがちょっと苦手かなと感じるようになりまして。たとえば仕事のときですと、ある作業をしている途中に、何かまちがいに気づいたりあと人に言われたりしてほかのことをやる場合があったとします。それで、そちらを終わらせてもとの作業に戻ろうとすると、…あれ、さっきまで何やってたんだっけ…、ということになってしまいがちです。なにごとにもブレークポイントを設定できたらいいのですが。
おそくなりましたが、もう7月になりましたので先月をふりかえってみましょう。とにかくあちらがたいへんな盛り上がりというか、それはもうパパ特盛りといったところでしたが(?)、私はあまり注目しなかったように思います。いちおう人並みにサッカーファンなのですが、まだ会社入ったばかりですし、ほかのことに気を取られるまでの余裕がなかったのかなと思います。それにほら、私には私のワールドカップがありましたし!<どこにでもありそうなセリフ<つまり私には私のシャウエッセンクオリティー程度の発言

2002年7月4日木曜日

waiting for thee

粉末のコーンスープはどうしてあんなにお湯にとけにくいのでしょう。いつもちゃんとお湯をすこし入れてはよくかきまぜ、入れてはかきまぜをくりかえして作るのにだめなんです。底のほうにでろーんってたまってしまうんです。これはこれで何かべつの食べ物のような気がしておいしいのですが。<自己完結
前にトンボを見かけた話を書きましたが、今日ひさしぶりにまたお目にかかりました。小柄で、塗られたようなきれいな黒い羽のトンボでした。つかまえてみたかったのですが、本当にめったに見かけないめずらしい色をしていたのでどうにもためらってしまいました。それに昆虫にだってちゃんと命があるわけですし。<いいからさっさと会社行きなさい

2002年7月3日水曜日

バナナセンター(今日こそは!)

すでにふつうのメガネをかけているのになぜかだてメガネにあこがれているおんだです。なんかかっこよさそうな予感なのでかけてみたいのですが、どうしたものでしょう。(何が) かわりにコンタクトレンズにして、その上からさらにだてメガネにしてみたらいけてると思いませんか?<いけてるいけてない以前に意味なさすぎです

2002年7月2日火曜日

なんてヘンな想像して

いらっしゃいませ。おじゃる様におつかえする電ボにございます。(裏声) ああ…おいたわしや。<自分が 仕事をしていて夜になると、すっかりだれてしまってさっさと帰りたくなる日と、なんだか集中力がもっていてまだまだやれるぞという日があります。どちらであってもあまり時計を気にせずあくまでマイペースで切り上げるのですが。それに、あまり遅くまでいても、そのぶん帰りが遅くなれば次の日に寝不足になってしまいそうなのでそれはよくないなと思いますし。とくに私は帰宅して夕食作ったり日記(ここ)書いたりありますし。…それはまだ余裕があるということなのでしょうけれど
なのですが、今日は帰ってきてあまりおなかがすいていなかったので軽くすませました。朝昼とちゃんと食べているのでべつに、という感じもします。むしろ学生時代は食事を抜くこともめずらしくなかったといいますか、たいてい1日1食か2食でしたので、体がそれに慣れてしまっているのかもしれません。あと今は運動もろくにしていないので、カロリーコントロールをちゃんとやらないと身も心も中年さんになっちゃうよー。<…心も?

2002年7月1日月曜日

スネ夫、認知。

こんぴら。時間がないように見えてしっかり抜け目がないondです。食べるみそ汁はじめました。<水量まちがえただけでしょうが
今日はやけに暑く感じられたのですが、それはちがいました。実は高かったのは気温ではなく私の体温でした。なかなかの高熱です。数日前から体がだるかったりせきが出たりしていたのですが、気合いで治すぞと片意地をはって放っておいたらさっぱり回復しませんで(あたりまえ)、そしてやはりきのうのがこたえたのでしょうか、すっかりこじれてしまいました。帰り道にいたっては足下がふらついてしまってあやうく側溝に落ちそうになる始末でした。みなさんも夜道を歩くときは気をつけましょう。<ちがいすぎ

2002年6月30日日曜日

日和見・葉隠れ・人柱

まぶらほ!(挨拶<がーん) いくら若作りしても歳はごまかせないものです(何?) というかこの週末は出張に行くかもしれないという話になっていたのですが、ぽしゃりました。ちょっぴりざんねんです。<そんなに行きたかったんですか
さて、今日も朝からお出かけといいますか、むしろ昼間からへべれけと言いますか(酔)、しかもその足で酒気帯び通院してきました!<誇んな ひさしぶりに街でお買い物とかしてきました。買い物っていうかセルフおみやげでした。大学時代もよくみやげ物屋で生八つ橋を買ってきてひとりで食べてたり(寂)していたものです。

2002年6月29日土曜日

恋心のようでござる

おんだです。しおしおです。<またしおつながり?? 一日ずっとやっていたのに何も進みませんでした。自分にまだまだ力がないのは百も承知なのですが、やはり仕事がうまくいかないとね、ちょっとしょんぼりです。というかかけこみ乗車をしてしまってドアにはさまれそうになりました。<で?
それはさておき、テレビでスーパー狂言というものを観ました。最近すこし話題になったかもしれないあれです。うーん…なんともうまく言えませんが、というか狂言じたいめったに観ることがないのであれなのかもしれませんが、どうなんでしょうか。<どうなの いくら新しい時代への流れといっても、たとえば新作落語や若者の三味線奏者ほど感覚として受け入れやすいものとは言えませんで、らしくなさと言いますか、そんな違和感をはっきり受けました。年代とともに変化するもの、イマドキに順応すること、それがかならずしもいいこととは言えないのかなと。

2002年6月27日木曜日

迷子の集中力へ

シオカラトンボはしおからいのでしょうか。<食べちゃだめー! みそ汁好き人間の私は塩分のとりすぎに注意しなければならないと思う今日このごろであります。(関係なさすぎっていうか、しおつながり?)
今日はいてもたってもいられませんでした。<うかれすぎ CDを購入しました。I'veの新作アルバムです。前回からまる2年たっての発売となりましたが、というか待ちすぎました。だって私なんかあれですよ(何)、1年以上も前から、そろそろ出るんじゃないかなーと思ってずっと3000円つかわないでとっておいてたんですよ?(まさか のでさっそく聴いてみたい所存。ここしばらくは家でじっくり音楽を聴くことが少なくなっていたので、これを機に心のリラックスといきたいものです。

2002年6月26日水曜日

オートマトンじゃなく、人に

先週あたりはちょっとメンタルがあれでして「パパー、こっちがまいってるよー」状態だったのですが(理解不能)、今週はうってかわってせわしくなっているondです。というか涼しくなっています。<関係なし 雨がちのどんよりデーがつづいていまして、先日どこぞやでもらった花のちいさな鉢を窓辺に出しておいているのですが、お日さまをあびていないせいか元気がなさそうです。私は雨でもから元気です。というか最近思うのですが、雨のほうが好きになってきたような気がします。雨の日のほうが、いろんなことを考えられる気分になりやすいからでしょうか。つのる気持ちを胸にそっとしまって、またあした。

2002年6月25日火曜日

宇宙くたくた

もだーる。(挨拶) おんだです。好きな野菜はあさづきです。<玄人志向 今日は帰りが遅かったのですが、電車にはたくさんの人が乗っていました。みなさん仕事帰りなのかなと思うと、私ももっとがんばらなくちゃいけないなという気持ちになれます。遅いといってもその日のうちに帰ってきているわけですし。最近ちょっともやもやしていたのですが、ひさびさになんだかいい気分でした。
それはさておき、えらいものを見つけてしまいました。リステリンです。歯みがきのあとにさらに口をゆすいできれいにするあれです(どれ)。通院中ということもあって歯には気をつかおうということでさっそく試してみたのですが、少量を口にふくんでぶくぶく…やろうとした矢先! 痛い!!!!!!<つけすぎ いえ、味も相当ににがくてまずいのですが、それすら忘れさせるこの刺激ですよ。口内が荒れているのもあったのですが、しみるとかぴりぴりするというレベルを凌駕しているのですよ。これはもう泣く子もだまる痛さです。まさにK-1級です。これじゃあ耐えきれなくて支持率急降下ですよ?<? ラベルには30秒ほど口に入れて…と書いてあったのですが、速攻で出しちゃいました(>_<) 記録6秒。うーん…、いかにも効きそうな外見(黄色い液体)につられて選んだのがいけなかったのでしょうか。いや実際効いているのだとは思いますが。でも隣に並んでいたぴりぴりしないモンダミンセンシティヴのほうが今にして思えばよかったような。あまやどりではおくちくちゅくちゅモンダミンをお使いのかたのご感想をお待ちしております。<消費者の集い?

2002年6月23日日曜日

クイズ番組に出てみたい

今週もつっこみどころ満載でおおくりしてまいりました当日記でございますが、ほかの人の自転車に乗るとどうしてあんなに違和感バリバリなのでしょうか。(突然何) なんでか乗りごこちがすっごくわるいですよね?<聞かれても サドルの高さや座りごこちや、あとハンドルの向きがちょっと曲がっていることもあります。でも調べてみると曲がっているのは自分の自転車のほうだったりして、おまえ今までよくこんなの乗ってたなと自分に感心してしまったりなのですが。他人のものを借りるときや他人の家におじゃましたとき、自分のそれとのちがい、そして、自分自身というものがまたひとつ見えてくるのかもしれません。

2002年6月22日土曜日

天然記念物量産型

おやすみ。<寝んなよ 昨日は失礼をば。帰宅したらそのままバタンキュウで今日にいたってしまいました。いたしてしまいました。<左様ですか 今日はハースケでした。午後からあれやこれやしなくちゃと思ってもたもたと洗い物していたらコーヒーカップを落として割ってしまいました。というかですね、本体(?)は無事だったのですが、取っ手がきれいさっぱりもげました。お気に入りでずっと使っていたので残念です、というかカナダのおみやげだったのに…えーん。(何)
さて、さっきの手紙のご用事なあにということで申し上げますと、コンサートに行ってきました。今月も2回目です、というか通いすぎです。今日はなにがよかったかって、パッヘルベルのカノンでした♪ クラシックのなかでも文句なしにいちばん好きな曲でして、しかもなぜか私は中学校の卒業式を思い出してしまって聴くたびにほろりときちゃうものですから(つーかなんかあったの?)、間近で演奏を楽しめて本当によかったです。パッヘルベルのカノンもお気に入りですが、シュガーのカノンもたまりません!<ひさびさのダメネタ その他もろもろありましたが今日は割愛します。(出し惜しみ)

2002年6月21日金曜日

私はかわいい放物線

Jリーグが開幕したころイエローカードを持ち歩いていたという疑惑についてはこの場をもちまして否定させていただきますが、同級生に清水くんという人がいたという理由で清水のファンだったondです(ながっ) 私はまだやれました。<試合途中で退場くらった心境?
さて先日、早朝というかむしろ未明に目が覚めてしまうという話を書きましたが、その理由がようやくわかりました。特捜部のこれまでの調べによりますと(<自作自演)、暑かったからというわけではありませんで、カーテンの布がうすくて夜明けになると直射日光スループットで早くもUVケア必須!(なに っていうかやっぱレースはだめですよね…。ちゃんとしたの買ってきます。

2002年6月20日木曜日

屋根を切り取って

かみそり負けしちゃって朝からげんなりなondです。しかも家を出る前の時間がないときにですよ。口元を鼻紙でおさえて出勤という不格好な私。でも終わりよければすべてよしです。一日のきっちりしめくくりとして今日も日記を書いてみましょう。
さて、私はおとなになったのでしょうか。立場や見た目としてではなく、どうしてもまだ自分が一人前だとは思えません。社会に出て自活すること、サラリーマンになることは子供のころからの夢でしたが、そのいっぽうで、おとなになることに対しては強く警戒していました。そもそもどういう状態がおとなであるというのか、それも人それぞれかもしれませんが。飼っている犬が死に、子供が独立して家を出たときでしょうか?<? 私は、子供としてのまっすぐさが失われることがそのひとつであると思っています。目の前のものに好奇心や感動をいだくことや信じることを忘れ、都合や損得勘定だけで行動したり考えてしまう、それはとてもさびしいことです。その点では、そういうふうに変わっていくかどうかは自分の心のもちかたしだいと言えるでしょう。だから私は、できるかぎり今のままでいたいと願っています。人はいつか成人するけれど、おとなになる必要はないのですから。

2002年6月19日水曜日

テモ ソジャナイカ

小林声優になるッス!<だれ 後味のわるい夢のことはさっさと忘れて(なんかあったの)、今日もしめやかにいきましょう。というか最近ピンチです。なんだか精神的にけつかっちんといいますか、切羽つまっているといいますか、余裕が感じられないといいますか、ゆとりフリー?<聞かれても… あれなんですよ(どれ)、靴を2足もっていて毎日それを交互にはいているのですが、朝とかにぼけてて昨日どっちをはいたか思い出せなくって頭をかかえてしまうくらい切迫しているのです!<つまりその程度の悩み

2002年6月18日火曜日

「姫」なので怪力よ!

おばんです。おんだ6/17です。<昨日? 今日はひさんでした。昨夜の晩ごはんでみそ汁が熱くって舌をやけどしてしまいまして、一夜明けても痛みがひかずに一日じゅうピリピリピリピリピリピリピリピリしてました。さらに今日の晩ごはんでもやっちゃいました。(学習能力なし)

2002年6月17日月曜日

さかなっつハイ

ナンノルー。(挨拶) 朝起きて、朝シャンして(朝からしゃんとしての略)、今日も一日はりきってまいりましょう。まいりました。<無駄なエネルギー
さて不肖この私、筆圧が強くて困っております。鉛筆やシャープペンシルですとHの芯でも2Bくらいの濃さで書けてしまいますし(誇大広告)、それよか芯がポキポキ折れるわ紙に穴開きまくるわで目もあけられませんですよ。しかもそれだけでは終わらなくて、ボールペンの芯(?)もへにょんと折りますし、箸すら折ります!<っていうか能動なの? なんというか、力加減がぜんぜんできないんです。虫に刺されたところを延々かきつづけて血が出るまでやっちゃったり、たまごを割ろうとしてテーブルの角にぶつけるときまってぐしゃっと…などなどです。<無駄なエネルギー<またかよ

2002年6月16日日曜日

ライクロプト心理パラグラフ

おんだです。好きな紅茶はオレンジペコです。うそです。(ひとり相撲) 夜中につめを切ると音が響いて不気味さんです。子供のころいつも深爪をしていました。なんかこう、白い部分がなくなるまで切らないと気がすまないタイプでして(性格なの?)、痛くてしかたがないのに毎度こりずに切りまくっていたというパチパチ少年でした。
今日は駅前地下街に行ってきました。漫才のライブが開かれるということで出かけましたが、もうえらいこっちゃでした。私が着いたときにはもう始まるころだったのですが、ものすごい人のごった返しといいますか、ごった煮でした。特設のステージにコンビが上がるたびにものすごい歓声とフラッシュがあがりまして、もうネタどころではないといった感じで。そもそもこの町にこんなに若者がいたのでしょうか。<います 私のお気に入りのコンビが生で見られて感激しまして、女性ファンにまじってきゃーきゃー言ってまいりました。(……) 漫才っていいなと思います。ことばで人を楽しませるというか。昔から好きでして、古くは地下鉄漫才とかお気に入りです。<古すぎっていうかあんたいくつだ

2002年6月15日土曜日

作戦守ってゴー!

一週間おくれの新聞をまとめて読んでみたりしているおんだです。サタデーです。会社です。<え 仕事してきました。はじめのうちは家庭に仕事を持ちこんだり休みの日に出勤したりすることはあまりやりたくないと思っていましたが、それはなんと言いますか、未知のものに対する漠然とした不安だったということで(適当自己解決)、べつに自分の意志といいますか、朝起きてなんとなく、ああ行こうかなーくらいの気持ちで。今日はあまり暑くなくて気分もよかったですし。というかちがうんですよ(何)、今やっているのをはやく終わらせて次のことしたいんですよ。やきもきですよ。それにほら…ねえ、私も負けてられないじゃないですか(^^)<何に対するライバル意識?

2002年6月14日金曜日

稲森の話はいいから

おんだです。帰り道で雨に降られまして、はじめはあわてて走ったのですが、顔に当たる雨粒が冷たくて気持ちよかったので、このまま雨に打たれて帰ろうかなと。スーツがぬれるのも気にしないでまっ黒い空を見上げながらゆっくり帰宅しました。
さて、仕事中にテレビ観戦できますか?なんて話題になっていましたが、私にはそもそもなぜ今回だけが特別扱いされるのかわかりません。日本代表のゲームだからですか。日本人が世界に挑戦する場面はほかにもたくさんあるわけでして、そのたびに仕事さぼって応援するんでしょうか。たとえば私がいきなり街頭に飛び出して「ぼくは今から変態さんの日本代表として脱ぎます!」とか叫びながら露出しはじめたら(注:フィクションです)みなさん見てくれるでしょうか。<なにいってんの だいいち日本っていうのはそういうお国柄じゃないと思うのですが。国旗国歌がたった数年前に決まったような国ですよ?<関係あるの? よその国はそちらの考えかたがあるわけでして、いくら全国的に注目されるイベントがあってもやっぱり仕事は休めない…それが日本人のいいところでもあるような気がしますが。

2002年6月13日木曜日

サバヒヤン

目薬をさすとのどの奥がにがくなるのがちょっといやなおんだです。昨夜ですが、夜中に寝苦しくなったのでうちわを出そうと思ったのですが、引っ越しして以来どこへやってしまったのかさっぱり思い出せません。かといって夜な夜な荷物をひっくり返す気力もありませんので(ねむいし)、てきとうに押し入れの中(混沌)に手をつっこんでごそごそやっていたら、何か出てきました。古いマウスパッドでした。…これでいいや。
今日はお絵描きでもしてみましょうか。仕事で。

2002年6月12日水曜日

南極大陸の話をしよう

玄関開けたらスズメがおでむかえで気分のいい朝でした。夜になって飲むものがなくなったので断腸の思いでコンビニへ。<そんな毛嫌いせんでも 和菓子がなぜかレジ前に置いてあったので小心者の私はなんとなく取りあぐねてしまいました。
さて、テレビCMは目をひく興味深いものが数多くありますが、最近の私のお気に入りは、すこし前から放送されている郵便局のCMです。スピーディな映像が期待感を持たせてくれるのですが、今まで、ゆうちょとかゆうパックなど個々のサービスについてのコマーシャルはありましたが、今回のようなイメージフィルムのようなものはめずらしいのではないかと思います。あれでしょうか、よほど民間参入を警戒してのものなんでしょうかね。そういうことをつい詮索してしまいます。

2002年6月11日火曜日

マグリットの地図

朝電車に乗ろうとしたら、いつもはそれなりにすいている車両にぶわーっと。高校生とおぼしき集団に囲まれてなぜか肩身のせまい私でしたが、団体様で移動するときによりによって通勤時間帯の電車を使わなくても…という気がしました。そのほかにはこれといって何も。
何も見えなくても、少しずつ、進んでいると信じて。よくなっています。明るくなって、きています。

2002年6月10日月曜日

今はこぼれる砂だけれど

おんだです。元アイドルです。今日はしくりました。朝からずっとねぶかったです。仕事も思うように進みませんで、反省です。でもどうしたのかな。べつに昨日は遅くまで起きていたわけでもなかったのですが。って思い出してみたら、なんか最近、たまに早朝に目が覚めるときがあるんです。朝5時ごろ、もわーんという熱気を感じて寝苦しさのあまり起きてしまいます。これはどういうことなのでしょう、夜明け前という1日のうちでもっとも気温が低い時間帯ですでに暑いってどういうこと? と不服を申し立てても天候ばかりはどうにもなりませんので、やはりここは脱いで寝ることにしましょう。<なんでよ

2002年6月9日日曜日

みめうるわしき

今日もあつうございました。ファンタオレンヂの飲みすぎでおなかが痛いおんだです。<いい歳こいてなにやってるんですか なんだかもう、金属のスプーンをがちがちかんでいるような気分です。夏ばて予防というのもかねて青とうがらしを買ってきました。夏は毎年のように食欲がなくなってしまうので、今年は万全の準備でのぞみたいと思います。<夏に向けてダイエット宣言程度の発言<っていうかとうがらしは関係あるの?

2002年6月8日土曜日

イタリアに行ったらトマッテーニカッテーニ

まさとしです。今日はえらいことでしたよ。スーパーに買い物に行ったら、鮮魚コーナーからはおさかな天国、精肉コーナーからはヨーデル食べ放題というまさに地獄絵図でした。<それほどまでにか というかひとり爆笑してしまいました。ハラショー!(死語) …まさとしって誰。
さて、猫の恩返しのテーマソングを歌うつじあやのさんは京都出身だそうです。京都といえば大学時代を思い出す私ですが(注:つっこみどころです)、たしかに“京都の音楽”というのは独特の魅力があると思います。市内を流れる鴨川のほとりは多くの人のくつろぎの場となっていましたが、同時にさまざまな創造性の発信地にもなっていました。ギターを手に歌っている人、演劇や漫才の練習をしている人、絵を描いている人…。さまざまな可能性が川面に映ってきらきら光っていました。思い出すほどにすてきな光景です。私が見かけたその中にもつじさんがいたかもしれません。